君の匂い「そーちゃん先輩」
「わっ」
振り向きざま、ぽた、と自分の顎から滴が落ちた。タオルで急いで顔を拭き、顔を上げる。
「環くん」
「おつかれ」
「うん。君もね」
「さっきの障害物競走、見てた。ぶっちぎりで一着だったじゃん。最後の飴探すやつとか、迷いなく顔突っ込んでたよな。かっこよくて惚れ直した」
「……ありがとう。まだ優勝が狙える点差だから、頑張らなきゃって思って……」
「粉、落ちた? ちゃんと洗わないと痒くなるって聞いたけど」
「大丈夫。しっかり洗ったよ」
「そっか」
見られてたのか。恥ずかしいな。うん、と頷いて、その手に握られたものに気付く。
「そのタオル……わざわざ持ってきてくれたの?」
「……違う。たまたま持ってたの」
「ふふ。優しいね」
「だから、たまたまだって」
ぷいっと顔をそらされても、もうその意味が分かる。
「環くんって、照れるとぶっきらぼうになるよね」
「っ、なってないし」
「そう?」
まっすぐで、優しくて、少し不器用。僕より年下なのに、僕よりも背が高くて、体も大きくて。友達が多くて、女の子に人気があって、先輩からも可愛がられてる。だけど、僕の前では、すごく可愛い。
どうして僕なんて、と最初は思ったけど、毎日昼休みに教室まで誘いにきてくれたり、一緒に帰りたいからと部活が終わっても待っていてくれたり、体調が悪いと一番に気付いてくれたり。向けられる瞳の柔らかさの意味を、最近やっと本当の意味で理解した。
「ありがとう。せっかくだから、タオル借りてもいいかな」
「ん」
ぱ、と目が輝く。素直で、いい子。僕のことが本当に好きなんだなって、嬉しそうな笑顔だけじゃなくて、仕草からも伝わってくる。
正直、僕は彼に惹かれ始めている。
「すげー暑かったけど、平気?」
「……うん」
ポーン。校内放送の音に、僕たちは揃って上を見上げた。
『まもなくリレーが始まります。選手は本部テント前に集まってください』
「やべ、俺行かなきゃ」
「あ、環くん、タオルありがとう。お言葉に甘えて使っちゃったけど……」
ひとつしか持ってなかったなら申し訳なかったな、なんて思っていたら、僕の手からタオルを受け取った環くんは、ぼふん、そこに顔を埋めた。
「……そーちゃん先輩のにおいがする」
「えっ!? ごめん、臭い!?」
「ちがくて。超いい匂い。めちゃくちゃ元気出た」
にかっと太陽のような眩しさで環くんが笑う。やっぱり、可愛い。そう思いながら目を細めていたら、ふいに手が伸びてきて、唇の近くを親指で撫でられた。
「っ……なに……?」
「粉、ちょっとついてた」
一瞬だけ、いつも無邪気な顔が、すごく大人びた顔になった。僕だけに向けられる、熱。
「ん。もーいいよ」
「……ありがとう」
「見てて」
「えっ?」
「あんたに好きになってもらえるように、すげーかっこつけてくる。だから、俺のこと、見てて」
少し照れたようにはにかむと、やっぱこれ持っててよ、とタオルを押し付けてきた。
「じゃーな!」
「っ、頑張って!」
「おう!」
ざり、と砂を蹴って大きな背中が駆けていく。その姿が見えなくなった後、誰も見ていないことを確かめてから、彼の真似をしてみた。
「……環くんの匂いだ」
どきどき。落ち着かないほど心臓がうるさい理由は、きっと。