おまじないいつもより重いのにふわふわと感じる身体
寒くていつもよりふかふかの毛布を重ねて貰ったあとは、大好きなホットショコラを飲んでとっぷりとした眠りにつく。
思考はぼやぼやとして苦しくもあるのに、でもそんな時に甲斐甲斐しく構ってくれる両親の自分より冷えて気持ちがいい掌が好きだった。
体調を崩した時というのは子供の感覚では苦しさよりもなんとなく休めて甘えさせてもらって得をさせてもらった感覚ばかりが思い起こされる。
この歳になった今ではただ面倒で鬱陶しいだけだけど……。ま、甲斐甲斐しく面倒を見ようとしてくる彼女は沢山居て、余計ややこしい事になったりもして。結局移るからと皆を追い返したけれど。
先日からアカデミー内で流行っていた風邪から俺も全快して、久々に向かう談話室。
女の子が入ってこれなくて、夜も更けた時間の男子寮の談話室は、わりと人も多くなくて居心地は悪くない。
……だいたいここに向かうと、結構な確率で見慣れた怪しいゴーグルのオレンジ頭を見かけるものだけど、今日は居ない様子。珍しい。
体調が優れない時はひたすら自室でただただ眠っていたから、かなり長い事会っていない気がしてくる。
とりあえずする事も特にあったワケじゃないから、適当にスマホを弄って……女の子からの心配するメッセージに少し返信していたけれど、とめどもなくどうでも良い会話が続くものだから……辟易してきてスマホをテーブルに置いた。
「……はぁ。」
出て来た溜息はどう言う意図なのか自分でもその理由はハッキリしない。
とりあえず間を持たせる為に聴き始めた音楽も自然と選ぶチョイスは少し曖昧なトーンの曲調で、このセットリストは今の自分の心情そのままを表すかのよう。
……せっかく動けるようになったから、遊びにでも行く?なんて病み上がりではすぐにはそんな気分にはならなくて、だからビリーとどうでもいい話でも、なんて思っていたのに。
いつもだいたいこういう風に何かちょっと喋って気を紛らわせたいと思う時には、何も約束しなくてもビリーはだいたいここのソファに座っている。普段は忙しそうにあちらこちらを走り回って、仕事だなんだと出かけている事が多いけれど……。
「……。」
ここまでタイミングが合わないのはらしくない。
なんとなく違う気がして、先程テーブルに放り投げたスマホを再度拾いあげる。数多の女の子とのやりとりの中に紛れるビリーとの数少ないやりとりのトーク画面を開いて、どこ?と一言打ち込んでみた。
ビリーとのトーク画面は文字が少なく、並ぶのは何かの折に隠し撮りされた写真だったり、強引に撮られたツーショットだったり。基本的には隣でダラダラと喋りながら送られて来たものばかり。
まったく、なんてひとりごちながら返事を待っていると、数分して既読の印が付いた。
「……?」
それからしばらくしても返事自体はなくて、ただ時間が過ぎていく。時刻はもう既に消灯時間を迎えるギリギリで、先程まで談話室の隅にいた別の生徒たちも部屋に引っ込んでしまった。
なにか便利屋の仕事絡みで忙しくしているのかもしれない。なんで、なんて理不尽になんとなく苛ついたままその場を立ち去ろうとすると……。
「ハァイDJ……⭐︎」
「……!」
そこに現れたのはどうやら外から帰ってきたらしいビリーだった。目立たない私服に身を包んで、その手にはなにやら買い物をした形跡がある。
「何、買い物に行ってたの?こんな時間に?」
「ン〜、厳密にはNO!お仕事のついでに買い物してきただけだヨ」
「……?っていうか、ビリー、声おかしくない?」
「そう?張り切って働きすぎたカナ?」
いつもは当たり前のようにこのソファの隣に座ってくるのに、今日は突っ立ったまま。
その買い物袋から覗くのは何やら栄養ドリンクのようなもので、なんとなく予測はついた。
手袋もしていて肌の露出も少ないから、確かめるのはこれしかない。
ビリーの腕を引いて、そのゴーグルで隠された顔に自分のものを近付ける。普段は近寄っても何をしても動じないビリーがびくりと驚いたように身体を硬らせた。
こつん、と少しだけ硬いものがぶつかる感じがして、じんわりと伝わるのはあまり低くないであろう熱。
「……あぁ、やっぱり。ビリー、風邪ひいてるんじゃない?」
「HAHAHA〜……、そうなのカナ?怠いカモ〜っては思ってたケド。っていうか!キッスでもされるかと思っちゃった♡こういうコト自然に出来ちゃうなんて本当にDJはさっすがだよネ〜♪……」
「怠い『かも』って……。結構熱高いよ。何、こんな状態でもしなきゃいけない仕事があったの?」
絶対に怠いだけ、なんていうものでは済まされないであろうに、少し肩で息をしながらもビリーはその見えない表情のまま「いつも通りなだけ」だと言った。当たり前みたいに、何が悪いかわからない様子で。
「いや、寝てなきゃダメでしょ。」
「今から寝るからダイジョーブ……、ぅ、」
「ビリー」
突然ぶるりとビリーが震えて、その身体を自ら抱くようにした。……まだ熱が上がっているらしい。顔色も悪く、立っていられなくなったのかソファにそのまま倒れ込んだ。
「……あっは……、DJみたらなんか気が緩んじゃった」
「……待ってて」
ソファに倒れ込んだビリーの頭を少し撫でてから、自室に戻る。優等生な同室の子はすやすやと寝入っているからなるべく起こさないようにして必要なものを取って談話室へ戻った。
「これ外すよ」
「ん……」
いつも顔の中心にあるゴーグルを外してやると、大きくて潤んだ真っ青な瞳が出てくる。分厚く長い睫毛に露を乗せて。……こんなにしんどかったはずなのに出歩くなんて、何してるんだか。
とりあえず水と薬を渡すと、薬は飲んだと言って断って、ビリーは水だけを控えめに飲んで、またソファに突っ伏した。余程具合は優れないらしい。
引かない熱で額にぷつぷつと浮いた汗を拭ってから濡らしたタオルを乗せてやって、その隣に座った。
「……DJも最近まで寝込んでたデショ?大丈夫なの?」
「俺はもう大丈夫……っていうか、ビリー程酷くはなかったし。同室の子が甲斐甲斐しく世話を焼いて来ようとはしてきてたけどね……、っていうか、ビリーの同室の子は?」
「さぁ……。普通に寝てるんじゃないカナ。……DJも病み上がりなんだし早く寝た方がイイよ?」
「今高熱出してる人に言われたくないけど?」
掠れた声でビリーはいつものように喋る。
苦しいのを紛らわせでもしたいかのように。
「あー……、こういうのが一発で治るおまじないでもあればイイのにネ。満足に働けないの、困っちゃうヨ」
「休む時は休まないと良くならなくない?今までは具合悪くなったらどうしてたの?」
「……別にいつも通りだヨ。働いてたら気も紛れるし……勿論移しちゃわないようにお仕事選んだり、細心の注意は払ってマス!」
「いや、気にするのそこじゃなくない?」
拗らせでもしたらどうするの、と問うと、明らかにビリーの顔が曇った。ゴーグルで隠されていない瞳が明らかに不安を訴えて、どこか遠くを見るみたいに……。それは初めて見る表情で、そして見てはいけないもののような気がして、そこから顔を背けた。
ビリーが何故そんなにお金稼ぎに執着するのかはわからないし、そんなに働きたがる気持ちもわからない。ただただそれをがめついだけだという風に本人は振る舞ってるけれど……。
踏み込まないのがルール。興味なんて無い。
ほんの少ししゃくりあげるみたいな不安そうな泣き声を聴いてしまわないように、首にかけていたヘッドホンを装着した。
体調が優れないから無駄に感情が昂ってしまっただけ。昔、熱を出した時……親と……兄にほんの少しでも離れないでと泣き付いた記憶が思い起こされて、ただぼんやり熱いビリーの頭を撫でた。
*****
ふわりとした感覚も、喉の上擦った感じも、呼吸が乱れるのも、きっと気のせい。
ちょっとだけ疲れちゃっただけ。働いてたら紛れるようなもの。こういう時は集中力が途切れがちだから、いつもより意識して気を引き締めて。早めに薬を飲んで夜、しっかり眠ればいつも通りに元気になれるから。
小さな頃はお父さんが、寒くならないように自分の毛布までくれて、なけなしのお金から薬代を出してくれたのを覚えている。……結局逆転してしまった時、お父さんに同じように毛布を貸して必死にあらゆるお薬を飲ませても、全然良くなってはくれなかったけれど。
具合が悪いならしっかり休息を取るべきなのはわかっているけれど、何もしないという事が不安になってしまって出来なくて、結局働きに出てしまう。実際、運良くそれで今までも治って来たし、きっと大丈夫。眠る度に目尻に伝う涙を拭って、何度となく誰もいない部屋の粗末なベッドから、一人で起き上がった。
「……あれ、」
なんだか夢を見ていたらしい。
起き上がってみると、そこは狭いあの部屋ではなく、豪華に設られた寮の談話室。粗末なベッドの代わりに、ふかふかのソファ。そして、柔らかく分厚い毛布がかけられていた。……若干香るのは甘くミルキーな香水の香り。
柔らかい朝日の差し込むそこはまだ静かで、朝といえど皆まだ寝入っている、結構早い時間である事がわかる。
少し熱くぼんやりとする身体は昨日よりはマシで、いつの間にか外されていた手袋に包まれていない手をなんとなくぐーぱーと開いたりしてみた。……うん、まだ鈍いけれど、大丈夫。
「……あ、ビリー起きたんだ。おはよう」
「おはよ、てDJ……?」
目をぱちぱちと何度か瞬きを繰り返していたら、ちょっと眠たげな顔をしたDJがどこからかやってきて、俺の額にまた自分のそれを押し当ててきた。……こんなの、女の子相手だったら勘違いきちゃって収集つかなくなりそう、すぐこうして思わせぶりなコトしちゃうのは敢えてなのか無意識なのかな、なんてどうでもイイことを考えてしまう程には、まだぼんやりはしている。
「……うん、少し下がったね。」
「DJ、看病してくれたの?」
「そんな大層なモンじゃないよ。隣に居ただけ」
乱れた髪をDJが手で梳かして整えてくれる。
『隣』の慣れない暖かさに少し目尻に水が溜まりそうで。そこで色がありすぎる視界にようやく気付いて、テーブルの上に置かれていたゴーグルを付けると、DJは呆れたような顔をした。
「何、もう活動再開でもするつもり?」
「YES!たくさんの情報がオイラを待ってるからネ〜!」
ぐっと伸びをすると、まだちょっとくらりとする視界。ほんの少しだけ隣のDJに寄りかかると、そのまま肩を抱かれた。
「……今日だけはまぁ、大人しく調べられてあげるから、外行くのはよしたら?情報収集には変わりないでしょ」
「ワ〜オ……!」
「……今日だけ。」
「んっふっふ〜、ありがとDJ」
本当はすごく優しいベスティに甘えるように頬を擦り寄せると、「まだ結構熱い」と押し戻される。離れさせられて、BOOOO!とわざとらしく文句を言っていたら、目の前のテーブルの隅にあったカップを目の前に移動させられた。
……そういえば、目が覚めた時、DJはこのカップを持っていたかもしれない。
「『おまじない』」
「え?」
そこに置かれたのは香りだけでも甘ったるいホットショコラ。DJの好きなモノ。
「風邪が一発で治るおまじない」
勧められたそのカップの中身は、最早熱で味もよくわからないのに優しくて、彼のしあわせの味がした。