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    haiiro1714

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    haiiro1714

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    執筆:溶けかけ。
    監修:おぼろ
    による政略結婚第三話です。
    一万字超えはもうしたくない…(切実)

    ##政婚ヌフ

    3話輿入れしてきて、早1か月。
     大きすぎる屋敷にも順応し、貴族の令嬢としての振る舞いも板についてきたように思う。…未だに夜の務めには慣れないけど。
     「ふわぁぁ…」
     思わず欠伸をしてしまい、慌てて口元を扇で隠す。いけない、いけない。淑女たるもの、人前で欠伸など以ての外だ。
     「フリーナ様、少しお休みなさっては如何でしょう?」
     クロリンデが気遣わし気に言った。
     「うーん…まだ日も高いうちから二度寝なんて、怠け者みたいに思われないかな?」
     フリーナが心配そうに言えばクロリンデが首を横に振る。
     「昨夜は房事の日でしたから、寝不足なのも仕方が無いことです。」
     房事、と言われて頬に熱が集まる。今更、何を。と思われるかもしれないが。
     「それに、輿て来られてからあまり眠れていないのではないですか?」
     図星をつかれてフリーナはぎくりとする。
     今のところ、床で寝ていることは露見していないが時間の問題だろう。
     …そういえば、一度だけ、朝起きるとベッドで寝ていたことがあった。
     詳細は覚えていないが、あたたかくて安心できた気がする。良く眠れたのは後にも先にも、あの日だけだった。
     「クロリンデがそう言うなら、少し休むことにするよ。人払いを頼めるかい?」
     「畏まりました。…お手伝いいたします。」
     言うが早いか、クロリンデはフリーナのドレスを手際よく脱がせ、ネグリジェに着替えさせる。
     「ありがとう、クロリンデ。…じゃあ、おやすみ。」
     「おやすみなさい。フリーナ様。」
     一礼をしてクロリンデが退出する。少し間を置いてから、なるべく音を立てない様にベッドから抜け出て、扉に耳を付けて外の様子を窺う。
     (よし、足音は聞こえない。人の話し声も…うん、これなら大丈夫そうだ。)
     クローゼットから輿入れの時に持ってきたトランクケースを取り出し、庶民の着る服やメイク道具等を取り出す。
     (クロリンデの持ち物検査の時に隠しておいて良かった…。)
     ネグリジェを脱ぎ捨て、綿のYシャツやベスト、ズボンを着込み、長い髪をインナーキャップに仕舞い込んで、茶髪のウィッグを被る。
     ドレッサーの前に座り、そばかすを描き入れ、肌が出ている部分に日焼けをしたようなメイクを施していく。
     (上出来だこれなら誰かとすれ違っても、すぐには僕だと気づかないだろう。)
     帽子を深く被り、姿見の前に移動してくるりと1回転する。それに合わせて鏡の中のフリーナ、もとい、庭師見習いの少年もくるりと回った。
     古ぼけた肩掛けカバンを下げて、靴を履き替えたら準備は完了だ。
     「あー、あー、コホン!」
     小さな声で庭師見習いの少年の声をマネする。この1か月、彼を観察していた成果が出ているといいのだが。
     廊下へと通じる扉に手を掛けたら、目を閉じて深呼吸を1回、2回。焦りは禁物だ。
     そっと扉を開けて、左右を見回す。…どうやら誰もいないようだ。
     (早く、早く、行かなくちゃ。)
     逸る気持ちを抑えながら、フリーナは足早に歩きだした。



     (あれは…フリーナ様?)
     フリーナには内密にされているが、彼女のそばには常に誰かしらを警備の為に付けることになっている。今日はクロリンデであった。
     部屋から出てきたフリーナの姿にクロリンデは目を丸くする。
     帽子の下のオッドアイが一瞬だけ見えなければ、彼女だと認識することが出来なかったかもしれない。
     (どちらへ向かうのだろうか?)
     部屋を出た途端、令嬢らしい楚々とした足運びから、少年らしく元気で力強いものに変わる。
     まるで別人の様だ、とクロリンデは息を呑んだ。
     見失わない、しかし尾行が感づかれない距離を保ちつつフリーナの後を追う。
     暫く歩けば、食料の運搬や使用人が主に使う裏門に辿り着く。丁度、門番の交代時間らしく人の気配がなかった。
     (まさか、この1か月の間に警備の穴を見つけたというのだろうか?)
     フリーナの観察力と演技力にクロリンデは素直に舌を巻いた。
     重い鉄の門を押し開けながら、きょろきょろと辺りを見回す彼女に見つからないように身を隠す。索敵は素人で助かった。
     人がいないことを確認したフリーナは、ほっと安堵のため息をついて門の外へと踏み出した。
     クロリンデもその後へ続く。王都の中を迷いない足取りで進むフリーナの表情は、常の彼女よりも生き生きとしていた。
     漸く、目的地に辿り着いたらしいフリーナはある建物の前で足を止めた。
     (ここは、劇場…?)
     そのまま、彼女は吸い込まれる様に中へと入っていく。
     (まずは人目に付かない入り口を探す必要があるな…。)
     


     
     入り口を抜けてホールへと向かう。ホールにはフリーナが所属する劇団のメンバーが集まり、近々公演する舞台のリハーサルが行われていた。
     「やあ、みんな。久しぶり!」
     帽子とウィッグを外していつもの自分の声で挨拶をすれば、全員の視線がフリーナへと注がれる。
     「うわ~ん!ジェーン~!会いたかったよぉ~~~!」
     明るい茶髪を三つ編みにし、頬や手を色とりどりのペンキで汚した少女がステージから降りてきてフリーナに抱き着いた。
     「僕も会えてうれし…って、つく!ペンキが着くから刷毛を離してくれ!」
     ぐいぐいとフリーナに抱き着き、頬ずりをする少女。少女の嬉しそうな様子にフリーナは諦めて抱擁を受け入れた。
     「こら、ジェーンが困ってんだろ?…悪かったな。」
     ベリッと音がしそうな勢いで少女をフリーナから引き剥がしたのは彼女と同じ大道具の青年。
     「ううん。寧ろ、それだけ待ってくれていたなんてちょっと嬉しいな。」
     頬を染めて照れくさそうにするフリーナに青年と少女は当たり前だと返した。
     「ジェーンは大切な友達だし、この劇団の仲間でしょ?」
     少女が笑えば青年も違いない、と笑う。ホールのあちこちで三人を見守っていた他の劇団員達も頷く。
     「うん。…うん、ありがとう皆。練習に参加出来なかった1か月分、取り返せるように頑張るよ!」
     微笑むフリーナに少女が手を差し伸べる。
     「ほら、行こっ!ジェーン!」
     少女の手にフリーナが手を重ねればどちらともなく走り出す。青年や団員の何人かが転ぶなよー、と優しく声をかけた。

     ――ジェーン・ドゥ名無しそれがここでのフリーナの名であった。

     


     練習の合間の昼休み。劇団員が出払って、本来では無人のはずのステージ裏には3つの影があった。
     「うーん…。何か違うよね?」
     「違いますね。」
     「違うわね?」
     「主演2人と助演が揃いも揃って何、首を傾げているのよ?」
     それぞれ、主人公役のフリーナ、ヒロイン役のメリュジーヌ、ヒロインの幼馴染役のメリュジーヌの3人と通りかかった劇団長の言葉である。
     「それが、最後のシーンの僕と二人の掛け合いの所なんだけど…なんかしっくりこないんだよね。」
     フリーナが困ったように言えば残りの二人も頷く。
     「そうなの?…歌って見せてもらっていいかしら?」
     劇団長が言えば、3人が目くばせしあい、呼吸を合わせて歌いだす。
     「~~♪」
     フリーナが最後の一節を歌い上げて、その場が静まり返る。
     「確かに何かしっくり来ないわね?」
     聞いていた劇団長が首を傾げた。
     「そうなんですよ!歌い方、音の長さ、他にも色々変えてみたりもしたんですけどしっくりこなくて!」
     ヒロイン役のメリュジーヌが地団駄を踏んだ。
     「じゃあ、次はさっき言ってた方法でやってみる?」
     幼馴染役のメリュジーヌが言う。
     「もう、こうなったらとことん試しちゃいましょう!」
     劇団長の言葉を皮切りに四人は案を出しては試すということを繰り返す。そこへ、出払っていた劇団員達も加わり議論は夕方まで続いた。




    (あんなに沢山歌ったから流石に疲れたな…。でも楽しかった。)
     やっぱり舞台に立ち物語を紡ぐのが好きだ。フリーナは高ぶった気持ちのまま、先ほどまで皆で議論していた劇中歌を口ずさむ。
     「~~♪」
     「フリーナ様。」
     「おわぁ!?…なっ、なっ!?」
     ここにいるはずのない声に呼び止められて、飛び上がる。振り向けば劇場の入り口にクロリンデが立っていた。
     気配を一切感じなかった。本職は暗殺者だったりしないだろうね、とフリーナは本気で思った。
     バクバクと心臓が大きな音を立てている。
     「クロリンデ!なんで君がここにいるんだ!?」
     そう言えば間髪入れずに、フリーナ様の後をつけてきました、と事もなげに言われる。
     「うぅ…。演技には自信があったのに…。」
     しょんぼりと項垂れるフリーナ。
     「確かにフリーナ様の変装は見事でした。気を抜けば見失ってしまうくらいには。」
     「そのまま見失ってくれても僕としては構わなかったんだけどな。」
     これでもう、ここには来られなくなってしまう。皆になんと弁明しようか…。
     「フリーナ様。私は今日の事をヌヴィレット様へ報告する気はありません。ですので、これからも劇団のお仕事を続けてもらって結構です。」
     クロリンデの言葉に顔を上げる。フリーナが小さな声でいいの…?と問いかけた。
     「ええ。ですが、貴女に何かあれば屋敷の者たちの責任になります。ですから、外出の際には私をお連れください。」
     屋敷の人間を理由にする。卑怯な手だとは思うが、この少女は自身が心配されている事が理解できないだろうと分かるから。
     フリーナが黙り込んで考える素振りを見せる。クロリンデは辛抱強く待ち続けた。
     「えっと、その、…迷惑をかけるだろう?そもそも、僕の我儘なのに…。」
     おずおずと自信なさげに言う少女。
     「主人の意向に従うのも専属の務めです。」
     言ってから、言葉選びに失敗した気がしてクロリンデはフリーナをつぶさに観察する。少女の表情には諦めの色が浮かんでいた。
     それが当然だとでも言うように。
     少し考えてから、クロリンデは言葉を紡ぐ。仕事上の関係だと割り切ってしまうのは簡単だ。だが、それでは彼女が笑ってくれる日は永遠に来ない。
     「不躾ながら、私個人としての率直な意見を述べさせていただいてもよろしいでしょうか。」
     フリーナが頷いて先を促す。
     「今日のフリーナ様は自然体でとても素敵でした。だからこそ、私はそんな貴女の姿をそばで見ていたいのです。」
     これがクロリンデの立場から言える精一杯だ。これ以上は越権行為になり兼ねない。
     フリーナはぽかんと呆けた顔をしている。次いで、花が綻ぶような笑みを浮かべた。
     「ありがとう、クロリンデ。」
     1か月間行動を共にしてきて初めて見せた笑みにクロリンデは暫し、目を奪われた。

     「どうしたの?」
     固まった様に動かないクロリンデに訝し気な視線を向けるフリーナ。クロリンデは咳ばらいをして誤魔化す。
     「なんでもありません。…戻りましょう、フリーナ様。」
     そう言って彼女の横に並び立つ。
     行きは一人分だった影が2つ並んで歩き出し、家路につくのだった。




     ―――親愛なるヌヴィレット様へ―――
     
     なんと、私達がミュージカルの主演と助演に抜擢されたんですよ!
     メリュジーヌと少年騎士の恋のお話で、ヌヴィレット様もきっと気に入ると思います!
     劇団の皆で一生懸命考えて、練習してとっても良いものが出来たんです!
     チケットを同封したので、ぜひ見に来てください!
     
     P.S 手紙の書き方はジェーンから教えてもらいました!
     ――――――――――――――――――――――――――――――――――

     短い手紙からは楽しそうな雰囲気が感じられて、ヌヴィレットは頬を緩める。
     息災な様で何よりだ、と手紙の送り主である二人のメリュジーヌの姿を思い浮かべる。
     ジェーンという名前に心当たりはないが、劇団で出来た友人なのだろう。
     親しい人間がいるのは良いことだ。
     二人が演技を仕事にしたいと言い出した時はかなり驚いた。
     まだまだメリュジーヌという種族への風当たりは強く、独特なセンスが芸術方面では敬遠される風潮にある。
     ヌヴィレットは二人の願いを何とか叶えてやりたくて、無理を承知で大小様々な劇団に手紙を送った。
     その際、二つ返事で引き受けてくれたのが件の劇団であった。
     寧ろ、彼女たちのセンスを遺憾なく発揮して欲しい、と劇団員の一人から熱望されたとまで書かれていた。
     その日の内に、劇団への手紙に返事を書き、アポイントメントを取った。
     後日、劇団の素行調査や劇団長との面談を経て、問題なしと判断し、二人を受け入れて貰った。
     まさか、入団一年で主演と助演を任される程、信頼されているとは思ってもみなかったが。
     同封されたチケットを取り出し、便箋を封筒に戻し、デスクの一番上の引き出しに入れる。
     チケットの日付は一週間後の夜。
     多忙の身ではあるが、彼女たちが所属する劇団のスケジュールはパトロンとして把握済みである。
     無論、当日は半休を取り、劇団と彼女たちへささやかながら差し入れを用意する予定だ。
     侍従を呼び出し、贔屓にしているフラワーショップやパティスリーへの手配を言いつけて、机の上に積まれた書類を手に取った。
     





     一週間後、ヌヴィレットの姿は王都の劇場にあった。
     人気劇団の公演の為か全ての席が埋まっており、人々の熱気が伝わってくる。
     ヌヴィレットは貴賓席に腰掛け、パンフレットを開く。彼女たちが書いていた通り、騎士見習いの少年とメリュジーヌの恋愛劇のようだった。
     主演と助演にそれぞれ、二人のメリュジーヌの名前。
     (…妙だな。)
     主演のジェーン・ドゥと書かれた名前を無意識に撫でる。ジェーン、という名前はさほど珍しいものではない。
     しかし、ジェーン・ドゥとなれば話は違う。ドゥには架空の意味がある。名無しをわざわざ名乗るということは、名乗れない事情があるということだ。
     (彼女たちに良からぬことを企むような人物でなければいいのだが。)
     ヌヴィレットの心配を他所に舞台の幕が上がる。この舞台で見極めればいい。そう思いながら居住まいを正した。

     


     劇を見ながら、ヌヴィレットは素直に感心する。メリュジーヌ達の演技は勿論素晴らしい。
     そして、それよりヌヴィレットの目を引いたのは少年騎士を演じる少女だった。
     誰かがミスをすれば、演出の一環としてアドリブを入れ、場を盛り上げる。
     メリュジーヌとの恋に悩む場面では思春期の複雑な感情を歌い上げ、少年騎士が実在する人物かのような存在感を示す。
     最後の少年騎士とメリュジーヌのヒロインが結ばれるシーンの掛け合いでは、メリュジーヌの二人と少年騎士が三人で歌い、笑い、踊り、彼らの未来を祝福するかのように幕を閉じた。
     

     「ジェーン!」
     呼びかけられてフリーナは足を止めて振り返る。劇団長が笑みを浮かべて立っていた。
     「お疲れ様です。劇団長。」
     フリーナは当たり障りのない挨拶を返す。
     「はい、これ。甘いの好きでしょ?」
     可愛らしい包みを渡される。止めていたリボンを解けば、淡い色合いが目を楽しませてくれる。
     「…マカロン?どうしたんですか?」
     「劇団を支援してくださっている方からの贈り物よ。楽屋に置いておくと、全部なくなっちゃいそうだったから。」
     劇団長は、皆には内緒ね、と悪戯っぽく笑った。
     「今日の功労者にあげるには、少ないんだけど。まあ、給金のほうはちょっと色を付けておくわ。」
     「ありがとうございます。」
     フリーナが言えば、劇団長は拗ねた様に口を尖らせた。
     「もう、敬語はやめて、っていつも言っているでしょう?あなたもこの劇団の一員。自信を持ちなさい。」
     フリーナの頭を一撫でして劇団長は微笑む。
     「はい、あ、うん。ありがとう、劇団長。」
     「どういたしまして。舞台の撤去は私たちの方でやるからあなたは帰りなさいな。…くれぐれも、劇場裏で練習とかしないのよ?この頃、夜は冷え込むんだから。」
     「…は…うん。わかりまし…分かったよ。」
     「こら、目を合わせて返事なさい。」
     劇団長がフリーナの頬を両手で包み込んで視線を合わせる。こういう時の劇団長が中々引き下がってくれないことをフリーナは経験から知っていた。
     どうやって意識を逸らせようかと考えていると、団員の一人がやって来て劇団長に何やら耳打ちをする。
     「そう…分かったわ。ジェーン、悪いけど私はここで失礼させてもらうわね。いい?早く帰ってゆっくり休むのよ。」
     呼びに来た団員と連れ立って去って行く劇団長。その背を見送りながら、フリーナは心の中で謝罪する。
     (ごめん、劇団長。その約束は守れないと思う…。)
     二人が向かったのとは逆方向に歩を進め、劇場裏の広場へと繋がる勝手口のドアを開ける。
     飾りの少ない質素な噴水の縁に腰掛け、流れる水を二度、三度、掬っては落としを繰り返す。
     脳裏に浮かぶのは今日の公演のこと。
     (あぁ、楽しかったなあ。…あー、でも、あそこの部分はもっとああした方が…)
     今日の反省点と共に次の改善点を考える。月明りを頼りにメモを取りながら、劇中歌を口ずさむ。
     劇場裏での一人反省会はフリーナの公演後の日課であった。
     (今日の月が明るくてよかった。)
     



     ヌヴィレットの耳に少年の柔らかな歌声が届く。先程の劇で聞いた少年騎士の声だ。
     劇団への差し入れや支援金の増額の相談等、細々とした用を片付けていたら来場者は既に帰った後の様で、劇団員たちが劇場の至る所で片づけをしていた。
     ヌヴィレットと劇団長は会談終了後、並んでエントランスに立っていた。
     「もう、ジェーンったら。あれほど言ったのに。」
     ヌヴィレットの隣で呆れたようにそう言ったのはこの劇団の劇団長。呆れたような声音とは裏腹にその顔は心配そうに曇っている。
     「ジェーンと言えば、今回の少年騎士役の?」
     ヌヴィレットの言葉に劇団長は頷く。
     「ええ。劇場裏で反省会をするのが彼女の日課でして。…寒い時期でも構わずやるので風邪を引いて寝込んだりしていないか心配なのです。」
     劇団長は慈愛に満ちた、それでいて困った子供を見守る親の顔をしていた。
     「…団長殿と彼女の間に血縁関係でも?」
     劇団長の表情が気になったヌヴィレットは彼女にそう問いかける。
     「いいえ。…小さい頃から知っているせいか、娘の様に思ってはいますけど。」
     「その様なものか。」
     ヌヴィレットには、劇団長の気持ちが理解が出来ないでいた。眷属でもない赤の他人の為に何故、そこまで心を砕けるのだろう、と。
     「馬車を呼んできますので、少々お待ちください。」
     劇団長は考え込んでいるヌヴィレットに一礼するとその場を離れる。
     彼女は、依然として男性が発言力を有する風潮があるにも関わらず、女性の身でありながら劇団を切盛りするやり手である。
     そんな彼女が気に掛ける役者が気にならないと言えば嘘になる。
     「……」
     エントランスから外に出て、劇場の壁に沿って半周する形で裏側へとまわる。
     劇場の裏側には住民の憩いの場として使われているのだろう、シンプルな噴水を中心にベンチなどが設置された素朴な広場があった。
     そして、噴水に腰掛け歌う少女。とは言え、彼女の身なりは舞台で見たときのままだ。朗々と歌う声も変声前の少年のものと相違ない。
     事前情報がなかったら少年だと思ってしまっていただろう。
     月明かりにより、少女の顔には影がかかりその表情は窺えない。
     劇場の壁から身を乗り出すようにした際、落ちていた枝を踏んでしまい、乾いた音が鳴った。
     「だ、誰?」
     少年の声のまま、少女はヌヴィレットの方を向いた。誰何する声は震えていた。
     少女の怯えを感じ取り、ヌヴィレットは壁の陰に身を隠す。
     この状況にあっても演技を忘れないとは並外れた精神力の持ち主である。
     壁越しに警戒されているのが分かり、努めて優しく声をかける。
     「すまない。歌声が聞こえていた為、気になって来てしまった。」
     素直に謝罪をすれば、少女の緊張が緩んだのが分かった。
      「なんだ…よかった。劇団長だったら、雷が落ちていたよ。」
     安堵の息を吐き、明るい声で言う少女。
     「あの劇団長が怒るというのは想像できないな。」
     ヌヴィレットは先程まで一緒にいた劇団長の姿を思い浮かべる。穏やかな顔が怒りに彩られるなど、とても想像できない。
     「ああ。君はお客さん?それともパトロンの人かな?それなら見たことがなくて当然だろう。怒ると怖いよ、彼女は。」
     その様子を思い出したのか少女の言葉には微かに堪え切れない笑いが漏れていた。
     「なるほど。それがこの劇団の劇団長が慕われる理由か。」
     ヌヴィレットが合点がいったように頷く。とは言え、少女には見えていないのだが。
     「そういうことになるのかな?功労者には飴を、怠け者には鞭を。が彼女のモットーだからね。」
     締めるところは、締める。褒めるところは褒める。彼女の語る劇団長の姿から察するに、随分と飴と鞭の使い分けが上手い人物らしい。
     「この劇団の事を大切に思っているのだな。…彼女も君も。」
     ヌヴィレットがそう言えば、うえっ!僕もかい!?と驚いた声が聞こえた。
     「?…何か可笑しなことを言っただろうか。君が話している声音や雰囲気からそう推察したのだが。」
     気分を害してしまったのならすまない、と壁越しに伝える。
     「えっと…そういうことじゃないんだ…けど…。他人からそんな風に言われたことがなかったから驚いたんだ。」
     どこか照れくさそうな声で少女は返す。
     「…うん。でも、そうだね。僕はこの劇団を愛しているし、とても大切なんだ。」
     宝物にでも触れるかのように語る彼女の声に突き動かされるように、一歩を踏み出す。
     「わああ!だ、ダメだ!見ないでくれ!」
     ヌヴィレットを以てしても目で追えない程の早業でつばの広い羽根つき帽子を顔面に持ってきた少女と見合う形になる。
     「…何故?」
     茶髪の間から隠れ切れていない耳の先が赤く染まっていることで少女が赤面しているのだと分かった。
     「そ、その…今の僕はメイクが少し崩れているし、ヘアセットだって十分じゃないんだ!こんな姿を人前に晒すなんて、とてもじゃないけど出来ないよ!」
     役者としての矜持か、はたまた女性としての矜持かどちらかは区別がつかないが、少女の様子から自身の行動が些か無粋であったことは理解した。
     少女に背を向けて咳ばらいをする。
     「レディに対して余りにも配慮に欠けた行動だったことを謝罪しよう。」
     ヌヴィレットが謝れば、ほんとにね!と僅かに怒気を孕んだくぐもった声が返ってくる。
     二人の間に会話がなくなり、気まずい空気が場を支配する。先に口を開いたのは少女の方だった。
     「コ、コホンッ!…ほ、本日の舞台はどうだったかな、客人よ!」
     ヌヴィレットに背を向けて少女はヌヴィレットに問いかけた。その声には緊張の色が見え隠れする。
     「ああ。……素晴らしかった。観劇は初めての経験だったのだが…存外、悪くないものだな。」
     今日の舞台を思い出す。自然と頬が緩んだ。
     「フフッ。そう言って貰えると役者冥利に尽きるよ。」
     嬉しそうな弾んだ声にヌヴィレットの心も僅かに弾む。
     ヌヴィレットが口を開こうとした時、劇団の関係者がヌヴィレットを呼びに来た。
     「貴族の旦那。馬車の準備が出来たみたいですよ。」
     「もうそんな時間か。手間を掛けさせてしまったみたいだな。」
     ヌヴィレットは懐から何枚かの金貨を取り出し、劇団員に渡す。
     「すまない。先に行っていて貰えるだろうか。」
     劇団員は畏まりました!と元気に言うとその場を立ち去る。
     その背が完全に見えなくなるのを確認してからヌヴィレットは少女に振り返る。
     「…また会えるだろうか。」
     マントを羽織った背が小さく跳ねた。
     「…君が観に来てくれるならね。僕はノーギャラでファンに会うような安い女優じゃないよ。」
     挑発するように少女が言う。
     「ふむ、これは手厳しい。…次回の公演では差し入れと支援金を倍に増やすとしよう。」
     「ふーん?中々、高位の貴族とお見受けするけど、そんな強がりを言ってしまっていいのかい?」
     「かまわない。大女優にお目にかかれるのなら、必要経費というものだろう。」
     男性の話を聞きながら、フリーナは、あれ?劇団うちの支援金って一口でも結構高額だったような…と内心で冷や汗を垂らす。
     釣り上げた魚は大きかったようだ。
     「ではな、ジェーン・ドゥ。相見える日を楽しみにしている。」
     ヌヴィレットが歩き出す。その背に、少女が声をかけた。
     「あ、ちょっと待って…ええっと、その、き、今日のマカロンは君の差し入れかい?」
     言ってから、言うに事を欠いてそれか、とフリーナの顔が熱くなる。これじゃ、まるで食いしん坊みたいじゃないか。
     マカロン、と言われて足を止める。次いで、差し入れの菓子の目録の中に味違いでいくつか入っていたことを思い出す。
     「そうだが。何か問題でも?」
     「ううん。ただ、お礼が言いたくて。…ありがとう。とても美味しかった。」
     残りも大切に食べるね。と少女が言う。ヌヴィレットは顎に手を当てながら考える。
     「…肉は腐りかけが美味いと言う者がいるのは知っているがこれは菓子だ。その常識には当て嵌まらない。早めに食べることを進言する。」
     「君は僕を何だと思っているんだい!?折角の美味しいお菓子を腐らせるはずがないだろう!?」
     もしかしてこの男、かなりのド天然なのではないのかとフリーナは本気で思った。
     「何か的外れなことを言って君の気分を害してしまったのならすまない。時々、他の者にも似たような反応をされる時があってな。」
     フリーナは彼がしょんぼりと肩を落としたのを見て慌てて言い募る。
     「あ…えっと…その、う、うん。それはなんというかお疲れ様…。じゃなくて、えっと、僕のことを想って言ってくれたのは、分かってるから。僕もちょっと大げさに言いすぎたよ。」
     背中越しに少女がおろおろしているのが何となく可笑しかった。
     遠目に侍従が自分の様子を見に来たのを認めて、懐中時計を取り出し時間を確認する。…流石に時間切れのようだ。
     「残念ながら時間切れだ。…もうしばらく、こうして話していたかったのだが。」
     ヌヴィレットが歩き出す。その背に少女が声をかける。
     「それなら、手紙を書いてよ。住所は劇団の事務所に。宛名はジェーン・ドゥで。」
     ヌヴィレットは自身の名前が他人に良くも悪くも影響を与えることを理解していた。
     「すまないが、それは出来そうにない。私の名は良くも悪くも影響力があるのでな。」
     ヌヴィレットの苦悩もなんのその、少女はあっけらかんと言い放つ。
     「なんだ、そんなことか。パトロンとの文通の場合、劇団長を通してやり取りをするから住所の方は心配しなくていいよ。…君のペンネームはマカロンの君とかどうだい?」
     悪戯っぽく少女が言った。ヌヴィレットは了承した、と短く返事をする。
     背後で、え?本気なの?と困惑する少女に口角が僅かに上がるのを感じながら、ヌヴィレットは別れの言葉を口にする。
     「名残惜しいが、これにて失礼する。…おやすみ、ジェーン・ドゥ。良い夢を。」
     少女も慌てて返す。男性の美しい銀髪が揺られて月を映した湖面の様だ。
     「おやすみ、銀の君。…良い夢を。」
     少女と別れて馬車に揺られながら、ふと、ヌヴィレットはあることに気づく。
     「…一度も本当の声を聴くことは出来なかったな。」
     少女との約束を思い出し、ヌヴィレットは無意識に口の端を吊り上げる。
     ――まあいい、これからチャンスは幾らでもある。
     明かりの消えゆく街の中、龍は獰猛な本性を滲ませながら目を閉じた。




     銀の君と別れた後、近くで待機していたクロリンデと合流し、屋敷へと戻ってきた。
     今回だけは、とクロリンデに押し切られる形で侍女たちに湯浴みの手伝いをされた。
     正直、今日ばかりはクロリンデの忠言が正しかったと言わざるを得ない。
     フリーナは鏡の前に立って自身を眺める。
     あちこちを磨き上げられた肌は新雪のように真っ白で、マッサージまでされたせいか全体的に血色が良い。
     丁寧に櫛を入れられた髪はいつも以上に輝き、甘やかな花の香りがする。
     美容には気を遣っていたフリーナでもここまで良質な香油は買ったことがない。
     なにせ、高価なものを買えば何処から漏れるのか、メイドや義家族に巻き上げられるので。
     使いなれた古い毛布を被り、床に寝っ転がる。センターテーブルの上に置かれた小さな包みを眺めては頬を緩めた。
     マカロンを食べる度に今日の事を思い出すのだろうと思うとなんだか気恥ずかしい気持ちになる。
     「次の公演も頑張ろう…!」
     フリーナはマカロンを眺めているうちに、心地よい疲労感に瞼が重くなり、ゆっくりと船を漕ぎ出す。
      

     「何?フリーナ殿が?」
     劇場から帰って来てすぐに、書斎で書類を捌いていたヌヴィレットは侍従からの報告に眉を顰める。
     ヌヴィレットの表情を見た彼は、主を怒らせたのかと思い、その身を小さく縮ませた。
     ヌヴィレットは、侍従の様子に気づき、ああ、すまない。と謝罪した後、表情を和らげる。
     「は、はい。ご主人様の少し後に帰宅されまして、その後すぐにお休みになられました。」
     「…クロリンデ殿は?」
     「これからご報告にいらっしゃると思いますが…?」
     「ふむ。…彼女に、今日はもう休むように伝えてくれ。報告は明日で構わない、と。」
     ヌヴィレットの言葉に侍従は目を丸くする。
     「…よろしいのですか?」
     「ああ。彼女が付いているのなら警備の面では問題ない。…君もクロリンデに伝言をしたら休むといい。」
     ヌヴィレットに幾つかの報告をした後、侍従は一礼をして部屋を出ていく。
     その背を見送った後、ヌヴィレットはため息をつく。
     フリーナのプライベートに踏み込む資格がないことをヌヴィレットは自覚していた。
     ――彼女のことはクロリンデに任せておけばいい。
     自身も休もうと立ち上がり、部屋を後にする。 
     
     
     
     それぞれの夜が更けていく中、月だけが二人を優しく見守っていた。
     
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