約束と、明日へ 本当はあの日、死んでしまいたかった。
焼け焦げた両親と、一人で死なせてしまった弟と。生まれ育った村のみんなと。
夜の闇より深く暗い、邪竜の炎に飲まれてしまいたかった。
「お墓を作りに行こうか」
村が滅んだあの日から、数えて五日が過ぎようとしていた。
故郷を襲った邪竜ニーズヘッグと死闘を繰り広げ、猛威を退けてくれたイシュガルド竜騎士筆頭、蒼の竜騎士と呼ばれる男――アルベリクは、あちこち包帯に覆われたボロボロな姿で俺にそう言ってきた。
「遅くなってすまない。情けないことに、やっと動けるようになったんだ」
どうしてもっと早く助けに来てくれなかったのか。
どうしてあいつを倒してくれなかったのか。
アルベリクの顔に巻かれた包帯の影から覗く瞳はずっと優しく、悲しい色をしていた。
何度も言ってやろうと思っていた逆恨みの感情をぶつけることも出来なくて、行き場なく渦巻いたものが自分の頭の中をチリチリと焼き続けた。
クルザスの高原で俺の手を引くアルベリクの指は硬くて、手のひらは鉄のようで。お父さんのガサガサした大きな手とは全然違う。これが命懸けで身を賭して戦う男の手なのだと思った。
「あ…………」
村の入口が近くなるほど焦げた臭いが風に乗って届く。
大きな足で踏み荒らされた街道に、燃えて倒れた見晴台が見える。
生まれてからずっと過ごしてきた土地は見る影もなく焼け焦げて、それでも所々見える残骸はファーンデールがここにあった事を示していた。
あの日。空に広がる竜の群れが太陽を暗雲のように隠した。燃え盛る木々や建物、耳をつんざく咆哮。たくさんのよく知っている人たちの死体。
そんな凄惨な場所を走り抜けた記憶はまだ新しいはずなのに、すでに遺体はなく、瓦礫も片付けられていた。この五日間で、イシュガルドの騎士たちが対応してくれたのだろう。
流れた血の跡で色濃く斑に染まった大地と、煙臭い空気の中に残るすえた血の残り香がここにたくさんの命が散ったことを記録していた。
「あそこ……煙があがってる」
母さんと父さんが結婚式を挙げた丘の上にある教会は、屋根の上にあったシンボルだけを崩しているだけで、まだ無事なように見えた。
細い煙がクルザスの晴れた空に溶けていく。
「ああ。……建物が比較的無事だったんだ。あそこで、ニーズヘッグとの戦いで動けなくなった兵士たちを療養させてもらっているんだ」
「誰も、ファーンデールの人たちはいないの?」
「…………残念だが」
「……そっか」
誰か。
誰か一人でも、生き残っているかもしれない。
そんな望みも、終わってしまった。
希望は一つも残っていない。
全員、死んだのだ。俺一人残ってしまった。
空は高く、澄んだ空気に薄い雲が流れる。
いつも見ていた晴れたクルザスの空なのに、鉛のように空気が体に絡みつき足は重くて沈んでいく。
「ここかな?」
「うん」
毎日歩いた道は所々瓦礫に塞がったり、裂けていたりしていたが、足はその道をちゃんと覚えていた。
家はほとんど燃えてしまい、残っているのは崩れた石壁、燃え切らなかった折れた支柱くらいで、他は全て灰になっていた。
どこをひっくり返しても遺品にできそうなものが何もなくて、アルベリクが泣いてくれた。
持ってきたスコップで土を掘る。
遺体は神殿騎士が片付けて、ここにはもう何もないことは知っていた。
集団で弔った場所に行けば祈りを捧げられただろう。
それでも、アルベリクは「墓を作ろう」と言ってくれたのだ。
ここは、母さんと父さんが死んでいた場所。
ここは、アミニャンが死んでいた場所。
遺骨の代わりに土を掘る。
家族みんなで過ごした食卓があった場所に、母と父と弟の倒れた土を混ぜる。
支柱を剥いで墓標に見立てた。
それくらいしか、やれることがなかった。
形だけでも、何かしたかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
生き残ってしまった。
死ねなかった。
辛いのに、苦しいのに、悲しいのに。
独りなのに。
出された食事を食べて。
いつの間にか、眠ってしまった。
生きることにしがみついた。
圧し潰してくる孤独から逃げ出したい。
俺も、傍に行きたい。
それなのに、生きろと身体が悲鳴をあげてくる。
だから、決めたんだ。
いつの間にか陽は沈んで、クルザスの大地は満天の星に照らされていた。
スコップはどこかにいってしまい、代わりに爪の間に土が入りこんで、あちこち傷がついていた。鈍い痛みは、俺が生きている証拠だった。
「あんたは、蒼の竜騎士なんだろ?」
黙って見守ってくれていたアルベリクに声を掛けると、ゆっくりと首が横に振られた。
「元、だ。除隊することにしてね……。竜騎士としては、もうまともに戦えない」
「ならちょうどよかった。――俺に、槍を教えて欲しい」
質素でも、穏やかに日々の生活を暮らしていたファーンデールのみんなを。
竜の無慈悲な力に踏み躙られてしまった可哀想な存在として、歴史に残すものか。
生き残った俺が、邪竜ニーズヘッグを殺す。
村のみんなの命の数だけ、未来の数だけ、あいつらを殺してやるんだ。
そのために強くなりたい。
もう、それしか俺にはないのだから。
※※※※
「――って、あの頃のエスティニアンに言われてね」
バチバチと暖炉の火が爆ぜる。暖かな橙色の光が部屋の中をゆらゆらと照らす。
酒の回ったアルベリクは、上機嫌にいつもより数倍回る口で楽しげに話しを続けていた。
その隣でニコニコと笑う同じく上機嫌な恋人――ルカは、大きなジョッキを両手で支えながら何度も相槌をうっている。
「こんなキレイな顔した男の子が騎士団を目指すのは色々と危ないだろう? 私は元蒼の竜騎士と言っても貴族ではないし、たいした後ろ盾にもなれない。だから、反対したかったんだが……すごく真剣な顔をするものだから――」
「エスティニアン、そんなにキレイだったの?」
「ちょっと本人の前では言い難いほどだったな……。手籠めにしようとしていた兵士たちを何人も止めたよ。神殿騎士になるべくイシュガルドに行った後も心配で、寝る時は護身用のナイフを枕に入れろと言ったものだ」
「わぁ、見たかったなぁ。手籠めにされるエスティニアン」
「されてない。見たがるな。アルベリクも言い難いなら言うな、話しを盛るな。黙っていろ」
ファーンデールの話しから、方向性の違う不穏な話に流れていく。思わず指摘を入れるものの二人の耳には全く届いていないよいで、俺をネタにした思い出話に花が咲き続けていた。
一緒に聞いているのも耐えがたく、後でやるよりはとテーブルの上に散らかる瓶や皿を片付けるために台所へと向かった。
コロコロと良く笑うルカの声がこの家に響くのは不思議な感覚だった。
一通り片付けを終えた後で部屋に戻ってみると、ルカは机の上に突っ伏してスヤスヤと寝息を立てていた。
アルベリクはそんなルカを見ながら細い目をより細めて、酒を飲んでいる。
『次は二人で来るんだぞ』
そう言われてからあまり日は過ぎていなかったのだが、ルカが行きたがったのもあり要望に答える形でアルベリクの所へ訪れた。
他にも行く場所があったため挨拶したらすぐに帰ろうとしたが、せっかくだから泊まりなさい。と勧められ、今日はここアルベリクの家で過ごしている。
俺にとっても久々に少年時代を過ごした家だ。
元々質素に生活をしていた男だったのもあり、生活用品が少し増えたくらいで昔と導線や主だったものの配置は変わっていない。
勝手知ったる家にルカを連れて来るのが何だか少し気恥ずかしく、久しぶりの家は不思議と居心地が良かった。
「う……ん」
眠っているルカの肩からショールがずり落ちる。
それを拾って肩に掛けると、伏せた睫毛がゆっくり上がって金の瞳が俺を映す。
「エスティニアン……よかったねえ。仲直り出来て」
ふにゃふにゃとした緩んだ声。柔らかな頬が笑顔に弾む。
「別に……」
喧嘩はしていない。と、口にしかけて横に座るアルベリクの顔を思わず見てしまう。
アルベリクにはひたすらに迷惑をかけた自覚だけはある。
竜騎士を辞すほどの戦いの果て、強くなりたいと必死な孤児に教育して、竜騎士への道を開いてくれた。その上で、竜の眼に乗っ取られて……こいつを、ルカを見出してくれた。
「嬉しかったね。アルベリクが派遣団に来てくれて」
長い睫毛はすぐに伏せられ、テーブルに頬をくっつけて歪ませながら柔らかな声が耳に届く。
俺の言えない言葉を告げてくれる。
「眠いなら寝ていろ」
小さな身体を横抱きにすると、慣れたもので首筋にスリスリと猫のように擦りつくと落ち着いたようで寝息を立て始めた。
「そんな顔も、するようになったんだな」
「いつも通りだ」
「いつも通りに戻ったな」
トントン、とアルベリクが自分の眉間の間を指で突いて見せる。
「大事にしているのが良く分かった」
「…………あまり上手くは出来ないが」
触れ合う場所から伝わる体温と鼓動。陽だまりの香りに混じった酒臭い息。
たいして飲めていないのに酔いが速いのは、まだ本調子ではないのだろう。
代わりに戦ってやることは出来なかった。
最後の命運は、いつだってこの小さな身体に任せるしかなかった。
「やっと戦うこと以外も出来るようになったんだろ。これからどんどん上手くなるさ」
あの頃、槍を教わっている時も同じようなことをアルベリクは言うのだ。
焦らなくていい、まだ身体も出来上がっていない、昨日より上達しているじゃないか。と、優しくされていたことに今更気づく。
「……アルベリク、俺はお前を利用していた。復讐を遂げるための力が欲しかったからだ」
「知っているよ。それでも、お前が無事に帰ってこられて良かった」
ずっと変わらない。アルベリクの瞳は穏やかで、優しい声をしている。
俺はずっと心配されていたのだ。
いつか死んで家族の元に行くのだから、必要ないと思っていたこと全て。
素直に受け取れなかっただけで自分の孤独は、生きて、出会った者たちからいつの間にか癒されていた。
「ただ……。お前が、俺のために泣いてくれたから、俺は人でいられたのかもしれない。感謝している」
「…………今、何て?」
「…………もう二度と言わん」
信じられないことを聞いた。といった顔を見せてくるアルベリクは無視して、腕の中の温もりを再度抱きしめ直す。
朝焼けの光の色をした髪の生え際に鼻を埋める。
歪に固まっていた心を溶かしてくれた、自分の命や使命よりも代え難い存在。
「…………」
その大事な存在は、ピクピクと仕切に揺れる耳に、ソワソワと尻尾は動き、口元はむずむずと微動を見せた。
「全く。……アルベリク、俺の部屋は残っているのか?」
「布団は新しいのを出しておいたが、狭かったらお前は床で寝るんだぞ」
「ガキじゃないんだ。暖房代わりに乗っけて寝る。――おやすみ」
何年ぶりに言ったか分からない夜の挨拶。
アルベリクもそう思ったのか、少し恥ずかしそうに「おやすみ」と返してきた。
踵を返して寝室へと向かう最中、がぶりと揺れる耳先を甘噛すると、ぴゃっと小さい声が上がった。
終わり