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    Hiyokonobf

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    Hiyokonobf

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    スペースで聞いた刑事×探偵ぱろのもんけま。昨日あげたけど恥ずかしくなったので一旦さげて、誤字脱字修正し、さらに書き足してみた~~
    でもまだまだ途中

     その日は朝から曇天で、重苦しいぶ厚い雲が空に垂れこめていた。予想気温二十度のくせに湿度が高せいか、出勤するこの数分だけでじっとりと汗ばんで、文次郎は額の汗を乱暴に拭う。なんとなく、こういう日はよくないことが起こる、と思った。
     刑事の勘――というほど、長く警察をやっているわけではない――文次郎は警察学校卒業後、運良くキャリア組からスタートすることができ、二十八にしてすでに警部補だ――とでもいうのだろうか。胸騒ぎというほど大げさでもないが、どうにも落ち着かない気持ちにさせる天気だったのだ。
     その予想はあたった。だから文次郎は今、車を飛ばしている。現場に向けて、サイレンを鳴らしながら。
     悪報は文次郎が出勤してすぐ、書類に手をつけようとしたときにもたらされた。
     フロアの奥の方。窓を背にし、ぽつんと島から孤立した机、の、その隣りに配置されているのが文次郎の机だ。隣りは勿論、文次郎の上司――今日は不在だけれど――の警部の席で、その周りからやや隔絶された自席の、座り心地の悪い事務椅子にどっかりと腰掛けるや、溜まった書類を読もまなければ、と思った矢先。
    「潮江警部補!」
     数分前に鳴った電話の応対をしていた部下が、受話器を持ちあげ、高らかに文次郎を呼んだ。ざわめいたフロアにもよく響く声は、部下ながら捜一で揉まれただけはある。
     文次郎は内心で舌打ちをしながら、こちらも声を張る。
    「なんだ?!」
     問いかけながら、文次郎を見る部下のその表情――眉を顰め、中途半端にひらいた唇――から、よくないことが起こっているだとすぐさま想像でき、文次郎は心底うんざりする。そういえば、さっき110番入電があったけれど。それと関係しているのだろうか。しているのだろうな。殺しか、強盗か。放火か、誘拐か。考えるだに気が滅入る。
     まあ捜査一課にいるのだから、強行犯係という名の通り、舞い込む事件は大半は凶悪なものだ。むしろ、それ以外にないといってもいい。
     血みどろ、怨恨、憎愛、刺殺、銃撃、殴打、エトセトラ。なにに遭遇してもなかなかハードな案件ばかりを扱うためか、捜一に所属すると人相が悪くなる、などと言われるほどだ。
     じゃあ俺のくまもそのせいか、と思い、これは生まれつきだったな、と文次郎は自嘲しながら立ちあがり、部下の元へ近づく。彼は文次郎を目で追いながら、机の正面から身体をずらす。まるで磁石のN極にS極が近づいたみたいに、すっと。電話機の前を、明け渡すように。
     文次郎はそれに手を立てて拝む格好をし、受話器を受け取った。それに耳をつける前に、部下が小声でそっと囁く。 
    「ついさっき、武庫之荘で発生したコロシの現場からなんですけど」
     やっぱり。内心でため息を吐く。
     なぜ人は、人を簡単に殺すのだろう。それは法律でいけないと決まっている、というのもだし、人情的にもだ。なぜ人は、人を殺さなければいけないのだろう。
    「機捜か?」
    「はい。なんか、へんなぼさぼさ頭の男が、俺は探偵だ、潮江を呼べと言っているらしく……」
     ぼさぼさ頭の、探偵――。言っている部下も意味がわからないらしい。困惑顔で文次郎を見つめ、首を傾げる。受話器の向こう、おそらく機捜も、戸惑っているに違いないことも容易に想像がついた。
     そして同時に、その部下と機捜を困惑させている人物も。文次郎には心当たりがあった。ありすぎるほど。
     やっぱり。勘は当たるのだ。それも、悪い勘はとくに。
     なにをしとるんだ、あいつは。思わず天を仰いだ。まったく、いつも余計な仕事ばかり増やしやがって。
     その文次郎の仕草に、目に見えておろおろとしかける部下に、そっと首をふる――心配するな、のつもりで――と、文次郎は応答する。
    「もしもし、潮江だ……おい、今からそっちに行くから、ぼさぼさ頭に大人しくしてろと伝えろ」
     文次郎は機捜の言葉も聞かず、受話器には口早に言い終えると、一方的に電話を切った。
     ああ。これで、今日の書類仕事はなしだ。手早く、出した書類を手付かずのまま抽斗に片付け、明日の自分に託す。が、きっと明日の自分は、なぜ今日のうちにやっておかなかったのかと嘆くに違いない。あんなやつ、放っておけばよかっただろうと。
     でも、どうしようもない。ぼさぼさ頭の探偵が、俺を呼んでいるのだから。


     現場には、十分ほどで着いた。サイレンを鳴らして車をとばしたからだ。シトロエンCX。ちょっとレトロな愛車を転がし訪れた閑静な住宅地。
     阪急神戸線「武庫之荘」駅の北側に位置するこのあたりは、区さ七十年ほど前に区画が分譲整理され、そのわりに新しい家も多く、反対にパチンコ店などは少ない。そのおかげか、このあたり一体はすこぶる治安がいい。
     街の中を流れる水路には橋がかかっていて、通し番号がふられているのも、風情がある。街路樹もよく手入れされていて、なかでも四丁目なんかは、都市景観の賞かなにか、数年前に評価されていた気がする。
     そんな住宅地の一角。ごくふつうの一戸建てのなかで、事件は起きたようだった。そう大きくもなく、かといって小さくもない。デザイナーが手がけたのだろう、そこここに趣向――壁の端にパズルのようにレンガが組み合わされていたり、アイアン調のベランダ柵だったり――をこらされた家の前には、赤色灯を乗せた普通乗用車が塀に横付けに停まっている。おそらく、先に駆けつけていた機捜の車だろう。
     救急車の姿はすでになく、ガイシャは運び出されたあとらしい。
     シトロエンを機捜の車の後ろへ停めて鍵をかけ、文次郎は門の呼び鈴を押した。
     ちらりと見た車庫にはシャッターがしてあり、なかのようすは見られない。住人の民度がいいのか、平日の昼間のためか、周りで野次馬をしている人も少なかった。
    「はい、どちらさまですか」
     答えた声は男だった。住人か、機捜か。
    「どうも。大阪県警の潮江です」
    「潮江警部補!」
     インターホンに呼びかけると、打てば響くようにすぐさま男の声が返る。どこか親しみのある声は、おそらく警察関係者。
     まあ、実際こんな時に、住人が応答を許可されているはずもない。
    「今お迎えにあがります」
     ぶつりとインターホンが途切れ、玄関扉がひららいた。なかから靴に白い不織布のカヴァーをかけた機捜がひとり、まろぶように飛び出してくる。
    「すみません、御足労いただいて! お待ちしておりました!」
    「かまわん。どうせいつかは呼ばれるんだろ」
    「……まあ、その通りです……」
     しおしおと頷く機捜の後に続き、玄関から伸びる廊下を奥へ進む。左右にあるいくつかの扉は、おそらくトイレやバスルーム、といったところか。
     突き当たりの扉を潜ると、そこは広々としたリビングになっていた。アイランドキッチンとひと間続き。扉を入って右がキッチン、左がダイニングとリビング。ダイニングには四人がけの椅子がセットされており、リビング部分には毛足の長いラグを両側から挟むようにして、大きなテレビと大きなソファ。
     そのダイニングの椅子とソファに男女が数名、銘銘、立ったり座ったりしている。一様に不安そうな、不満そうな、なんとも言えない浮かない顔をしている。
     その中のひとり。ダイニングに尻を引っ掛けるようにしていた男が、ぱっと立ちあがった。
     彼は文次郎を認めると妙ににこやかに、こちらに駆けよりながら、
    「おお、もんじ!」
     などと愛称で文次郎を呼ばう。両手を広げた、大仰な身振り。
     ぼさぼさ頭をハーフアップにし、服装はそれに似合わないかっちりめの紺のスーツに身を包んだ男。
    「留! やっぱりお前か。なにしてやがるんだぁ、こんなところで!」
     留。――食満留三郎。文次郎の幼なじみ、かつ、腐れ縁の友人と呼んで呼べなくもない、まあ悪友、とでもいったところか。
     留三郎は文次郎が睨めつけると、ぴたりと動きを止め、肩をすくめた。
    「なにって、探偵の仕事に決まってる」
    「そんなもん決まっとらん。なにを調べてた」
    「……言えるかの。依頼人の守秘義務とプラバシーがあるだろうが」
    「こっちは事件を捜査しにきた警察だ、バカタレ。まあ今はいいが、あとで洗いざらい吐いてもらうぞ、留三郎」
     そう言うと、彼は不服げに唇を尖せた。
     留三郎は警察ではない。いわば私立探偵――資格があるわけじゃない、勝手に名乗っているのだ。探偵というものは、須らく――で、どうしてだかこいつは、事件のあるところにしばしば現れ、捜査を引っ掻き回してくれる。
     大げさでなく、文次郎とはもう、何度も殺人現場や強盗現場で居合わせている。小中島の強盗、蓬川町の殺人未遂。もはやこいつが事件を引き起こしているのじゃないかと疑うほどの遭遇率だ。
     その留三郎の拗ねたような顔。そんな顔をしてもむだというか、まったく可愛くないうえに癪に障るからやめろ、などという余計なことはこの際飲みこみ、文次郎は周りを見回した。
     文次郎と留三郎のやりとりをぽかんと呆気にとられて眺めている面々に、説明と、事情を聞くためだ。住人など、完全に一般人側で、あからさまに怪しい留三郎と文次郎が親しく――見えているのなら若干腹立たしい。別にこいつとは親しくはない――会話しているので、やや怪訝な顔で文次郎を睨めつけている。
    「失礼しました。私は大阪県警の潮江文次郎です」
     咳払いをして警察手帳を掲げ、住人に向けて名乗り、
    「なにがあった?」 
     と、それは機捜に向けて訊ねた。しかし、それに答えたのはなぜか留三郎だった。
    「コロシだよ。密室殺人。この家の奥さんが殺された。二階の一室だ。おそらく彼女の自室だろうけど……。おかしいという話になって、駆けつけた時には鍵がかかってた」
    「鍵、か……」
     室内に鍵のかかる部屋のあることに、文次郎は少し驚く。トイレ以外にも鍵がいるのか。
    「俺たちは最初、このリビングで話していたんだ。あ、ここへは依頼の報告にきた。だが報告の最中、スマホが鳴って、確認すると、ちょっと、とかなんとか、急に二階に行くから待っててくれと言って席を外した。それから一時間も戻ってこなかった」
    「……、ほお。一時間か。よく待ってたな。で、お前はなんでここにいるんだ?」
    「勝手に人ん家うろつくわけにもいかないだろ。あ、理由は言わねえからな。守秘義務だって言ってるだろうが。どさくさ紛れに、言うわけないだろうが」
     バレたか。仕方がない、それはあとで聞くことにして、文次郎は目顔で続きを促す。
     留三郎はじろりと文次郎を睨み、しかし大人しく話を続ける。
    「……待っててくれっていうから待っていたが、待てど暮らせど全然戻ってこないから、ようすを見に行こうかと迷っていたところに……」
    「私が鉢合わせたんです。あ、私は亡くなった美穂子の夫で竜太郎といいます……」
     なるほど、ガイシャは美穂子というのか。説明しながらソファから立ち上がった男は、優しげな目元を落窪ませ、憔悴しきった顔をしてはいるが、文次郎とそう変わらない年頃のように見える。
     上等そうなスーツ。足元には、忠犬を侍らすみたいに皮の鞄を置いていた。
     男は恨めしげな視線を留三郎に送り、心底いまいましげに吐き捨てた。
    「驚きましたよ、家に帰ったら見知らぬ男がいるんですから」
    「俺も驚いたよ。昼間はダンナは帰ってこないと聞いていたからな。それで事情を説明したんだが、なかなか納得してくれなくて……」
     留三郎が後を引き取る。まあ、納得などできないだろう。
    「納得なんかできるわけないだろう! 自分は探偵で、美穂子に頼まれて雇われたなんて! おまけに内容は言えないの一点張りだ」
    「だから、守秘義務だと何回も言ってるだろう。探偵が依頼内容をしゃべるなんて、信用に関わるんだよ」
    「その美穂子が死んだんだ、もう守秘義務もなにもないだろう!」
     睨み合うふたりの間に、文次郎は割ってはいった。ほんとうはけんかの仲裁などごめんだが、話が進まないのでは困る。
    「その話はあとにしろ、留三郎。竜太郎さんも、あとで言い分は聞きますから、続きを頼みます」
     留三郎は俺じゃないとでも言いたげに目をすがめ、しかしすんなりと引き下がった。竜太郎も渋々だが黙り、そこにおずおずと初老の女性が口をひらいた。 
    「そこへ私が、階上から降りてきたんです」
     ダイニングに座ったまま、小さく手を挙げる。べつに発言は挙手制ではないのだけれど。
    「ビックリしました。喉が渇いたから階下に降りてきたんですが、リビングが騒がしくて……覗いてみたら、竜太郎さんとこの人が口論をされていたので……」
     あ、私は美穂子の母です。月世といいます、と女性は深々とあからさまに文次郎に頭をさげた。それからすっと顔をあげると、留三郎には胡乱な視線を投げかけた。
     それだけじゃない、竜太郎と呼ばれたこの家の主人も、機捜も、留三郎を訝しげな目で見ている。
    「口論って……俺はただ説明をしていただけで……」
     全員の視線に気がついたのだろう。留三郎の言葉尻が、心底困ったように萎んでいく。立場の悪さを自覚したらしい。
     助けろ、と目顔で訴えられたが、文次郎はとりあえず無視を決めこんだ。
    「それで、口論を目撃されて、どうしたんです?」
     月世に向けて訊ねたが、答えたのは竜太郎だった。
    「お義母さんがリビングに入ってらして、とても驚いておられたので私が説明しました。忘れ物をとりに戻ったたら、知らない男がここにいたのだと」
     知らない男、のところで留三郎に、竜太郎はまたじろりと鋭い視線を向けた。
     留三郎は居心地が悪そうに肩をすくめる。
    「しかし、とうの美穂子がいない。こいつが二階にあがったというから、私がお義母さんとこの男をここに残して、ようすを見に行きました」
     文次郎は首を傾げる。早く先を聞きたい気もしたが、むずりと違和感がよぎって、どうにもたまらなかった。
    「……怪しい男と、お義母さんをふたり、おいていったんですか?」
    「ええ。男をひとりすると、なにをするかわからないので」
     竜太郎は当然というように、鼻息荒くこたえた。お前はじゃあ、野放しにしておけるのかと挑発の空気すら感じられる。ギラリと光る瞳の奥。
     文次郎は軽く頷き、続きを促した。竜太郎はため息をつくと、唇を湿らせるように舐めてから口をひらいた。
     留三郎はもう、口を挟む気はないらしい。黙って話を聞いている。余計な茶々を入れないところは感心だ、と言いたいところだけれど、その瞳は、説明について、なにかおかしなところはないかと疑う色をしていた。虎視眈々と、小さな綻びまで見逃すまいとするように。
     頼むから、余計なことはいうなよ、と文次郎はほとんど懇願するように留三郎の横顔を見つめる。するとふいに留三郎の目がこちらを向き、視線があった。
     にこりと、目尻を下げる。無防備な、まるで主人を見つけた犬みたいな緩んだ顔。
    「……!」
     思わず目を逸らし、文次郎は竜太郎に質問した。
    「それで、二階にあがってどうしました?」
    「妻の自室に行きました。ドアをノックすると鍵がかかっていて、声をかけましたが返事がないので、今度は拳でドアを叩きました。こう、二、三回」
     竜太郎は拳を振りあげ、振りおろす動作をする。
     なるほど、と文次郎は頷いた。
    「竜太郎さんは待っていろと言いましたが、なんだか二階が騒がしいので気になってしまって……」
     月世が口を挟む。あちこちと演者が変わって忙しい。けれどまあ、これはまだましなほうだ。興奮しきっていたり、怒り狂っていたりすると、話にならないどころか、こちらが警察官でもかまわず手をあげようとする者もいる。罵声を浴びせ、なだめようと型に手をかけると暴れもする。
     それに比べれば、今日はなかなかに落ち着いて話ができている、と文次郎は思った。これならば、聴取は順調に終えることができるだろうと。とりあえずは。
    「この方と二階にあがりました」
    「そ。それで、旦那がドアを叩いてるから事情を聞いたんだ。そしたらドアがあかない、返事がないって言うだろう。だからふたりで扉をこじ開けた」
     留三郎がそう言うと、竜太郎と月世は途端に顔を青くし俯いた。元々青い青かった顔が、ほとんど白くなっている。美穂子のこと切れた姿でも思い出したのだろう。気の毒に。
     黙りこくるふたりに変わり、留三郎がやれやれと説明を続ける。
    「そこで美穂子さんを見つけた」
    「どんなふうに?」
     文次郎が先を促すと、留三郎は口ごもる。顔をやや下に向け、ちらりと竜太郎と月世に視線を投げた。
     どうやら遺族を気づかっているらしい。すでに青い顔をしている家族に、また状況説明を聞かせるのも酷か。
     文次郎は気がつかなかったが、こいつはこういうことができる男だ。疑われているにもかかわらず。人のいいやつめ、と文次郎は思い、同時に自分の至らなさを改めながら、「わかった」とそこで一旦話を終わらせた。
    「あとは個別に聞く。全員、ここにいてくれ。俺は少し二階を見てくる」
    「俺は?」
     と留三郎が聞くので、お前も一緒だバカタレ、と言いおいて、心配なので機捜の隊員をひとり、リビングに残して、文次郎はもうひとりと二階にあがる。
    「あの男、何者ですか」
    「あの、……? ああ。まあ気にするな、たぶん犯人じゃねえし、悪いやつじゃない」
     隊員に案内され折りかえし階段をあがりながら、文次郎はくっと口のなかで小さく笑う。事件には数しれず巻き込まれてきた――首を突っ込んだとも言える――男だが、容疑者候補になったのは初めてだ。
     くつくつと笑う文次郎に、隊員は不満そうだ。肩越しにふり返り、「知り合いだからですか」と憮然とした声を、上から降らせてくる。
     文次郎は目を瞬く。
    「そう見えるか」
    「見えます。私情なんて、鬼の潮江警部補らしくありませんね」
     ――私情。随分手厳しいなと思い、まあそれも仕方がないとも思った。仕方がない、こいつは留三郎のことを、少しも知らないのだ。
     あいつがどんなに優しくて、情に脆いか。どんなに一所懸命でまじめで、真っ直ぐなのか。なにひとつ、知らないから。
     あいつだって――、と文次郎は思う。あいつだって、元々は警察を目指していたのだ。一緒に。そりゃあソリが合うのか合わないのか――そのことを、文次郎自身でもよくわからないでいる――しょっちゅう喧嘩もしたけれど。文次郎は留三郎の実力は買っていた。
     体力知力ともに申し分なく、なにより気持ちがほんとうに真っ直ぐで、誇りと使命感をもって国家と国民に奉仕できる男だった。人権を尊重し、公正かつ親切に職務を遂行でき、――清廉にして、堅実な生活態度を維持もしていた。
     それが、警察学校を卒業したにもかかわらず、やつは警察にならなかった。キャリアだって狙えたのに。なにもかも蹴って、探偵なんぞになった。
     文次郎は留三郎のその選択を、今でももったいないと思っている。そしてその反面、それでよかったと、思っているのもまた事実だ。相反する感情は、今も文次郎の胸のうちに、しこりみたいに蹲っていて、ことあるごとに顔を見せる。そうしてうじうじ考える文次郎は、その自分の女々しさに時々いやになる。
     気にしているのは、文次郎のばかりだ。とうの留三郎は、さっぱりとしたものなのに。
    「……まあ、見逃してくれ」
     しかしそのことを説明するつもりも意味も文次郎には持てず、そう言って無理やり話を片付けた。隊員はまだ不服そうだったが、ちょうど階段を上りきり、短い廊下に出たので話はそこで終わった。
     二階には三部屋あるようだった。階段を登ってすぐ、両脇に二部屋、それからその奥、左側に一部屋。右側には扉がひとつしかなく、そこだけ広い部屋なのだろうと文次郎は予想する。夫婦の寝室だろうか。
    「あの左奥の部屋です」
     隊員に促され、文次郎は手袋をはめて奥の部屋に進む。
     扉は無惨にも壊されていた。留三郎と竜太郎がこじ開けたと言ったいたが。これは、ぶち破ったというのではないだろうか。
     ひしゃげた表面と、外れかけた蝶番。扉は斜めに、上の蝶番に辛うじて引っかかっているだけなので、そのうち倒れてきそうだ。
     扉に触らないよう、注意しながら室内を覗くと、鑑識の到着はまだらしく、誰もいなかった。
    「そのままか?」
    「はい、ガイシャを運び出した以外には」
     文次郎は壊れた扉を一通り眺め、室内に入る。とくに荒らされたようすはない。
     窓にも鍵が掛かっている。ベッドは多少乱れているようだけれど、「ここにガイシャは寝かされていました」と、文次郎の視線に気がついた隊員が補足してくれる。
    「多少苦しんだようだが、暴れたという感じでもなかったのか……?」
    「はい。見たところ、こう……両手を身体の横にして、ふつうに寝ている感じでした」
     隊員は気をつけの姿勢をし、首を横にそらす。美穂子の状態の再現だ。
     ほお、と文次郎は顎をかき、ベッドの周辺を見回す。ベッド脇には小さなナイトテーブル。その上には、シンプルな円柱のランプシェードののったランプ。その隣りには、文庫本とペットボトルの水が置かれていた。
     水は開封されてはいるようだが、中身はほとんど減っていない。
    「ガイシャに外傷は?」
    「ありませんでした。ほんとうに眠っているみたいで」
    「救急車と警察に連絡をしたのは?」
    「あの男です。本人が言っていました」
    「……わかった。とりあえず下に戻ろう」
     下に戻ると、人数が減っていた。
    「留はどこ行った」
     聞くと、隊員が困った顔で、「外に行かれました」と言う。
    「引き止めなかったのか」
    「勿論止めました! でもちょっとだけだから、とか言って……こちらのふたりを放置するわけにも行かず……」
     しどろもどろになる隊員を責めても仕方がない。文次郎はもいいと手を振り、留三郎を追って外に出る。
     やつは家と塀の間、美穂子の部屋の窓のちょうど増したあたりに蹲っていた。
    「おい、勝手に歩くなと言っただろうが」
    「は? 待ってろって言ったろ」
    「同じことだ。なにしてる?」
     留三郎はしゃがみこみ、塀の基盤、ブロックと土が面したあたりを見つめている。
    「いや、なか擦れたあとがあるんだよなあ」
     そう言われ、後ろから覗きこむが見えない。
    「どこだ」
    「もっと近くで見ろって」
     留三郎がすこし横にずれたので、文次郎もその場にしゃがみこんだ。ここだ、と留三郎の指さす先、確かにわずかだが、擦れたあとがあった。それに、
    「この、際。なにか刺さってたみたいじゃないか?」
    「どれ? あー、ほんとだな」
     前のめりに留三郎が身じろぐと、肩があたたった。なんとなく文次郎は居心地悪く、留三郎とは反対側に少しずれる。
     留三郎はちらりと文次郎を見たが、とくになにも言わずに立ちあがった。
    「文次郎。美穂子さんの部屋、見たんだろう」
    「ああ、見た」
    「違和感、なかったか」
    「布団の乱れがほとんどなかったし、行儀よく寝ていたんだってな」
    「そう。なんで俺が待ってるのに、ベッドになんか寝たんだ?」
     そんなことは知らん、と文次郎は言い、こちらも立ちあがる。それは後から考えることだ。
     そもそも、この事件は意味がわからないことだらけだ。竜太郎は書類をとりに戻った、と言っていたのに、車庫にはシャッターが閉まっていた。文次郎がここへ着いたとき、確かに見た。道路には機捜の車があるだけだった。そして月世。なぜ部屋にひとりでいたのか。誰かの指示だろうか。誰か――美穂子、だろうか。
     そうでなければ、月世が自宅にいるのに、留三郎を呼びつけるなんておかしい。というより、なぜわざわざ危険を犯してまで、美穂子は留三郎を自宅に招いたのか。
     近くの喫茶店でも、ファミレスでも、なんでもよかったはずだ。そして美穂子の見たスマホへの連絡。
     通話をした、とは留三郎は言っていなかった。見た、ということはメッセージで間違いない。
     それを見て、二階にあがった。美穂子は、なにを見たのだろう。
     ミステリー小説か、と文次郎は思い、なんとなくぐるりと上を見あげ、屋根の一箇所に目をとめる。
    「おい、留」
    「あ?」
     未だにしゃがみこんだまま、粘り強く壁や塀を見ていた留三郎が、やや面倒くさそうにふり返る。なんだその態度は。というか、こいつは容疑者なのだった。
     とはいえ、「お前、あの上登れるか」
     文次郎は屋根を指さす。大屋根より一段下、美穂子の部屋の手前にある落ち屋根だ。
     留三郎は目を凝らし、途端にいやそうに顔を顰めた。察しがよくて助かる。
    「見えたか?」
    「……見えた。なにかあるけど」
    「とってこい」
     手短に指示すると、留三郎は声を荒らげた。
    「はあ!? 俺は犬じゃねえぞ?」
    「知ってるよ。お前こういうの得意だろうが、こういうの。行ってこい」
     昔から、留三郎の方が身軽だった。体力的には五分だったはずだけれど、ウェイトが留三郎の方がわずかに軽い。
     だから留三郎は瞬発力もあるし、跳躍力もある。スポーツ全般をそつなくこなすタイプだ。対して文次郎はスポーツ自体は得意なほうだがけれど、如何せん体重が重い。持久力はあるので、下重心の生きるコンタクトスポーツが得意だ。
    「……お前の部下でもないんだが」
     留三郎はぶつぶつ言いながら、しかし足元を見回している。なんだかんだと言いながら、登ってくれるらしい。
     ということは、足場を探しているのだろうか。
     しかし防犯上もあるだろう。そんな都合のいいものは見つかるはずもなく、留三郎は顔をしかめて考えこみ、くるりと文次郎に向き直った。
    「文次、お前が足場になれ」
     少し楽しそうなところが癪に障る。声も心なしかはずんでいるように聞こえた。
     文次郎の勘違いでなければ。
    「留三郎。お前、ちょっと楽しんどらんか?」
    「んなことあるわけないだろう。ほら、見てきてほしいんだろ、あげろって」
     身体の前で組んだ両手を、上へ向けてぐんと突き出す留三郎に、文次郎は苦笑を零す。充分、楽しんでいるじゃないか。
     とはいえ、文次郎も少しばかり心が浮きたっていることは否めない。あそこになにがあるのか、あれは事件に関係しているのか。むずむずと、好奇心が顔をのぞかせる。 
    「……仕方ねえなあ」
     文次郎はわざとらしくため息をつき、あげてやるから下がれ、と顎をしゃくる。と、その前に。
    「手袋持ってるか?」
     証拠品――かもしれない――に、指紋をつけるわけにはいかない。ことに留三郎の指紋は。仮にも、彼は事件の容疑者であるのだ。
    「持ってねえ。というかとられた。機捜に」
     あいつら、俺を疑いやがって、となにやら思い出したらくぶつぶつ言う留三郎を宥め、文次郎はポケットから手袋を取り出した。
    「貸してやるから使え」
    「……へえ。やけに親切だな」
     にまりと口の端を歪める。憎たらしい顔だ。が、険しい顔をしているよりよほどいいと、文次郎は思う。それに、こういう顔をしだした留三郎は止まらない。
     時々それが厄介なことにもなるが、こうなった留三郎と協力すれば、事件の進展が期待できる。
     留三郎は事件を引っかき回すのは事実だが、同時に、文次郎も気がつかないようなことに気がついたり、警察では聞けない情報を持っていたりと、なにかと役に立つ。警察では手続きがないと入りこめない施設や住居にたくみに潜りこんだり、情報を求めてさっさと県外へ移動したりも易々とこなす。
     こんな時にも。身軽で話が早く、文次郎は実のところ留三郎には助けられていると思っている。本人になぞ、絶対に言ってなんてやらないけれど。
    「くだらんことを言ってないで、さっさとあがってこい」
     だから今も。文次郎はややそっけなくそう言い、先ほど留三郎がしたように両手を身体の前で組むと、腰を低く落とす。
     留三郎は眉を跳ねあげ、やれやれという顔をして見せるが、素直に塀に沿って玄関側へ後退し、助走距離をとった。
    「行くぞ、文次郎」
    「おうよ、留三郎」
     留三郎がこちらに向けて駆けてくる。ぐん、と一気にあがるスピード。タイミングと、信頼が命だ。
     文次郎が怯んでも、留三郎が怯んでもいけない。スピードも殺さないよう――留三郎が足を踏み切り、こちらに飛び上がる。その浮いた足を、文次郎は両手で支え、一気に上へ放り投げた。
    「うおっ!」
     留三郎は短く叫んだが、うまく塀に登れた。幅にして40センチほど。地上ならばそれだけあればバランスをとって歩くには充分だろうけれど、今は二メートルはある塀の上だ。
    「気をつけろよ」
    「わかってる」
     留三郎はそう請けあうと、両手でバランスを保って落ち屋根のそばまで行き、飛び乗る。そこで一度身体を傾がせ、文次郎はひやりとしたが、留三郎は難なく体勢を立て直すと、目当てのものに手を伸ばした。
     それは、指先ほどの――「おい、なんだそれは」
     留三郎が太陽にかざすように手を伸ばすと、きらりと陽光を反射する。ガラス――だろうか。留三郎はじっと、それに見入っている。
     落ち屋根の上にしゃがみこんで。
    「留三郎! さっさと降りてきて見せろ」
     文次郎が叫ぶと、留三郎はようやくわかったと手をあげ、それから文次郎にそこをどけと指示する。文次郎がなるべく遠くへ移動すると、留三郎は落ち屋根から塀、塀から地上へとぴょんぴょんと軽々と降りてきた。
     着地した留三郎に労いの言葉をかけ、文次郎はもう一度、なにを拾ったのか訊ねる。
    「ビー玉だった」
    「ビー玉ァ?」
     留三郎が差し出したのは、確かにビー玉だ。きれいな虹色の、指先だけでつまめてしまう、小さなささやかなおもちゃ。
    「なんでこんなもんが?」
    「さあな。でもここには子どもはいないし、屋根の上にビー玉ってふつうありえないだろ」
     留三郎は言い、ほらよとビー玉と手袋を文次郎に押しつけた。
    「あっ、おい。いいのか、これ」
     まさかビー玉までよこされると思っていなかった文次郎は、少し意外に思った。どうせ、俺がとってきたとか、大事な手がかりだとか、なん癖をつけて手元に置いておこうとするものだと思ったのだ。
    「いいのかって、証拠品だろ? 俺は見られたらそれでいい。サイズも重みもなんとなく覚えたからな」
     留三郎はあっさりと肩をすくめ、二階をふり仰ぐ。
    「それより、もう一回美穂子さんの部屋がみたい」
    「ああ、あがってみるか」
     随分物分りがいいが、もしかしたらこれが狙いだったのかもしれない。でも文次郎は、そのことには気がつけなかった。
     すっかり、留三郎のペースに乗せられていたのだ。リビングに待たせてある家族のことも機捜のことも忘れて、留三郎との調査に夢中になったしまっていた。
     責任転嫁するわけではないが、留三郎といるとどうも調子に乗せられる。警察である潮江文次郎警部補ではなく、留三郎の幼なじみの、潮江文次郎になってしまう。
     どうしたって。
     
     
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    huurai

    DONEまる親だかリトポーだかよくわからない。お好きな方でどうぞ。
    なんだか国なのか大人なのか子供なのか学パロなのかはたまたそれ以外の何かなのかわからなくなってしまった。バス停のイメージはベンチが三つくらいあって天井がある日本の田舎のバス停のイメージです。
    【お題】 夏空 バス停 サイダー蝉が鳴いている。汗が垂れて地面に落ちて溶ける、青い空は太陽をキラキラと輝かせてこちらを火炙りにしている、バスが来るまでまだそれなりに時間がある、アイツはまだ来ない。いつもアイツは遅刻するから、バスが来る時間よりもかなり早めに集合時間を決める、それぐらいだと遅刻してきた時に普通の集合時間くらいになる。でもたまにすごく早く来ることもあるから俺も遅刻して行く、とかはできない。でも今日は失敗だった、それも大失敗。バス停の屋根は日光を防いでもこの暑さを防いではくれない。この暑さをどうにかしたくて髪を結び直す、頭に熱が溜まっていたのか髪を解くと少し涼しくなった気がした、のも束の間すぐに首に張り付いて体温が上がる、髪をさっきより若干高い位置にまとめ上げる、これで少しはマシになると良いけど。時間を見る。後ちょっとで親友は来るだろう。夏になりたてはいつもこうだ、夏の暑さを忘れて油断してしまう。額に手を当て目を閉じる、蝉が鳴いている。夏の晴れた空気の匂いがする。不意に頰に冷たい物が当たった。「うわっ!?」目を開けるとニヨニヨと笑っているポーランドとその手に握られている炭酸飲料が目に入った。「リト、間抜け面だし〜」そしてもう一つの炭酸飲料が頰に当てられている、暑さが頰から軽減されていって心地がいい「ちょっと、やめてよポーランド、すごいびっくりしたんだけど〜?」あくまで咎めるように言うと彼は心底楽しいと言うように笑みを深くした。「今日暑かったからこれ買ってきてやったんよ!感謝するといいし!」頰にグイグイとサイダーを押し付けてくる。「ありがとう、ポーランド」サイダーを受け取って額に当てる、涼しい「今日ほんとに暑いし、、、溶ける、、、」バス停のベンチに座ってバスを待つ。アイツは人がいないのをいいことにベンチに寝転がっている。蝉がうるさいくらいに鳴いている。「そうだね、ほんと、溶けちゃいそう、」ペットボトルを開けてサイダーを一口飲む、爽やかな味が口いっぱいに広がって、喉が渇いていたからなのかとても美味しく感じた。車の音が遠くから聞こえてきてバスの到着が近いことを教えてくる。「バス、来たんじゃない?」ベンチで伸びているポーランドに声をかける、「おこせし、、」差し出されたポーランドの手を引っ張り起こして丁度到着したバスに乗り込んだ、一気に冷気を浴びる、思わず息が溢れた。「「涼しい、、」」息と一緒に言
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