Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    @shin_sugarmaro

    @shin_sugarmaro

    @shin_sugarmaro

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💴 💵 💶 💷
    POIPOI 22

    @shin_sugarmaro

    ☆quiet follow

    ジェイアズ転生パロつづき

    夜を越えて 後編 次に会ったとき、ジェイドは学内のカフェテリアでひとりでコーヒーを飲んでいた。
     飲んでいたと言うか、とっくに空になったらしいカップは持ち上げられらる事もなく、勉強に集中している風でもないジェイドはただぼんやりと窓の外を見ている。そこに何があるわけでもないのに、焦点を結んでいないようにも見えるジェイドの瞳には、一体なにが映っているんだろう。

     断りもなく、同じテーブルのイスを引いて向かいの席に座れば、その気配に気付いたジェイドが億劫そうに視線を上げて僕を見た。そして僕だと分かった瞬間少し目を開き、でもその視線はすぐにそらされてまた窓の外に向けられる。
    「席なら他にも空いていますよ」
    「えぇ。でも僕はここがいいんです」
    「……では僕はこれで」
    「あぁすみません、言い方が悪かったですね。僕はジェイドと同じ席に座りたいんです」
     その顔は窓の外を向いたまま、少しだけ変わったジェイドの表情に僕はふっと頬を緩める。僕たちは分かり合えないと言い切るくせに、こんな言葉ひとつに簡単に喜んでしまうジェイドがなんとも言えず愛しい。
     ジェイドはそんな自分の反応を恥じるように下を向き、慌てて顔を引き締めたようだけどもう手遅れだ。これまでずっと僕を見て不機嫌な態度を取っていたんじゃなく、うれしさを隠すための行動だったと知ってしまった後ではただただその不器用さが可愛らしく見えてしまう。
     こんな大男を相手に可愛いだなんて僕もいよいよ焼きが回ったらしいけど、恋だと自覚してしまえばこの気持ちは思いの外すとんと落ちて僕の胸に馴染んだ。
     そして分かってしまった以上、僕はもう諦めるつもりはなかった。僕はジェイドが欲しい。
     ジェイドが僕を好きでいてくれるなら尚更、手に入れない理由なんてない。

    「あなたがなぜそんなに僕に執着されるのか分かりません」
    「そうですね、この間は曖昧な言い方をしてしまったのできちんと言います。僕はジェイドが好きです。僕の恋人になってください」

     目を合わせないままジェイドが息を呑む。
     ちゃんと呼吸できているだろうか。
     息を止めたみたいに呼吸音すら聞こえなくて、ジェイドの呼吸を確かめるために僕は口をつぐんで耳を澄ませた。

    「…………この間は、いきなり恋人にならなくてもいいと」
    「えぇ。ですが友達になるのは断られてしまいましたし、お互い好きなのにうだうだしているのは時間の無駄では?」
    「効率重視で合理主義のあなたらしい考えではありますが、先日も申し上げた通り僕たちは考え方が合いません。結果破綻するのが目に見えているのですからそれこそ時間の無駄です。もう少し慎重に考え直した方がよろしいかと」
    「失敗も経験ですから無駄にはなりませんよ。まぁ僕はお前との関係で失敗するつもりはありませんが」
    「ずいぶん自信満々におっしゃるんですね」
    「他人のことをこんな風に思ったのははじめてなので」
    「こんな風にとは?」
    「好きだと」
    「……恋人はいなかったんですか」
    「恋愛には興味がなかったので。それこそ時間の無駄だとさえ思っていましたから」

     それは紛れもない僕の本心だ。
     周りの誰もが年頃になれば恋をするのが当たり前で、人を好きになったことがないなんて可哀想だとかおかしいだなんて言う人もいた。
     思春期の頃には自分は人としてどこか欠けているんじゃないかと少し悩んだ事もあったけど、その内にそんなことを悩む方が時間の無駄だと思うようになった。そして僕はもうそういうものなのだと割り切ってしまえばそれからは人の言葉なんて気にならなくなった。
     恋をすると人生が変わるだとか信じられないくらい幸せな気持ちになれるとか嫉妬して辛いだとか、そんな感情にいちいち振り回されるよりも少しでも多く勉強して知識を蓄え将来に備える方が僕にとってはずっと有意義だったから。
     そうして夢に向かって進み続ける毎日はとても充実していて楽しくて、自分に恋人が必要だと思ったことなんて無かった。独り身は肩身が狭いだとかで体裁を保つ為に他人のご機嫌を伺うなんて無意味じゃないか。そんな事に時間を割くくらいなら自分のために勉強していた方がよっぽどいい。
     ずっとそう思ってきたのに、ジェイドへの恋心を自覚して初めて、僕は自分以外の誰かを心から欲しいと思った。
     ジェイドを他の誰にも渡したくない。
     だから僕は今、ちゃんとジェイドを捕まえておかなくちゃならないんだ。
     
    「ジェイドといるとドキドキするんです」

     それも全部、僕にとってははじめての経験だった。
     
    「名前を呼ばれただけでうれしいなんてこんな気持ちになったのは初めてなんです。ジェイドならわかるでしょう?」

     以前、僕に呼ばれただけで真っ赤になっていたウブなジェイドを思い出して思わず笑みが溢れる。あの時はなんて単純な奴なんだと思ったけど、自分の名前を呼ばれてみて初めて分かった。
     好きな人に自分の名前を呼ばれるというのは、それだけですこし幸せになれることなのだ。

    「それだけじゃありません。視界に見つけるだけでうれしくて目が合えばドキドキして、その視線を僕だけのものにしたくなる」

     自分でも信じられないくらい歯の浮くようなセリフがスラスラと溢れて、目の前のジェイドが黙り込んだまま顔を真っ赤にしていたけど止まらなかった。

    「お前が別の誰かのものになるなんて我慢できません。だから絶対に諦めるつもりはないんです。僕はどうしてもジェイドが欲しい」

     ジェイドは相変わらず目を合わせないままひどく困惑した様子で、うれしいのと困っているのと半々みたいな思い詰めた顔で黙り込んでいた。
     僕の告白はジェイドを困らせるだけなんだろうか。
     ジェイドがどうしてここまで頑ななのか分からないけど、ジェイドがどうしても僕を受け入れられない理由があるなら僕はそれを知りたい。知ってそして、そんなことなんの問題もないと蹴散らしてやりたい。
     
    「ジェイド、お前が苦しんでいることがあるなら僕に教えてくれませんか」

     誰かの為に僕に何かできる事はないかと、心から思ったのは初めてだった。
     できる事なら僕の手でジェイドの苦しみを取り除いてやりたい。僕がジェイドの支えになりたい。ジェイドに僕を、必要としてもらいたい。

    「僕を見て。あなたの力になりたいんです」
     
     ずっと俯いていたジェイドが弾けるように顔を上げて、見開かれたその目に少し驚いたけど、やっと僕を見てくれたことに安堵してつい笑ってしまった。そうしたら僕につられるようにジェイドも笑って、胸がいっぱいになってしまった。
     あぁやっぱりすきだ。
     僕はずっと一番近くで、ジェイドの笑顔を見ていたい。

    「アズール、あなたは運命を信じますか?」
    「運命? 運命の人とかそういう話ですか?」
    「……えぇ、そうですねまぁ」
     なんとなく煮え切らない言い方が少し気になったけど、やっと僕を見て話してくれたジェイドに僕は浮かれていた。唐突な話題にすこし面を食らいはしたが、ジェイドが会話してくれる気になったのなら何よりだ。
    「信じる信じない以前にあまり好きな言葉ではありませんね。運命って自分の意思とは関係なく初めから定められているものでしょう? 僕は自分の力ではどうにもならないことが一番嫌いなんです。未来は自分の力で切り拓いていくからこそ面白いんじゃないですか。恋愛だってそうですよ。自分の気持ちとは関係なく最初から決められていた相手なんて御免です。運命なんてクソ喰らえだ」

     ……と持論を展開したところで僕はハッとする。
     もしかして今の話の流れでこの返しはまずかったんじゃないか? もしジェイドが運命の恋を信じているのだとしたら全くもって逆効果じゃないか。
     ジェイドは僕の話をどう思っただろうと恐る恐るその表情を伺えば、ジェイドはなぜかすこし誇らしげな表情でうれしそうに笑って、笑いながら一瞬だけ、うれしさに悲しみが混じったように見えた。

    「あの、別に信じてる方を否定するわけではないんですよ、僕はそう思うというだけであって」
     僕の言い訳じみた言葉に今度はくすりと笑ってジェイドが目を細める。
    「いえ、僕も信じているわけではありません。あなたの仰る通りですよアズール。定められている未来なんてつまらない」

     僕の言葉を肯定してくれたジェイドになぜかつきんと胸が痛む。
     僕は間違いなくそう思っているし本心を口にしただけなのに、ジェイドが「つまらない」と言ったことがやけに胸に刺さった。

    「さて、では僕はこれで」
    「待ってくださいまだ話が」
    「僕からこれ以上あなたにお話しする事はありません。僕の気持ちは先日お伝えした通りです。あなたと僕は考え方が違う。ですから僕はあなたの恋人になることはできません」

     一度ならず二度までも、バッサリと振られてさすがに僕もすぐには後を追えなかった。
     空席だらけの広いカフェテリアで、近くに客がいなかった事だけがせめてもの救いだ。あれだけ熱烈に口説いておいてここまでバッサリと切り捨てられるなんて、もしも誰か聞かれていたら今の僕はよほど惨めに見えたに違いない。
     まぁ見られていた所で僕の意思は変わらないけれど。
     あいつがここまで頑固だとは正直思っていなかったけど、僕だってこうと決めた事を譲るつもりはない。
     完全に嫌われているならまだしも、どう見ても好かれているのにこのくらいで諦めてたまるか。ジェイドがあれだけ頑ななのには絶対に理由があるはずだ。その理由を確かめて僕が納得するまでは絶対に諦めてやるもんか。
     いや、それがどんな理由だとしても僕がそれを解消してやればいいだけのことだ。

    「ふふ……、待ってろよジェイド……!」

     絶対にお前に「はい」と言わせてやるからな!



     そんな風に僕がやる気になっていたことなどジェイドが知る由もなく、それ以来ジェイドは徹底的に僕を避けているようで学内で偶然会うことは全くなくなった。意図して探しに行けば顔を見ることくらいはできたけど、話しかけようとすれば見事に躱されて近づくこともできない。
     フロイドに頼めばまた家に招いてくれるだろうけど、なんとなくそうはしたくなかった。僕のせいできょうだい二人の仲が険悪になるの見たくないし、僕とてジェイドの気分を害したいわけじゃない。

     そんな日々が続いてさてどうしたものかと考えあぐねていた時、課題の資料探しに訪れた図書館で、僕は遂にジェイドを見つけた。
     図書館で僕の一番お気に入りの場所、誰も行かないような奥まった通路の更に最奥。ひとり用に間仕切りされた学習スペースの一番端にジェイドはいた。それもうたた寝しているようで、体は起こしたまま奥の壁にもたれかかるようにしてうつらうつらと船を漕いでいる。
     完全に寝てはいないんだろうか。時折目が薄く開いたり閉じたりを繰り返して、でも僕が近くにいることに気付いていない辺り意識は曖昧らしい。

    「よかった……」

     見る限りとても熟睡とは遠いけど、少しでも眠れているなら良かった。
     最近のジェイドとくれば遠目に見ても分かるくらい顔色が悪いことが多く、フロイドに聞いても芳しい返事はない。女性達の所へ行くのをやめてからというものゆっくりと眠れてはいないようで、処方された薬を限界量まで摂取してなんとか細切れに眠れる程度だと言う。
     そんな状態でも学校には来るのだからなんとも呆れてしまう。一度しっかり休んで体調を整えた方がいいのは明らかなのに、休んだところでジェイドの症状が回復することはないということなんだろうか。
     僕はすこし距離を取ったまま、初めて見るジェイドの寝顔をまじまじと見つめていた。本当は起こさないようにそっと離れてやるべきなのに、どうしてもそのやつれた白い顔から目が離せない。
     こんな時に思い出すのもなんだけど、フロイドは僕がジェイドの顔が好みなんじゃないかと言っていたっけ。フロイドとジェイドはほとんど同じ作りの顔なのに、言われてみれば確かに、僕はフロイドよりジェイドの顔が好きなのかもしれない。
     見ようによっては冷淡にも見えるその怜悧な目元も、こうしてうたた寝していると可愛らしく見えなくもないし、いつもは澄まして整った顔が、僕を見て表情を変えるのは正直気分が良かった。でもそんな整った顔に濃いクマを作って、不健康に痩せ細っているのはなんとも哀れで庇護欲が湧いてくる。
     ジェイドのために、今僕にできることはあるだろうか。この頑なな頑固者は、どうしたら僕を受け入れてくれるだろう。

     その場を離れることもできずじっと立ち尽くしていると、三分も経たない内にジェイドの表情が苦々しく歪み始めた。
     眉間に皺を寄せ、今にもうめき声を漏らしそうなほどに苦し気な表情に居た堪れなくなる。
     例の悪夢を見ているんだろうか。
     ジェイドが毎夜魘されるという悪夢。
     それが一体どんな内容なのか僕は知らないけど、これは起こしてやるべきなんだろうか。ぎゅっと目を瞑ったジェイドの額から冷や汗が流れて、悲痛に歪む表情を見ていられない。
     せっかく眠っていたところを起こしてしまう事より、目の前のジェイドをその苦しみから救い出してやりたかった。
     
    「ジェイド」

     僕の声に、少しだけ反応したジェイドの表情がふっと和らぐ。
     僕の声が届いたんだろうか。
     まだはっきりと目を開けないジェイドのすぐそばに立ち、壁にもたれていた頭を僕の方に引き寄せるようにして抱えながらその髪を撫でる。

    「ジェイド、もう大丈夫ですよ」

     僕がいるから。
     怖いものなんて何もない。
     だから戻っておいでと、願いを込めながらぎゅっと抱え込んで碧い髪を撫で続けていると、僕の腕の中でもぞりと動いたジェイドがゆっくりと顔を上げた。
    「あずーる……」
    「はい。アズールですよ」
     僕を見上げたジェイドが何度か瞬きをして、ようやく僕を認識したのか安心したようにジェイドの表情が綻ぶ。
    「良かった……ここに居たんですね」
     悪夢のせいでまだ意識が混濁しているんだろうか。
     ジェイドがなんの話をしているのかはわからないけど、僕はジェイドを安心させるためにこくりと頷いて見せる。
     するとジェイドの腕が僕をぎゅっと引き寄せて、僕の胸に顔を押し付けるように抱きついてきたから僕はまたゆっくりと髪を撫でてやった。
    「……とても怖い夢を見ました」
    「うん、でももう大丈夫ですよ」
    「アズール……」
    「はい、なんですかジェイド」
    「アズール、どこにも行かないでください」
     僕を抱き寄せるジェイドの腕が痛いほど苦しくて、でもその腕を振り解くなんてとてもできなかった。
     僕にしがみつく腕は力強いのにずっと震えていて、まるで幼い子供のように頼りない。

    「僕を置いていかないで」
     
     そう続いた言葉に、僕ははっきりとした違和感を覚えた。
     でも今この場でそれを問いただすなんてとてもできない。こんな風に悪い夢に怯えて僕にしがみつくジェイドを、跳ねつけるなんてとてもできなかった。

    「……大丈夫ですよ、僕はここに居ますから」
    「はい……、はいアズール。よかった……」

     そう言ったきり、ジェイドは僕にしがみついたまままた眠りに落ちてしまった。
     でも今度は悪夢にうなされることもなく、健やかな寝息を立て始めたジェイドを抱えたまま、僕は混乱しきりだった。
     ジェイドが安心して寝落ちてくれたのはいい。いいけどこうしっかりと抱きつかれたままでは身動きが取れないし、さっきの言葉の意味がまるで分からない。
     最近ずっと僕を避けてたのはジェイドの方なのに、「ここに居たんですね」ってなんだ?
     どこにも行かないでって、僕を置いていかないでってどういう意味だ? 
     まさかジェイドの見てる悪夢と僕に何か関係があるのか? 
     ……いやそんなわけない。ジェイドが悪夢を見始めたのは子供の頃からだと言うし、大学に入って初めて会った僕と関係しているはずがない。
     それともジェイドが見ているのはいつも違う夢なんだろうか。そう言えば夢の内容について詳しく聞いたことはなかったのに、僕は何故かずっと同じ夢を見続けているのかと思ってた。でももしその時々に違った夢を見ているのだとして、それがその時ジェイドが恐怖に感じている事だという可能性もある。
     もしそうなら、今のジェイドは僕が離れて行ってしまうことを恐れているんだろうか。そう仮説を立ててみても、やっぱり何かが引っかかる。
     僕のことが好きで大切なんだと言うくせに、いつか来る終わりが怖くて苦しいんだと言うジェイド。だからが関わるなと言ったのに、置いていかないでと僕にしがみつく。
     悪夢で混乱してただけなんだろうか。
     朦朧とする意識の中で無意識に言っただけ?
     でもそれならあれがジェイドの本心だということなんだろうか。それとも寝言みたいに本人の意思とは全く関係なく漏れた譫言なのか。それにしては僕を見てはっきりと名前を呼んだけど、でもさっきのジェイドは、僕じゃない僕と話しているみたいだった。

    「僕じゃない僕?」

     なんだそれ。
     自分で考えて意味が分からない。
     もう何もかも分からない。
     今確かなのはジェイドが僕にしがみついてすやすや眠っていることと、いつまでもこいつを抱えて突っ立っていたら僕の腰が死ぬということだけだ。
     仕方ない。毎度毎度悪いけど、フロイドを呼ぼう。
     
     


    「うわっ、どういう状況? ジェイド爆睡してんじゃん」
     椅子に座ったまま僕の腰に抱きついて、すぅすぅと穏やかな寝息を立てるジェイドにフロイドも目を瞬く。
    「僕にもよく分からないんですけど、僕が来た時にはすでにうたた寝をしていて」
    「まじ? ジェイド寝てたの?」
    「えぇ、でもすぐにうなされはじめて、その……」
     よくよく考えてみればうなされていたから頭を撫でてやるなんて、普通の大学生男子はしないんじゃないだろうか。普通の男友達なら引っ叩いて起こしていたかもしれない。
     そう考えるとなんだか自分の行動が恥ずかしくなって口篭っていると、今にも泣き出しそうな顔のフロイドが、僕にしがみついてすやすやと寝入るジェイドを見下ろしていた。

    「熟睡してるジェイド久々に見た。ありがとアズール」
    「え……」
    「でもこのままじゃアズールがやばいから〜、そろそろ起きよーねぇジェイド」
     フロイドがそう言いながら僕からジェイドを引きはがし、唸って眉を顰めたジェイドの背をポンポンと叩く。
    「ほんとにありがとアズール。起きた時アズールがいたら多分パニックになっちゃうから、悪いけど先行って」
    「え、でも」
    「ほんとにごめん、もう起きそうだからお願い」

     まただ、と思う。
     やわらかな拒絶。
     このふたりは、肝心なところで僕を必要としてくれない。
     フロイドは面白がって僕らをくっつけようとはするくせに、最後の最後でジェイドの意思を尊重して僕の気持ちは無視する。
     仲のいい双子に僕が入り込む余地がないのも分かるけど、結局のところフロイドは二人の世界に僕を入れるつもりはないんだ。

    「拗ねないでってば」
    「拗ねてません」
    「ごめんて」
    「別に謝って欲しいわけでは」
    「でもごめん」

     その謝罪ははっきりと、僕に去って欲しいと告げていた。

    「……わかりました。ではまた明日」
    「うん、ありがとアズール」

     いくら謝ったところで僕に何も教えてくれるつもりはないじゃないか。
     そうやってふたりだけの世界に浸って僕を除け者にして、それならずっとふたりでそうしていればいい。
     全くバカバカしい。
     ジェイドはずっと僕に関わるなと言っていたんだから初めからそうすれば良かった。目の前で苦しんでいたって無視して通りすぎて、フロイドなんて呼んでやらなければよかった。

     そう思おうとするのに、僕はどうしても、ふたりを放ってなんておけなかった。
     ジェイドがあんなことを言った意味も、フロイドが泣きそうな顔をする意味もわからない。
     関わるなと言われても帰れと言われても、後ろ髪を引かれてしまう気持ちはもうどうしようもなかった。








     それから、学校で全くジェイドを見かけなくなった。
     フロイドも顔を合わせるのは2〜3日おきで、以前から気まぐれにサボる奴だったから初めは気にしていなかったけど、一週間連続で休みなのはさすがにおかしいと心配になる。
     学校に来ない間もちょこちょこメッセージのやり取りはしていたのにここ数日は既読すら付かない。電話をしても電源が入っていないらしいし、ジェイドの方に連絡をしようにも僕はその連絡先を一切知らなかった。
     フロイドはまぁ気が向かなければ突然学校をやめると言い出してもおかしくはないけど、学校が好きだからと体調不良でも無理をして通ってくるようなジェイドがずっと休んでいるのは気になった。
     それに最後に会った日の様子を思い出しては、また悪夢にうなされて眠れずにいるのかもしれないと心配になる。そして僕に撫でられて穏やかな寝息を立てていたジェイドが頭から離れなくて、またそうしてやれたらと切に思う。

    「………よし、行くか」

     ひとりでうだうだ考えていても仕方ない。
     どうせ家は割れているんだし、友人が一週間も休んで連絡がないんだから様子を見に行くくらいいいだろう。
     そう心の中で理由を付けて、僕はなんとなく避けていた二人の家へ向かった。
     荘厳なエントランスでインターホンを押して、もし応答がなかったらコンシェルジュに事情を話して部屋を見てきてもらおうか……とぼんやり考えていた時だった。
     モニターを見てすらいないのか、「だれ……?」とものすごく不機嫌なフロイドの声がする。
    「僕です」
     そう言うと、名乗るまでもなくインターフォンの向こうから「アズール?」と返される。
    「そうですよ。お前連絡もよこさないで何やってるんですか。スマホの電源くらい……」
    「鍵開けとくから勝手に入ってきて、今手ぇ離せなくて」
     一方的にそう言ったかと思うと、オートロックが解除される音と共に通話がぶつりと切られる。
    「あいつまた……」
     本当に作法がなってない。
     いいとこのお坊ちゃんなら最低限の礼儀作法くらい躾けられなかったのかと訝しみつつ、その声にやけに焦りが滲んでいた気がして急に心臓が跳ね上がる。
     フロイドが手が離せないなんて何かあったんだろうか。まさか料理の途中だからなんて理由でもあるまいに、ジェイドになにか……
     そう思うと気ばかりが急いて、なかなか降りてこないエレベーターにイラつきボタンを連打する。階段で行こうかなんて血迷った考えが浮かぶけど、30階なんてエレベーターを待った方が早いに決まってる。そう分かっているのに、何もせず待っているだけの時間が惜しくてたまらなかった。
     永遠にも思えるような時間エレベーターを待って、ようやく辿り着いたふたりの家のドアを躊躇なく開く。言われた通り鍵が開けられていたドアは簡単に開いて、中に入った瞬間廊下の奥からガシャーン! と何かが割れる音がした。

     あぁ料理中なだけならどんなに良かったか。
     どうやら、事態はそんな生易しいものではないらしい。
     僕はズカズカと中へ入り込み、リビングのドアを開けてその光景に息を飲む。
     
    「危ないですフロイド! あいつがいたんです! はやく、死ぬ前に殺さなくては……!」
    「落ち着けってジェイド! あいつはもういないんだってば! 大丈夫だからそれ置いてこっち来て」

     キッチンに立つジェイドが投げつけたらしい大皿がダイニングで砕け散っていて、包丁を構えたジェイドから距離をとりつつフロイドがなんとか宥めすかしている。目を血走らせて興奮した様子のジェイドは僕に気付いていないようで、フロイドがそれ以上入るなと僕を手で制止する。

    「ジェイド、大丈夫だからそれ離して。オレの方においで」
    「ダメです……! あなたまで殺されてしまう……早く逃げてフロイド……」
    「逃げないよ。誰もいねぇもん。ここはオレとジェイドだけ。よく見て、ここはオレ達の家だよ」
    「僕たちの……?」
    「そうだよちゃんと見て。このテーブルも椅子もオレらが選んだ家具だよ。さっき割った皿だってジェイドが気に入って買ったやつじゃん。だから大丈夫だよ」
     ジェイドの視線がフロイドの言葉をなぞるように動く。四人掛けのダイニングテーブルに四脚の椅子、そしてみるも無惨に割れてしまった皿を見て、ジェイドはゆっくりと記憶をたぐり寄せているようだった。
    「……そう、ですよね。ここ…は、僕たちの家……。僕と、フロイドの……」
    「そうだよ。親父達にワガママ言って二人暮らしさせてもらったじゃん。ここは安全だよ」
    「安全……、あいつはいない……」
    「うんいない。あいつはもうどこにもいないよ。だから大丈夫。ここは安全、誰も死なない」

     何が起こっているのかは分からないけど、僕がここにいるのは非常にまずいんじゃないかという予感だけがする。フロイドに宥められてせっかくジェイドが落ち着いてきたのに、ふたりしかいないはずの部屋で僕の姿を見たらまたジェイドがパニックになるかもしれない。
     僕はそっと後退り、ジェイドの視界に入らないようにリビングのドアを出る。そしてドア少し開けたまま中の様子を探り、フロイドの言葉だけを頼りに中の状況を伺った。

    「とりあえずそれ置いて。なんかあったかいものでも淹れるから一緒に飲も」
    「そうですね……。取り乱してしまってすみませんフロイド」
    「いいよ。後で片付けとくからジェイドはとりあえず座って」
    「はい……、すみません」

     どうやらフロイドがジェイドをソファへ促して、やっとジェイドは落ち着いてくれたらしい。何が起こっているのかは相変わらずさっぱりだけど、とりあえず場が収まったことに僕もホッと安堵して気が抜けてしまった。
     そして気を抜いたその瞬間、少しだけ開けていたドアに体が触れてカタンと揺れた。

    「フロイド後ろです!」
    「ジェイドだめ……!!」

     ほんのわずかドアが揺れたのと、ジェイドが動き出したのはほとんど同時だった。
     フロイドが止めるよりも早く、リビングのドアを開けてジェイドが振り上げた右手には、さっき割れた大皿の破片が握られていた。
     おそらくは、一番大きくて鋭利な破片を瞬時に拾い上げたんだろう。僕を見下ろすジェイドの手に、その切り口がギリギリと食い込んで真っ赤な血が滴り落ちる。
     そのやけに鮮烈な赤に、僕は思考する間もなく手を伸ばしていた。
     
    「ジェイド」

     僕の声に、僕の姿に驚いたジェイドが絶句して目を丸める。

    「こんなことをしてはダメです」

     真っ赤な血に濡れたジェイドの右手を両手で包み込み、ゆっくりとその手を解いて握りしめていた破片を奪う。鋭利な切り口が食い込んでいた傷口は見ていられないほど痛々しくて、目を背けたくなるけど僕はその赤をじっと見つめた。

    「アズール……」
     
     消え入りそうなほど、弱々しい声が降ってきて僕は顔を上げる。目に涙をいっぱいにためたジェイドが、信じられないものを見るような目で僕を見ている。

    「アズール……、本当にアズールなんですか……」
    「本当にアズールですよ。他になんに見えますか」
    「アズール……っ」

     そんなに力いっぱい抱きしめたら傷口が痛むだろうに、ジェイドは僕の肩に顔を埋め渾身の力を込めて僕を抱きしめた。
     僕のシャツまで血濡れになってしまうとか、そんな事は考える余裕もなかった。痛みなんてどうでもいいみたいに僕にしがみついて、肩を震わせながらぼろぼろと泣くジェイドを支えているのが精一杯で。
     泣きすぎたジェイドが僕にもたれたまま意識を失いそうになったのを、フロイドと一緒に慌ててソファに運ぶ。そして僕の膝を枕に寝息を立てはじめたのを見て僕とフロイドはようやくほっとひと息吐いた。

    「フロイド、すみませんけど僕は動けないのでジェイドの手当てを」
    「あ……、そうだねごめん。救急箱取ってくる」
    「えぇお願いします」
     
     フロイドが立ち上がった後、僕は膝の上で幼子のように眠るジェイドをまじまじと見下ろした。
     長い睫毛を濡らしたまま泣き疲れて、糸が切れるみたいに眠ってしまうなんて赤ん坊みたいなやつだなと笑いながら、笑っているどころではない血まみれの手のひらに僕は眉を顰める。

    「何をしてるんですかお前……」

     こんな傷を作って、こんなに泣いて。
     それなのに僕の前で立てる寝息は穏やかで、普段眠れてないなんて嘘みたいに安心したようなその顔になぜか泣きたくなる。
     
    「巻き込んでごめんねアズール」

     いつの間にが戻ってきたフロイドがジェイドの手を取って、きれいに清めてからするすると手当をしていく。そのフロイドのやけに慣れた手付きと、いやに充実した救急箱の中身に僕はまた眉を顰めた。
    「もしかしてこういうことがしょっちゅうあるんですか」
    「しょっちゅうはないよ。たまに」
    「たまにでもおかしいだろ。一体何があったんです」
    「最近ずっと眠れてなくてさ、寝てなすぎて錯乱してたって言うか、たまに幻覚が見えるみたい」
    「幻覚!? ご両親は知ってるんですか? ちゃんと病院で相談したのか?」
    「親には言えない。バレたら家に連れ戻される」
    「当たり前でしょう、お前がひとりで抱えていい問題じゃない。きちんと病院に通って……」
    「病院には行ってる! ……でも本当の事は言えない。ジェイドが入院させられちゃうから」
    「させられちゃうって……、そうすべきなんじゃないですか。こんな状態じゃお前まで危険ですしきちんと治療したほうが」
    「入院したって治んねーの! 薬で治せるもんじゃないんだよ!」
    「そんな事わからないでしょう、入院してきちんと調べてもらえば適切な治療法があるかもしれないじゃないですか」
    「そんなのねぇよ。前に入院した時だって治らなかったし」
    「したことがあるんですか」
    「うん……、中学の時。そん時も症状がひどくて全然眠れなくて、あん時はオレも子供だったし、みんながその方がいいって言うからそうなんだと思ってたけど」
    「良くならなかったんですか?」
    「眠れるようにはなったよ。薬漬けにされて。限界まで投薬されて睡眠は取れたけど、起きてる間もずっと意識が朦朧としてて会話もろくにできなくて、少しでも暴れたらベッドに繋がれてさ、あんなのジェイドじゃない。もう二度とジェイドをあんなとこには連れてかない」

     中学生だったフロイドにとってその光景がどれだけ衝撃的だったのか、苦痛を滲ませながら憎々しげに語るフロイドの意思は固いらしい。
     二度とジェイドをそんな状態にしたくないと言うフロイドの気持ちもわかるけど、でもこのままでは絶対にダメだ。
     いつもみたいに朗らかに笑うフロイドなんてどこにもいなくて、すっかりと憔悴し切って疲れ果てたフロイドはジェイドと同じくらい濃いクマを作ってげっそりとしている。部屋はろくに片付けられてもいなくてゴミもそのまま散らかり放題で、以前訪れた時の清潔な部屋とはかけ離れていた。
     このままじゃダメだ。
     ジェイドも、フロイドも。
     
    「ジェイドはどのくらい寝てないんです」
    「わかんない……。全く眠れないわけじゃないけど、5分か10分くらいしか寝てないみたい。でもその度にうなされて起きて……」
    「お前もそれに付き合ってるんですか」
    「ずっとじゃねぇよ。眠れなくてもひとりで大人しくしてる時もあるし、オレはそういう時に寝てる」
    「錯乱してる時も多いということですよね?」

     それにフロイドは答えなかった。
     ジェイドは一体どのくらいの割合でああなっているんだろう。
     そしてその度にフロイドがひとりで対処しているのだとしたらそのストレスは相当なものだ。フロイドだってずっと熟睡はできていないだろうし、これ以上ふたりきりにさせておくわけにはいかない。
     
    「フロイド、これはお前ひとりでどうにかなる問題ではありません」

     これまでは女性達の手を借りて上手くやっていたみたいだけど、それもダメだとなるとフロイドひとりにかかる負担が大きすぎる。でもそのフロイドが家族にも病院にも頼りたくないと言うのだから、他の誰かがフロイドに手を差し伸べなければ。
     そして可能なら、僕がジェイドとフロイドの助けになりたい。

    「フロイド、お前はジェイドがどんな夢を見てるのか知っているんですか」

    「悪夢」としか聞かされていなかったそれが、ジェイドをこんな風に錯乱させている事は間違いない。
     錯乱しているはずなのにいやにしっかりと会話が成立して、ジェイドに見えるというその幻覚は、ただの幻ではないような気がした。まるでかつて見たことがあるかのように、ジェイドの中には、確かにそれが存在しているような。

    「知ってるけど、アズールはきっと信じないよ」
    「夢なんだから信じるも信じないもないでしょう。現実ではどんなにあり得ない事でもジェイドは実際に見ているんですから」
    「うん……、そうだけど、そうじゃねぇの」
    「どういうことです?」
    「ジェイドが見てる夢は、昔実際にあったことだから」
    「昔?」
     
     やはりそうなのかと思いつつ、でもジェイドは幼い頃からずっと悪夢にうなされ続けているというのに、昔って一体いつのことだ?
     記憶にもないくらい幼い頃のトラウマ体験を夢に見るということだろうか。
     
    「アズールは生まれ変わりって信じる?」

     ジェイドは一体どんな恐ろしいトラウマを持っているのだろうと考えていた所で、突拍子もなく聞こえたその言葉に僕は目を瞬く。

    「生まれ変わり?」
    「うん、輪廻転生ってやつ。前世で一回死んで、また別の人間として生まれ変わるっていう」
    「それはわかりますけど、なんですか急に……」

     自分でそう言いながら、さっきのフロイドの話と今の質問に符合する部分に僕はもう気付いていた。
     昔実際にあった出来事を夢に見続けているのだというジェイド。そして今の、生まれ変わりを信じるかというフロイドの言葉。

    「まさか、ジェイドは前世の記憶を夢に見ているとでも言うんですか」
    「ほら、アズールは信じないって言ったじゃん」
    「な……っ、信じないとは言ってないだろ! 確認しただけですよ」

     そうは言ってみたものの、本当に前世の記憶を夢に見ているだなんて俄かには信じられない。そもそもどうしてそれが前世の記憶だと分かるんだろう。
     ジェイドしか知らないのなら確かめようもないはずなのに……と考えて僕はハっとフロイドを見る。

    「せーかい。オレもあるんだ、前世の記憶」
    「フロイドもって……、もしかしてお前たち前世でも双子だったんですか?」
    「うん。そんでもってアズールも一緒だったんだよ」
    「は……? 僕も一緒?」
    「ジェイドとオレは兄弟でぇ、アズールは幼馴染だったんだぁ」
    「僕がお前たちの幼馴染……?」

     ちょっと待ってくれ訳がわからなくなってきた。
     ジェイドとフロイドには前世の記憶があって、ジェイドが見ている悪夢はその前世の記憶で、しかも僕がこいつらの幼馴染?
     
    「そ。しかも人魚で魔法使い」
    「はぁ!? さすがにそんな話は信じませんよ! お前また僕のことからかって……」
    「そんで、アズールとジェイドは恋人同士だったんだ」

     僕の言葉を遮るように、そう言ったフロイドの目は少しも笑っていなかった。

    「でもアズールはジェイドを残して死んじゃった」

     どくんと大きく心臓が鳴る。
     僕にはない過去の記憶。
     前世の記憶があるなんて話もまだ半信半疑なのに、前世の僕らは人魚で魔法使いで、僕とジェイドが恋人で、僕はジェイドを残して死んだなんて言われてもなにひとつピンと来ない。
     でもフロイドが嘘を言っているようにはどうしても思えなくて、嘘でないという事は真実で、僕は、僕は今何を思えばいいんだろう。
     
    「長いこと付き合ってようやくプロポーズして、もうすぐ結婚式って時にね、無差別テロに巻き込まれて。ジェイドの目の前で、ジェイドを庇ってアズールだけ」

     どくんどくんと、跳ねる鼓動ばかりが煩い。
     フロイドの話にはなんの裏付けも信憑性もなくて、フロイドの作り話である可能性もあるのに、そうじゃないと分かってしまう。
     この話が本当だとすれば、今まで僕がジェイドに感じてきた違和感が全てきれいに解消される。
     ジェイドの嬉しそうな顔も、時折見せたあの悲しそうな顔も、置いていかないでと僕にしがみついたことも、僕を見てぼろぼろと泣いた今日のことも、ぜんぶぜんぶ、理解できてしまう。
     
    「ジェイドはずっと、その瞬間を夢に見続けてる」

     体中を巡る血が一瞬で凍ってしまったのかと思うほど、全身が冷え切って指先の感覚すらなくなる。まとわりつくような嫌悪感だけが僕を包み込んで、ぞわぞわと落ち着かない心が叫び出しそうだった。

     僕のことであなたが傷つけられるのは我慢ならないと、ジェイドが僕に言ったことを思い出す。
     ジェイドが見たこともないくらい怒って声を荒げて、女に平手を喰らわせられそうになったくらいでずいぶんと大袈裟な奴だとあの時は思ったけど、そういうことだったのか。
     僕の体が、尊厳が、命が、他者に損なわれるのをジェイドは許せないんだ。
     
     いいことは続かない、幸せには必ず終わりが来る。
     身を以てそれを経験し続けているジェイドが、未来を信じられないのは当たり前だ。
     
    「……ジェイドが言ってた、『あいつ』というのは」
    「テロの犯人。単独犯だったんだけど犯行の直後に自殺してさ、ジェイドはどこにも怒りの矛先を向けらんなかったんだよね」

    『死ぬ前に殺さなくては』と、さっきジェイドが言ったのはそういう意味だったのか。
     生まれ変わっても尚ジェイドは恋人の死の瞬間を見続けて、そして犯人の幻覚に囚われている。でも幻覚を殺せるはずもなくて、今も行きどころのない苦しみがジェイドを襲い続ける。

    「政治も宗教もなぁんにも関係なく、怨恨ですらなかったらしいよ。生きてるのがヤになって、でもひとりで死ぬのはつまんないから巻き込むなら誰でも良かったってやつ。アズールとジェイドはほんとにたまたま一番近くにいて、犯人のお手製魔法薬でドカン」
    「魔法薬……?」
    「名前の通り、魔法を込めて作った薬。爆発の寸前に気付いたアズールが咄嗟に魔法障壁を張ってジェイドを守ってくれたけど、アズールは直撃」
     魔法薬とか魔法障壁とか、僕にとっては全く耳馴染みのない非現実的な言葉なのに、今は何故かそれが話に信憑性を持たせている気がした。生まれ変わりなんて物語の中だけの話だと思っていたのに、こうも訳のわからない事ばかり言われては逆に信じざるを得ない。

    「普通の爆弾じゃなくて魔法が込められたものだったから……本当にひどい状態だったらしいよ。ジェイドは絶対に誰にもアズールの遺体を見せたがらなかった。アズールはきっと今の自分をママに見せたくないだろうから、頼むから見ないであげて欲しいってアズールのママにも頭下げて。だからオレもどんな状態だったか詳しくはしらない」

     実の母親にすら、いやきっと母親だからこそ見せられないような死に様を目の前で見たジェイドは、一体どれだけのものをひとりで抱え込んでいたんだろう。フロイドにすら口を開かず、生まれ変わっても尚、ずっと夢に見続けて。
     
    「人魚ってさ、番を亡くすと長く生きらんないんだ」

     徐に、フロイドが言った言葉にふと顔を上げる。

    「離婚する人魚だって普通にいたのに、本当に愛し合った番を亡くした人魚はさ、さみしくてさみしくて病気になっちゃうんだ。でもジェイドは結構がんばってくれたんだよ。『僕がいなくなったらフロイドがさみしいでしょう』とか言って」

     そう言ったジェイドを思い浮かべているように小さく笑いながら、笑ったままフロイドの目元がすこし苦しげに歪む。

    「アズールがいなくなってからジェイド、何にもなかったみたいにみたいに振る舞おうとするからあんまり痛々しくてさ、いっそオレが殺してやろうかと思ったんだよ」
    「え、まさかお前……」
    「思っただけ。本当にはやってないよ。ジェイドに頼まれたら多分やってたけど」

     あまりにも物騒なことを平然と、けれどとても真摯に言うフロイドに胸が詰まった。彼らの生きた世界がどんな世界だったのか僕にはとても想像がつかない。魔法があって人間ですらなくて、そんな世界の常識はきっと今僕が生きる世界とは違うのだろうけど、信頼しあった兄弟を手にかけることが悲劇でないはずがない。
     でもフロイドがそうしてやりたいと考えてしまうほど、ジェイドが苦しんでいたのかと思うととてもやるせなかった。今の僕にはどうしたってその時のふたりに手を差し伸べることができないのに、どうしたらふたりを救えたんだろうと、考えても仕方のないことばかりが浮かんでしまう。

    「でもジェイド、最後までそうは言わなかった」
    「……お前を兄弟殺しにはしたくなかったんじゃないですか」
    「それもあるかもだけど、ジェイドはアズールと同じくらいオレのことも好きだったから、オレをひとりにしたくないってのも本音だったんじゃねーかな」

     まるで自分を責めるようにそう言ったフロイドに、胸が押しつぶされそうだった。
     ふたりは互いを大切に思い合っていたが故に、置いていくことも手をかけてやることもできなかった。そして自分の存在があったからジェイドの苦しみを長引かせてるしまったのかもしれないと、悔いているようなフロイドに胸が詰まる。ジェイドもフロイドも、すこしも悪くなんかないのに。

    「だからさ、ジェイドがいよいよもうだめだってなった時、オレよかったねぇって思ったんだ。これでジェイドはようやく解放されて、アズールのとこに行けるんだなって思ってた」
     
     それはきっとフロイドの本心だったんだろう。
     その時のことを思い出すようにフロイドの表情がふっと緩んで、でも次の瞬間、またその表情が苦々しく歪む。

    「でも全然そうじゃなかった」

     ぐしゃりと、崩れたフロイドの目に涙がいっぱいに浮かぶ。

    「死んだってジェイドがまたアズールとしあわせになれるわけじゃなかった。なんにも良くなかった。だって生まれ変わってもジェイドはずっと苦しいまんまじゃん」

     それは紛れもない絶望だった。
     解放されたと思っていた苦しみはなくなってなどいなかった。
     それどころか生まれ変わっても尚付き纏う苦しみに、ジェイドはずっと責め立てられ続けている。

    「……オレさぁ、この世界に生まれ変わったのは、ジェイドがそう望んだからだと思うんだ。アズールを殺した魔法なんてない世界で、同じ人魚でもなくて、アズールが、今度こそ自分と出会わずにしあわせになれるように」
     
     その言葉で、ジェイドがどうしてあれほど頑なに僕を遠ざけようとするのかがようやく分かった。
     ジェイドは僕と出会いたくなかったんだ。
     また僕が目の前で死ぬのを見たくなかった。
     前世の僕がジェイドを庇って命を落としたなら、出会わなければ少なくとも僕がジェイドを庇って死ぬことは二度とない。
     僕があいつを大切に思わなければ、愛さなければ、自分のために僕が損なわれることはないから。

     バカなやつだなと思う。
     本当にどこまでも自分勝手な奴だ。
     それでも結局僕らは出会ったじゃないか。
     出会ってそして、僕はまたジェイドに恋をした。
     前世の記憶なんてひとつもないのに。
     なにひとつ覚えていなくたって、僕はジェイドを見つけてしまった。

    「なのになんでジェイドだけ苦しまなきゃなんねぇの……? せっかく生まれ変わったのにさぁ、もう前世なんて関係ねぇじゃん。オレもうジェイドがいなくなるのやだよ」

     一度溢れ出した涙は止まることを知らず、次々とこぼれてはフロイドの頬を濡らす。
     この男がこんな風に泣くなんて一体誰が思うだろう。このフロイドが、堪えることもできず涙を流すくらい限界だったんだ。ジェイドが過去の出来事をずっと一人で抱え続けてきたように、生まれ変わったフロイドはジェイドが苦しむ姿をずっとひとりで支え続けてきた。
     親にすら本当のことを言えず、病院も信じられず、兄弟をもう一度失う恐怖に怯えながら、壊れていくジェイドをたったひとりで。

    「フロイド、今までよくがんばりましたね」

     膝の上で眠るジェイドの髪を右手で撫でながら、隣でぽろぽろと泣くフロイドの頭に左手を伸ばす。そしてよしよしと撫でてやれば、音もなく涙をこぼしていたフロイドが、今度は小さな子供のようにしゃくりを上げて泣きはじめた。
     どれだけ長い間、フロイドは感情を抑え込んでいたんだろう。
     毎夜悪夢に苦しみ続けるジェイドの隣で、自分まで弱音を吐くわけにはいかないと気を張り続けていたのかもしれない。僕が拒絶されたように感じて拗ねていたあの時も、本当は誰かに助けて欲しかったのかもしれない。それなのに誰にも打ち明けられず耐えていたんだ。
     ジェイドとフロイドは、たったふたりで。
     
    「お前の言う通りです。僕はこのままジェイドだけ苦しませることはしません。お前たちはもうふたりぼっちじゃないですよ」

     もしかしたら、固すぎるきょうだいの絆が二人を孤立させてしまっていたのかもしれない。
     でも、今は僕がいる。

    「フロイド、僕にどうして欲しいですか」

     今のフロイドに必要なのは誰かを頼ることだ。
     そしてそれを自覚すること。
     頼ってもいい相手がちゃんといるんだと、フロイド自身が理解すること。
     目に涙をいっぱいに溜めたフロイドが、僕を見てまたぽろぽろと大粒の涙をこぼす。
     
    「あずーる……」
    「なんですかフロイド」

     開いたフロイドの唇が震えて、やっと絞り出し声は、いつものフロイドからは想像もできないくらいか細く頼りないものだった。

    「たすけて」

     ここまでたどり着くのは、フロイドにとってどれだけ大変なことだっただろう。僕はにっこりと笑ってフロイドの頭をぐしゃぐしゃに撫でてやる。
     
    「もう大丈夫ですよフロイド。僕に任せなさい」


     フロイドはぐしょぐしょに泣いてスッキリしたのか、パッと顔を上げて涙を拭うと手際良く部屋の片付けを始めた。床の血痕を拭い割れた皿を片付けて、ついでに部屋中に散らかっていたゴミをまとめてクリーナーをかければあれよあれよという間に部屋は元通り綺麗になった。
    「ごめんね、重いでしょアズール」
    「正直そろそろ血が止まりそうです」
    「あはは、オレ代わるからアズールはシャワー浴びてきて。ジェイドが起きた時アズールがそんな姿だったらまたパニックになっちゃうし」
     そう言われて僕は自分の姿を改めて見た。
     白いシャツはあちこちジェイドの血にまみれていて、僕には傷ひとつないとは言え確かにジェイドが見たら驚くに違いない。過去の僕がどんなむごい死に方をしたのかは想像もしたくないけれど、やっと熟睡して目を覚ましたジェイドの目の前に血まみれの僕がいたんじゃジェイドがショック死しかねない。
    「分かりました、ジェイドをお願いします」
    「うん。ジェイドので悪いけど着替え出しておいたから使って」
    「ありがとうございます。シャワー借りますね」
     フロイドがジェイドの頭を持ち上げた隙に僕はソファを抜け出し、僕が座っていた場所にフロイドが収まってその膝にまたジェイドの頭を乗せる。
    「あは、こんなことしたら今までなら絶対起きてたはずなのにすげー熟睡してる」
     まだ穏やかに寝息を立てているジェイドをフロイドが見下ろして、自分も眠れていないはずなのに本当にうれしそうにまなじりを下げるその姿にぎゅっと胸が詰まった。
    「僕が戻ったらお前も少し寝なさい。ジェイドは見ておきますから」
    「ありがとアズール。そうさせてもらおっかな。あーすげぇ眠い!」
    「ふふ、なるべく早く戻ります」

     フロイドの言葉に甘えてシャワーを浴びて、あちこちについた血を落としながら僕はあれこれと算段を巡らせる。
     僕が夢の内容を知っている言えばジェイドが動揺するだろうし、僕がフロイドから前世の話を聞いたことはまだ黙っておいた方がいいだろう。とは言え事は急を要する。このままふたりきりの生活を続けさせてはフロイドの身が危険だし、とにかくまずはジェイドがしっかりと睡眠を取れる環境を整えて精神を安定させてやる事が先決だ。
     そして今日改めて分かった事だけど、どうやらジェイドは僕と一緒ならぐっすりと眠れるらしい。そもそも悪夢の原因が(前世の)僕なのだから、僕自身がそばにいれば安心して眠れると言うのは実に理にかなっている。となればこれはもう僕が一緒に寝てやれば解決するわけだけど、問題はジェイド自身が僕と距離を置きたがっているのにどう説得するかということだ。
     さてどうしたものかと考えて、でも深く考えるまでもなく結論はすぐに出た。うん、この手しかない。ジェイドにはショックかもしれないが、僕が助けたいのはジェイドだけではないのだ。
     僕はジェイドとフロイド、ふたりを助けたい。



     結局その日、交代でシャワーを浴びに行ったフロイドが戻っても、ソファに放ったままフロイドとふたりで夕食をとっても、泥のように眠ったジェイドは一度も目を覚まさなかった。
     それからそのでかい図体をフロイドとふたりがかりでベッドへ運び、雑に放り投げても起きないジェイドを見下ろしながら「今までなんだったんだよ」とフロイドは半ギレしながら笑った。そして「アズールはジェイドと寝てね」と僕はそのままベッドに押し込まれ、フロイドはあっという間に出ていってしまって寝室にふたりきりになる。
     お互いに好意を持っているとは言え、本人の了承も得ず同衾するのはいかがなものかとすこし葛藤しつつ、ジェイドのやつれた横顔を見ればずきりと胸が痛んだ。今は穏やかな寝息を立てているけれど、こけた頬と目元に残る濃い隈を見れば、これまでジェイドがどれだけつらい日々を送っていたのかどうしても想像してしまう。
     きっと心も体も限界だったんだろう。
     錯乱して幻覚を見るほどに疲弊して、憔悴し切ったジェイドがフロイドを傷付ける前に間に合って本当に良かった。もしもそんな事になっていたら取り返しがつかなかったかもしれない。
     あれこれ考えず今日ここに出向いて良かったと心から思う。僕は自分の行動力に感謝して、少し体を起こすとすやすやと眠るジェイドを上から覗き込んだ。
     元々細身ですっきりとした体型ではあるけれど、すっかりとやつれてしまったその顔に涙が滲みそうになるのをぐっと堪える。
     とにかく今はぐっすりと眠ってくれて良かった。大丈夫、今日を乗り越えられたんだから明日はきっともっと上手くいく。僕がそうして見せる。
     ジェイドとフロイドを、もう絶対ふたりぼっちにしたりしない。

    「ジェイド、僕がいますからね」

     額にかかる碧い髪を梳いてやりながら、大粒の涙をこぼして赤くなった目元に口付ける。
     せっかくの男前の目が明日腫れなければいいけど。そう考えてふと気付く。
     なんだ、フロイドの言う通り僕はけっこうジェイドの顔が好きなんだなと思いながら、落ちてくる眠気に抗えず僕はゆっくりと瞼を落とした。



     翌朝目が覚めると、すぐ隣にある顔が穏やかに目を細めて僕を見つめていた。
     目を覚ました僕に気付くとジェイドはうれしそうに僕の頬に手を伸ばし、「おはようございますアズール」と微笑んで顔を寄せる。

     あぁそうか、かつての僕らはこんな風に穏やかにしあわせな朝を迎えていたのかと、涙が滲みそうになるのを堪えて僕はスッと体を引いた。
     おそらく記憶が混濁しているのであろうジェイドが、今の僕にキスをしたと気付いたら羞恥で発狂しかねない。僕としてはこのままキスしてしまいたかったけど、それはジェイドがきちんと「僕」を受け入れてくれてからにしなくては。
    「おはようございますジェイド」
     僕はベッドの上で体を起こし、スッと背筋を伸ばしてジェイドを見下ろした。
     きっといつもしていたのであろうキスをかわされて、不思議そうな顔をしながらもジェイドが同じように体を起こす。 
    「おはようございます……」
    「突然ですけどジェイド、昨日のことは覚えていますか?」
    「昨日……?」
     やはり記憶が曖昧らしいジェイドはすぐには状況が掴めないらしく、きょとんとして向き合った僕を見つめる。
    「ジェイド、部屋を見て下さい。ここがどこかわかりますか?」
    「部屋ですか?」
     何を言っているのだという顔をしながらも、ジェイドは大人しく僕に従って部屋の中を見回す。そしてそこにある家具やインテリアを順々に見ていけば、そこがかつて「僕ら」が過ごしていた部屋でないことにすぐ気付いたらしい。それから、ここがどこであるかも。
     今の自分が誰で、ここがどこかをはっきりと認識した様子のジェイドがサッと青くなる。
    「あ……、アズール……」
    「はい、アズールですよ」
    「なぜあなたがここに……」
    「思い出せませんか?」
     ジェイドの記憶の整理がつくのを待ちながら、僕はじっと黙ってジェイドを見つめていた。
     とりあえずパニックを起こさなくてよかった。それはよかったけどジェイドが今大混乱しているのは間違いない。必死に記憶をたぐり寄せて目を泳がせ、断片的な記憶を拾いながら青くなったり唸ったりしていたジェイドが、ふと視線を上げて僕を見るとその顔が今度は真っ赤に染まる。
    「も……っ、申し訳ありません! 寝ぼけていたようで……、先ほどのことは忘れて下さい……! 昨日のことはあまり思い出せなくて、僕は一体なにを……、なぜあなたがここに…と言うかそれ僕の服ですよね……!?」
    「え? あぁフロイドが用意してくれたんですが勝手に借りてましたすみません。ちゃんと洗って返しますよ」
    「そうではなく……!」
     ジェイドは何故か両手で顔を覆ってしまったけど、相変わらず耳まで真っ赤になっているのは全く隠せていない。でもまぁとりあえず昨日のことは思い出せないなら今はその方がいいかもしれない。その話は後でゆっくりするとして、僕は赤い顔を必死に隠そうとするジェイドの大きな手を無理やり剥がしてその顔を見上げた。
    「アズ……」
    「よかった。昨日よりずっと顔色がいい」
    「え……」
    「ゆっくり眠れましたか?」
     僕の言葉ではじめてジェイドは自分が熟睡していた事に気付いたようだった。自分が座っているベッドを信じられない様子で見つめて、それからおずおずと顔を上げて僕を見る。
    「……はい、こんなにぐっすり眠ったのはずいぶん久しぶりです」
    「ふふ、それは良かった。では次は腹ごしらえですね。昨日は何も食べずに寝たからお腹が空いたでしょう? 眠るのだって体力がいるんです、しっかり食べて体力を回復させないと」
     そう言いながら僕がベッドを降りてジェイドの手を引けば、ジェイドはまだ混乱しきりの顔で大人しく着いてくる。リビングに入ってもフロイドはおらず、きっと疲れているんだろうとまだ寝かせてやる事にした。
    「キッチンを使ってかまわなければ朝食は僕が用意しますよ。昨日フロイドの夕食作りを手伝ったので勝手は大体わかりましたから」
    「はぁ、どうぞ……」
    「ありがとうございます。あぁそうだ、紅茶はあなたが淹れてくれますか」
     自分の家で勝手にテキパキと動き回る僕に面を食らっていた様子のジェイドは、その言葉にぱちりと目を瞬いた。
    「得意なんでしょう? 僕もジェイドの淹れた紅茶を飲んでみたいんです」
     一瞬、ジェイドが息を詰めたのがわかった。
     過去の僕が、ジェイドの淹れた紅茶を飲んだ事があったのか僕は知らない。
     ジェイドが誰のためにそれを覚え、誰のためにそれを注いできたのかそんな事を僕は知らなくていい。
     過去のことなんてなにひとつ知らない僕が見ているのは目の前のジェイドしかいない。だからジェイドにも、それが伝わってくれればいいと思った。僕が見ているのは今のジェイドで、だからお前も過去の僕に囚われる必要なんてない。今の僕だけを見てほしい。ジェイドが紅茶を淹れるのは、目の前にいる僕の為であって欲しい。

    「かしこまりました」と、小さく答えたジェイドに僕はほっと安堵する。
    「それはできません」と言われなくてよかった。少なくとも今この瞬間のジェイドは、僕の為だけに紅茶を淹れてくれるのだ。

     結局キッチンにふたりならんで朝食の用意をしながら、無言で手を動かすジェイドの表情が時折歪む。そうして何度か口を開きかけては閉じて、すっかりと準備の整ったテーブルで向き合って朝食をとりながら、僕はジェイドの淹れてくれた紅茶をひとくち飲んだ。
     カップを上げた瞬間すこし不安げな表情を浮かべたジェイドをかわいいなと思いながら、はじめて口にふくんだジェイドの紅茶はとても美味しかった。
    「おいしい……」
    「本当ですか? 苦くありませんか? お好みでなければ正直におっしゃっていただいても」
    「本当においしいですよ。フロイドが勧めるだけのことはある」
     不安気だったジェイドの表情がふっと和らいで、でもそのまま自分のカップに視線を落としたジェイドが申し訳なさそうに眉を下げる。
    「すみません、昨日のことを少し思い出しました」
     やっぱりそうだったのかと思いながら、僕は黙ってジェイドの言葉の続きを待った。さっきキッチンで並んでいた時、何か言いたげだったのは昨日のことを思い出していたからなんだろう。
     食器棚から無くなったお気に入りの皿に、握りしめた包丁の感覚。僕がなぜここにいるかも、なんとなくわかってきたんだろう。
    「……ご迷惑をおかけしました」
    「僕は自分から首を突っ込んだだけですから。むしろ昨日来て本当に良かった」
    「良かっただなんて……! やはりあなたはもう僕に関わってはダメです。僕のことはもう」
    「忘れろと?」
     先手を打たれてジェイドが一瞬口ごもる。
     でもジェイドだって、ここで素直に引く程度の覚悟なわけじゃない。ジェイドは毅然として口調を強め、更に僕を突き放そうとする。
    「そうです。僕に関わってもあなたには何の得もない。無駄なことはお嫌いでしょう、何の利益もないことにあなたが時間を割くことはありません」
    「僕は損得勘定でしか動かないと?」
    「実際そうでしょうあなたは、」
    「誰の話をしているんです。 僕の何を知っていてそんなことを?」

     ムキになっているわけではなかった。
     僕のことをよく知りもしないくせに勝手な事を言うなと腹を立てているわけじゃない。
     ただジェイドが、僕ではない僕のことを言っているような気がして悲しかった。
     お前が見ているのは本当に今の僕なのか。
     ただ過去の恋人を僕に重ねているだけなんじゃないか。
     なにも覚えていない僕には比べようもないけれど、僕は僕と話をして欲しい。

    「……すみません、やはり僕たちは」
    「分かり合えないと決めつけるのは早すぎませんか。結論を出すのは十分にやり尽くした後でもいいでしょう。『僕』は、それを無駄だとは思いません」
     過去の僕とは違うから好きになれないと言うなら仕方ない。ジェイドがそう思うなら今度こそそこまでだ。でも今はまだ、そうじゃないと信じたい。
     僕に名前を呼ばれただけでうれしくて真っ赤になってしまうジェイドが、僕自身を好きじゃないなんてことがあるだろうか。
     僕が知らない過去の僕をジェイドは知っているからこそ、前世と今の僕が違うことをジェイドはわかっているはずだ。それでも尚、ジェイドが今の僕を好きになってくれたなら。

    「おはよぉ〜、朝からケンカぁ?」
     無言のままのジェイドと睨み合いを続けていると、リビングのドアが開いて寝起きのフロイドがのそのそと入ってくる。
    「おはようございますフロイド、ケンカなんてしていませんよ。ねぇジェイド」
    「……はい。ケンカではありません」
    「そ? なら良いけど。あ、ごはんオレの分もある? 腹減ったぁ〜」
    「もちろんありますよ。あ、フロイドこの間の件ですけど、僕決めました」
    「この間?」
    「えぇ、ルームシェアの件です」
     寝起きのフロイドの顔がパッと明るくなって、その横でジェイドがぎょっと目を開く。
    「僕ここに引っ越して来ますね。そう言うわけでジェイド、今日からルームメイトとしてよろしくお願いします」
    「ルームシェアって……、フロイド! 僕はそんな話ひとことも!」
    「言ってなかったっけ? でもオレが誘ったんだからいいよね。はい2対1で決定〜! ようこそアズール!」
    「家賃については正式に契約を結びましょう。今の僕の家賃と同等ということで間違いありませんね?」
    「おっけーおっけー! アズールの家賃しらねぇけどそれでいいよぉ」
    「フロイド! 両親に相談もなしにそんな勝手は許されませんよ」
    「えぇ〜、ママは反対しないと思うけど。なんなら今から電話してみる?」
    「そうですね、住まわせてもらうからには僕からもぜひご両親にご挨拶を」
    「ふたりとも……! そんな大事なことを勝手に決めないでください僕は反対です!」
    「えーじゃあジェイドが出てく? それこそママがゆるさねぇと思うよ。オレと一緒に住むのが家出る条件だったじゃん。誓約書も書かされたし」
     なるほどそんな条件があったのか。
     こいつらは好き勝手やっているように見えて意外と親には頭が上がらないらしいから、それは好都合と僕は更に畳み掛ける。
    「ジェイド、昨日のことははっきり思い出しましたか? その手の傷について」
     急に話を振られて一瞬呆然としたジェイドが、ゆっくりとその右手に視線を落とす。さっき一緒にキッチンに立った時だって利き手の包帯は嫌でも目に入ったはずだ。決して浅くはないその傷は今も痛むだろうし、いくら錯乱していたとは言えその記憶を完全に忘れさせてはくれないだろう。
    「お前、下手をすればフロイドを殺してしまうところだったんですよ」
     僕のその言葉に、ショックを受けたのはジェイドだけではなかった。絶句したジェイドよりも先に声を上げたのはむしろフロイドの方だ。
    「何言ってんのアズール! ジェイドはオレを傷つけたことなんてねぇよ!」
    「昨日までは、ですよね」
     今度はフロイドが絶句する。
     フロイドの言う通り、これまでジェイドがフロイドを傷つけたことはないのかもしれない。昨日だってジェイドは幻覚の犯人からフロイドを守ろうとしていたし、ジェイドが刃物を向けたのはフロイドではなく僕にだ。
     だけど、それはまだジェイドがフロイドを判別できていたからにすぎない。今よりもっと錯乱状態が増えて幻覚が悪化すれば、フロイドを犯人だと思い込むようになるかもしれない。そしてその時ジェイドは、間違いなくフロイドに刃を向けるだろう。
    「フロイドも本当はわかっていますよね。今までお前が怪我をしなかったのはたまたま運が良かっただけです。この先もフロイドがひとりでジェイドの世話をし続けると言うなら、いつそうなってもおかしくない」
     何も言わなくなったフロイドから、僕はジェイドに視線を戻す。自覚していなかった分フロイドよりももっとショックを受けているジェイドに事実を突きつけるのは酷だけど、今僕を受け入れてもらうにはこうするしかなかった。
    「ジェイド、お前はフロイドをそういう危険に晒しているんです。僕がここに住むことにお前が納得しているかどうかは関係ありません。ジェイドとフロイドをふたりとも守るために、お前達には僕が必要なんです」
     ジェイドもフロイドももう何も言わなかった。
     こんな言い方をするのはフロイドの本意ではなかっただろうけど、ふたりだけで暮らし続けるのがジェイドとフロイド両方にとっていいことではないのは明らかだ。
    「ジェイド、お前何日大学を休んでいるかわかってますか?」
    「え……?」
    「お前は体調が悪かったのだからやむを得ませんけど、それに付き合ってフロイドがどれくらい休んでいたかは知っていますか?」
    「アズール、それは別に関係ねぇじゃん。オレが勝手にやってんだから」
    「聞いたでしょうジェイド、お前が眠れずに体調を崩していることで、フロイドはお前中心の生活をせざるを得なくなっているんです。それをきちんと理解していますか?」
    「アズール!」
    「フロイドはすこし黙っていて下さい。今僕はジェイドに聞いてるんだ」
     苛立って声を荒げ始めたフロイドには見向きもせず、僕はジェイドを睨み続ける。ジェイドにとってもフロイドにとっても、酷なことを言っている自覚はある。でもふたりを救い出すためには、まずふたりが自覚してくれないと何も始まらない。
    「ジェイド、お前が僕を遠ざけたいと思っているのは知っています。ですがそのワガママのせいでフロイドを振り回している自覚はあるんですか? フロイドの自由をお前が奪っている自覚は」
    「アズール!! オレはそんな風に思ってない! ジェイドのそばにいるのはオレがそうしたいからしてるだけなんだってば! こんな話聞かなくていいよジェイド、やっぱりやめよ、アズールとは住まない。出てってアズール」
     棒のように立ち尽くしたジェイドを僕から隠すように庇って、フロイドに凄まれても僕はジェイドから目を逸さなかった。
    「出てけよ!!」
     胸ぐらを掴まれて投げ飛ばされそうになったって、その場に踏ん張って動かない。
     僕はフロイドの向こうのジェイドだけを見て、ジェイドに問いかけ続けた。
    「ジェイド、お前が眠っているのを見て、フロイドがどれだけ安心していたかわかりますか」 
     僕はフロイドのあんな顔をはじめて見た。
     それが本当に双子のきょうだいに向けるような顔なのかと疑いたくなるような穏やかな表情で、心から安堵したようなその顔をジェイドは知らない。
    「お前が苦しむ姿に、フロイドがどれだけ苦しんでいるかわかりますか」
     自分だけがジェイドの理解者なのだと、誰にも頼らずひとりで全てを抱え込んでしまうフロイドの苦しみを、もっと深い苦しみの中にいるジェイドは気付けない。
    「こんなにも強いお前の片割れが、ボロボロ泣きながら僕にたすけてと言うのをお前は想像できますか」
     もう十分に苦しんでいるきょうだいに、現実を突きつけるのは残酷だ。僕は精神科医でもカウンセラーでもなくて、こんなやり方が正しいのかなんてわからない。
     でも正しくても正しくなくても、僕にできることはこれしかないから。

    「今日目が覚めてわかったでしょうジェイド。お前は僕が一緒なら眠れる」

     ジェイドは、僕ではなくフロイドを見ていた。
     幼い頃からずっと苦しみ続けてきたジェイドは、フロイドも自分と同じように闘い続けていることを知らなかった。
     ずっと一番近くにいたのに、近くて近すぎて、いつも平気な顔でそばにいてくれるフロイドに苦しみまで分け与えていることに気づけなかった。

    「ジェイド、今お前がすべきことは自分を責めて後悔することではありません。今お前にとって一番大切なのは、きちんと眠って体調を回復させることです。そしてフロイドを安心させること。わかりますね」
     ジェイドは何も言わないまま小さく頷いた。
     ふたりがお互いを何よりも大切に思ってくれていて良かった。ジェイドのフロイドを思う気持ちが、僕を受け入れるきっかけとなってくれた。
    「フロイドもいいですね、ジェイドがきちんと眠るためには僕がいる」
    「……うん、さっきはごめん。よろしくねアズール」
    「任せなさい。お前達には僕がいます」


    「では僕は一旦家に戻って諸々の準備をしてきますので」
    「りょうか〜い」
    「あの、本当に今日からここに住まれるんですか? そんなに急がなくてもよろしいのでは……」
    「僕がいないと眠れないくせに何を言っているんです。また錯乱してフロイドに危害を加えるような事になってもいいんですか?」
    「それは……っ、でも今日はずいぶん眠ったので、数日くらい眠らなくても全然」
    「そんな訳ないでしょうバカかお前は」
    「往生際悪いよジェイド。もう諦めなって」
    「そうですよジェイド、腹を括りなさい。今日から一緒に寝ますからね」
     改めてそう宣言するとジェイドはヒッと息を呑んで、それからフロイドを見ると諦めたようにおとなしくなった。どうやら、自分がフロイドの身を危険に晒していたという事実がジェイドにはずいぶんこたえたらしい。
     よし、まずは一歩前進。
     さっきジェイドにも言った通り、今一番大切なのはジェイドがきちんと眠れるようになることだ。そしてその後のことは、正直その時になってみないとわからない。僕と一緒にいることでうまく眠れるように習慣づけて、いずれはひとりでもきちんと眠れるようになれればいいけど、さすがにそう簡単にはいかないだろう。  
     玄関まで見送りに来たジェイドのどことなく不安げな顔を見上げ、僕はこれからのことを想像してみる。
     僕が隣にいてもジェイドは悪夢を見るんだろうか。
     もしそうなった時、僕は上手にジェイドを救い上げてやれるだろうか。
     僕が抱きしめてやったら、ジェイドは安心して眠れるだろうか。
     僕が隣にいても眠れなくなってしまったら、その時僕に何がしてやれるんだろうか。
     僕だって不安がないわけじゃない。
     僕に任せなさいと豪語してみたはいいけど、別に何かいい策があるわけでもない。
     でも僕はただ、ふたりのそばにいてやりたかった。

    「できるだけ早く戻ります」
     そう言って不安そうなジェイドの手を軽く握ってやると、驚いたジェイドが咄嗟に手を引こうとしたから、僕はその手を逃がさないようにもっと強く握る。
    「待っててくださいねジェイド」
     そんななんでもない言葉に、ジェイドは何も言えなくなってぎゅっと唇を結んだ。

     僕の知らないいつかの日、二度と帰らなくなったジェイドの恋人。
     ある日突然奪われてしまうしあわせがあることを、知っているジェイドに「待つ」というのはとても恐ろしいことなのかもしれない。待てども待てども帰らない人を、ジェイドはきっと容易に想像できてしまうから。
     でもそんな想像の恐怖に怯えて、今ここにあるしあわせを見過ごすのは悲しいことだ。

    「必ず帰りますから、いい子にしてるんですよ」

     僕がよしよしと自分よりも高いところにある頭をなでてやれば、ジェイドはちょっとだけ照れくさそうに「子供じゃないんですから」と言って唇を曲げた。そしてそんなジェイドのこどもっぽい表情が、僕はなんだか無性にうれしくなって髪をぐしゃぐしゃに撫でてやる。  
     僕はまたこの顔を見にここに戻って来なければ。
     そしてそして毎日まいにち必ず帰ってくる僕に、いつかジェイド心から安心してくれるようになればいい。

    「ではいってきます」
    「……いってらっしゃい」

     まだ戸惑いながら、それでも小さく送り出してくれたジェイドに僕は微笑んだ。フロイドもなんだか満足そうににこにこしているし、あとはジェイドが一緒に笑ってくれるように、僕にはしなければならないことが山とある。


     
     帰宅してまずはアパートを引き払う準備を整え、とりあえず必要な物を整理してすぐに引越しの手配をした。まぁ引越しはなんとかなるとして、それよりも重要なのは間近に迫った僕の店のオープンについてだ。ジェイドとフロイドをどうにかしてやるのが最優先だけど、だからと言って店の準備を疎かにすることはできない。
     それならつまり、ふたりの件と店の仕事を並行してできればいいわけだ。
     当面の準備を整えると僕はすぐにふたりの待つ家へ戻り、そしてこれからの話をした。

    「フロイドにもまだ言ってなかったんですが、実は僕この夏から休学する予定なんです」

     学年の終わりに合わせ、今年のサマーホリデーは開店準備に全力を注ぐつもりでずっと前から計画を立てていた。在学中の起業はかねてからの僕の目標でもあったし、大学に通いながら経営するつもりではいたけれど、僕の記念すべき一店舗目の出店にはどうしても納得のいく形でやり切りたいという思いが強かった。店舗の規模も小さいし、できることなら経営だけでもなく営業にも可能な限り関わって現場も知りたい。
     それならば中途半端なことをするよりも、今年一年はとにかく仕事に専念したいと決断したことだったけど、こうなったからには都合が良い。
     ジェイドとフロイドは突然の報告に目を丸めて言葉を失っていたけど、僕はそんなふたりを無視してさらに言葉を続けた。
    「そこで提案なんですが、お前たちも僕の店で一緒に働きませんか? 別にお前たちも休学しろとは言いません。空き時間にアルバイトをする程度でかまいませんので……」
     これからこいつらにとってのメリットを並べ立て、どうにかこちらに引き込もうと僕の話術を展開してやるところだったのに、僕の話が始まりもしない内にキラキラと目を輝かせたフロイドが「やる!」と身を乗り出した。
    「……フロイド、こちらから誘っておいてなんですが雇用条件も確認しない内に了承するのは感心しませんよ」
    「だってアズールが作る店なんて絶対おもしれーじゃん。なんでもいいよ、オレ手伝う!」
    「まぁお前がそう言ってくれるなら僕としては大変ありがたいですが……。フロイドの料理の腕前は大したものですからね、キッチン担当の傍らメニュー開発に携わってくれたら僕も心強い」
    「うんうんたのしそ! バズりそうなメニュー考えればいいんでしょ? しかも美味いやつ」
    「もちろん! 見た目での集客力が大切なのは確かですがその為に味を落とすのは僕のポリシーに反しますからね」
    「まーオレが作ればなんでも美味いけどね」
    「ふふ、期待してますよフロイド」
     もうすっかりと乗り気で機嫌を良くしたフロイドから、僕はその横でじっと黙り込んでいるジェイドに視線を移す。
     ジェイドはすこし俯きながら何か考え込んでいるように固く唇を結び、はしゃぐフロイドとは対照的に暗い顔をしていた。
    「ジェイド、僕の店で働くのは嫌ですか?」
     僕が声をかけるとジェイドはやっと顔を上げ、そして僕を見るとまたすぐに視線を下げた。
    「嫌というわけでは……」
    「では気が進まない?」
    「……そうですね、僕は人前に出るのも苦手ですし、あまり気乗りはしません」
     あれだけ女性たちに愛想よくしておいて人前に出るのが苦手とは納得し難いが、思い詰めたその表情を見れば気乗りしないのはきっと本心なんだろう。
     それがなぜかと考えれば、今の僕には容易に想像がつく。
     ジェイドはこれ以上僕と関わりたくないのだ。
     フロイドを守るために僕と一緒に住むことは了承しても、まだ僕自身に心を開いてくれたわけじゃない。
     できることなら僕と深く関わりたくはない。
     これ以上深入りして過去のような関係になることをジェイドは恐れている。
     昔のように愛し合って、また失うことを。

     でもたとえ今は恋人同士でなくとも、出会ってしまった以上もう出会う前には戻れない。
     恋人だろうがただの知人だろうが、僕がいなくなればジェイドはきっとまた苦しむだろう。だったら少しでも一緒にいられる時間を大切にした方がいいじゃないか。また出会って恋に落ちてしまった時点で、僕らはもうとっくに手遅れなんだから。

    「ジェイド、今朝淹れてくれた紅茶、本当においしかったですよ」
     俯いていたジェイドがふっと顔を上げ、その顔がちょっとだけうれしそうに緩む。
    「お前の腕前をフロイドと僕だけで独占しているのはもったいない。ぜひ僕の店で披露してくれたら評判になると思うんですがいかがですか?」
    「あはっ、良かったねぇジェイド。せっかくこだわって淹れてもオレしか飲んでくれなくてつまらないっていつも言ってたじゃん」
    「おやそうだったんですか。それなら僕の店は打ってつけだ。昼間はカフェで夜はバーをやるつもりなんです。フロイドのカクテルの腕前も存分に披露できますよ」
    「まじ? たのしそー! オリジナルカクテル作っていい?」
    「もちろん! フロイドがその日の気分で作る気まぐれカクテルも人気が出るかもしれせんね」
    「もう全部それでよくね?」
    「いいわけあるか! ちゃんとメニュー通りのものも作ってくれなくては困りますよ。気まぐれメニューはあくまでオマケです」
    「ふーん……、ま、いいけど! ね、楽しそうじゃね? ジェイドも一緒にやろうよ」
    「僕は仕入れには一切妥協しませんからお前のこだわりの茶葉を色々と試してみることもできますよ。キッチンを見ましたけどお前もあれこれと集めるのが好きなんでしょう? 自分の淹れた選りすぐりの紅茶でお客様がどんな反応をするか見てみたくありませんかジェイド」
     ジェイドはもう下を向いてはいなくて、今すぐにでもその反応を見たいと期待に胸を膨らませてうずうずしているのが手に取るようにわかった。
     なんだこいつ本当に単純な奴だなと、思わず吹き出しそうになるのを堪えて僕はジェイドのにやけた顔に手を伸ばす。
    「でも朝は僕だけのために淹れてくださいね」
     すり、と頬を撫でてやると一瞬でジェイドが顔を真っ赤にするから、僕は今度こそ堪えきれなくなって吹き出してしまった。
    「ねぇオレもいるんだけど? リビングでイチャつくなっつーの」
    「ふふふすみません、ジェイドがあんまり単純でかわいらしいもので」
     僕がまだくっくと笑いながらそう言えばジェイドはもっと赤くなって慌てふためくし、フロイドはなんだか信じられない言葉を聞いたような顔で目を丸めているし、僕はそれがなんだかツボに入って延々笑いが止まらなくなってしまった。
     そのうちにフロイドがつられて笑い出して、結局はジェイドまで笑い始めてもう何が可笑しかったのかもわからなくなりながら三人で散々笑った。
     昨日ここであったことを考えれば、今同じ部屋で笑い転げているなんて普通ならあり得ないことだと思う。ジェイドはたった一晩眠れただけだし手に刻まれた傷は生々しいし、まだなにひとつ「良くなった」と言えることなんてないのに、三人でいるだけでなぜだか大丈夫だと思えてしまう。あれこれと不安なことはたくさんあるはずなのに、でもなぜか僕らならできると思うんだ。
     それはなんの根拠もなくとても不確かな予感でしかないけれど、きっと僕らは大丈夫。
     三人一緒なら、空だって飛べそうな気がした。




     とは言え現実はそう甘くない。
     最初の試練は、その夜早々に立ちはだかった。

    「ジェイド、早くベッドに入りなさい」
    「はい、もう少ししたら」

     かれこれ一時間は似たような問答を繰り返している。
     フロイドにおやすみを言ってそれぞれの寝室に入ったはいいが、僕が先にベッドに横になるとジェイドはドアのところから一向に近付こうとしなかった。
    「ジェイド、いい加減に寝ますよ」
    「はいアズール」
     こいつ返事だけはいいが、その足は床に縫い付けられたようにぴくりとも動かない。
    「眠くないなら横になるだけでもいいですから」
    「後でちゃんと行きますので、先に寝ててください」
    「いえ、お前を寝かしつけるのが僕の役目なので」
    「寝かしつけるだなんて……、僕は子供じゃありません」
    「いつまでも寝たくないとダダをこねるのは子供でしょう。大人なら自己管理はきちんとしてください。さぁ早く来なさい」
     そう言ってタオルケットを浮かしてやると、ジェイドはものすごく渋々、至って不満であるという様子で仕方なく足をすすめようやくベッドの端にでかい体を押し込んだ。
     ジェイドとフロイドがふたりで寝ていると聞いた時は、こんなでかい兄弟が同じベッドにおさまっているなんてどれだけ窮屈なんだろうと想像していたけれど、金持ちのお坊ちゃんが使っているベッドは当然ながら一般学生が使うシングルベッドなどではなかった。成人男性がふたり横になってもまだ十分余裕のあるクイーンサイズである。
    「ジェイド、どうしてそんなに端にいるんです。落ちますよ」
    「寝相はいいので」
    「一緒に寝てた女性たちに言われたんですか?」
     すこし意地悪かなと思いつつ、そう言ってやると背を向けたままジェイドが気まずそうに黙り込む。
    「別に他意はありませんよ。寝相なんて自分じゃ分からないのにと思っただけです」
    「……すみません」
    「なぜ謝るんです?」
     それにジェイドは答えなくて、僕はあれこれとその答えを想像してみる。
     複数の女性と寝ていたことを僕が責めていると思ったんだろうか? それとも僕のことを好きだといいながら他の女性と寝ていたことが後ろめたいとか、僕と付き合ってるわけでもないのに浮気していたような気分になっているとか?
    「……いろんな女性と寝ていたことなら僕は別に気にしていませんよ? お前には必要だったことですし」
     うん、それは本当に僕がどうこう言うような問題ではない。以前は無節操な女たらしだとばかり思ってたけど現実は全然違ったわけだし、今更僕がそれを責めるのは筋違いだ。だから僕が気にしていないことを伝えればジェイドもすこしは安心してくれるかと思ったのに、無言で背を向けたままのジェイドを見る限りそれを気にしていたのではないらしい。というかむしろもっと距離を取るようにベッドの端っこでジェイドがぎゅっと縮こまる。
    「ジェイド、どうしてそんなに離れているんです。もっとこっちへ来なさい」
    「いえ大丈夫です」
    「お前が大丈夫でも僕が気になるんですよ。他の女性と寝る時もこんな風だったんですか?」
     それにはまた答えなくて、僕はそれを無言の否定と受け取った。
    「へぇ……、女性とはくっついて寝てたんですね」
     過去を責めるつもりない。
     全くないけど、他の女は良くて僕がダメなのは納得がいかない。
    「そんなに僕と寝るのが嫌なんですね」
     僕のことが嫌だからくっつかないんじゃないのは分かってる。わかっていつつ、そんな言い方をしてしまう自分を大人げないとは思う。思うけど、それはそれでムカつくじゃないか。
    「他の方とはしていたことを僕とはできないのかと思うとさすがに傷つきます」
     そう言った瞬間、背を向けていたジェイドがバッと僕の方に振り向いた。
    「ちがいます……! 嫌なわけではありません! あなたを傷つけるつもりなんて……」
     その絶望した顔を見た瞬間、僕は自分がジェイドを傷つけてしまったことに気付いた。僕を傷つけることを最も恐れているジェイドに、心無いことを。
    「すみませんジェイド、ただのヤキモチです」
    「え……」
    「ヤキモチ。嫉妬しただけです」
    「嫉妬……?」
    「そう。意地悪言ってすみません。ただ僕とはしないことを他の女としてたことにムカついただけです」
     ジェイドはまだ混乱したままの表情で、可哀想なことをしてしまったなと反省しながらにっこりと笑ってやる。
    「お前の気持ちを知っていながらそんなことで傷ついたりしませんよ。お前は僕のことが一番好きでしょう?」

     僕は知ってる。
     僕に名前を呼ばれただけで嬉しくなって、真っ赤になってしまうかわいい奴のことを。
     興味のない相手にならいくらでもニコニコと愛想よくできるくせに、本当に好きな僕の前ではわざと不機嫌そうに目を逸らしてしまう不器用な奴のことを。
     僕はそんなジェイドのことが、どうしようもなく愛しくなってしまうことを。

    「違いました?」
    「……いえ、僕が好きなのはずっとあなただけです」

     その「ずっと」がどんな意味なのか、今はまだ確かめないでおきたい。
     やっと顔を見せてくれたジェイドがまた背を向けてしまわない内に、僕はじっとジェイドを見つめて話し出す。

    「前は、くっついてないと眠れなかったんですか? 別に怒りませんから正直に話してください」
    「……はい。そうですね、人肌を感じていると安心して眠れたんです。途中で目が覚めてしまっても誰かがいればひとりじゃないんだと思えて」
    「ひとりの時は?」
    「そもそも眠くなることすらありません。眠ればまた夢を見てしまうと思うと怖くて」
    「なるほど。では今は?」
    「今?」
    「体に触れてはいませんけど、同じベッドにいるだけで眠れそうですか? 眠気はあります?」
    「正直眠気はあまり……」
     時計を見ればそろそろ午前1時というところだけど、睡眠のリズムなどとっくに失ってしまったジェイドにとってはそれが早いか遅いのかもわからない。
    「女性と寝る時はどうしてたんです?」
    「お相手に合わせて一緒にベッドに入っていました。すぐには眠れない時もありましたけど黙っていればその内に自然と眠れることが多かったです」
    「そうですか……。じゃあやっぱりくっついてみましょうか」
    「は!?」
    「そんなに驚くことないでしょう。昨日だって僕に抱きついてすやすや寝てましたし。泣き疲れて眠るなんて赤ん坊みたいでしたよ」
    「赤ん坊……!? 忘れてください……! そんなの僕じゃありません!」
    「そうですか? あれはあれで可愛かったですけど」
    「そんな風に言われてもうれしくありません……。僕はあなたにかわいいと思われたいわけでは」
    「かっこいいと思われたい?」
     ジェイドが油断しているのをいいことにずいっと近づいて顔を覗き込めば、図星だったのかジェイドは何も言えなくなって固まってしまう。
    「あははそうなんですね。ではかっこいいところを見せてもらわないと」
    「……言われて見せられるものでもないでしょう。あなたが何をかっこいいと思ってくださるか分かりませんし」
    「ふふ、では僕にかっこいいと思われるように頑張ってくださいね」
    「はいがんばりま……」と言いかけて、ジェイドはハッと我に返った様子で言葉を止めた。
    「いえ、別にそう思っていただかなくてもけっこうです。僕は別にあなたとどうにかなりたいとは思っていませんので」
    「完全に流されてたくせに強情な奴だな」
    「なんと言われても構いません」
    「頑固者」
    「そうですよ。僕は融通が効かないんです」
    「ふぅん。ま、いいですよ。ではそろそろ寝ましょうか。おやすみなさいジェイド」
     まだ眠くないらしいジェイドがこのまま眠れるかはわからないけど、とりあえず初日の今日は様子を見てみるしかない。ただ一緒にいるだけで眠れるならいいし、もし一緒にいても悪夢を見るようならまた色々と考えなくては。
     それにしても昨日今日と目まぐるし過ぎて本当に疲れた。すっかりと疲れ切っていた僕はすぐに睡魔が襲ってきて、すぐにでも落ちてしまいそうなほどの眠気に瞼を落とす。そして意識が切れかけたところで、まだはっきりと覚醒しているらしいジェイドの声がした。
    「アズール、本当に一緒に寝るんですか?」
    「……そうですよ。なにを今更」
    「申し訳ないのですがあなたと同じベッドではとても落ち着いて眠れる気がしません」
     僕は完全に落ちていた瞼をなんとか押し上げ、まだ半分寝たままの頭でジェイドを見る。そうすれば、本当に落ちそうなほどスレスレの端まで離れたジェイドが目をギンギンにかっぴらいて僕を見ていた。
    「すこし落ち着きなさい。目を閉じていればその内眠くなりますよ」
    「あなたがすぐそばにいるのに落ち着けるはずがないじゃないですか」
    「はぁ……? 昨日は爆睡してましたけど」
    「昨日は僕の意識がなかったからでしょう! 僕はあなたが好きだと言いましたよね? こんな、僕のベッドであなたとふたりきりで一緒に寝るだなんて……、もし間違いが起こったらどうするんですか!」
     一瞬渾身の「は?」が出そうになったけど、なんだジェイドはそっちの理由で離れてたのか。実に年頃の男子らしい健全な悩みに、僕の眠気もすっかり吹き飛んでふっと笑ってしまう。
    「お前それで興奮して眠れないんですか」
    「それはそれでしょう……、すきな人が一緒に寝ているなんてそんな……」
     本当になんなんだこいつは。
     意識してない女性とは平気で寝るくせに、いつかの美女の話が本当か嘘かは知らないけどまさかこいつが童貞なんてことはないだろう。それなのに僕と同じベッドにいるだけでこんなに興奮しているなんて。
    「改めてですけど、僕もお前のことが好きだって言いましたよね? お互いにすき同士でなにか起こったとして、それは別に間違いではないのでは?」
     僕は至極真っ当なことを言ったつもりだった。学生とは言えもう成人しているわけだし、いい大人が酒の勢いでもなく合意の上で行為に至ったなら別に間違いでもなんでもないだろう。
     ましてや好きあっている相手なら尚更、僕は望むところだけど。それなのにジェイドとくれば、照明を落とした室内でもわかるくらい顔色を変えて全力で否定する。
    「いえいけません! 恋人でもいないのにそのような関係になるのはやはりよくないです」
    「はぁ……。では恋人になればいいのでは? 僕はその方がうれしいですけど」
    「えっ」
    「なぜ驚く。僕はジェイドがすきですよ。そしてお前も僕のことがすき。なにも問題ないじゃありませんか。とりあえずおやすみのキスでもしてみます?」
    「キス……!?」
    「今朝はしようとしたくせに」
    「それは寝ぼけていたからであって……」
    「では寝ぼけていない時にしましょうか。今とか」
     すっかり眠気も覚めてしまったし、僕はのそりと体を起こして無遠慮にジェイドに近づいた。そしてジェイドが落ちてしまわないように背中に手を回せば、触れた瞬間緊張で体が強張ったのがわかる。
    「そんなに怖がらなくてもとって食ったりしませんよ」
    「怖がっているわけでは……」
    「ではすこしおとなしくしていて下さいね」
     僕はジェイドの背を支えたまま、ゆっくりとその顔に唇を寄せる。
     ……とここで気付いたけど、僕にとってこれはファーストキスだ。ジェイドがあんまりウブな反応を見せるのでかわいくってつい調子に乗っていたけど、恋愛について僕はド素人なのだ。
     セックスの経験どころかキスの仕方だって知らないし、あとは唇を重ねるだけのところまできたはいいが、ここからどうしていいのか皆目見当もつかない。軽く合わせてすぐに離せばいいのか? それとももっと深い濃厚なやつ? はじめてなのに?? そんなことをグルグル考えていると僕までどんどん緊張してきて、心臓がありえないくらいにドキドキと煩く早鐘を打つ。
     中途半端な姿勢のまま止まっているから腕はプルプルと震えてきたし、顔が近すぎて鼻息がかかってるんじゃないかと急に心配になる。キスをするときは目を瞑るのが作法だった気もするけどジェイドは目をかっぴらいたままだし、僕は完全につむるタイミングを見失ってガン決まりの男ふたりがただ至近距離で見つめあっているだけの異常事態になってしまった。
     あぁもうこの状態に耐えられない。
     これはもう思い切ってやるしかないと、僕が残り数センチの距離を詰めようとしたとき、ジェイドがふいっと顔をそむけた。
    「……やっぱりだめです」
     ジェイドが気まずそうに、そしてすこし悲しそうに声を落とす。
    「とりあえず今はフロイドのためにあなたと一緒に寝ます。でもそれがすなわち、あなたと恋人になってもいいということではないんです」
     
     そう言われてしまっては、これ以上強く言うことはできなかった。
     フロイドをだしになんとか同居を承諾はさせたけど、ジェイドはまだ僕自身を受け入れる準備ができていない。どんなに好きでも一緒にいることが苦しいなら、やっぱりそれはお互いにとってのしあわせとは言えない。
    「わかりました。無理やり形だけの恋人に収まるというのは僕も本意ではありませんので」
    「ありがとうございますアズール」
     すこしだけ和らいだようなジェイドの表情に、僕もほっとして改めてその顔を見つめる。
     あぁでもやっぱり惜しいことをしたな。
     僕だってジェイドがきちんと受け入れてくれてからちゃんと恋人になりたいけど、それはそれとしてジェイドとキスがしたかった。
     このまま終わるのもなんだか悔しいから、僕はジェイドの隙をついてすっと顔を寄せその頬にキスをした。突然の不意打ちにジェイドは目を白黒させて、その驚いた表情に僕はちょっとだけ勝った気分になってふふんと笑う。
    「ジェイド、もしお前が僕になにかしたいと思ったら、別にしてもいいんですよ」
    「なにかとは……」
    「なんでもです。キスでも、それ以上のことでも」
     
    「待ってますから」

     ジェイドの心の準備さえできれば、僕はいつだってそうしたいと思った。
     今はまだ望まないだろうけど、僕にもっと深いところまで触れさせてほしい。触れて触れられて、そうしてジェイドのことをもっと知りたいし、僕のことを知ってほしい。
     僕の知らない過去の誰かじゃなく、ジェイドが僕だけを見てくれるようになったら。

    「はぁ……、先は長そうですね」
    「はい?」
    「ふふ、とりあえずくっついて寝てもいいですか?」
    「え……っ」
    「それも嫌です?」
    「嫌なわけでは……」
    「じゃあいいってことですよね。別に恋人でなくてもそのくらいはいいでしょう」
     僕は答えを待たず向き合ったジェイドの胸に顔を埋め、ぎゅっとしがみついて足を絡ませる。
    「ドキドキして眠れません……」
    「ふふっ」
    「笑い事ではないのですが」
    「もっとドキドキしてくれていいですよ。それで我慢できないくらい僕に触れたくなったら、その時はちゃんと教えて下さいね」
     今はまだ行きどころをなくして彷徨っているジェイドの手が、いつか僕をぎゅっと抱き返してくれますように。
     そう祈りながら、僕はふたたび落ちてきた眠気に今度こそ意識を手放した。


     翌朝目が覚めた時、さすがに抱きついたままではなかったけど、僕のすぐ隣にはジェイドがいた。昨晩眠りにつく前の、目をギンギンにかっぴらいたままのジェイドが。
    「……おはようございます」
    「おはようございますアズール」
    「もしかして眠れませんでした?」
    「はい、残念ながら」
     明らかに睡眠不足で顔色の悪いジェイドが申し訳なさそうに眉を下げる。若干予想はしてたけど、まさか本当にこうなるとは。
    「念の為確認しますけど、それは悪夢のせいで眠れなかったということではないんですよね?」
    「そうですね……、あなたがいると思うと緊張してしまって、すみません」
    「いえ謝ることでは……。僕こそすみません。どうやら初日から飛ばしすぎたようですね」
     やはり密着して眠るというのはジェイドにはまだ刺激が強すぎたらしい。一昨日の夜は完璧に熟睡していたから完全に油断していた。僕がそばにいれば安眠できるのかと期待していたけど、まさか別の問題があったとは。
    「……ではとりあえず、離れて眠ることから試してみましょうか。昨日みたいにくっついていると緊張してしまうなら、ベッドの端と端にいるくらいならどうです? それならもし夜中に目が覚めてしまっても見える範囲に僕がいますし」
    「僕としてはあなたが同じベッドにいるというだけで緊張するのですが……」
    「そこはもう慣れてもらうしかありません。お前が眠れなければ僕がここにいる意味がなくなってしまいますし、それではフロイドがいつまで経っても安心できないでしょう? 少しずつでいいですから、一緒に頑張ってみましょうジェイド」
    「はい……」
     いつまでも片割れの名前で押し通そうとするのは可哀想な気もするけれど、とりあえずジェイドが眠れるようになってくれなければそうも言ってられない。結局ジェイドはたった一日眠れただけでまた不眠に戻ってしまったし、なんとか少しずつでも眠れるように策を考えなければ。
     眠れないまま一晩中横になっているだけというのもきっとつらいはずだ。ただでさえ緊張感で張り詰めていたのだろうし、僕といることがかえってストレスになって安眠妨げてしまったのなら本末転倒もいいところだ。
    「ジェイド、今眠気はありますか? 体は疲れているでしょう」
    「そうですね……、確かに体は重いですが、眠れる感覚はあまり」
    「では僕はとりあえず起きるので、お前はそのまま目を閉じてみてください。僕はここにいますから」
    「見られているのも緊張します」
    「慣れなさい。お前の意識改革も重要ですよ」
    「はぁ……」
     全く納得はしていない様子のジェイドをとりあえずいなして、僕はひとりベッドを抜け出すとベッドサイドに置いた椅子に座った。まるで病人のお見舞いに来たようで妙な感じではあるけど、とりあえず僕の言う通り目を瞑ったジェイドを座ったまま見下ろす。
    「……とても視線を感じます」
    「見てますからね」
    「気になって眠気どころではないのですが……」
    「もっと図太くなりなさい。慣れればそのうち気にならなくなりますよ」
    「そうでしょうか……」
     ジェイドは相変わらず納得していない様子だけど、抵抗しても無駄だと悟ったのか大人しく横になってじっと目をつぶっていた。
     こうして黙っている姿を見ると本当に整った顔立ちをしているなと改めて思う。眠れないせいで病的にこけてしまった頬が痛々しいけれど、それでも尚美しいその横顔に惚れ惚れしてしまう。
    「すきですよジェイド」
    「……本当に眠らせるつもりあります?」
    「すみません、思ったのでつい」
    「ドキドキして全然眠れません」
    「ふふ、かわいいやつ」
    「からかってます?」
    「まさか。本心ですよ」
     照れが限界にきたのかジェイドが目を開けて体を起こそうとするから、僕はジェイドの両目を覆うように手を置いてそれを制した。
    「ほら、目をつむって。あたたかいでしょう?」
    「……はい、気持ちいいです」
    「そのままゆっくり息をしてみてください。呼吸をすることだけに集中して、他のことは何も考えないで」
     吸って、吐いてと、ゆっくり指示をしてやれば、ジェイドは僕の声に従ってただ呼吸だけを繰り返す。そのうちに呼吸のリズムが整って、僕の声がなくても規則的になった呼吸は、いつのまにか健やかな寝息に変わっていた。
    「寝た……!」
     眠くないとは言っていたけどやはり体は相当疲れているんだろう。ここまで重ねてきた無理を考えれば当然のことだ。夜は上手くいかなかったけど、とりあえずジェイドを寝かしつけることに成功して僕はほっと胸を撫で下ろす。
     でもこのままぐっすり眠れるかは心配で、もし目を覚ました時に僕がいなかったらまたパニックになるんじゃないかと中々そばを離れられなかった。結局30分はそのままじっと寝顔を見続けて、それでも起きないことを確認して僕はようやく部屋を出た。

    「おはよーアズール。ジェイドどうだった?」
    「それが昨日は一睡もできなかったらしくて」
    「え、アズールがいてもダメだったの?」
    「えぇ。なので今寝かし付けました」
    「いま?」
    「僕が一緒だと緊張して眠れなかったらしいです」
    「まじ? おとといはあんなに爆睡してたのに」
    「えぇ。僕が起きてからようやく眠りました」
    「でも寝れたんだ? 良かった〜」
    「まぁとりあえずは良かったですけど、ジェイドには少しずつ僕と寝ることにも慣れてもらわないと困ります。このままでは昼夜逆転生活になってしまいますし」
    「眠れるならどっちでもよくない?」
    「それじゃずっと僕とすれ違い生活じゃないですか」
     せっかくジェイドが眠れるようになっても、毎回僕と入れ違いに眠っていたんじゃ一緒の時間もろくに作れないじゃないか。これから開店準備だって忙しくなるしあれこれとタスクは山積みなのに、すこしずつ距離を詰めていこうにも僕が起きている間ジェイドが眠っていたんじゃそれもままならない。
    「そりゃまずはきちんと睡眠を取れるようになることが最優先ですけど、今の状態が定着してしまうのも良くないでしょう。人間も日光を浴びて体を動かすことが大切だと言いますし、ジェイドの体力作りのためにも朝起きて昼間活動した方が……」
    「ただアズールがジェイドと一緒にいたいだけじゃん」
     それらしいうんちくを並べ立てて「違いますよ!」と反論してやろうかとも思ったけど、別にムキになって否定するようなことでもないかと僕は大人しく口を閉じた。
     どれだけ正論をかましてやった所で、結局はフロイドの言う通りなんだと思う。
    「そうですね、僕はもっとジェイドと一緒にいたい」
     素直に認めてやったのに、フロイドはなんだか微妙な顔をして不思議そうに僕を見ていた。
    「昨日も思ったけど、アズールは変わったね」
    「それは、お前の言う前世の僕と比べてですか」
    「うん、アズールは昔のアズールと似てるとこもいっぱいあるんだけど、違うとこもいっぱいある」 
    「たとえば?」
    「たとえば、昔のアズールはオレの前でジェイドのことかわいいなんて絶対言わない」
    「おやなぜ」
    「それはまージェイド自身のせいっつーか、超ひねくれてて素直じゃなかったからあいつ」
    「ジェイドが? あんなにわかりやすくて単純なやつなのに?」
    「んふふ……っ、だからジェイドも、今とは違ったってこと。まぁふたりっきりの時がどうだったかはしらねーけど?」
    「ふふ、案外お前の知らない所ではかわいいところもあったかもしれませんよ?」
     フロイドは「そうかもねぇ」と笑いながら目を細め、目の前の僕に昔の僕を重ねてどこか遠くを見ているようだった。でもふっと目が合うと、その瞬間パチリと目を覚ましたようにフロイドが「僕」を見た。

    「オレもジェイドもそうだけど、アズールも昔のアズールとは別人なんだね」

     そんな当たり前のことを、当たり前と思えないくらいにふたりにとって過去の僕の存在は大きなものだったんだろうか。そうだとすれば、ジェイドが今の僕と昔の僕を混同して、また同じことが起こるんじゃないかとジェイドが恐れる気持ちもわかる。

     でも僕は、過去のお前を置いて行ってしまった恋人じゃない。
     今のジェイドはその時の「ジェイド」じゃないし、僕も昔の「アズール」じゃない。
     今のお前を苛ませ続ける悪夢が昔実際にあったことだとしても、それはもう、今のジェイドが抱えているべき苦しみじゃないんだ。

    「ジェイドも、それをちゃんとわかってくれたらいいんですけどね」
      
     フロイドが途方に暮れたみたいに笑う。
     僕らはどうしたらジェイドにそれを伝えられるだろう。
     今の僕は僕でしかないんだと、過去と切り離して考えてもらえるだろう。 
     今すぐには無理でも、少しずつ、目の前の僕だけを見てくれるように、僕にはなにができるだろう。



     それからの毎日は一進一退の日々だった。
     とりあえず一緒にベッドに入ることに慣れるため、ベッドの中で離れて眠ることを試してみたけどやっぱりすぐには眠れなくて、時間をかけて眠れたとしてもジェイドはたびたび目を覚ましてしまうようだった。
     目を開けば僕がいることで安心はできるけれど、ジェイドの悪夢が完全になくなることはなかった。ジェイドの気配に気付いて僕が目を覚ますと静かに泣いていることもあったし、いつかのように僕を昔の僕だと思ってしがみついてくることもあった。いつもより長く眠れた日もあれば一睡もできない日もあったり、日中泥のように眠って夜に目が覚めてしまう日もある。
     それでも以前のように眠れない日が何日も続いて錯乱するようなことはなくなって、大学に行けるようになったフロイドはすっぽかした年度末試験の再試や補講で忙しく、まだ調子の戻らないジェイドは結局進級を諦め休学を選んだ。僕はもう全ての試験を終え単位は十分に取得しているから、大学に通う必要もなくほとんどの時間をジェイドと一緒に過ごしている。
     昼間起きていて調子のいい時には仕事にも同行させたし、店に行く時には自分から進んで着いてくる。そうやってジェイドと行動する時間が長くなると、ジェイドには眠れない以外にも課題が多くあることを気付かされた。
     まず、他者から僕への悪意に敏感すぎる。
     取引先で僕を見下すよう態度の奴がいればあからさまに嫌悪を顕すし、悪意がなくとも道端でぶつかっただけの相手にまで殺気を撒き散らす。下手をすれば僕を躓かせる道端の小石にすら殺意を持ちそうなほどで、僕を幼い子供だとでも思っているのかとにかく過保護が過ぎる。
     その原因が何かわかっているからこそ頭ごなしに叱り飛ばすようなこともできないけれど、どう考えたって、ジェイドは過去に囚われ過ぎていた。

     そしてある日、とうとうジェイドがパニックを起こした。
     仕事を終えた夜の帰り道、僕とジェイドが二人で並んで歩いていたところに、蛇行運転の車が突っ込みそうになったのだ。酔っ払いか居眠りか、ギリギリでかわしてそのまま通り過ぎていってしまった車を僕はただ呆然と見ていたけど、ジェイドはそうではなかった。
    「アズール!!」と僕を呼んだその顔は真っ青で、僕がいくらなんともないと言ってもジェイドはずっと震え続けていた。跳ね飛ばされたわけでも怪我をしたわけでもないのに、無傷の僕を見ながらジェイドの額には汗が吹き出し、全身が震えてどんどん呼吸がおかしくなっていく。苦しそうに胸を抑え、がくがくと足が震えて立っていられなくなったジェイドを僕は必死で支えた。
    「ジェイド、落ち着いて、ゆっくり息をしなさい。僕は大丈夫ですから」
     ジェイドの目は確かに僕を捉えているのに、僕が見えていないように混乱して、怯えていた。
     僕を探して開いた目からは涙があふれ、なんとか酸素を取り込もうと開きっぱなし口からは涎を垂れ流して。
    「アズール……っ、あず、いかないで……っ」
    「大丈夫、大丈夫ですよジェイド。僕はここにいます」
     僕の声を頼りに、ジェイドはふらつく体をなんとかふんじばって僕にしがみつく。そして震え続けるそのおおきな体を、僕はせいいっぱいに抱き止めて声をかけ続けた。
     抱きしめたその体から伝わってくる鼓動がはやすぎて、耳元に聞こえる苦しそうな呼吸が僕の胸を締め付けても、今ジェイドを助けてやれるのは僕しかいないから。
     抱きしめたジェイドの背をゆっくりと撫で、乱れた呼吸を少しずつ整えていく。そうしてぴたりと体を重ね合わせている内に、ジェイドの鼓動が僕の鼓動と同じになっていくような感覚が心地よかった。そんなことを考えているような場合じゃないはずなのに、まるでふたりがひとつに溶けてくみたいで、ジェイドの心ごと抱きしめられているようで。
     実際にはまだまだジェイドに受け入れられているとは言い難いけど、こうしていつか、僕の全てを受け入れてくれるようになったらいいのにと強く願った。

    「……すみませんアズール、取り乱してしまって」
     しばらくするとジェイドも落ち着いて、でかい図体がしょんぼりとうなだれているのがなんだか可愛らしく見えてしまった。
     過去のジェイドはひねくれていて全然可愛くなかったとフロイドが言っていたけど、目の前のジェイドは図体だけでかい仔犬みたいだ。
    「大丈夫ですよ。ほら、早く帰りましょう。フロイドが待ちくたびれているかも」
    「そうですね。僕お腹が空きました」
    「ふっ、それはいいことですね。お腹が空くのはお前が元気になった証拠ですし」
     睡眠リズムがぐちゃぐちゃで空腹すら感じることもなくなっていた以前に比べればこれはいい兆候だ。睡眠時間がぐんと増えた最近はだいぶ食欲も増してだいぶ顔色も良くなったし、体力もすこしずつ回復して活動的になってきた。これで精神面も安定してくれれば僕も安心だけど、それはまだ時間がかかりそうだ。
    「それにしても顔がぐちゃぐちゃですよ。ちゃんと拭きなさい、フロイドに笑われますよ」
     そう言ってティッシュを押し付けるとジェイドは苦笑いをしながら受け取って、それなりに整えはしたけど結局帰宅するなりフロイドに笑われた。
     自分では気付かなかったけど、どうやら僕も相当疲れた顔をしていたらしく、「ふとりともひでー顔!」と僕までいっしょくたにされて爆笑されて、でもその後三人で食べたフロイドのごはんが信じられないくらいに美味しかったら一瞬で疲れが吹き飛んでしまった。これなら店の定番メニューにしてもいいなと思ってフロイドにレシピを聞けば、「適当に作ったから忘れた」なんて言うから「なんでお前はいつもそうなんだ」と小言を言ったら軽くケンカになって、それなのに僕らの言い合いをジェイドが楽しそうに見ていたから、また怒りなんて吹っ飛んでしまった。
     ついさっきパニックを起こしてジェイドが大変な状態になっていたのに、三人で一緒に食事をしただけでこんな風に穏やかに楽しい時間を過ごせるなんて。
     一緒にいるだけで笑い合えるなら、きっとジェイドはこれからどんどん良くなっていく。つらいことがあってももっと楽しいことがたくさんあれば、積み重ねたその経験がジェイドをいい方へ導いてくれるに違いない。そしてそのうちに過去の凄惨な記憶も薄れて、失うことへの恐怖も克服してくれるはず。
     一進一退ではあるけれど、僕らは少しずつでも確実に前へ進んでいるんだ。そう信じられることが、僕にまた勇気をくれた。



     その日、いつものように一緒にベッドに入ると、限界まで距離を取った位置からジェイドが僕を見つめていた。同じベッドで眠ることにもだいぶ慣れて、もう一睡もできないという日はなくなったというのに、ジェイドは一向に距離を詰めてはくれない。そうかと思えばこんな風に愛おしげに見つめてくるのだからたまらなかった。
     もっと近くでジェイドに触れられたらいいのに。
     こうして一緒にいられるだけでもしあわせだけど、僕はもっと、ジェイドに触れてみたい。

    「ジェイド、今日は手を繋いで寝てみませんか」
     僕がそう言うと、ジェイドはあからさまにびくりとして身を固くした。そんな物欲しそうな顔をしてるくせに、本当になんて臆病な奴なんだ。
    「まだ無理そうですか?」
    「無理と言うか……、必要性を感じません。あなたは僕が眠れるようにここにいてくださるんですよね。今はだいぶ眠れるようになってきたので接触の必要はないかと」
    「でも朝までぐっすりは眠れてないでしょう? くっついていればもっと眠れるようになるかもしれませんし、少しずつ試してみるのもいいと思うのですが」
    「いえ大丈夫です! 僕は今のままで十分ですから……!」
    「僕は不満なんですけど」
    「え……っ」
    「そりゃまずはジェイドが眠れるようになることが一番大事ですけど、それができてきたなら僕は次のステップに進みたい」
    「次のステップ……?」
    「そうですよ。僕はお前にきちんと受け入れてもらいたい。僕のことを好きなくせに、いつまでそうやって僕を拒絶し続けるつもりですか」
    「それは……」
    「ねぇジェイド」
     口籠るジェイドに少しだけ近づいて、僕は「必要はない」と言われた手を勝手に掴んだ。
    「必要性なんてどうでもいいんです。僕はお前に触れたい」
     手と手を重ねて、ジェイドの指の間にするりと僕の指を滑り込ませる。そして軽く握ったりすりすりと撫でたり、その肌の感触を確かめるみたいに僕はジェイドに触れた。はじめは少しひやりとして冷たかった手がだんだん温かくなってきて、同じになって、そして熱くなるのをその手で直に感じた。
    「ジェイド、僕に触れられるのは嫌ですか」
     ジェイドは硬直して何も言えなくなってしまったけど、じっとりと汗ばんだ手が振り払われることはなかった。拒絶されないのをいいことにもっと触れてみたかったけど、このままだとまたジェイドが眠れなくなってしまいそうだから、なんだか可哀想になって僕はその手を解放してやった。
    「今日はこのくらいにしておいてあげます」
     そう言いつついつもより少しだけ距離を詰め、固まったままのジェイドの頬に軽く触れるだけのキスをする。
    「おやすみジェイド。明日は手を繋いで寝ましょうね」



    Tap to full screen .Repost is prohibited
    👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏😭💖😭💖💖💖💖💖💖👏😭😭👏😭😭😭💖👏👏👏😭😭😭😭🙏😭😭😭😭😭😭💴💴💴💴💴💴🍑☺💯💖👏👏👏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    @shin_sugarmaro

    MAIKINGクズヒモジェのはなし続き

    支部にあげた部分の直後から
    注意書きは1を参照ください。

    ※ジェイドが酷い目に遭う描写があります 痛いのが苦手な方はお気をつけください

    あとモブめっちゃしゃべる
    call my name2 学園から麓の街までバスに乗ってる間、フロイドはずっとスマートフォンと睨めっこをして画面の文字を追っていた。
    「あ、」
    「どうしたんですか」
    「ジェイドの目撃情報スレが消えてる」
    「え?」
    「昨日まではあったんだけどガセネタばっかで全然信憑性なくてさ、どうせ古参の奴らが他のファンまで焚き付けようとしてわざと炎上させてんだと思ってたけど、これヤバいかも」
    「なくなったならその方がいいんじゃないですか? ジェイドの個人情報が晒されなくなるわけだし……」
    「善意の削除依頼で運営が消したならいいけど、別の可能性もあるじゃん」
    「別の?」
    「この祭りに加わってた奴らが、都合が悪くなったから消した」
    「え、それって」
    「今まで晒されてたのはあいつの裏アカにアップされてた写真とか似た奴をどこで見たとかそんなんばっかで、実際にジェイド本人を確認してなんかしたみたいなのは一切なかったんだけど、もしその情報の中に本当のものが混じってて現地を確認しに行った奴がいるとするじゃん。そんでジェイドと鉢合わせたらどうなると思う?」
    49521