さいわい大英帝国の裁判所に、今日も木槌が鳴り響く。
検察席には亜双義が立ち、その補佐としてバンジークスが控えている。
審議は滞りなく進み、検察側の主張通りの罪状にて被告人は有罪となった。
これにて閉廷、という間際、被告人が叫んだ。
「なぜ私が、東洋の猿になど断罪されねばならんのだ!しかも前科者のくせに…」
憤るままの罵声が終わる前に、鋼鉄の踵が高らかに振り落とされたのは言うまでもない。
諸々の手続きを終え、二人は自分たちの執務室へと戻る。
検事局の廊下を進む間はお互い黙ったまま、すれ違った人々がみな関わり合いたくないと感じるような重い空気をまとっていた。
部屋に入り、鈍い音を立てて扉が閉まる。
それを待ちかねていたかのように、亜双義は笑い出した。
「東洋の猿とはな!なら貴様は西洋の猿だろうに!」
なんともくだらない、と一蹴しながら自分の机に向かい裁判に使った資料の整理を始める。
先ほど賑やかに笑い声をあげていた男とは思えない程、瞬時に静かになる。
バンジークスはその背中を眺めながら、かける言葉を見つけられずにいた。
「ああ、でも、前科者というのは事実だったな。刃物をつきつけて刑事を恫喝した罪がある」
結局バンジークスが何か言う前に、亜双義が話し始める。
これまた返しに困る内容だ。極秘裁判の中で明らかにされたそれは確かに犯罪であり、あの後裁かれることとなった。
しかし法曹界の混乱のさなか、かつ特殊な状況が重なっているため通常の判例は参考にならない。
最終的に、情報の提供と、身元確かな者による監察下での生活を命じられた。
この国において彼を被保護下に置き監察できるものなどバロック・バンジークス以外にいない。
拒むはずの弟子入りの後押しを裁判所からされたも同然だった。
もうそれから数か月たち、処分期間が終わった今、亜双義は純粋に弟子として居座っている。
「貴公は許せないと思うことはないのか。己の罪を差し置いて、自分を殺人犯として訴えた俺を」
背を向けたまま亜双義は続ける。
「だが、それは」
「騙され利用されていたというなら貴公も同じだ。そんなことは言い訳にならない。
あのままでは、冤罪で処刑されていたのだぞ」
己がしたことを思い返せば恐れが募り、段々声がかぼそくなっていく。
「だが、そうはならなかった」
バンジークスの声は低く、よく響く。静かに告げたひと言に、部屋が震えるようだった。
「成歩堂たちのおかげで、な」
ようやく振り返った亜双義は、口元に自嘲的な笑みを張り付けて返す。
「そのナルホドーを倫敦へ連れてきたのは貴君の思惑だと聞いている」
およそ尋常ならざる方法で。だがそうしたからこそヴォルテックス卿を出し抜けた。
亜双義は意外な返しに驚きながらも、確かに、と呟きながら頷く。
「正直、あそこまでの活躍は予想していなかったが……無茶をしてでも連れてきて本当によかった」
事件解決のために奔走したのは成歩堂だけではない。しかし彼の諦めない姿勢に導かれ、
偽りのない情報が集まり裁きの庭で真実はつまびらかになった。
「おかげで恨むような出来事は、私には起きなかった。彼は我々の幸いだ」
そう告げるバンジークスの目には嘘も虚栄もない。
彼の言葉に疑うことのないことを悟り、亜双義は己の器の小ささを思いやる。
師の肩に並び立つ日はまだ遠いようだ。
「貴公がそう言っていたこと、今度手紙に書いて送ってやりますよ」
手紙を読む親友の姿を思い浮かべる。きっとその慧眼は、いつも以上によく泳ぐことだろう。