カインが死んだ。これで二十七回目だった。
記念すべき一回目は東の国での任務中に起こった。陰気臭い村を襲っている怪異の元凶を突き止めるだかなんだかで駆り出されて、手がかりがないか手分けして探そうという話になって、僕はカインとふたりで森に行くように言われた。なんでよりにもよって僕と騎士様がふたりで行動しなきゃいけないの。その時もそう散々文句を言ったが、未だに納得がいっていない。
カインが死んだのは怪異のせいでも他のなにかのせいでもなく、僕のせいだった。僕が目を離した間に殺されていたから僕のせいなのと同じだ、みたいなやつではなく本当に僕が殺した。殺してやると思って魔法を使って、そうしたらそのまま死んだ。石はまあまあ質がよかったから、やっぱり魔法を使った経験が浅かっただけで素質はあったんだろうな、とぼんやり思った。僕は悪くない。あいつが弱いくせに僕に説教しようとするから。力に見合ってない理想を押し通そうとするから。自分の身を守ることすらできないのに人を信じようとするから。だから死んだ。自業自得だ。僕は悪くない。僕のせいじゃない。僕は……。
……本当は全部僕が悪いんだ。
「おい、聞いてるのか?」
声の方向に目をやる。不機嫌そうな顔のカインがいた。思わず左手を見たが、そこにはなにも無かった。さっきまで、カインだったマナ石を握りしめていたはずなのに。
カインは死ぬ前と同じ調子で僕にくどくどと説教をしていた。いらいらしたくなくて全部無視していたが、そうしたら腕を掴まれて、ちょっとは話を聞いたらどうなんだ、と声を荒らげられた。僕が悪いんだと思ったはずなのに、気づいたらまた殺したくなって、衝動が止められなくて、また目の前に石が転がった。これが二回目だった。
次はさすがに我慢できて、なんとか任務が終わった。けれど、それからも何度も似たようなことを繰り返した。これまでも見ていていらいらすることは何度もあったし、あいつと一緒にいると僕の思いどおりにならないことばかりで腹立たしく感じることも数え切れないほどあった。それでも、本気で殺そうとなんて思わなかった。それなのに、あの日から何度も殺したくなって、殺して、後悔して、また元に戻るのを繰り返していた。
後悔するときは本気で後悔するのだ。だから回数だって覚えている。まただ、これで六回目だ、十五回目だ、と毎回心の底から後悔して、これを最後にすると決意する。そしてすぐそれを裏切る。
戻る時間はそのときによってまちまちだった。一回目のように殺すほんの少し前のときもあれば、もっと前まで戻ることもある。
一度、殺すのはあいつの態度が悪いんだ、だったらそれを根本から変えてしまえばいい、と思ったことがあった。だから、北の国の僻地に作ってほとんど使っていなかった家に連れ去って、拷問に近いことをした。皮膚を焼いたり剥がしたり、おまえは主君を守るために死ぬんじゃなくてここで無意味に僕に殺されるんだよって何度も言い聞かせたり、そうやっていると案外すんなりカインの人格は変わった。ごめんなさい、許して、なんでもするからもう痛いことしないで、と泣きながら僕に懇願した。
やっと完成した、魔法舎に帰ろう。そう思ったはずなのに、その言葉のあとカインの頭が吹き飛んだ。僕が吹き飛ばしたのだ。「おまえなんか騎士じゃない」と言って。首のなくなった体がぱらぱらと石になっていくのを見ながら、また間違えた、と思った。僕に従順になった騎士様なんて見ていたらもっといらいらする、そんなのちょっと考えればわかるはずだったのに、と後悔した。そうしていたら、目の前に騎士様がいた。首はくっついているし、薄着でいつもより肌の露出が多いけれど、見えているところに傷はない。騎士様は、うわ、そうやっていきなり部屋に入ってくるのやめてくれよ、と驚きながらも呆れたように言っている。そうだ、このあとこいつを連れ去ってあの無駄な行為をしたんだ。どうやら、僕が戻りたいと思った瞬間まで巻き戻ってくれるらしい。安心するのと同時に、じゃあもっと大掛かりなことをしてみてもいいか、と思った。
心をへし折って従順にするのではなく、もう少し意思を残したまま僕の言うことを聞かせる必要がある。そう思って、まず魔法を教えてやった。こういう奴は、相手を目上の者だと認識したら敬うだろう。先生とか師匠とか、まあ名前はどうでもいいけど、そういう存在になれば僕の言うことを聞くようになるだろうと思った。果たしてそれは成功して、カインは僕に真面目にやれとか人をむやみにからかうなとか、そういう説教をすることはほとんどなくなった。僕のやった褒められない行いを「仕方ないな」で済ませるようになり、僕が命令したことにも同じような言葉で従うようになった。
ある日、カインが魔獣を仕留めた。今までのカインなら勝てなかっただろうな、くらいのちょうどいい強さの敵だった。それからカインは、返り血をぬぐうことも忘れて僕に駆け寄ってきた。それから、おまえのおかげだ! とうれしそうに言って、なにか期待しているようなきらきらした目で僕を見た。少し考えて、ああ、もしかして褒められたいのかな、と思った。その瞬間、カインの腹にぽっかりと大きな穴が空いた。カインは絶望する間もなく崩れ落ちて石になった。だって、人に褒められるために戦うなんて騎士のやることじゃない。怒って当然だろう。殺したって仕方ない。ひとしきりそう考えたあと、またいつもどおり後悔して、いつもどおりカインが生きている頃に戻った。魔法を教えてやろうか、と言う前まで。
それからも色々試してみた。本当に死にたくなるくらい屈辱的だったけれど、僕に殺されないくらい騎士様を強くしてよ、とオズにお願いしたことまであった。驚くかなと思ったけどオズの表情はまったく変わらず、少しの沈黙のあと、私が教えられることはすべて教えている、といつもどおりの冷たい声で言われた。表情に出ていないだけで、少しの沈黙の間にたいそう驚いていたのかもしれないけれど、そんなことはどうだっていい。とんだ無駄足だったといらいらしながら、教え方が悪いって言ってるんだよ、と吐き捨ててその場を去った。そのあとは普通に殺したい瞬間が来て普通に殺してまた戻った。オズにお願いをする前まで戻れと思ったけどお願いしたあとまでしか戻れなかった。どうせならもっと戻れよといらだったけれど、そもそもなんで戻っているのかもわからないからその怒りを誰かにぶつけることもできず、ちょうど目の前にいた騎士様に八つ当たりしてまた殺してしまった。十九回目だった。
他にも矜恃を捨てて頼みごとをして回った。まず最初に、王子様にあいつに僕に口答えしないように言ってよ、と頼んだ。でもきれいごとを並べられて断られた。しかもそれを告げ口されたのか、騎士様が俺のことが嫌いなのはわかるがアーサー様を巻き込むな! と身の程知らずに怒ってきて、だからまた殺してしまった。その次は、フィガロにあいつの性格変えてくれない? と言った。そうしたら経緯は忘れたけれど僕が騎士様を本気で嫌って殺そうとしているらしいといううわさが魔法舎中に知れ渡って、それを聞いた騎士様が俺のことが嫌いなのはわかるが賢者の魔法使いとしてともに戦う必要が、とかごちゃごちゃ言ってきて、最後まで聞く前に殺してしまった。あとは賢者様になんとかあいつと一緒にならないようにしてほしいと頼んだこともあった。それなのに、どうしてそんなに避けるんだ、俺達は仲間で……とまた言ってきて、次の瞬間には案の定目の前に石が転がった。
カインを作り変えようとすると成功しても失敗しても殺したくなってしまうし、どう遠ざけても近寄ってくるから殺したくなってしまう。もう二十六回もそうしている。頭がおかしくなりそうだった。ずっと目をそらしていたけれど、もう向き合わなければいけない。僕が、カインを殺したくない、と本気で思わなければならないのだ。毎回本気で思っているつもりなのだけれど、結局そのあとに殺してしまっているから本気では無かったのだろう。
どうしたら殺したくないと思えるだろうか。それも恥を忍んで聞いて回った。一番殺したくない、死んでほしくないって思えるのってどんなやつ? と。誰にも死んでほしくなどありません、とか、別に誰が死のうがどうでもいいです、とか、参考にならないことを言われることもあった。そりゃヒースだな、という個人的すぎる意見もあってどう解釈したらいいかわからないこともあった。けれど総合すると、どうも大切な人には死んでほしくないと思うらしい。大切な人って誰? と聞くと、家族とか恋人とか、そういう相手だと。僕は騎士様と家族になることはできない。じゃあ恋人になればいいのか。考えただけでめまいがしそうになるほど気持ち悪かったけれど、もうこれ以外思いつかないのでやるしかない。
と言っても恋人になる方法はわからなかった。なので、まずは普通に言った。ねえ騎士様、僕と恋人になろうよ、と。最初はなにわけのわからないこと言い出すんだ、と呆れていたが、僕が何度も本当になろうよ、なにがだめなの、どうしたらなってくれる? と聞き続けた結果、おまえ悪いものでも食ったんじゃないか? と本気で心配された。
言うだけではなれないようだったので、面倒だったけど恋人になるにはどうするのかを調べた。そして、甘いものを分けてやって、言うこともちょっとは聞いてやって、困ってたら助けてやって、と、とにかく優しくしてあげた。優しくするといいらしいから。そうしたら騎士様から、おまえ最近気持ち悪いなと言われた。ここで殺さなかったことは褒められるべきだ。
恋人はキスしたりセックスしたりするらしいから、もうそうしてしまえばいいんじゃないかと思って無理やり組み敷いてそうしてみた。あとから調べると絶対にやってはいけないことだったらしく、はじめに言えよと思った。レイプから始まる恋なんてありません! そんなものは創作作品でしかありえません! とのことだった。見ず知らずの人間から説教されているようでかなり不愉快だ。しかも、またやり直しだ。不愉快の二乗だ。そう思っていたが、騎士様はなぜか僕を避けなかった。どんなに傷つけられても仲間だから、と思っているのだろうか。とんでもない心の傷が残ると書いていたが、騎士だから平気なのだろうか。
それから、騎士様から買い物やら食事やらに誘われたり、あとキスされたり抱きしめられたりするようになった。なんなんだよ。そう思って、なんでこんなことするの? と聞いたら「だ、だって、俺達恋人だろ……?」と頬を赤らめていた。なんなんだよ。
でも、騎士様の考えていることがわからないことなんていつものことだったので、とりあえず恋人になれたことを喜ぶことにした。これで騎士様は僕の大切な人とやらになった。だからもう殺したくならないのだろう。もうあの巻き戻りから、殺してしまった後悔から解放される。僕はやっと成功した。
結果的に言うと普通に殺したくなった。前よりふたりで過ごすことが増えて、前より馴れ馴れしい態度になって、前よりべたべた触れ合うようになったのだから、当然と言えば当然だった。恋人になれば自動的に殺したくなくなるんだと思っていた。だまされた。
そう思いながらもなんとか殺意を抑える毎日を過ごしていたが、ある日、騎士様が僕の部屋にやってきた。僕と密室でふたりで過ごすなんてそんなに死にたいのかなと思ったが、恋人なので入ってこないでとも言えなかった。騎士様は、おまえの部屋にいるとどきどきするけど安心する、などとほざいていた。一番命の危険が高い場所で安心するなよ。
その日の騎士様はなんだかおかしかった。恋人になってからいつもおかしいのだが、その日は飛び抜けておかしかった。こういう時はキスしてセックスしてさっさと帰らせることにしているのでそうしようとしたのだけれど、キスしたあと服を脱がそうとすると、もっと、とまた口をふさいできた。キスしている間は僕の手を握って、それが終わるととろんとした目で僕を見つめてきた。
うまく言えないが、心底気持ち悪いと思ってしまった。よし、殺そう。どうせ戻れるんだからいいだろう。今回は失敗したんだ。それだけだ。
この巻き戻り現象が起こってからもう長いが、こんなに冷静に殺そうとしたのははじめてだった。いつももっと衝動的に殺してしまって、それを後悔して、という感じだった。後悔しなければ戻れないのだとしたら、ここで殺すと二度と戻れなくなるかもしれないが、それでもかまわないとすら思った。はやく殺したい。
呪文を唱えようとした。でも血が出るとベッドが汚れてしまう。どうせそれも魔法で戻せる、というか時間ごと戻るのでどうでもいいのだけれど、一瞬でもこいつの血で汚れるのが我慢ならなかった。さあどう殺そうか、と迷っていたとき、騎士様が口を開いた。
「好き」
「は?」
「好きだ。……なあ、おまえも好きって言ってくれよ」
「なんで?」
「なんでって……おまえ、言ってくれたことないだろ」
おまえから恋人になりたいって言ったくせに。騎士様は拗ねたように言った。気持ち悪い。でも確かに僕から言ったのだから、死ぬ前に一度くらい、いい思い出を作らせてやろうか。一言口にするだけなのだから、そう面倒なことでもないし。
「……好きだよ」
そう言った瞬間、背中にぞくぞくとしたものが走った。
「好き。好きだよ、カイン。好き。大好き」
気づいたら、抱きしめて何度もそう言っていた。どうして。意味がわからないが、心にも無いことを言っているような気がしない。さっきまであんなに気持ち悪くて殺したかったのに、なんだろう、感じたことの無いものに心が支配されている。好きだ。かわいい。離したくない。僕の大切な恋人。
カインは少しの間固まって動かなかったけれど、そっと抱きしめ返してきた。しばらくそうしていて、でもいつまでもそうしているわけにもいかないからゆっくりと体を離すと、顔を真っ赤にした、誰よりも愛おしい恋人が目に映った。
「……そこまで言えって言ってない」
震えた声がかわいい。僕の顔を直視できない目がかわいい。触れた頬の温度さえかわいい。好きだ。こいつを殺す? ありえない。絶対に死なせたくない。
それからの日々は、一言で言うと幸せだった。後ろ姿を見るだけで胸が高鳴る。振り向いたときに揺れる髪が愛おしい。僕を視界に映しただけでとびきりうれしそうに笑うところを見ていると、今この瞬間、世界で一番幸せなのは僕だろうと思う。思うというか、確信する。
殺意からも後悔からも解放された上に、こんなにかわいい恋人と、その恋人と同じ屋根の下で過ごす幸せな毎日を手に入れた。ああ、あんなことを繰り返していたのは、ここにたどり着くためだったのかもしれない。知らぬ間にどこかの誰かに陰湿な呪いでもかけられたのかと疑ったこともあったが、もし誰かの魔法でこうなったのだとしたら、そいつは世界一優しい魔法使いにちがいない。
ひとりで街を歩いていたとき、見慣れた後ろ姿を見つけた。カインだ。任務も無いのに魔法舎にいなかったから、てっきり王子様とお城で忙しくしているのかと思っていたが、こんなところにいたなんて。その背中を見るだけで胸にあたたかいものがこみ上げてきて、そのまま声をかけようとした。その瞬間、隣にいる人間に気づいた。
知らない人間だった。女だ。距離があるのではっきり見えるわけでも会話が聞こえるわけでもないが、どうもカインは楽しそうにその女と話しているようだった。
声をかけることができなかった。なにをしに来たのかも忘れて、ふらふらと魔法舎に戻って、ベッドに寝転がってぼうっとしていた。どのくらいそうしていたのかわからない。しばらくしてノックの音がして、でも起き上がるのが億劫でなにも答えずにいると、オーエン、いないのか? と声が聞こえた。カインの声だった。飛び起きて扉を開けると、どこか緊張した様子のカインが、入っていいか? と聞いてきた。いつもなにも言わずに入ってくるのに。いいよ、と答えて部屋に招き入れて、でもそれからもカインはそわそわしていた。
「あのな、オーエン」
「なに?」
「大事な話があって」
カインは僕と目を合わせずに言う。最悪の想像ばかり浮かんだ。
「……あの女と関係あること?」
そう言うと、カインは大げさにびくりと体を震わせて、驚いた顔でようやく僕を見た。それから少しして、カインはゆっくりと口を開いた。
「み、見てたんだな。じゃあ、その……わかると思うけど……」
わかる? ああ、わかるよ。僕を置いて、女とふたりで過ごしていた。楽しそうにふたりで歩いていたもんね。そこからわかることなんてひとつしかない。
浮気していた。それで、僕じゃなくてその相手を選んだ。だから僕と別れたくなった。あんなに僕のことを好きだと言って、僕から好きだと言われると喜んでいたのに。昨日までそうしていたのに。本当はずっと前からこっそりあの女と会っていて、とうとうあっちを選ぶことにしたんだ。
殺す。痛めつけて殺す。今までの中で一番苦しませて殺す。
その決意はそのまま実行されて、カインは口から吐いた血や体から流れている血で真っ赤に染まって、手足はひしゃげて変な方向に曲がった姿で床に転がることになった。見開かれた目からは壊れたように涙があふれている。僕を見上げる目を、その蜂蜜色の目をつぶそうと、剥がされて床に飛び散った爪や皮膚を踏みつけながらカインに近づく。前髪を掴んで持ち上げたとき、血でどろどろになった口がはくはくと動いた。
「ともだち、で……」
悲鳴を上げすぎたせいか、声はかすれている。こんなに痛めつけたのにまだ話せるんだ。そんなことを思いながら、けれどその言葉に、血の気が引くような感覚を覚えていた。
「えらぶの、てつだって……」
なんの話なの。選ぶってなに? まさか、僕になにか贈ろうとしてた、なんてことじゃないよね? そう聞く前に、目の前にあった顔と体は崩れて、血でべたべたになっている床に石になって転がった。こいつが石になるところなんて見慣れていたはずなのに、吐きそうになるくらい気持ち悪かった。ちがうよね。全部僕の勘違いで、おまえは僕を裏切ったわけじゃなかったなんて、そんなわけないよね。僕のせいじゃないよね?
頭が冷えて、現実が見えてきた。カインがなにを考えていたかなんて関係ない。カインは死んだ。僕のせいで死んだ。僕が殺した。これで二十七回目だった。
でも安心して。大丈夫だよ。大丈夫。きっとこれが最後になる。こんなに後悔したのははじめてだから。次はちゃんと幸せにしたいって、本当にそう願っているから。たとえこの先なにが起こっても、おまえが本当に僕を愛するのをやめたとしても、今度はちゃんと諦めるから。
そう思いながら、マナ石を見つめた。何十分も、何時間も、ぼやけた視界にきらきらと光る石が映っている。泣くのなんてはじめてのことだった。
まだかな。早く会いたいな。次に会ったら、甘いものじゃなくて、おまえの好きなものを一緒に食べてあげる。僕のほうから抱きしめて、キスだってしてあげるよ。とびきり優しくしてあげる。そうしたらまた笑ってね。
ねえ、まだなの?