お題「ハロウィン」 今年もハロウィンがやってきた。
昨年のこの時期は首に爆弾をつけられ、ハロウィンどころではなかった。
今年のハロウィンも公安としての仕事が山積みだったが、それはもう終わりが見えている。
十月三十一日。現時刻は、午後十一時過ぎ。まだまだ油断はできない状況だが、例年通り渋谷は大混雑をみせたものの、平穏なハロウィンだったといえるだろう。
スマホのバイブ音が鳴り、降谷はスマホの画面をタップする。電話をかけてきたのは風見だった。
『降谷さん、こちらはもう大丈夫です。そろそろ休まれてください』
「ああ、そうさせてもらうよ」
仕事はタイミングよくやってきてはくれない。ありとあらゆる仕事が山のように重なり、降谷はこの一週間、まともに睡眠をとることができていなかった。仮眠室に二度ほど入った記憶はあるが、ほんの数時間で仕事を再開させている。自分がまともに休んでいないことに風見も気づいていて、落ち着いたタイミングで電話をかけてきたのだろう。
いつもの自分ならば、「きりのいいところまで終わったらな」と返事していただろうが、風見の言う通り、降谷は素直に休むことにした。
これ以上仕事を続けていても、パフォーマンスが落ちるだけ。そう考えてしまうほどには、降谷もひどく疲れを覚えていた。
風見との通話を終え、降谷はノートパソコンを鞄にしまい、部屋を出る。疲労のためか、鞄を持つ左手にダル重さを感じながら、降谷は警察庁の玄関へと向かった。深夜のため、ひとけはほとんどない。玄関前に立っている警察官に挨拶をして、玄関の外へと出ると、冷たい風が身体を撫でてゆく。
夏の余韻はもうすっかり消えている。スーツを着ていても肌寒さを感じるほどだ。そろそろコートの出番だろうかと考えていると、すぐそばで人の気配を感じた。
反射的に身構えようとして、降谷は苦笑する。疲れているせいで幻覚でも見ているのかと思ったが、そうではない。目の前には、自分のよく知る人物がいた。
「こんなところで何をやっているんですか、あなたは」
「おや……もうバレてしまったか」
「そんな雑な仮装をしておいてよくいいますね」
真っ白な包帯を顔にぐるぐる巻いた状態の赤井に、降谷は嘆息する。ミイラ男にでもなったつもりなのだろうが、赤井が手を加えたのは顔だけのようだ。
ニット帽はかぶったまま。服装もいつも通り。そこに包帯の白色だけが不気味に際立って見えている。自分以外の人間が目にすれば、恐怖でおののくかもしれない。
「……全身整える時間がなくてな」
赤井が笑みを含んだ声で言った。包帯のせいで表情がよく見えないが、涼しい顔をして笑っているに違いない。
「それで? そんなやっつけの仮装をして、僕に何の用です?」
「Trick or Treat」
「…………」
赤井の口から出てきた言葉と思えず、思考が停止する。
「トリックオアトリート」
「わざわざ言い直さなくても聞こえています!」
「そうか」
「まさかあなた……これを言うために、こんな時間にこんな姿で警察庁まで?」
「ああ。一年に一度しかないからな」
「あなたがハロウィンに興味があるとは思いもしませんでしたよ」
「いや……何かと理由をつけて君に逢いたかっただけだよ」
赤井の言葉に、降谷は顔が熱くなるのを感じた。夜なので顔の色など見えないだろうが、降谷は赤井から顔を逸らす。
赤井の前ではまだ、降谷は素直に喜びを表現できない。降谷の口からは無愛想な声が出た。
「僕、お菓子なんて持ってませんよ」
「ああ。だからかわりに、君にイタズラさせてもらおうと思ってね」
「イタズラ」
再び、赤井の口から出てきたとは思えない言葉が聞こえてきて、降谷は思わず声を上げる。赤井は声を弾ませて言った。
「そうだな……まずは俺の車に乗ってもらおうか。君を家まで送り届けよう。ついでに俺を君の家に泊めてくれないか。ああ、疲れている君に手を出したりはしないから安心してくれ」
「……それがあなたの言う“イタズラ”なんですか?」
イタズラというよりは、疲れている自分を自宅まで送り届けて休ませようとしているだけのように思える。
ただ疑問を口にしただけだが、それだけ? と物足りなさを匂わせる声が出てしまった。この声をどう受け取ったのか。赤井が笑みを深めて、こちらに近づいてくる。
ちゅ、と掠め取るようなキスをされて、降谷は思わず後退った。
「今はここまでとしよう」
「ここまでとしよう、じゃないんですよ! こ、ここをどこだと思ってるんですか」
「誰も見ていないよ。もし見られていたとしても、ミイラ男の正体は君以外にバレん」
「あなたのような長身は日本では珍しいんです! 見る人が見ればバレますって! まったくもう……」
「君に逢ったら我慢できなくてね。だが、イタズラの本番はこれからだよ、降谷君。今宵、俺は君の寝顔を一晩中独り占めすることに決めている。ああ、もちろん君を起こしたりはしないと約束しよう。ついうっかりキスしてしまうかもしれないが、それは許してくれ」
そんなことを許せるはずもない。
いつもならば緊張とドキドキで眠れなくなりそうだが、今日は今すぐにも寝落ちしてしまいそうな状況だ。ただでさえ、赤井が横にいると安心感ですぐ眠りにつく身体にされてしまっているのだ。このままでは、自分が寝ている間、赤井に好き勝手にされてしまうに違いない。Trick or Treat。選ぶべきはTreatだ。
「あー帰りにコンビニに寄ってください。お菓子を買いましょう」
そう言うのと同時に、小さなくしゃみが出てしまう。赤井がすぐさま自分の肩を抱き寄せて言った。
「それは断る。……それより早く車に乗ってくれ。外は冷える」
「そうですね」
赤井に促されて、降谷はマスタングの助手席に乗る。運転席に座ってアクセルを踏む赤井の横顔を見ながら、降谷は思わず笑ってしまった。
「そんな顔でよく職質されませんでしたね」
「身分証明書を提示したら通してくれたよ」
「職質されてるじゃないですか」
堪えきれずに降谷が笑うと、赤井もつられたように笑う。そのせいで、顔に巻かれた包帯が動いてしまったらしい。
「……どうやら包帯がほどけてきてしまったようだ」
雑な巻き方をしたせいでもあるのだろう。赤井の目に包帯がかかりはじめていた。赤井が右手でぐいと包帯をズラすと、目の周辺だけが露わになる。だが、一度ほどけはじめた包帯は、またしても赤井の視界を遮ろうとしていた。
「ちょっと待ってください。僕が外します」
降谷は慌てて赤井の顔に手を伸ばした。赤井の運転の邪魔にならないように、赤井の顔からくるくると包帯を巻きとる。少しずつ赤井の顔が露わになってゆく様は、降谷にある種の興奮をもたらした。包帯のせいで、わずかに乱れた黒髪にも愛おしさを覚える。包帯をすべて巻き取るのと同時に、赤井の碧色の瞳と目が合った。
「ありがとう、降谷君」
赤井が礼を告げるのと同時に、降谷は興奮したまま思わずこう呟いていた。
「プレゼントの包装をほどいているような気持ちになりましたよ」
「包装ではなく包帯だがな」
「……うるさい」
「だが、プレゼントをもらうのは俺の方だ。覚悟していてくれ。ああ、君は寝ていてくれるだけでいい」
「あ、あそこにコンビニが!」
「寄り道は却下だよ。降谷君」
その言葉通り、何度訴えかけても、赤井は降谷の家まで車を停めることはなかった。
家に着くのと同時に、降谷は赤井の腕の中でくずおれた。車の中の心地よい振動のせいで、眠気は頂点に達している。このままでは赤井にイタズラされてしまう! と気を張っていたのは最初だけで、赤井がそばにいると熟睡できるようになった身体は、すぐに夢の中へと沈んだ。
降谷が赤井のイタズラの跡を知るのは、翌朝のことである。