あれののはてに【あれののはてに】
「寒」
「ホワイトクリスマスになりそうだよ」
シャーロック・ホームズはロンドンの街中を歩いていた。
コートを着ているが寒い。隣を歩いているのはエノーラ・ハドソン、ハドソンの姪っ子、と名乗っている人物だ。
「嬉しいのか。寒いだけなのに」
「記念って感じだし。プレゼントが欲しいなーとか」
「ねだってるな」
「頂戴」
時刻は昼。
彼女はホームズと歩幅を合わせている。シャーロックは早足になっているが追いついているのだ。冬は冷えるし、今日はクリスマスだ。
まだ雪が降っていないのだが、降りそうな空の色である。灰色だ。
エノーラはクリスマス前日にプレゼントをねだっていた。
「事件が起きればな」
「クリスマス後に起きるかも」
かも、と彼女は微笑む。シャーロックは嫌そうにしていた。
このハドソンの姪っ子は、ある日突然現れた。シャーロックがワトソンとルームシェアを開始してから事件に巻き込まれたと後で、現れたのだ。
眠っているシャーロックをフライパンをおたまで叩くに叩いて騒音を出して起こしたのだ。ミス・ハドソンはエノーラを姪と紹介した。
姪になるので血縁上はおばになるのだが、エノーラは姉さまと呼んでいる。
「予感があるのか」
「あるって言ったら?」
得体が知れないところがあるのだ。
シャーロックの行動を先読みしているというか、シャーロックが何かに操られている。ヒーローをやらされていることを知っている。
たまにこうやって思わせぶりのことも話す。
「事件で金を得たらお前にクリスマスプレゼントを買ってやるよ」
「やったー。クリスマス!! ワトソンさんからもねえさまからもプレゼントを貰うの」
エノーラは喜んだ。クリスマスプレゼントを三つはもらえる算段を付けたらしい。
「貰ってばっかりじゃねえか。お前の方は何かくれるのか」
「クスリ、欲しい?」
「いるか!!」
「冗談なのに」
ストレートに言いすぎである。シャーロックは叫んだ。叫んだことで周囲の注目を浴びるが咳ばらいを一つして、
知らない顔で歩き出す。シャーロックが歩いていると見知った金色を見つけた。
「ウィル! 弟妹一緒か」
「ホームズさん。こんにちは」
レストランを出た三人。誰も彼も髪が金色だ。男が二人と、女が一人、シャーロックはその中の一人をウィルと呼んだ。
その隣にいる女性がにこやかにホームズに挨拶を返す。
「メアリも一緒だとはな」
「ウィリアムさん、メアリさん。ルイスさん。こんにちは。一番上のお兄さんはいないんだ」
「アルバート兄さんはお忙しいので」
エノーラが丁寧に挨拶を返す。
ウィリアム・ジェームズ・モリアーティとその双子の妹であるメアリ、二人の弟であるルイス・ジェームズ・モリアーティ、
モリアーティの四兄妹弟だ。一番上に兄のアルバート・ジェームズ・モリアーティがいる。
「ここのレストランの食事が美味しいと評判なので食べに来ましたの」
「美味しいって。食べたいな」
「奢れと?」
「明日はクリスマスでレストランもお店もみーんなおやすみなんだから」
クリスマスは店は全部休みである。イギリスはキリスト教の国であり、クリスマスは救世主が誕生した日だ。
シャーロックのコートの裾をエノーラは引っ張っている。
「クリスマスは家族で過ごすもんだからな」
「うちはねえさまとワトソンさんとホームズでご飯食べるの」
「それは楽しいクリスマスになりそうだ」
「ウィリアムさんも楽しいクリスマスを! ルイスさんも!」
「え。ええ……」
「それとメアリも」
「楽しみますわ」
とってつけたようにメアリが言われるが、メアリは特に気にしていない。エノーラは無邪気に話す。ルイスは若干困っていた。
ウィリアムにとって、シャーロックというのは自分たちの目的に必要な存在だ。シャーロックはヒーローになってもらわなければならない。
シャーロックとエノーラと別れ、ウィリアムは弟妹と共に馬車に乗り込んだ。
「彼女は苦手なんです」
「エノーラがかい?」
「たまに鋭いんですよ。人が思っていることを言い当ててくる」
「どんなことを?」
「……それは言えません」
エノーラは明るい。ルイスはそんなエノーラを苦手としているようだ。何度か顔は合わせているが。
「クリスマスが近いですの。楽しいクリスマスになるといいですわ」
「そうですね。姉さん」
メアリもクリスマスを楽しむことについては異論はないようだ。馬車は彼等の屋敷にたどり着く。
そのまま降りて、屋敷に入り、ルイスは家事をしに行く。ウィリアムが自室に入り、メアリも着いた。
「敵を殺してやろうかとか言うのをあの子に当てられたりしたのかしら」
「あの子は感情に鋭いところがあるんだね」
「ええ。遊んでいるのでしょうけれど」
メアリが言う。
ルイスが感情を言い当てられたというが、その言い当てられた感情を推測したようだ。殺してやるとは物騒すぎるが、メアリ曰く、
あにうえの敵を殺せるのがルイスですの、だそうだ。
「君に僕の物語を提供する。それを条件に君はルイスの命を助けてくれた」
表向きは双子を名乗っているウィリアムとメアリだがメアリはウィリアムの双子の妹ではない。人間ではない『何か』だ。
ルイスは幼かったころ、肺炎になり死にそうになっていてウィリアムがおのれの無力さを投げていていたら彼女が現れ、助けてくれた。
病を治してくれたのだ。彼女は肺炎を直したっきりであり、交換条件はウィリアムの物語の提供だった。
つまりは生きざまを見たいらしい。暇だからだそうだ。
「私にしろエノーラにしろ、暇でしたの。……まさかエノーラも来るとは思いませんでしたけど」
単純に二人は物語を見たがっている。自分たちでは起こせないようなことを期待しているのだ。
「彼女はシャーロック・ホームズの物語を見ているのかな」
「ある意味で、私があにうえに期待をしているようなものですの」
期待という。
足掻きを期待している。性格が悪いとはとれるだろうが、メアリはウィリアムに協力をしてくれている
「クリスマス、君が楽しいと想えることを僕は提供ができるかな」
「んー。アル兄さまにモランが揃って酒飲み対決とか」
「そういうのでいいんだ」
「後はティータイム?」
彼女が行ったと同時にノック音。
ルイスが紅茶を持ってきてくれたようだ。ウィリアムはメアリと、ルイスと共に紅茶を飲むことにした。
エノーラと名乗る彼女は、暇だったのだ。
普段はずっと眠り続けていたのだが、起きることとなり、待っていたのは退屈な時間だ。最初に起きたのはメアリと名乗る彼女であり、
上司にあたるものに許可を貰って適当な世界、つまりはこの世界に来ていた。物語の観測をしているというが、暇つぶしである。暇ばかりつけているが、
時間が大量にあるのは羨ましがられるようで使い道に困る時がある。
「起きる!!」
フライパンとお玉を準備する。ゴンゴンガンガンやる。クリスマス当日。
シャーロックを起こすのは彼女の役割だ。
「うるせえよ!! どうしても起こしたいなら讃美歌でも歌え」
外には小雪が降っている。昼前には起こすことにしていたが、シャーロックに煩いと返される。
讃美歌を請求されたのでフライパンとおたまを傍らに置いて、エノーラは息を吸う。
「Angels we have heard on high Sweetly singing o’er the plains,
And the mountains in reply Echoing their joyous strains.Gloria, in excelsis Deo!
Gloria, in excelsis Deo!」
『荒れ野の果てに』
最近伝わったとされる讃美歌で元はフランス語だ。歌は上手い方だ。アカペラで歌う。この讃美歌のメインは終盤にある『Gloria, in excelsis Deo』だ。
いと高き神に栄光あれという意味である。
「……元々は十六世紀ごろから伝わるフランスのキャロルだな……」
「起きろ」
「歌が聞こえてきたけど」
「ワトソンさん。ホームズが起きない」
「起きようよ」
「Merry X’mas」
シャーロックの相棒であるジョン・ワトソンがシャーロックの部屋に来る。仕方がなく、シャーロックは起きた。
今日はクリスマス、誰もかれもに幸いが訪れるようにと願ってもいい日ではあるが、待っているのは恒例のメンバーで、
「今日は事件が起きないといいね」
「言ってろ」
彼等がいる日々が悪くないと想っている自分もいて、シャーロックは頭を掻きながら苦笑する。彼のクリスマスが、幕を開けた。
そして。
その二日後。
もちこまれた帽子にクリスマスのガチョウ。中から発見された青い紅玉。
エノーラの言う通り、事件が彼等を待っていた。
【Fin】