アイドルグループ東卍のタケミっちとそのファンダムアイドルグループとしてメジャーデビューが決まった『東京卍會』略して『東卍』のメンバーは、まずはボーカルとダンスのレッスンを受けることになった。
自己流でやってきたダンスを修正される。
これが地味にきつい。
何事も基礎が大事なことはわかる。
しかし、身体の角度やリズムに細かい修正を繰り返されて、できていると思っていたことまで直されるのは苦痛だった。
今まで自由に好きに踊って来たのに、型にはめ込まれるようで何も楽しくない。
振付師と紹介された半間と言う男は、前髪だけを金髪にした特徴的なソフトモヒカン頭で細長い長身がますます長く見える男だった。
やる気がなさそうな露骨にだるそうな態度で実際に口癖のように「だりぃ」と言いながら、メンバーを何度もひたすらに繰り返し踊らせて妥協なく細かい修正を入れていく。
運動神経だけで踊ってきたメンバーは体力には自信があったが、細かい角度や指先まで規定通りに踊らされることに疲弊していった。
「お前は基礎ができてんなぁ。マジのレッスン受けてるよな?」
「あ…子供の頃に…ちょっと習ってたことがあって…」
そんな中で意外なことに後入りメンバーで最年長の花垣武道だけが基礎練習を免除された。
確かに武道は、振りの覚えも早い。
専門用語も難なく理解して口頭の指示だけでスムーズに踊って見せた。
武道は作曲家だと言う金髪で眼鏡の稀咲という男のボーカルトレーニングでも同じようなことを言われていた。
「トレーニングを受けたことがあるな。裏拍も拾えるみたいだし、人前に出しても問題ない」
「子供の頃にちょっと習っていたことがあって…」
「継続的に声出してるだろ。音域が広い…まだ、ここまで出るのか…さすがだな…」
その頃になると、武道が普通の一般人ではないことは、メンバーもうっすら気付いていた。
そもそも、最初に武道がバズった「踊ってみた」と「歌ってみた」の動画には武道の能力と技術のノウハウが自然に生かされていた。
「踊ってみた」では武道が6人分のダンスを一人で踊っている忙しなさが面白くて話題になっていたのだが、改めて見ると、6人で踊るダンスやフォーメーションを繋ぎ合わせるための移行部分にはスムーズな動きがオリジナルで追加されている。
実はダンスにとって派手な決めポーズよりも繋ぎの部分をスムーズに見せることの方が難しく、観客にダンスを気持ち良く見せるために一番大事なことなのだった。
武道は確かに基礎ができているダンサーなのだろう。難しいことを簡単なことのように自然に行っていた。
「歌ってみた」動画では、武道の音域の広さが聴くものに違和感を抱かせる。特に裏声を使わない地声のままの高音部の伸びは鳥肌立つほどだったが、実は低音部も完璧に声が出ていることの方が技術的には凄い。
東卍のオリジナル曲はパーチンが作ったものでメンバーの歌声を当て込みで歌割りして作っている。
つまり6人分の音域に合わせて作られていて、高音パートのマイキーのフレーズと低音パートの場地のフレーズではキーが変わる。全部を一人で歌う場合、編曲を行わなければ何オクターブも音階を跨ぐことになる。
それを武道はラフな様子で難なく歌いこなしていた。
インディーズグループの聴いたこともない歌を普通の男が歌っただけの動画がバズった理由は、楽曲の良さや単純な歌の上手さのせいもあるが、通常の人間ではあり得ない音域を歌いこなしている違和感のせいだった。
#さすみち
最近、Twitterで定期的にバズるようになったタグだ。
たまにトレンド入りすることもある。
「さすがオレ達のタケミっち!」の略である。
花垣武道がテレビでアイドルらしからぬ言動をする度に、オタク達が煽って使っているタグだった。
バズり動画のせいでデビューする前から武道はネットのオモチャになっている。
ダンスと歌は申し分なく上手いが、汚い部屋やダサすぎるTシャツや寝癖のついたままの頭のまま映像を撮ってしまっている猥雑さがあまりにもTwitter民にとって親和性があり、仲間だと認められてしまっているのだ。
その武道が、自らが推しているグループの一員としてアイドルデビューすると言うのだから、良くも悪くも注目を集めてしまう。
シンデレラストーリーとしてもオタクが好む文脈があって面白いし、アイドルになれるような容姿とも思えなかったbeforeを知っているので、どんな顔でアイドルなんてやるつもりなのか興味津々だ。
東卍のメンバーは、現在27歳の花垣武道を除いて、全員が中学生である。
デビューする男性アイドルグループにとって若さは利点なので問題はない。
武道はかなり童顔だったので、まさか10歳以上も年が離れているとは誰も思っていなかったのだ。
ただ、年齢が役に立つところもある。
新人アイドルの最初の登竜門となる深夜番組のバラエティーに出演できるのは18才以上の武道だけだった。
事務所的にも、他のメンバーはアイドルとしてのイメージを守り、武道に汚れ仕事を振っておこうという思惑があるのかも知れない。
深夜番組らしい厳しい追求に対して、武道は案外物怖じしない態度で挑んでいる。
普段はメンバーに対してもおどおどして10才以上も年上の大人である貫禄を欠片も感じさせない武道が、カメラの前では気負いなくリラックスした様子で、ぺろっと面白いことを言う。本人がウケを狙って発言していると言うよりも、素のままで可笑しな人間なのが出てしまっているような迂闊な発言が多かった。
特にVTRのメンバーを誉めることとアピールするとこに関してはオタク特有の早口が出てしまっていたり、最推しの三ツ谷に対して重すぎる愛を迸らせているのも痛々し過ぎて、出演後には必ずネットをザワつかせている。
定番の新人アイドル弄りとしての芸人司会者からの強めの質問にも、アイドルらしからぬ発言を笑いながら連発していた。
男性アイドルにとって特にタブーとされる恋愛の話題や女の子の話題だけは、メンバーに迷惑を掛けられないし、オレの青春は東卍なんで女の子はいりません!と生真面目に断言してしまえる上に、それが説得力を持つ重度な三ツ谷のガチオタであることだけが救いだった。いや、救いだろうか。
当然のように毎回持ち上がる、ゲイなのか?という疑問に対しては、アイドルの推しというものはオタクにとって恋愛対象ではなく!…という早口弾丸オタトークでお茶の間とTwitterを沸かせている。
わかりみが深い!と全オタクを味方につけていた。
その分、アイドル人気を支えてくれる一般的な女子中高生へのアピール力は弱いが、そこは現役中学生のイケメン集団である、その他の主力メンバーが担ってくれている。
一人だけ露出の多い武道は、その他メンバーのファンからは疎まれがちなポジションとも言えるが、全メンバーのガチオタである武道は同担拒否のファン以外に目立ったアンチはいない。
そして、大きな目をきらきらさせて大好きなアイドルについて熱く語る武道の姿は、徐々に大人女子達には響き始めていて、一般的なファンも増えていた。
一人だけアラサーの成人男性で、他の中学生を可愛がっているように見えるのが、生徒思いの熱心な引率の先生のような、親バカな若いパパのような印象を与えるのが、適齢期女子やママ達の好感度を上げている。
武道の良いところは、決して自分を卑下したり落としたりして笑いを取ろうとはしないところだった。
普段は自己評価が低くて卑屈な発言が目立つ男なので、それは意外な対応だ。
一人だけオッサンなのでは?イケメンの中で一人だけ不細工なのでは?という芸人からの強めのツッコミに対しても、ダンスや歌で頑張ります!と前向きに発言して逃げない。
そこで、バズの切欠だったダンス動画が流されて、部屋の汚さや服のダサさを突っ込まれるのも定番の流れだったが、独り暮らしの男の部屋なんて、こんなもんですよ!と武道は平然と言い放つのだった。
もちろん、Twitterでは「#さすみち」のタグがトレンド入りして、一緒にすんな!ここまで汚くねぇ!というツイートでいっぱいになる。
さすがに今はもう少し片付いてるんだよね?と、武道のアイドル人生を心配し始める芸人達のフォローすらも気にせずに、今も変わってませんよ。と言ってしまうのである。
盛り上がる「#さすみち」ツイート。
満を持して、改めて現在の武道が踊る「踊ってみた」動画は、当時とは部屋は引っ越しているものの相変わらず床が見えないほど散らかった部屋で当時と同じ謎のキャラクターのダサTシャツを着ていて、ダンスの技術だけは当時よりもブラッシュアップされていた。
その動画は再びバズり、武道を「汚部屋で踊るアイドル」として完全に日本中で有名にして、こいつには事務所NGはないのか…とTwitter民すらもドン引きさせた。
お前は本当にアイドルなのか?
なんで自信持ってアイドル面してられるんだ?
そんなツッコミに対する武道の回答は一貫している。
「オレのこと応援してくれてる人達がいるんですよ。すごく心配してくれるし、髪型のアドバイスとかもしてくれるんです。オレのために時間やお金を使ってくれる人達に、自分は大したことないなんて言えないですよ!」
武道の言葉を聞いたファンは、感涙すると同時に戦慄した。
見られてる!
こいつ、エゴサしてやがる!
デビュー時に金髪のリーゼントだった武道にTwitterでは「だせぇ!」の嵐だったが、その後、武道はすぐにリーゼントを止めて前髪を下ろし可愛くなったので、「事務所グッジョブ!」が吹き荒れた。
更に「デビュー前の黒髪の方が素朴で良かった」の声に応えるように、癖っ毛の黒髪に戻された。
デビューしたばかりで顔を覚えてもらうべきタイミングで、あまりにもくるくると髪型が変わるので、まさかTwitterを見られているのでは?と冗談で囁かれてはいたが、完全に見られている。タイミングも呼応している。
推しに見られていると思えば、発言にも気を付ける。
それどころか、Twitterに流れる武道に対する悪意あるコメントすら気になるようになる。
武道ファンはデビュー時からLINEのオプチャでコミュニティを築いていた。
オプチャの招待は、Twitterの中で武道ファンだと思われる人に口コミで送られる。
別に珍しいことではなく、最近ではアイドルのファンダムが誕生日イベントの企画などを行うためにオプチャを開催するのは良くあることだ。
現在、武道のファンダム最大のオプチャは1200人加入している。
武道がエゴサを行っていることが確定してからは、オプチャではTwitterの検索機能や検索エンジンのサブジェクトの正常化(「花垣武道」の後に悪口が表示されないように、「かわいい」「東卍」などで検索を何度も行う)や、Twitterを巡回して武道の悪口を撲滅する活動が盛んに行われるようになった。
武道の悪口をツイートすると一斉に竹アイコンのファン達がリプ欄に集まって取り消して欲しいと取り締まりに来るため「竹垣警察」として、恐れられているようになっている。
彼女達の任務は勝つことではなく、揉めないことだとオプチャでは厳重に注意喚起されていた。
武道の悪口を言っている人を見つけたら、オプチャにそのツイートのURLが貼られる。
それを見ると一斉に発言取り消しのリプを飛ばすが、絶対に戦って言い負かせようとはしない。争うこと自体が醜い行為だからだ。
推しに醜い世界は見せられない。
武道のキラキラと光を集めたような大きな瞳には美しくて暖かいものだけを見せたい。
だから、細心の思いやりを持って丁寧にお願いする。
その発言は本人が見たら傷つくと思うので、見えるところで言わないであげて欲しいと訴える。
ファン同士で自浄作用も効いていて、つい強い口調で抗議をするリプに対しては、そんな攻撃的な言い方をしない方がいいですよ。と注意のリプがつく。それに気付くと慌てて発言を消すので、リプ欄はただ緑々しい竹アイコンが1000個ほど並んで優しく丁寧にお願いしてくるだけのものになる。
武道の悪口をネットで発言すると、孟宗竹が襲って来る。竹林にされる。と言うのが話題になった。
見物人さえ現れるようになっている。
すげー!これが噂の竹林!統制取れてるー!などというリプには、ありがとうございます。ご迷惑をおかけしていたら申し訳ありませんというリプがつく。
それだけやられると、さすがに軽い気持ちでアイドルの悪口を呟いただけの人間は発言を削除するし、何ならアカウントに鍵を掛ける。
何せ、他人に対して、見えるところで悪口を言った…という方が悪いのは明白なのだ。
喧嘩を売られてるのなら買うこともできるが、ただ頼まれ、諭されているところを人に見られるのが恥ずかしい。
反発して武道の悪口だけを呟くアンチアカウントなども現れたが、それはオプチャで共有され粛々と削除依頼が行われてアカウント凍結となった。
残る問題は、悪口なのか微妙なラインの「#さすみち」タグである。
過剰に面白がられている武道は、タグを使ってバカにされていることも多く、しかし、バズることが応援にもなっている。
オプチャのファンは、そのタグには乗っかることに決めた。
自分達も武道が凄いと思った時や可愛いカッコイイ面白いと思った時に積極的にタグを使うようになり、それを元々使っていたツイ廃達は、あいつら元ネタ知らずに使ってやがると煽るなどの発言があって、一発触発かとも思われたが、武道ファン達はもっとしたたかで、しなやかだった。
煽りに対しては、武道くんを盛り立ててくれてありがとうございます。一緒に応援して行きましょうね!タケミっちはそういうとこ面白いんですよね!わかります!と同調して、デビュー前から武道を見つけていたツイカス達を古参のように扱った。
可愛い女の子達(勝手なイメージであり、女とも子とも限らない)に好意的に接してもらって戦い続けられるほど、ツイカスの心は強くない。
結局、あらゆるタケオタ達は、「#さすみち」をどちらの意味でも使うようになった。
どちらでも使われるというのが面白い冗談となり、武道が失敗しても成功してもネットは盛り上がる。
ついに武道ファン達は、Twitterを制御するという、人類が今まで無し得なかった偉業を果たしたのだった。