王様のお望みは亜双義にとって、初めての倫敦での年越しは、バンジークスと広い屋敷で二人きりの
静かなものであった。
衝撃の真実が明かされたのが11月上旬。親友に別れを告げて新しい生活が始まったのが約二か月前。
それからバンジークスに弟子入りし、己の中の獣に負けることなく法廷で真実を追い求める検事と
なることを目指し忙しい日々を送ってきた。
一度死んだことになっていた上に、諸々犯したこともあり、その清算は容易ではなかった。
死神という重石を失った倫敦の混乱も二人を奔走させるに申し分なく、望郷の念を抱く暇すらなかった。
ようやく迎えたホリデーシーズン。
馴染みの浅いクリスマスのあれこれを通じ、バンジークスの人間らしい顔を見ることができたのは、
亜双義にとっておそらく収穫であった。
クリスマスは221Bの彼らとの食事やプレゼント交換をして賑やかに過ごしたが、そのあとは
使用人が休暇に入ったこともあり、バンジークス邸は二人きりであった。
日本人としては正月に餅もおせちもないのは寂しいものがある。
そんなことを、クリスマスの時に話したせいであろう。
年が明けた翌日、アイリスとホームズがバンジークス邸を訪れた。
「ガレット・デ・ロワっていうお菓子を作ったの。新年を祝って食べるお菓子なの。
みんなで食べたくて」
まだあかせぬとはいえ、最愛の兄の遺児であるアイリスにそう言われては、
バンジークスが追い返せるはずもない。
迎い入れて、自らお茶を淹れてもてなした。
「フェーヴを当てた人は、今日の王様ね」
金色の紙で作られた王冠を掲げてアイリスが告げる。
布巾をかけて切り分けたそれを厳かに口に運ぶ中、バンジークスの
フォークに硬い何かの手ごたえがあった。
中を探ると、陶器でできた猫のフェーヴが転がり出る。
「王様はバンジークス君なの!今年は幸せな年になるの!」
アイリスが嬉しそうに手を叩く。ホームズから金紙の王冠を被せられたバンジークスは
困ったような顔をしている。
「せっかくだから、王様のお願いを聞いてみようか?僕らに叶えられることで頼むよ」
ホームズの提案にも、口ごもるばかりだ。
嫌がっているのではなく、純粋な困惑とアイリスへの気遣いで何も言えなくなっているのだと
亜双義には分かる。
「また、お茶の誘いを頂けるのであればこれ以上の望みはない」
本人にとっては望外の要求なのだろうが、アイリスにとってはささやかすぎるものである。
彼女の中で、バンジークスはおねだり下手の可愛い男の子という認識になった。
ホームズは何か言いたげではあったが、彼らなりの関係の構築を邪魔する程野暮ではない。
ただただ面白がって笑い転げるばかりであった。
探偵親子が屋敷を出たあと、バンジークスと亜双義は二人で片づけをしていた。
ホリデーシーズンのため使用人は休暇中であり、何をするにも亜双義が中心だ。
かつてはどうしていたのかと問うと、バンジークスを気遣って誰かしら残っていたのだという。
執事やメイド長をはじめとした使用人たちは、亜双義を信頼して皆休暇に入ったのだ。
「せっかく王様になったのに、何も命じなくてよかったのか?」
亜双義の問いに、バンジークスは何も答えない。
「自分が何か望む権利などない、と思っているのではないだろうな?」
語気を強める亜双義の言葉に、バンジークスの眉間の皴か深くなる。
取り返しのつかない過ちを犯し、亜双義から多くのものを奪った身で何を望めるというのか。
真摯と言えば聞こえはいいが、見方を変えれば他責的な自己犠牲精神ともいえる。
それが、亜双義には苛立ちを感じさせた。
「望みを言ってみろ……他でもない、俺が聞いているんだ。誰も咎めないだろう」
「それではむしろ、君の望みを聞いているようではないか」
バンジークスの唇に、亜双義がフェーブの猫の鼻先をぴとりとくっつけた。
ひんやりとした陶器の質感が伝わってくる。
「だから何だ?貴公はいつも俺の望むことを知りたがっているではないか」
口の端をあげ、にやりと笑う。意地の悪い笑顔は生き生きとしていて亜双義の本性をのぞかせた。
「期限は日付が変わるまでだ。無駄にするなよ」
亜双義は、バンジークスの手にフェーヴを握らせるとその拳ごと
強く、強く握りしめた。
221Bに戻る馬車の中、アイリスはその世界一可愛らしい顔を曇らせていた。
「せっかく王様になったのに、バンジークスくんに何もしてあげられなかったの」
極秘裁判以降、何度かお茶をともにしたバンジークスとの本当の関係はまだ明かしていない。
血縁であるかに関係なく、彼女にとってただ寂しそうな男の子に見えるのだろう。
「いいや、君はとっても素晴らしいものをプレゼントしてあげたよ」
「なあに?」
「とびきりの口実、さ」
-完-