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    Hiyokonobf

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    Hiyokonobf

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    六年生、なりたてほやほや登校中の留伊🌸

    さくら 善法寺伊作は空を見あげた。全面桜色の空を。
     春。美しく咲き乱れた桜が、伊作の頭上を覆って、さらに風に吹かれた花びらが次々に降りそそぐ。伊作はすうっと息を、深く吸いこんだ。春の、あたたかく少しつんと切ない空気を。
     絶好のお花見日和だ。――こんな状態でなければ。
    「はあ、……」
     伊作は今度は、ため息をついた。途方に暮れたため息。
     見あげた空は丸く切り取られ、降りそそいだ花びらは、風に攫われもせず伊作の身体の上にじゃんじゃん積もっていく。どこにも行き場がないから。ここは深い、穴のなか、なのだった。
     新学期。今日から最高学年にもなり、うきうきとほんの少しの緊張も覚えながら、学園への道中を進んでいた伊作を、不運が襲ったのは半刻ほど前のことだった。
     道端に等間隔に植えられた桜は満開で、それに気を取られている伊作の足元に、うさぎが一羽飛び出してきた。向こうもよそ見をしていたらしい。お互いに驚いて後ろに飛びずさり、伊作はこの穴に落っこちたのだった。
     ごみでも埋めるつもりだったのだろうか。穴は縦に細く長く、おしりから突っこむように落ちた伊作は、もう半刻も、脱出はおろか、体勢を変えることも叶わないのだった。
    「ああ、新学期から不運だ……」
     頬にさらりと花びらが触れる。ばやく伊作をなぐさめるみたいに。
     でも伊作は、ちっともなぐさめられはしなかった。誰か通りかかるまで、このままなのだろうか。せっかく早く出てきたというのに、遅刻もしてしまう。
     上を見あげると、桜は相変わらず堂々と空に向けて枝を伸ばし、花を生き生きと咲かせていて、伊作はなんだか羨ましくなった。
    「ああ、僕も桜だったら……」
     意味もないことを呟いたその時。
    「おっ、いたいた」
     穴から、ひょこりと誰かが顔を出した。逆光になって顔はよく見えない。が、その声から、伊作はぱっと明るい気持ちになった。
    「留三郎!」
    「よ、伊作。新学期早々やっているな」
     ははは、と笑うと、待っていろ、という声とともに縄がたらされる。頑丈そうな縄。それを伊作はぎゅうっと両手で掴んだ。
     ぐんと最初に上半身が持ちあげられ、その勢いに竿さすように穴の壁を蹴ると、伊作は一気に、ようやく脱出することができた。
    「すまないぃ……留三郎」
     伊作は穴のそばにへたりこみ、安堵に本日三度目のため息をつく。つくづく不甲斐ないと思った。
    「なに、気にするな。通りかかったらお前の荷物が放り出されていたから、まさかと思ってな」
     にこやかに言いながら、留三郎は使った縄をくるくると器用に小さく纏めている。
    「よく縄なんて持っていたね」
     縮こまっていた背中を伸ばし、伊作は訊ねる。真新しい、頑丈そうな縄。
     ただ新学期、学園へ行くだけなら、いらないもののような気がした。
    「まあ、念のため、だ」
     にんまり笑う留三郎に、ああ、と伊作は思う。ああ、もしかして留三郎は、自分の不運を見越して――。
     それは一見自意識過剰のようだけれど、でも今までも留三郎には、たくさんの不運を助けられてきた。学園の内外で。幾度となく。だから彼が、伊作の不運を見越して縄を持ち歩いているのも、ここを通るのも、だからすべて必然だったよう気が伊作はした。
     とはいえ、だ。
    「こんなので、最上級生になれるのかな」
     なんだかどっと疲れて、手近な切り株に腰かけ――ようとして、伊作はひっくり返った。切り株はすでに根から腐っていたようで、伊作が座るとぱかんと真っ二つに割れたのだ。踏んだり蹴ったりだ。
     背中から、腰を持ちあげた格好で倒れこんだ伊作に、留三郎は苦笑しながら手を差しだす。
    「大丈夫か」
    「うーん……」
     伊作は唸る。大丈夫では、ちっともない。むしろ、どんどん落ちこんでしまう。
     ほんとうに、こんな有様ではとても最上級生になれないと思ったのだ。頼りがいがあり、忍者としても優秀だった、先月、卒業した先輩たちの顔を伊作は思い浮かべる。
     厳しくも優しい先輩だった。あんなふうに、なれるのだろうか、自分が。
    「不安か?」
     留三郎が髷に触れる。なにかと思うと、くっついた花びらを取り払ってくれているようだった。
    「不安だよ。留三郎は不安じゃないの」
     留三郎の黒い髪にも、花びらはたくさんくっついていた。この桜吹雪だ。
     ここにいる限り、回避することは困難だろう。
    「そうだなあ。まあ、先輩たちのようにはなれないかもな」
     あっけらかんと留三郎はいう。あんまり潔いので、伊作は驚くひまもなかった。
    「俺は先輩じゃないからな」
     反応できずにいる伊作の顔を覗き、留三郎はそろそろ行くか、と道の先を指さす。長い、ふしくれだった指。
    「どういう意味?」
     先に立って歩きはじめた留三郎の隣りに並び、伊作は訊ねる。今度は桜ばかりに気を取られないよう、足元にも注意しながら。
    「俺は、六年生には、なれるものじゃなく、なるものだと思っている」
    「?」
     ばさりと音がして、なにかと思えば伊作の目の前に迫っていた折れた枝を、留三郎が払い落としてくれたのだった。あっちを気にするとこっちが疎かになる。なかなかうまくいかないものだ。
    「俺は俺、先輩は先輩だ。俺は先輩にはなれない。しかし反対に、先輩も俺にはなれない。だから俺は、俺なりの、俺のやり方で、後輩たちにいい見本になれるようにしよう、ということだ」
     分かったような、分からないような気が伊作はした。そりゃあ、留三郎は鉄双節棍も得意だし、身体も六年生中ではなかなかにできあがっているから――。
    「伊作には、伊作のよさがあるだろう」
    「僕の?」
    「ああ、何度不運にあっても諦めない。根をあげる連中もいるなかで、お前は五年もしがみついてきた。根性があるじゃないか」
    「根性、ねえ……」
    「それから……」
     留三郎がふと足を止めたので、伊作も半拍遅れて立ち止まる。
    「どうしたの?」
    「あれ、学園の新入生だろうか?」
     あれ、と留三郎が見つめる先――。伊作もそちらを見やると、見慣れない子どもが、木のしたで細い膝を抱えて座りこんでいた。
    「どうしたんだろう。けがしてるのかな」
     咄嗟に伊作は駆け出していた。
    「大丈……うわあっ!」
     もう少しで子どもの元へ、というところで、伊作は石に躓いて盛大に頭から道に突っこむ。
    「伊作!」
    「っ、ええっ!?」
     子どもと留三郎の叫び声。
    「あ、あの、大丈夫ですか……?」
     明るい、甘みのかかったアルト。声変わり前のその声が、半ば怯えたようにおずおずと、伊作を案じるように揺れる。
     伊作は慌てて起きあがり、大丈夫だという証明のために笑ってみせた。
    「おい、伊作。気をつけろ」
     後から追いついた留三郎に助け起こされながら、伊作は子どもに向けて声をかけた。
    「すまない、留三郎。きみどうしたんだい、こんなところで座りこんで」
    「……あの、えっと……そこの、石」
     子どもがすいと指さす先、伊作と留三郎はふり返って目を凝らした。そこには、半分土に埋まった石が、罠のように顔を出していた。道の、わりと真ん中のあたり。
     なるほど、伊作はこれにつまずいたのだ。
    「僕も、それにつまずいてしまって……」
     そういう子どもの小袴から伸びた両膝は、擦り傷で真っ赤に血が滲んでいた。どうやら、伊作同様、もしくはそれ以上に派手に転んだらしい。
     心細げに眉をさげる子ども。茶色いふわふわの、伸びきらない髪が頼りなく揺れる。
     伊作と留三郎は目を合わせ、それからにっこり笑った。
    「大丈夫。待ってて、いま処置をしてあげるから」
    「おれはあれをどかしておくよ」
     手分けして、伊作は川からくんできた水で子どもの膝を洗い、それから荷物に入れておいた頭巾を割いて、巻いてやった。
     留三郎は持っていた苦無で石を掘り起こすと、道の端に転がす。
    「あ、あの……これいいんですか?」
     伊作の割いた頭巾を見て、子どもが不安そうに訊ねる。
    「ああ、いいんだよ。こんなのは、また支給してもらうから。ね、留三郎」
    「そうだな。よし、学園までおぶっていってやろう」
     留三郎が子どもの前にしゃがみこむと、子どもは大人しくその背中におさまった。行くぞ、と留三郎が勢いよく立ちあがる。力強い背中。
    「あ、あの、先輩、すみませんでした。頭巾……」
     未だに気にしているらしい。子どもは自分の膝と、伊作とを見比べ、申し訳なげに言った。叱られたみたいに縮こまって。
     伊作はふっと微笑む。子どもを安心させようと思うより、早く。自然に。
    「いいんだよ。さっきも言ったけれど、頭巾はまた支給してもらうから。それより、足、早く治るといいね」
    「……ありがとうございます。先輩は、とっても頼りになりますね」
     はにかむように微笑む子どもに、伊作は面食らう。
    「ええっ、僕が!? 留三郎じゃなく?」
     驚いた。頼りになる、だなんて。伊作は驚いて、留三郎の顔を思わず見つめる。
     留三郎は前を向いたまま、満足気に笑っていた。どうだ、わかったか、とでもいうように。
     そういうこと、なのだろうか。
     伊作は伊作、留三郎は留三郎。伊作は留三郎にはなれない。しかし反対に、留三郎も伊作にはなれない。だから伊作は、伊作なりの、伊作のやり方で、後輩たちにいい見本になれるように――。
     そういうこと、なのかもしれない。伊作はにわかに嬉しくなり、留三郎の半歩先へ、ぴょんと飛び出す。
    「分かった気がするよ、留三郎」
    「そうか、よかったな」
     子どもが不思議そうに、留三郎の背中で首を傾げる。
     学園までは、あともう少しだ。
     
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