「あーあ。ボクは随分と厄介な男に捕まってしまったね」 それは2人で出掛けた帰り道のことだった。
色づいた街路樹を眺めながら、季節の新作について話していた。今年から新しく出したカボチャを使ったプディングの人気は上々だとか、ホリデーのために今年もいくつか試作品を考えているとか、そういう他愛もない話だ。
そうして穏やかに相槌を打っていたリドルが脈絡なく小さく笑いを漏らしたから、珍しいこともあるものだと思いながら戯れるように小突いた。
「ふふふ、大したことじゃないんだけどね? 休憩中に後輩達が話していたのを思い出して」
そう言ってリドルは楽しげに落ち葉を踏む。
ワインレッドの髪は銀杏並木によく映える。マジカメに上げこそしないが、そのリドルの横顔を写真に収めたくなるというのはなんとなく分かるな、とこの場にいない親友に賛同する。
「リドルは結構後輩に慕われるよな」
「そう……思うかい? 確かに先輩や同期よりは後輩の方が気安いような気がするけど……どうなんだろう」
リドルは眉を寄せ難しい顔で考え込んだ。
ああ、折角リラックスしていたのに。オフの時間に仕事の事を思い出させるつもりはなかったので、トレイは失敗したなと頭を掻いた。
「リドルは優秀だからなぁ。先輩や同期は距離の図り方が難しいんじゃないか? その点後輩なら引け目なんかもないし、お前なんだかんだ面倒見いいから懐かれるの分かる気がするな」
すぐにフォローしてしまうのはもはや癖だ。苦笑したリドルが「そうかな、そうだといいな」と呟いたので頷き返して、話を元に戻した。
「で、その後輩達がなんの話してたんだって?」
「ん、そうそう。最近読んだ本の話をしていたんだけどね」
そこでリドルは再びくすりと思い出し笑いをする。
「なんだよ、随分もったいぶるな」
そういうつもりはなかったんだけど、と言ってリドルは歌うようにそのフレーズを諳んじた。
「『別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。』って」
トレイは目を瞬かせた。
「えっと……つまり?」
まさか毎年その花が咲くのを見て自分を忘れるな、という意味だろうか。もしそうなら言ってはなんだがある種の執念すら感じるというか。引き際の悪さにモヤモヤしてしまうのは自分に情緒がないせいなのか。
「別れた後も、その花が咲く度に自分を思い出して欲しい……ってことだろうね」
リドルの出した正解が想像と大体合っていたから、尚更トレイは首を傾げる。
「……なんでそれを今思い出したんだ?」
意味を聞いても彼が気に入るようには思えなくて、上機嫌なリドルにますます分からなくなる。
昔の思い出を後生大事に抱え込んで、リドルも覚えていると知る度に純粋な嬉しさと共に仄暗い独占欲が湧きそうになるのなんてとても表には出せないから、厳重に蓋をしているのに。
「花の名前を一つ、どころかボクはこの先どんなお菓子を見てもキミを思い出してしまうのかなと思ったらおかしくて」
思わず足を止めたトレイに気付いてリドルがゆっくりと振り返った。
「あーあ。ボクは随分と厄介な男に捕まってしまったね」
────それは美しい光景だった。
銀杏の降る風の中、この世で最も愛おしい人がスレートグレイの澄んだ瞳でひたとこちらを見つめている。そして呆れたような口調とは裏腹に心底幸せそうに微笑むのだ。
鼓動が高まって心臓が苦しい。胸がいっぱいで言葉が喉に詰まる。
気の利いた返しのひとつも出せなくて、トレイは黙ってその光景を目に焼き付けた。
*
それにしても。ある種の執念すら感じる、だなんてとんだブーメランを放ってしまったものだ。
自己満足とはいえ、リドルに出す苺タルトにこだわった結果、苺の栽培にも手を出したことのある自分が言えたことではない。
勿論それは生来の凝り性が発揮された部分が大きいのだが。他の人の目にどう映るかは……まあ、理解はしている。
厄介な相手に捕まったのは、絶対に自分の方が先だ。
美味しいと笑って言ってくれるから、次はどんなものを作ってやろうかと考える。アイデアを試している時に、おやつを作っている時に、何でもない日のパーティーの準備をしている時に、一番に思い浮かべる笑顔はいつだってリドルのそれだった。
初めてケーキ作りを教わった時から、ずっと。学園を卒業して店のショーケースに自分の作ったケーキが並ぶようになった今でも。
きっとこの先もトレイにとって、彼以上の笑顔は無いだろうと半ば確信している。
トレイがリドルのために作ったケーキだから、リドルが一番の笑顔を見せるのか?
はたまたリドルが誰より美味しそうに食べるから、トレイはリドルを想ってケーキを作るのか?
卵が先か、鶏が先か。
いや、彼らをよく見てきた学友なら呆れを隠しもせずに笑って一言で片付けるだろう。
「破れ鍋に綴じ蓋」と。