Mead「ウ〜ン……」
なんとなく暇に任せてふらりと立ち寄ったいつもの談話室。そこにはほんの少しだけ期待したオレンジ頭の見慣れた姿があって、横長のソファに腰掛けて、低いテーブルの上に置かれた謎の瓶を見つめている。
とりあえずまたろくでもないことをしてるだけだろうと疑問も抱かずに慣れた感覚のままその隣に腰を下ろした。
「あっ、DJ!」
「何うんうん唸ってるの、ビリー……って、これ、お酒?」
「ウン!さっきべろんべろんに酔ったキースパイセンがオイラにくれたんだよネ。」
「キースが?……ビリーに……?」
テーブルの上に置かれていたのは黄金色の液体の詰められた少し洒落た瓶だった。
セクターには沢山瓶が転がってはいるものの、種類なんかはそんなに詳しくない。
けれど、なんとなく今まで見た事がないような類の瓶であるような気がした。
キースがビリーに、なんで、と考えて、すぐに思い当たる。つい先日は……ビリーのバースデーだ。
「元々はキャンディでもくれるつもりだったみたいなんだけどネ?『お前にゃなんだかんだ世話になったし、そういやお前もフェイスと同い年なんだよな〜』とか言いながらくれたんだ!」
「へぇ。……一緒に飲めっては絡まれなかったの?」
「エ?ううん!むしろイーストのセクターに持って帰ってみんなで晩酌でもしたら良いって言われたんだケド……。」
「?」
ビリーの、あまり見えない細い眉がしゅんと垂れ下がる。少し珍しい気がして先を促すと、ビリーは溜息をついた。
「うちのメンター……特にアッシュパイセンはお酒ゲキ弱でネ?そもそもお酒を持ち込んでるだけでも不機嫌になるんだよネ。……それで、ジェイもお酒が好きは好きみたいなんだけど……結構弱い方で、べろっべろになっちゃうんだよネ〜?周りがちょっと迷惑しちゃうレベルで……。グレイは良く知らないけど、元々飲んでるのも見た事ないし、そこまでお酒に興味も無いのかな〜って思って。ど〜しようかな〜って思ってたトコ!」
「へぇ。」
全く知らなかった意外なイーストの情報に……特にアッシュのそれには驚きつつ、確かにうちにはなんだかんだ酔い潰れたキースが居てもなんとかしてくれるディノやおチビちゃんがいるから良いけれど、あのイーストの面々だといろいろとややこしそうだと納得をした。
「っていうか、そういうDJはキースパイセンと飲んだことあるの?」
「あー……まぁね。」
「何それ俺っち聞いてないヨ〜!」
「なんでいちいちビリーに言わなきゃなんないの」
「だって〜!俺たちベスティ♡デショ!?」
「はいはいっと……。それ何か関係あるの?」
突然ぴぃぴぃと騒ぎ立てるビリーを適当にあしらうと、ビリーはまた今度キースにその時の話を聞くからと言って絡みついてきていた腕をやっと離した。
「……ていうか、ビリー、これを飲むつもりがあるんだ。」
そして、先ほどからのビリーの言い分は当たり前にこれを今から飲むような口ぶりだったので意外に思う。ビリーの事だから、こういうものを貰ってもなんだかんだ溜め込んで何かに利用したりするのでは、なんて少し考えたりしていた。
……いや、今のビリーはしないか。
「ウン!明日はボクちんオフの日だし、キースパイセンがオイラのためにわざわざ選んでくれたモノだしネ!お味の感想もちゃんと伝えたいし!」
「?なんでそれがわかるの。キースなんて普段からお酒をいつも買い溜めてるし、そこから適当に持ってきてる可能性もあるでしょ?」
「NO NO!俺っち、たま〜にキースパイセンにカクテルを作りに行く時とかあるんだけど、その時にいろいろ……ちょっとお部屋の方も拝見したけど、このハニーワインはラインナップに無かったヨ!」
「……ハニーワイン?」
カクテルを作れるだとかたまにキースに会いに行っているだとか部屋を覗き見しているだとか、そもそも初耳の情報ばかりが出てくるけれど、その名前が一番気になった。
……ハニー。ビリーのスマホの名前。
ビリーの好きなキャンディの味。
「そうそう!キースパイセン、オイラが好きなキャンディを覚えててくれたんだよネ♪なるべく甘くて飲みやすいのだって言って。あんなに面倒くさがりで普段だらだらしてるパイセンも、自分の好きなモノに拘ってお喋りしてる時はイキイキしてて楽しそうだよネ〜⭐︎」
「アッハ、確かにそうかも」
先日キースに一緒に飲んであげると伝えた時の事を思い出して、つい同意してしまう。すると、ビリーはグレイも好きなゲームの話をするとそうなんだとか、そういうのを聞くのって知的好奇心が満たされて楽しいだとか、いつものような他愛の無い会話が続く。
……そこで、俺も思い出した。
明日は俺もオフだ。いつもオフの前日には深夜帯まで居るクラブから、今日は理由も無くなんとなく早く帰ってきたんだった。
「俺が付き合ってあげようか」
「えっ?」
「晩酌。あー……ただ、今日はウエストでもキースが飲んでるみたいだし、絡まれるの面倒だからうちでは無理だけど。でもこんなところで飲んでたらブラッドやジャックに見つかったら面倒だから……外にでも行く?」
「……」
「ビリー?」
あんぐりと開いた口からは、特徴的な尖った歯が覗く。……アハ、ちょっと間抜けでオモシロイかも。
「DJ、オイラと飲んでくれるの!?」
「まぁね。俺も明日オフだし、何より……」
ビリーが飲んだらどうなるのか気になる。
実はそんなほんの少しの悪戯心だった。
常に何かを演じて見せているようなオーバーな話し振り、気を抜くとすぐに人をおちょくる態度……そんなビリーがアルコールを摂取したら一体どうなってしまうのか。
自分は案外少しの量ではさほど変わらない。少しだけふわりとした感覚があるのみだ。
……ビリーもさほど、こんなはちみつのお酒なんかでは変わらないかもしれないけれど。
っていうか、ビリーの事だから未成年の頃から飲んだこととかもありそうだけれど。……カクテルを作れるとも言っていたし。
全く変わらないというディノのような感じかもしれないけれど、それはそれで。
そんな気軽な、軽率な気持ちで。
****
そして連れて行ったのは前々から何かとオーナーと関わりのあるイエローウエストの新しいホテル。ここなら顔が効くからある程度好き勝手させてもらえるし、何より新しくて清潔。
ナイトプールには先日からDJとして来ていたけれど、本元のホテルの方も力を入れているから是非と言われていたのを思い出したのだ。
下に降りればそれこそ、プールにもラウンジにもバーがあって、飲み足りなければそこでも飲める……まぁ、俺に限ってそこまではしないかなとは思うけれど。
……バースデーはビリーはイーストの面々に囲まれて過ごしていたのでなんとなく当日もさほど特別な事をしたわけでもない。
だから、お祝いも兼ねて……なんて言うとちょっと大袈裟すぎるから本人には言わないけど。
俺にはよくわからないけど、よくキースがつまみに良いんだと出してくるような適当なものを揃えて、小さなテーブルにグラスを並べる。
一応ワインの一種らしいし、とワイングラスを並べると、一気にそれっぽくなって。
まさかビリーとこんな……飲み交わすことになる日が来るなんてね、とアカデミーで出会った頃の事が浮かんできて少し笑ってしまった。
「えへへ、DJもなんだか楽しそう♪お酒、好きなの!?」
「別に。そんなに特別に好きだってワケでもないけど。日々酔い潰れてるメンターを見てるしね」
「HAHAHA〜⭐︎確かにキースパイセンのお世話してるとそうなるのカモ〜?」
一応行き道でビリーに酒は飲んだことあるのかと尋ねたけれど、どうでしょう!なんてぺろりと舌を出しながら言われたのみで、真実はいつものようにはぐらかされている。……ま、深追いするつもりないけど。
今もおそらく初めて飲むというシチュエーションなのに……。オープナーを準備するのを忘れたにも関わらず、ビリーはあまりにも器用に慣れた手つきで部屋にあった適当なナイフでワインのコルクを開けてみせた。
「は〜い、DJ、オイラが注いであげる♡」
「はいはいっと。じゃあビリーのは俺が、」
「ワァオ……」
「……なに驚いてんの。ほら、ボトル貸して」
なんだかんだ所々で相変わらず茶化すタイミングを伺われているのが面倒だけれど……、でも、もしキースみたいにべろべろになって介抱が必要なレベルにまで飲ませてやれば逆にビリーの弱みを握れて仕返しが出来そうだ。
そう、少し過激な気持ちを抱きながら、黄金色の輝く液体の入ったきらきらのグラスを控えめにかちんと合わせる。
「……乾杯」
「イェーイ!カンパーイ⭐︎」
20歳になって……一応名目上ビリーは初めてのお酒。
感慨深いなんてほど思えるような感傷に浸れる感性なんて持ち合わせていないけれど、それなりに「特別」なシチュエーションだというのは感じていた。
繊細なグラスに口をつけて、少し傾ける。流れてくるさらりとした液体は甘いけれど予想よりもさっぱりしていてオトナの味。
……ビリーはと様子を伺うと、同じように上品にそれを口に含んで……そしてにぃっと口角を上げた。
「ナニコレおいしーー♡さっすがキースパイセンセレクトだネ!」
「うん、はちみつなんて言うからもっと甘ったるいモノなのかと思ったら、結構さっぱりしてる。アハ、イイじゃん」
お酒の良し悪しなんて良くわからないけれど、美味しければなんだっていい。ほんのりと甘いハニーワインは、ビリーもかなりお気に召したらしくて、ちみちみとそのグラスを傾けた。
……アハ、悪いことなんてしていないのに、メンターたちに隠れて2人だけでこうして飲んでいるのは、昔のようにちょっとだけ悪い事をしているような気分。
その楽しさにかまけて少し饒舌にビリーと適当に会話をしていると……
「ビリー……?」
「……ん、」
「大丈夫?もしかして……もう酔った?まだグラス半分じゃん」
「んん……、」
ごしごしと目を擦るような仕草をするビリーだけれど、そこにはいつもの怪しいゴーグルがあるからうまくいっていない。
そのゴーグルの下の頬はぽっと色づいていて、明らかにいつものビリーとは違う。
声をかけても戻ってくるのは溌剌とした喧しいくらいの元気な声でなく、少し舌足らずで蕩けたみたいな聞き慣れない声。
……これは、演技とかじゃ無い。
「……なんか、なんかぁ……、」
「顔真っ赤。酔っ払っちゃってんじゃん。アハ、ビリーって弱いんだ」
……まさかだった。
意外なところでビリーの弱みを握れたと、つい笑いが出てしまう。向かい側に座っていたのを、いつもの談話室みたいに隣に座らせると、こちらの手を取ってその熱った頬に当ててみせる。
……その温度は、あつい。
「……DJ、つめたくて、きもちい……」
「ちょっと……そんなことするならゴーグル外してよ。さすがに痛いんだけど?」
すりすりと俺の腕に熱った肌を擦り付けるビリーは、まるで猫のよう。
頬だけで飽き足らず、額や顔も押し当ててくるけど、そのごつごつしたゴーグルが邪魔をする。
……普段から俺にも他人にもまとわりつく方ではあるけれど、こんなおねだりでも無く揶揄っているわけでもなく、意味もない行動は珍しい。
こんな状態じゃビリーがもたつくのはわかっていたから、なるべくひっかかってしまわないようにこちらがゴーグルを取ってやる。
すると、そこからはまだ見慣れない、溢れてしまいそうに大きなブルーの瞳が現れる。
「……へぇ。」
メイクした女の子よりずっとぱっちりした瞳は、少し濡れた分厚く長い睫毛に縁取られて婀娜っぽい。少しその前髪をかき分けると、短い眉もやわらかく垂れ下がっている。いつもよく見る余裕で得意げな顔とも、オーバーな演技で作ったような泣き顔でもない。とにかく無防備に力が抜けていて、隙だらけ。……いつもの反動なのかと思うくらい。元々童顔だけれど、こうなると更に幼く見える。
「アハ、ほらビリー、記念に写真撮ろうか。ね、こっち見て」
「んん〜?」
猫みたいに唸ったビリーをいくつかスマホの画面に収めてやる。そしてそのままそれをビリーがよくやるようにエリチャンにアップロードしようとして……少し考えて、やめた。
きっとこれを暖めてネタとして持っている方が使い道があるし……、そして、なんとなくこの様子を全世界に晒すのを自分のなにかが咎めた。
「……ビリーはこれからあまり飲んじゃだめだよ」
「のまないヨ〜、元々アルコールなんて脳の機能を麻痺させるモノなんだヨ?そんな迂闊な飲み物、ほいほい飲んでられないデショ。」
「ふぅん」
「弱みを自ら見せつけるコトになっちゃうんだヨ?DJは怖くないの?」
「え?」
酔ってしまったからか、緩んだビリーが舌足らずにもつらつらと話し始める。
怖いなんていう単語の意図がよくわからなくて聞き返すと、ビリーは俺の腕をぎゅっと掴んで、元々水分を多く含んでいた深海色の瞳の色を濃くした。
「酔ってる人って、恰好のカモなんだよネ。判断力も鈍ってるし、騙したい放題!なんでも話ちゃうし、しかも人によってはその時のコトも全部忘れちゃう。……それが自分だったらって思うと、怖くナイ?」
「……何?騙されるのが怖いの」
普段わりと大小さまざまな嘘ばかりついているようなビリーがそれを言うのは意外で……、でもなんとなく納得がいく。騙されるのが怖いから、先に自分が騙すんだ。……なんて、そういう事はわざわざ聞かないけど。
なんとなく出来た間を繋ぐようにグラスをもう一度傾けると、ほんのり甘い液体が喉を焼いた。
すると、俺の腕にしがみついて来ていたビリーが俺の頬に突然キスをして来た。
「ちょっ……、」
「……DJになら騙されてもイイよ」
ふにゃりと表現するのが相応しい笑い顔はらしくなく格別で。
思わせぶりなセリフはわざと言ったというよりも、真実が滲んでいてさらにタチが悪い。
……そもそも俺の方がビリーに騙されてばかりなんだけど?なんて思いつつも、溜息をついて頭をかく。
「……はぁ、ホント……ビリーは他の人の前で飲んじゃダメだね。何、どうして欲しいの。」
尋ねながらも、もうその足はベッドへと向かう。
ビリーも引きずられるようにそれについて来て、ふたりでふかふかで清潔なそこに倒れ込んだ。
「あのね、あのね……、はちみつ酒って、ハネムーンの語源なんだヨ。知ってた?」
「さぁ」
ベッドに寝転ぶとビリーが俺の上に乗っかってきて、ちゅ、ちゅ、と何度か軽く口付けていく。
……ほんのりとした甘さはお揃いだ。
「むかしむかしの新婚さんは結婚して1ヶ月、このお酒を飲んでえっちなコトに励んだんだヨ」
「へぇ……、」
「ねぇ、フェイス……」
まだほんのり残った情報屋の部分が知識をひけらかして、そして蕩けきった可愛い顔で迫る。
しゅるりとビリーのネクタイを解くと、ビリーが俺が能力を使うときのようにぱちんと指を鳴らし……部屋の灯りがフッと落ちた。
*****
「うぉお……いてぇ……」
頭がガンガンとなって、気持ち悪さが込み上げる。もう何度となく経験しているのに慣れることは全くないこの感覚。それでもやっぱり週に一度の晩酌はやめられない。
同室の男は相変わらずザルで、同じ分だけ飲んだにも関わらず、普段と変わらず朝早くから飛び出て行っていつものようにパトロールをこなしているようだ……信じられん。
時間を確認するともう昼過ぎ。ジュニアと遭遇したらまた怒鳴られそうな時間帯だ。
とりあえず気付けに水でも飲むかとウエストのリビングに足を踏み入れると、そこには口うるさい方のルーキーは居らず、おそらく朝帰りをしてきたであろう様相の遊び人の方のルーキーと出会った。
「お〜……、フェイス、最近では珍しいな。」
「ただいま。……まぁね。」
ふぁ、とあくびをするフェイスにつられてこちらも欠伸をすると、フェイスはそのお綺麗な顔を緩ませてふふ、と笑った。……なんだ、やけにご機嫌じゃねぇか。
「……あ、キース、あれ美味しかったよ」
「んぁ〜?アレ?」
突然出てきたアレという単語に思い当たりが無くて、働かない頭で考え始める。なんか酔っ払ってる時に菓子でもやったか?いや、昨日はフェイスは出かけていたからそれはねぇか。
「ハニーワイン」
「あぁ〜、って……、それビリーにやったやつだろ〜?なんだ、お前と飲んだのか」
別のセクターの騒がしいルーキーが浮かんで、どうせお前も飲むならこっちで一緒に飲めよと絡むと、それが面倒だから避けたんだと一丁前に言いやがる。相変わらずブラッドの弟だからなのか、かわいくねぇな。
「すっごく甘くて甘くて……アハ、とってもよかったよ。」
「……アレ、そんな甘いヤツだったか?いや、オレには甘すぎるけどよ……」
ハニーワインはピンキリ。甘いのから渋いのまであるが、ビリーに選んだものはデザートワインの中でもすっきりして飲みやすいっていう謳い文句のやつだったと思うんだが。……ま、上手かったなら何よりだと流すことにした。
「ふぁ……、さすがにもう眠いから……おやすみキース」
「おー……?」
……顔を少し上げて大きく欠伸をしたフェイスの首元に、いくつか熱烈な鬱血の後。言いはしなかったが、おーおーお盛んですねとつい首をすくめた。女と関係を切ったといえど、まだまだハタチ、若い盛りだ。未だに引く手数多なのはよくよく知っている。
呆れるままにそのまま水を飲んで、オレも二度寝でもするかと部屋に戻って……
「あ……?アイツ、ビリーと飲んだって言ってたよな……。」
………
「……ま、どうでもいいわ、んあ〜、二度寝二度寝……」
夕方、揃いのキスマークを隠しもせずに飛び込んできたルーキーからの礼の言葉を聞きながら砂を吐くみたいな溜息を吐く羽目になるのを、この時の二日酔い野郎は知らなかった。