あの世型インフル「…──はぁ」
廃墟同然のクラブ棟でりんねはため息をついた。造花の内職に勤しみながらぼんやり窓の外を見やる。
大型連休のため依頼もなく、クラスメイトも来ていない。六文は「ご飯をわけてもらいに行ってきます」と言い残して出かけていった。
貧乏暇なしというが、どうしたって仕事がないときもある。
アルバイトをしようにも現世では保護者や住所の欄に書き込む情報がない。偽造文書や経歴詐称はあいつの行動のようで避けたいところだった。現世で自立した生活をするのに一切不正はしないというのが己で決めたルールだ。たまにちょっとズルもするが、小さなプライドを守りたいと思っている。
窓際の輪郭がぐにゃりと歪み、気の抜けた音を響かせ虹色の道が広がる。黒いローブ姿のガイコツが現れた。ひらひらと手紙を揺らしながら近付くいてくる。
「若社長〜!社長のお使いです」
これは…飛んで火に入る夏の虫というやつでは?堕魔死神を検挙すれば謝礼が出る。
すくりと立ち上がり、そのまま死神の鎌を振るう。あっさり倒すことが出来る程度の使いしか寄越さないのはどういうつもりなのか。しっかり縛り上げ、役所に差し出す準備をしている最中、ふと堕魔死神が持ってきた手紙が目に入った。
──また請求書か?
おやじが寄越すものは基本的に金のことしか書かれちゃいない。折られた紙を開くと見覚えのある筆跡が続いていた。
『りんねへ パパだよ。先日おまえにうつされた風邪がまだ治らないので、裁きの輪を使って会いにくるように』
とりあえず目を通したが、本当にろくでもない。ぐしゃりと握りつぶした。
虹色の空に浮かんだ輪廻の輪がゴトンと揺れる。
あの世の役所に捕まえた堕魔死神を差し出し、謝礼を受け取る手続きもすんなり終えてしまった。脳内に『会いにくるように』と文字がちらつき気もそぞろだ。
浮足立つような気持ちを無視して、ちょっとした暇つぶしだと自分に言い訳した。
あの世まで来たついでだと独り言ち、裁きの輪を発動させた。
繋がった先は堕魔死神カンパニーの窓口だった。おそらくおやじは、裁きの輪のセキュリティを少し緩めただけなのだろう。
てっきり、あいつの目の前に繋がると思っていたから拍子抜けしてしまった。
無意味に長い廊下を進み、階段をあがる。
社長が休んでいる部屋がそこにあると受付スタッフに言われたがここで合っているだろうか。
一息ついて、襖の引き手に指をかけた。
その部屋には大きめのベッドが置かれているだけだった。シーツと枕が白いせいか赤髪がよく目立つ。
「おい」
「んー…りんね?ごほ」
身を起こしながら咳き込む鯖人をまじまじ見たが、本当に顔色が悪い。あの世型インフルは、バカでも罹患するようだ。ビニール袋を差し出してやる。
「薬買ってきた」
「え?貧乏なりんねが?」
腹が立つので一発殴り、おまえが寄越した堕魔死神で得た収入だと伝えると、鯖人は頷き膝を打った。
部下が売られたというのに薄情なやつだ。買った握り飯と水で薬を飲むよう促すと思いの外、素直に従う。食欲があるならそんなに具合は悪くないのだろう。
***
「りんね来てくれるなんてなぁ」
ベッドに横になる鯖人は上機嫌だ。
「おまえが呼んだんだろ」
「まあそうなんだけど」
まさかこんなに心配するなんて思わないだろう?とニヤニヤするおやじに苛立つ。
「…帰る」
「病人を置いて?薄情なやつだな」
なんて鯖人にだけは言われたくないセリフをのたまう。
もう一度殴ったが、病人には効かなかったらしい。その手を掴み、離そうとしない。
熱く汗ばむ手のひらが、発熱しているのだと知らせてくる。振り払おうとも思ったが、なんとなく気が引けた。
「……りんね、もうちょっといてよ。おねがい」
無言でいると、言葉とは裏腹に握っていた手がするりと離れていく。この男はいつも側にいるよう告げては、掴んでいた手を離すのだ。
一体───…
「何してほしいんだ」
「んー、そうだなセックス?」
「は?」
先程まで風邪で具合が悪そうにしていたのにちょっと回復するとすぐこれだ。まったく呆れる。
「いや冗談だって。そんな怖い顔しなくてもいいのに」
熱で勃たないし。なんて続ける鯖人をじろりと睨みつけるが、肩を竦めるだけで効果はなさそうだった。
「じゃあ添い寝は?」
「…風邪うつす気か?」
「はは、それがいい。りんねからもらったものだし返そう」
いそいそとベッドの左側に移動した鯖人は、空いたスペースを叩きこちらを見る。
よくそんな恥ずかしい真似ができるなと呆れを越して感心してしまう。
渋々潜り込むと、腕が伸びてきて抱き寄せられた。熱い身体が密着して、心臓が跳ねる。
首筋に吐息がかかり、胸がざわついた。
落ち着かない気持ちになりつつも、されるがままにしていた。頭を擦り付けてきたり、首元に顔を埋めたりと、甘えてくるような仕草にどうにもこそばゆくなる。
やがて鯖人の規則正しい呼吸音だけが聞こえるようになった。どうやら眠ってしまったようだ。そっと身を起こそうとするが、がっちり抱き止められおり、その手から逃れることは難しい。
「…──はあ」
りんねは抱きしめられながら、本日何度目かのため息をついた。添い寝を要求されるとは思わなかったが、幸い予定もない。ふかふかのベッドで眠れるのであればこの状況もそんなに悪くないはずだ。言い訳をしながら、目をとじた。
おわり