煙社降臨節暦 第九夜/ふどふゆ 冬花は映画館に行く。美術館とか博物館にも行く。ミュージカルなんかも見る。オレも付き合わされる。リビングのソファで。
突然歌い出すのに慣れないと思う。実際にそう言う。そうよ、と極彩色の光を受けた冬花の横顔が笑う。
「慣れていくの。そのうち、こういうところでは歌うんだなって学習するの」
歌舞伎とか日本の伝統芸能もお約束で出来てるでしょう、と話し始めた目はもうテレビを見ていない。
「楽しむことも訓練や学習が必要なのよ。私が一から学習したみたいに」
その瞳の色の落ち着きは父親の久遠道也に似ていて、血の繋がらない親子とは思えない。そっくりだ。雰囲気も。話し方さえ。同じ言葉を道也も冬花に言ったのかもしれない。全てを忘れ感情を欠落させた少女を、生きた人間に育て上げるために。
オレは親のことも、沈む潜水艦と一緒に海に捨てられたこともやっぱり切り離せないから、嬉しい時に歌を歌い出すのを見るとどうしても斜に構えてしまう。でも復讐心をたぎらせて地を這うような声で歌う王や獣を見ると血が音を立てる。水中で聞いた轟音が今も血の中に響いている。復讐の歌と血のざわめきが反響し合う。
面白いか?
分からない。しっくりいくような気も、最近はしてきた。案外登場人物の死ぬミュージカルを選んで再生するのは別に冬花の好みじゃなくて、オレの学習度合いに合わせているのだろうか。
突然冬花の手が耳を覆う。低い音が響く。冬花の手の、腕の筋肉が動き、震え、収縮する音。
「見るの、やめる?」
声がやけに膨張する。
「つけたまま」
答えるオレの声も水の中にいるみたいに聞こえる。
手が外れた。
「気が散らない?」
ミュート。それからキス。セーターを脱ぐとテレビの光の届かない暗がりでパチパチと静電気が光った。