神隠しにあった審神者の話(髭さに)※「神隠し」を求めて読むと拍子抜けすると思います
演練会場の隅に年季の入った東屋風の茶屋があり、そこは刀剣男士たちに指示を出した審神者が一試合終わるまで待機する場所にもなっていた。
緋もうせんの敷かれた長椅子に腰かけ、お茶を啜り花見団子を食べる。
巨大モニターを眺めながら話すことはやはり刀剣男士にまつわるものが多かった。
実装される新刀剣男士、次の極、走ったところで時間が足りなくなるイベントの愚痴、そして――審神者は少しだけ耳をそばだてた。
後ろの席の審神者たちが口々にとある出来事について話している。
「あの審神者、やっぱり神隠しに遭ったんだって」
はばかるような響きではあったもののその声は妙に弾んでいた。取り囲むようにして座っていた審神者たちが同調するように声をあげた。
先月の話だ。
演練会場は人も刀もそれからお供やクダギツネでごった返していた。
件の審神者も第一部隊を引き連れて演習のためにここにやって来たようだ。
だが人いきれに窮したのだろう。
この茶屋まで来るとそばにいた近侍にもたれかかったまま動かなくなってしまった。
辺りは騒然とした。
幸い医療の心得のある審神者が彼女の様子を診て、てきぱきと周囲に指示を出した。
「しばらく安静にしていれば問題ない」と審神者が告げれば、漣が引くように人も刀も散っていった。
規定の時間に演練があるもの、刀剣男士の迎えを待っているものがその場に残された。
張りつめていた空気が一気に緩む。
あとは、なにごともなかったかのようにいつもの風景に戻るはずだった。
数匹のクダギツネが担架を持ってきたまさにそのとき、審神者と刀剣男士が衆人環視の見ている前で忽然と消えた。
ろうそくを吹き消したように煙さえ残さず一人と一振りがいなくなったのだ。
横たわっていた審神者の輪郭だけが長椅子に敷かれた緋もうせんに残っている。口直しにと用意された白湯の入った湯飲みからはまだほんのりと湯気が立っていた。
確かに彼女はここにいたのだ。
それならばどこへ消えたのか。
医師もクダギツネも人も刀も狐につままれてしまったようだ。再びクダギツネが本部へと駆けだしていった。
周囲のざわめきは長くは続かなかった。
しかし、審神者はそれを見ていた。
彼女の刀剣男士が自身の主にこっそりと霊力を分け与えている姿を、人影の隙間からじっと見ていた。
あれから一月が過ぎた。
時の政府の広報には件の審神者の情報は一切載ることはなかった。
スワイプしても出てくるのは次におこなわれる催事の情報ばかりだ。言論統制が布かれているのだろか。それとも本当にあれはなかったのか。
いま審神者の座る椅子の目の前がちょうど彼女の横たわっていた場所だった。
噂話はどうやら佳境に入ったようだ。後ろからはますます真偽のつかない話が聞こえている。
頭上でブザーが鳴り、演練が終わったことを知らせる。ぞろぞろと会場から刀剣男士が溢れだし、その中に審神者は自身の刀剣男士を見つけた。
手を振って立ち上がる。そのしぐさが彼には不審に思えたのかきょとんとした表情で小首を傾げた。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
改めて、部隊に配属した六振りの顔を見る。
演錬は戦闘を模しているが破壊されることはない。傷を負ってもすぐさま修復される。
しかし、隊長を任せていた髭切の表情(かお)には疲れが漂っていた。
モニターには審神者のサーバーが表示されている。その横には「敗北」の二文字が。
審神者の視線で気付いたようだ。納得がいっていないのか髭切が頬を膨らませた。
「帰ろう」
「……そうだね」
灯りのともる日本家屋では本丸に残っていた刀剣男士たちが主の帰還を待っていた。
第一部隊とは執務室の前で別れ、審神者は室内にそっと身を滑り込ませた。
この時間であれば腹をすかせた刀剣男士が食堂に殺到している。執務室や手入れ部屋などがある東館は手薄になる。
棚から数本の巻物を取り出して順に紐をほどいた。そこに書いてある戦績は審神者として就任した年数を思えば芳しくなかった。
刀剣男士それぞれのレベル上げが上手くいっていない。それは審神者の運営方針として擁護されるだろうか。
大侵寇も百鬼夜行も乗り越えている本丸だ。
同時期に本丸を立ち上げたよその審神者たちははるか雲の上でしのぎを削っているのだろう。
物音がした。
執務室のふすまは細く開かれて廊下の光がこちらに漏れていた。逆光になって顔は見えないけれど上背がある。
「暗くないかな」
「……髭切」
「夕餉に君の姿がなかったから呼びに来たんだ」
どれほど時間が経ったのか、演練会場から帰宅し、巻物を読んでいる間に数時間が経っていたようだ。
「ごめんね、すぐ行くね」
慌てて棚に巻き物を押し込むと、おもむろに髭切が笑った。
「大丈夫。えーと、……無理を言って持って来たんだ。ここで一緒に食べよう」
するりと室内に入った髭切の手には、厨当番が作ったのだろう、おにぎりとカツレツ、それからじゃがいものスープがふたり分載ったおぼんが握られていた。
「食べてなかったの」
「ああ、僕の分は気にしないで。おかわりだから」
「おかわり……」
並んで夕食を取った。食器を片付けようとおぼんを持てばひらひらと手を振った髭切が厨へと返しに行ってくれた。
ここで素直に私室へ向かえばよかったのだ。
審神者は引き戸を開いて再び巻き物に目を走らせた。
審神者はものの声を聞くと言う。
刀剣の付喪神を呼び出して歴史修正主義者と戦わせる。
それは歴史をあるがままに肯定することだ。
戦争も失敗も、うらみも後悔も。こうあればいいと願った人の最期の思い、心の奥底へひそかに隠していた本心をうち砕く仕事だ。なにが楽しい。うらまれないはずがない。
心身の変調は自分が一番分かっている。翌週になっても体調は戻らなかった。
目に見える傷ではないから平常心でことにあたれば、刀たちだって違和感を覚えても口に出すようなことはなかった。
例外はいたが。
「主、入ってもいいかな」
執務室ではなく私室の前で入室の許可を得る刀があった。
そろそろ寝るしたくをしようかと押し入れから布団を出そうとしたところだった。審神者はそのまま寝具を戻し、羽織りの前をぎゅっと閉じて応対する。
「主?」
怪訝な響きが返ってくる。
「ごめんね、ちょっと部屋が散らかっていて」
「出なおそうか」
「そういうのではないから」
ここまで下手に出る刀って誰だ?
障子を開ければ、暗がりの中で髭切がこちらに顔を向けたまま手持無沙汰に立っていた。こんなに遅い時間だというのに戦装束を着て腰に太刀を佩いている。
「髭切?」
「そうだよ、僕だよ。誰だと思ったの?」
「そうじゃなくて、……めずらしいね。どうしたの?」
「少しだけ話をしてもいいかな」
「話?」
なにか出陣に関することだろうか。それともプライベートなこと?
「本当は早く寝たほうがいいんだろうけど」
髭切の視線が下へと下がっていく。釣られて見ると、ジャケットの陰に隠れるようにしてその手には湯飲みと急須の載ったおぼんを持っていた。
「お酒のほうがよかったかな」
「ううん、髭切ってこういうことするんだなと思って」
「僕だってするよ」
入室の承諾も聞かずにするりと境界線を越えた髭切が畳へと腰を下ろした。
ややおぼつかないしぐさではあったもののそれぞれの湯飲みに茶を入れて片方をこちらへ差し出してくる。
礼を言って口をつけた。
夜半のおともに適したぬるい茶だった。髭切の視線はいまもこちらを見ている。
「おいしいよ」
「よかった」
ほっとしたのか彼は笑みを浮かべ、自身の湯飲みをぐいっと一気に煽った。ほがらかな雰囲気をまとった髭切はなかなか話を切り出さなかった。本当は話なんてなかったのかもしれない。ただ、心配で――心配で?
「……もしかして……」
「うん、そう。最近君のことが気になるんだ」
「えっ」
「どうどう。あまり調子がよくないんだよね?演練に行っても上の空みたいだし」
再び衝撃が来た。
それは惣領として失格ということだろうか。とたんに目の前が暗くなり足下がバラバラと崩れ落ちていく錯覚が身体を襲う。思えば先週も迷惑をかけてしまった。
次の瞬間、反射的に頭を下げていた。
「ごめんなさい」
「謝ることじゃないよ」
「でも審神者だし。部下に心配をかけたら駄目でしょう」
刀としての人生を歩んできた彼らはその身体の中に途方もないほどの歳月を積み重ねている。
いくら人間として世に出たのはわたしのほうが早いからと言って小娘の人生経験など風の前の塵に同じだ。
刀剣類の教科書と並行してマネジメントの本を読んでおくべきだったか。上司が部下に人生相談をするときの作法なんてどこにも載っていないような気がする。
審神者の混乱をよそに髭切の表情が少しずつ陰っていった。
「僕じゃ頼りにならないかい」
「そういうことじゃないよ」
慌てて顔を上げる。
「頼りにならないとかそういうことじゃないよ。みんなが頑張って戦ってくれているんだから、わたしだって頑張りたいよ……でも、自分がどんどん耐えられないことだって分かるんだよ。ここにいたら次は自分が、」
口ごもるわたしの続きを髭切は辛抱強く、静かに聞いていた。
髭切の態度は審神者の思考回路を冷やすには十分だった。
ずいぶんと話し込んでいたようだ。時計の針は深夜を回り、虫の声すら聞こえない。月の光が室内に差し込んで髭切を照らしている。
ぼんやりと淡く光る金髪に、伏せられた瞳から伸びたまつ毛が頬に影を落とす。鼻梁をたどったさきにある唇はうっすらと色づいていた。人智を超えた美しさだ。
武器として作られた刀が千年を過ぎて人の形を取った。千年も生きていた刀。
それなのに肉体は顕現して十年も経っていない。彼の深遠はどうやって培われたのだろう。
「落ち着いた?」
「……うん」
湯飲みはすでに空になっていた。急須のほうもお湯が切れたようだ。おぼんに回収される湯飲みをながめながらひとつの答えが輪郭を持った。歴史を守れないことが怖いんじゃない。彼らに失望されることが怖かったのだ。
「――神隠しをしてあげようか」
唐突に発された言葉の意味を理解する前に口をついていた。
「なにいってるの」
髭切の瞳は静かなままだ。
「君も見ていたんだろう」
「……見た……?」
審神者の口の端にのぼるということは遅かれ早かれ刀剣男士の耳にも入る。髭切は演練でのことを言っているのだ。
「不安を分け合うんだよ」
「そんなことしたところで」
「最後の手段なんだ」
目の前に差し出された手。
それは悪魔のささやきではなく神様の慈悲だった。
+++++
月の傾くままに日々は過ぎゆき、わたしの手には髭切の手が握られていた。
深夜の茶会はあれからも数ヶ月に一度の頻度でおこなわれていた。
もちろん髭切には出陣があるし、わたしは審神者としてみんなに示しを見せなければいけない。
やり取りを誰かに勘付かれるわけにはいかなかった。それはもちろん弟の膝丸にもだ。
いっそのこと茶会がひとときの神隠しであればいいのに。しかし彼にはやはり考えがあったようで、
「これは、どういうこと……?」
本丸の転位装置は刀剣男士の出陣に使うため、普段はもの言わぬ鳥居のまま鎮座している。
あちらとこちらを分ける境界としての役割があり、めったなことでは誤作動を起こさない。その鳥居のこちら側――本丸側にこんのすけがちょこんと座っていた。
「審神者様。あなたは神隠しに遭いました」
「神隠し?」
「ええ、端的に伝えるとそういうことになります」
あまりに唐突な物言いに審神者はほうきを持ったまま周囲を見渡した。清廉な空気の漂う桜並木の中を風に吹かれてひらりと落ちる花弁。午前中の部隊を送りだしたため人影――内番をしている刀剣男士の姿はまばらだ。
いやひとりだけこちらに向かって歩いてくる刀がいた。
髭切だ。
足取りは優雅なのだがその表情はどこかしら険しさを隠しもしない。よく見ると柄に手をかけていた。
「どうしたのかな」
「これはこれは髭切様。お早いですね」
「うん。なんだか嫌な予感がしてね」
「おや、内密にとは言われていなかったものですから」
バチバチと視線でやり合うふたりの間で審神者だけが話の筋道を分からないでいる。
「審神者様、あるいは刀剣男士のみなさまから陳情を受けた場合に作動する安全弁が働いたのです」
こんのすけの耳が得意げに立ち上がった。
「そんなこと初めて聞いたよ」
神隠しと安全弁がどうつながってくるのだろう。髭切は柄から手を離したけれどいまもこんのすけのことをじっと見張っている。
「ですからこれは審神者様を現世に戻すための方便なのです」
「方便って言われても、じゃああの噂とかで聞くのはなんなんですか」
嘘かと思ったら本当?それとも本当が嘘だったの?こんのすけはのどの調子を整えるように一度咳をした。
「ですから、噂なのです。実態がどうであろうと、定義されてしまえば真実などささいなことなのです」
「言ってる意味が分からない」
「……」
こんのすけがいっそ憐みを含んだ視線を審神者に投げた。髭切も肩をすくめてこんのすけに話の続きをうながした。
「歴史を守ること。それが審神者と刀剣男士を派遣する時の政府の願いです。そのためには刀剣男士を使役する審神者様方には健全な精神を保つことが求められます。時間遡行軍に寝返られてしまってはせっかく育てた人材をむざむざ失ってしまうことになりますからね。しかし戦場からの逃亡は時の政府にとっても審神者様方にとっても体裁が悪い。人員はいくらでも補充されねばならない。言い換えてしまえばお互いに利益が出るようにとり図られなければならないのです」
「えっと、」
「嘘も方便です。審神者様。我々も恨まれてまで任務をまっとうするほどの神経はありませんからね」
こんのすけはそれだけ言うとなんの冗談なのか、唐草模様のほっかむりを頭に被った。風呂敷の長さが足りないのか耳だけがぴょんと隙間から出ている。
「それでは現世へとまいりましょう」
立ち上がったこんのすけが鳥居の中に向かって歩いていった。
「どうしよう。ついていったほうがいいのかな」
渦の中に姿が消えてしまったてまえ、ついていかなかったら何度でもこんのすけはこの本丸を訪ねてきそうだ。
審神者は後方の髭切に相談するように視線を向けたが、彼は審神者の肩を掴むと一度息を吐いた。
「本当はもう少し丁寧に進めたかったんだ。本当だよ」
「丁寧に」
言葉にうながされるまま、肩を支えられた審神者も一歩鳥居の中へと踏み出した。
+++++
目の前に垂れた蜘蛛の糸を掴まない人なんているんだろうか。
それがたとえどんな結果になろうとも手を伸ばすんじゃないか。
「どうしたの?」
足を止めたわたしをいぶかしむように髭切が振り返った。
刀剣男士だった頃はあざやかだった金髪も、いまでは落ち着いた茶色になっていた。
なんでもないと返事をすると、彼はまた前方に視線を戻した。
こんのすけに連れられて本丸を抜けだしたあと、時の政府でそれぞれ処置を受けた。何十枚にも及ぶ書類をたったひとつのハンコ――こんのすけの肉球ひとつで「済」となり、どういう仕組みが働いているのか、髭切は現世で暮らす許可を得て元審神者の護衛という身分に落ち着いた。
彼は蜘蛛ではなく獅子だったのに。いまは戸籍上人間として扱われている。
今日は夏物のしたくをするため街に出る予定だ。梅雨時の貴重な晴れ間を有効に使うべく朝から急ピッチで予定を組みたて、二時間に一度のバスに乗るようバス停へ向かっている。昨夜降っていた雨の名残りが道のいたるところに点在し、彼は器用にそれを避けて歩いていた。
本丸がどうなったのか、わたしは知らない。聞くべきでもないだろう。彼らがどういう運命をたどったのか、髭切の表情から察するものはある。バラバラに砕いたはずの絶望をこの手で再現してしまった。言葉が奔流するとき、彼は手のひらを握ってわたしを落ち着かせる。これでは神隠しされた意味があったのか分からなくなる。けれど、
「……■■?」
数歩先を歩いていた彼がわざわざ戻って来て、視線を合わせるように少しだけかがんだ。
彼が優しくわたしの名前を呼ぶたびに救われたと思うのもまた事実なのだ。
「神隠しに遭う」それは穏便に現世へと帰還するための隠語だったのだ。
++++++++++
2025/06/10
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