「前、よろしいかな」
仕事終わりのエールのジョッキを傾けていた男は顔を上げた。
声をかけてきたのは、ミルクティー色の、淡い茶髪の男だ。その隣には、大人しそうな顔をした、黒髪の男がいる。2人連れのようだ。
「席がなくて」
「ええ、どうぞ」
いかにも困ったように言う茶髪に、にこやかに微笑んで、前の席を促す。
この時間はどこも混雑している。相席になっても致し方ないだろう。
茶髪と黒髪は丁寧に礼を言うと、いそいそと席につき、やがてやってきたメイドにドリンクを注文していた。
男はジョッキ越しに彼らを観察する。
2人とも、同じ神殿騎士団になれば誰もが支給される、簡素なローブを着ている。が、見たことのない顔だった。一応、皇都に配属されている神殿騎士団員は、実戦に出ない聖職者を含めて全員1度は顔を合わせているはずだが、見落としていたようだ。
新しく配属されたのだろうか?しかし、それにしては人事異動があったという情報を聞いていない。
男は記憶力には自信があった。
素直に疑問を口にする。
「見ない顔ですね」
「おや、我々を知らないか」
「生憎ながら」
「そうか、そうか。そこそこに有名だと自負しているのだが、やはり慢心はするべきではないな」
答えた茶髪は意外そうにそのエメラルドを思わせる目を細め、不遜な語り口で楽しそうに喋り出す。
簡素なローブを着ているからどうせまだ駆け出しの新人だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。あるいは、自惚れているだけのただの馬鹿か。
服装は簡素とはいえ、身綺麗にしてあるので貴族か、もしくはそれに連なる高貴な身分の出身なのかもしれない。だとすれば、この話し方も頷ける。
「ここにはよく立ち寄るのか?」
「ええ、まぁ。上質な料理を手頃な値段で食べるのに、ここほどいい場所はありませんから」
「それもそうだ。いいところだな、ここは。値段に見合った油っぽい料理には酒によく合うし、多少の賭け事にも目をつむってくれる。うん、うん、君が気に入るのもうなずけるというものだ。おまけに提供されるのは少量でも酔える酒だ。皆気持ちよく酔って、誰も隣のテーブルの話に耳を傾けない。こんな居心地のいい穴場をよく見つけたものだな。おれの仲間にも教えてやりたいくらいだ」
茶髪は聞いてもいないことをぺらぺらとよくしゃべった。おまけに妙に馴れ馴れしい。男は密かに眉をひそめた。
隣に座る黒髪のように、静かにしていればいいものを。だが不幸にもここは安酒場の4人掛けテーブルで、逃げ場などありはしない。相席を許可したのは自分である手前、今更席を変えるのはおかしいだろう。
まぁいい。少しの我慢だ。男はそう結論付けて、再びエールのジョッキを傾けた。
「若い頃は弓術を嗜んでいたのか」
ふと、気がついたように茶髪が言った。
少し驚いて目を見張る。男ははい、とは言わず「一体どうしてわかったんです?」と聴いた。確かに男は、この任務に就くまでは弓を愛用していた。初対面では知りえぬ情報だ。
「なに、少しの観察と簡単な推理の結果だ。指先に特徴がある」
「なるほど。よく見ていますね」
「こういったものは得意でね。きっと、君が驚くような結果をもたらすことは造作もないと自負しているよ」
「はぁ、そうですか」
大した興味もなく、男は曖昧に頷いた。つまらない特技の1つや2つ、大げさに吹聴しているのだと思ったからだ。
ところが茶髪はそんな考えさえもお見通しだとでも言うように、どこか挑発的に男を見据える。
「む、その顔は信じていないな。ならば、君の素性をあててみせようか」
「どうぞ。できるのなら」
こほんと1つ、やけに芝居掛かった動作でせきばらいをすると、茶髪は猛然と話し出す。
「残念ながらおれが語るべきことは少ないが。君は現在槍術を極めているようだ」
「ええ」
男は頷いた。愛用の槍は後ろに立てかけてある。
「任地はクルザスか。随分日焼けしている」
「そうですね」
これも正解だ。
だが、別に驚くほどのことでもない。
「採掘を経験している」
「その通り」
「強い野心がある」
「よく言われます」
「今日は人にあった帰りだ」
「……えぇ、まぁ」
「おそらく、一ヶ月ぶりほどだろう」
「……」
「そして、誰かに襲撃されることを恐れているね。自分の獲物以外にも、懐に強い武器を仕込んでいるのだから。ああ、いや、頷かなくてもいい。正解だろう?目を見張ったのが何よりの証拠だ」
男は唇から笑みを消した。
視線が泳ぎそうになるのを必死に抑える。
何もかもが図星だ。本当に初対面かと疑うほど、茶髪の推測は正確だった。
意図せず吹き出た汗が頬を伝う。
「はは……。すごいですね、探偵でも相手にしている気分ですよ」
「それは嬉しいな」
茶髪は言葉通り嬉しそうに、上品に微笑む。
男は彼に対する評価を改めた。頭でっかちの自信家とばかり思っていたが、違ったようだ。侮れない。
「もう結構。疑ってすみませんでした。あなたの特技は素晴らしい」
「まぁ何かの縁だ。もう少し、俺の推理遊びに付き合ってくれ。素性の知れない神殿騎士団兵は気になるだろう?君が入手した名簿には載っていないだろうから」
背中を冷たい手で撫でられた気がした。
茶髪はニコニコと笑みを絶やさない。
「何を、」
「ふぅむ。君は実に顔に出やすい性格のようだ。俺としてはやりやすいが、間諜をするのなら、もう少し嘘のつき方を覚えた方がいい」
店内の騒めきが一気に遠くなる。彼はそう大きな声を出しているわけでもないのに、茶髪の声だけがやけに響く。
こちらが観察していたことに気付かれている。おまけに、正体も見透かされている。
何故だ?何もミスはなかったはずだ。この一ヶ月にわたる潜入で成果をそれなりにあげ、そろそろ引き上げようかと思っていた矢先だったというのに。わざわざ特徴を消すために、弓から槍へ持ち替えた。派手な行動は控えていた。今朝の密会だって、誰も怪しむ者はいなかった。それが、何故。
「何故、と思ったか。同じ神殿騎士団は十分に警戒し欺いていたようだが、さすがに教皇直属の親衛隊組織はノーマークだったらしいな。ははは、そうだろうな。そうだろうとも。我々は教皇猊下の名でしか動かない。神殿騎士団の任務に関わってくることはないと踏んでいたんだろうが……」
ちらりと翠の目がこちらを向いて、ぞっとした。その一挙一動が男を怯えさせる。
心臓にナイフを突きつけられている気分だった。
「一部、変わり者もいるんだよ」
「あ、あんた、一体」
茶髪はただ笑みを深くした。
「おれはあまり大層な肩書きが好きでないから、口にするのは憚られるのだが、聞かれたのならば答えねばなるまい。大賢のヌドゥネーという名前を聞いたことはあるかな」
知っている、知っているぞ!確か変わり者だって有名な魔術士だ。おい待てよ。話が違うぞ。何故蒼天騎士団がここにいる。神殿騎士団の任務に関わることはないんじゃなかったのか。まさか最初から追われていたというのか。いや経緯など今は正直どうでもいいバレた逃げなければヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバい―――
「なーんて、ね」
その言葉とともに、彼の纏う雰囲気が一変し、柔らかいものになった。ヌドゥネーと名乗った茶髪は腹を折り、さもおかしそうにからからと笑いながら男の肩を叩く。
「ハ、ハ!何を青くなっているんだ。もしや、真に受けたのか?かの蒼天騎士団が、こんな安酒場に来るわけないだろう!君は真面目だな、冗談も通じないのか」
「い、いえ……」
直感が告げている。さっきのは冗談などではなかったと。その証拠に、どこまでも冷たい2人分の視線がじっとこちらを観察している。まるで出方を伺っているように。
男は頼んだ料理よりも少し多めのギルを置き、転がるように椅子から立ち上がった。
「私は急用を思い出したので、これで帰らないと」
「おや、もう?」
きょとりと目を丸くさせる姿でさえ、演技に思えてきた。不思議そうに小首を傾げる様がかえって不自然で、男は身震いする。
出入り口へと足を向けると、それまで静観を決め込んでいた黒髪が柔和に微笑んだ。
「夜道にはお気を付けて」
ああくそ!くそったれ!白々しい!
こいつらは全部気付いてやがる!
男は振り返りもせずに店を飛び出した。
諜報活動は全て筒抜けだったのだ。とにかく、一刻も早く戻らなければ。裏にチョコボをつないであったはずだ。殺される前に、仲間に知らさなければいけない。
皇都には、とんでもない奴が潜んでいる!
「行ったな」
「行ってしまいましたね」
そそくさと逃げていく背中を目で追いながら、オムリクとヌドゥネーは同時に息をついた。
「やはりアレが密偵だったか」
「そのようですね。一ヶ月も気付かなかったなんて、腹立たしい限りです」
「そうだな。しかし、随分怯えていたようだ」
「当たり前でしょう。他人に素性を言い当てられるなんて、不気味じゃないですか」
「むぅ……」
テーブルに頬杖をつきながら、ヌドゥネーは不満げだ。俺はただ、観察に基づいた結果を言っているだけなのに、少し言い当てただけでまるで化け物を見るかのような顔をされる、とぶつぶつ不満を垂れている。
そんなヌドゥネーを慰めながら、オムリクは後ろを仰いで片手を挙げた。
すると、出入り口付近のテーブルでトリプルトライアドに興じていた冒険者らしき男らが席を立ち、こちらに向かって敬礼する。そして、彼らはカードを置くと、先ほど出て行った異端者を追うようにして店を出た。
これでじきに、異端者たちの潜伏場所が割れるだろう。神殿騎士団に紛れ込んだ密偵を探せという指令は達成したので、もうあとは彼らに任せればいい。
わざわざ神殿騎士兵用のローブを借りて、変装した甲斐があったというものだ。
「それにしても、毎度貴方の手腕には感嘆しますね。一体どうやっているんです?」
「ん?ああ。簡単なことだよ」
彼は口元に手を添えて、クスクスと笑った。
「昔から、顔色を伺うのは得意なんだ」