煙社降臨節暦 最終夜/警官のデュース 噂には聞いていた。薔薇の王国には凄腕の魔法執行官がいると。見落とされた証拠、アリバイのほつれ、犯人の隙に剃刀のように切り込む男だと。だが国境線の危うい際にも切り込んでくる。それ故に煙たがられているとも聞いた。どんな男が来るにしても、茨の谷はマレウス様の王国だ、荒らさせはせん。胸に固く誓い、セベクは薔薇の王国の魔法執行官を出迎えた。魔法の鏡をくぐって現れたのはデュースだった。
年に一、二度、思い出したようなメッセージのやり取りであれ、セベクにすればそれなりに連絡を取り合っている部類の男だ。しかし顔を合わせるのはそれこそ十年ぶりになるのか。長身痩躯の男はデュース・スペードの面影を残したセベクの知らぬ男だった。
お互い懐かしさは顔に出さない。型通りの挨拶をすませ、早速犯人が潜伏していると思しき場所へ向かう。魔法による移動を繰り返し、最後は徒歩で向かった。山道。深い森だった。
おそらく出世欲ではない。黙って後ろを歩くデュースの、学生時代の姿を思い出す。犯人を狩るという命がけのスリルを楽しんでいる訳でもない、自ら定め刻んだ正義感だけで動いている。そういう男だ。そんな男だから、この僻地までやって来た。
木立を越して、古い城の姿が現れる。天才人形作家がそこに住んでいる、という噂だった。
茨の谷の際、国境線の曖昧な山地で、その古い城はどちらのものとも所有権が定かではない。犯人と思しきその男は城の正式な所有者であるという記録がなかった。しかしネット上、またコレクション出品の際の連絡先は、木立の向こうに見えるあの城の住所が記載されていた。
異様な犯人だった。分かっているだけで七人の少女が誘拐されている。警察犬をまき、鑑識に後を追わせず、逃げおおせている。本来ならば自国のみで解決したい事件だった。しかし海を越えて情報が届かなければ、犯人のしっぽも掴むことができなかった。
「お前がマジカルホイールを使うと言った時の、捜査官たちの顔」
セベクは思い出し、苦笑した。
「この程度均されていれば十分だ」
背中から真面目に答える声。
「マジホイも、学生のお前とタンデムした頃よりかなり性能が上がったから」
「御老体たちがお前を何と呼んだか知っているか?」
「いや、聞かない」
とデュースは言った。
「僕は知らなくていい」
「犯人さえ逮捕できれば、か?」
「殺人が止まるなら、だ」
薔薇の王国で二件立て続けに殺人事件が発生した。どちらも殺されたのは金持ちの道楽家で、同時期にオークションで同じ作家の人形を手に入れていた。茨の谷の古い城に住む天才人形作家、シオレンシオ。被害者の家からは人形が消えていた。マニアによる強盗、殺人の線が浮かんだが、それに異を唱えたのがデュースだった。
「本当に人形が殺人を犯すと思っているのか」
「お前だって知ってるだろ。人形だって心を持つ」
「愛情を受けたからこそだ」
セベクは脳裏に同級生の姿を思い浮かべた。
「愛情を受けたからこそ、だよ。素直に育ったから何かを愛する心を覚える。同時にそうでないものを嫌悪したりもする」
「それがオークションの客だと?」
「僕たちだって愛する者のところへ帰るために一生懸命だろ。愛されるために作られた人形が奴隷のように扱われれば……」
急に木立が途切れる。荒れ果てた丸い丘に、石造りの城が建っている。砦、あるいは砲台と呼ぶ方がふさわしい城だった。
「知ってはいたが」セベクは吹きつける冷たい風に身体を震わせた。「寂しい場所だ」
「ああ」
と城を見つめたままデュースが言った。
「誰にも邪魔されない、自分だけの王国」
鉄製の頑丈な扉の両脇につく。ふたりは互いに顔を見合わせる。デュースが頷き、セベクはノッカーを二、三度叩いた。
「シオレンシオ! 人形師シオレンシオ!」
余韻が重く響く。しかし返事はない。セベクの魔法が扉の錠をを破った。突入する。
響くのは二人の足音と異常なしを確認する声だけだ。禍々しい気配がある。血の匂いもする。腐臭も。それなのに逃げる気配がない。ふたりは塔の最上階へ続く細い階段を前に立ち止まる。
「僕がバックアップを」
デュースの言葉に頷き、一気に階段を駆け上った。窓の向こう、日は傾き始めていた。もうすぐあっという間に空は赤くなり、やがて闇に沈む。
扉を蹴破る。古い木製の扉が倒れて、大音響が響き渡る。それでも……部屋の真ん中に座り込むシルエットは慌てふためく様子もなく、くちゃくちゃと小さな音を立てて食事にいそしんでいるのだった。
ベッドの上に積み上げられた服。そこら中に散らばる白骨。そして滴る新たな血。
「人形師……シオレンシオ?」
「魔法のにおい……」
セベクの呟きに食事中の首が百八十度回転し振り返る。
「パパ?」
かつらのように被った髪がずるりと滑り落ちる。
氷の魔法を打ち込んだのは背後のデュースだった。人形は曲芸師のように己を襲う氷の塊から身をかわすと、ガチャリ、と音を立てて表情を変えた。
「パパじゃない!」
異形の叫びが石の城を震わす。
「おまえたちがパパを隠したな!」
間髪入れず氷を打ち込むと、人形は四つ足になり窓へ体当たりした。壁面を二度、三度とバウンドして地上へ降りる。
「森へ逃げるぞ!」
窓から身を乗り出したセベクの肩をデュースが蹴った。重量と破れた窓枠に押しつけられた痛み。怒りは一瞬で、それはそのまま魔法の力に転化する。最大限の力で、風を呼ぶ。木の葉を呼ぶ。放り投げられた鉛玉のように落下していたデュースの四肢にコントロールが蘇るのが分かる。土埃が舞った。着地。それから、つんざく闇。
乾いた音。
人形の足が弾け飛び、胴が砕ける。
セベクは追いつくと足下に倒れ伏す人形を見下ろした。血まみれの皮膚を縫い合わせたドレス。食事の血で真っ赤に汚れた唇、頬。
「パ…パ……」
木製の喉が軋み、声を上げる。
「もうすぐ…あたし…本物のにんげんになれる…よ……」
空が赤く輝く。荒れ野も、ふたりの横顔も、背後の城も毒々しいほどの赤に染められる。
ベッドに積まれた服の下から人形作家の死体と、ばらばらに壊された人形が見つかる。薔薇の王国のオークションで競り落とされた一体だ。もう一体はデュースが破壊した。
「出品目録ではもう一体あるが……」
競り落としたのは輝石の国の富豪だ。しかし殺されたというニュースは聞かない。
「輝石の国に連絡をとってみる」
「ジャックか?」
「あいつにも情報は流すけど、警察内部にも知己はいるから」
でも……、とデュースは眉を寄せた。
「もう壊れているかもしれないな。そんな気がする」
安堵の表情を浮かべたつもりだろうが、それは苦々しく涙を堪えるように見えた。
「平気か?」
「うん?……ああ、酷い事件はこれひとつじゃない」
一杯付き合えとは言えなかった。事件が終わった以上、茨の谷に余所者は長居無用だ。
「普通に休みを申請してこい」
「ああ、休みがとれたら」
「気づいていないかもしれないがな、もうウィンターホリデーだぞ」
「そうだったか?」
振り返ったデュースはやっと笑った。
ワープ用扉を使うには明確に国境を越える必要があった。街に出てようやく扉をくぐり、薔薇の王国へ戻る。こちらも既に暗い。血と腐臭に、自分の鼻は慣れてしまったが母親は気づくはずだった。それでも仕方がなかった。
官舎の階段を上る。鍵を開け、部屋に入る。
「ただいま、でしょ? デュース」
ソファでテレビを見ていたディラが振り向く。
「ただいま、母さん」
服を脱いで、手を洗って、顔を洗って、いいやシャワーを浴びて、それから……。
テーブルの上には冷めた料理。水差しから直接水を飲む。
「こら、デュース」
「ただいま、母さん……」
デュースはよろよろ近づくと、ディラの髪をかき上げ額にキスをした。
「……もう」
ディラの手が、血の匂いの残るデュースの頬を撫でた。
「顔洗ってきな。そうすればきれいになるよ」
「……うん」
それでもデュースはしばらく動かず、頬を濡らし続けた。