さみしいね 俺の兄者は泥酔するらしい。
ちっとも知らなかった。
とある日の夜半である。水を飲みに部屋を出ると、ある部屋の襖の隙間から一筋の光としたたかな笑い声が漏れていた。その笑い声は紛れもなく我が兄髭切のものである。ひと声かけて襖を開けると、そこには数振の刀とともにすっかり頬を紅潮させて左右に揺れる兄者の姿があった。
髭切はもうだめだから連れて行ってくれ、いつもみたいに。
その場の一振にそう言われる。その刀も随分酔っていた。俺はわけもわからぬまま左右に揺れる兄者の腕を引き上げて、肩を抱いて部屋を出た。兄者からは、まるで皮膚から湧き出ているのかというほど酒の香りがしたが、思いの外足取りはしっかりとしていた。兄者の部屋は東だったはずだ。部屋を目指して夜の廊下を歩く。兄者は下を向いたまま何も言わない。
ずり落ちそうになる兄者の腕をもう一度引き上げて、今度は腰へ腕を回す。すると兄者は突然顔を上げた。頬は明かりのもとで見たときより青白く見えた。
目が合うと、兄者はゆっくりと瞬きをした。
「幻滅した?」
そう尋ねられ、驚いた。
「まさか。俺が兄者に幻滅することなどない」
慌てて答えると、兄者は小さく、そう、と答えた。これが泥酔している兄者なのだろうか。様子を窺っていると、兄者はまた小さく尋ねた。
「叱るかい」
俺はやはり驚いた。
「誰が?」
「おまえが」
「誰を?」
「僕を」
「何故だ?」
「飲みすぎてしまったからさ」
兄者は少しだけ早口で答える。矢継ぎ早に質問を投げてしまったから、不機嫌になってしまっただろうか。俺は急いで言葉を紡いだ。
「兄者も、たまにはたがを外したくなる時があるだろう。兄者がこれほど……その、泥酔までするとは、思わなかったが」
そう告げるやいなや、兄者は俺の腕からするりと抜け出てしまった。先ほどまで左右に揺れていた兄者である。そのまま倒れてしまうかと思ったのに、よほどしっかりと二本足で立っている。酔っていても、足取りがしっかりしているとは、さすが俺の兄者だ。
誇らしくなる気持ちを少し抑え、兄者を見た。
こちらを見つめる兄者の頬はやはり青白い。視線がずれることはなかった。
兄者が静かに告げた。
「ひとりで戻るよ」
「えっ?」
「戻れるよ」
「いや、しかし」
「平気」
おまえがいなくても、平気。
兄者はそう言って、こちらへ背を向けてしまった。そのまま一歩一歩、ゆっくりと進む兄者は、少しずつ着実に離れていく。
俺の兄者は泥酔するらしい。
ちっとも知らなかった。
フラフラの背中が、曲がり角で消えた。俺はどうしてか、その背中を追いかけることができなかった。