「君の為だけに弾こう」
「これは君の為の曲だ」
そう言われても。
というのがアンドルーの率直な感想であった。
素晴らしい音楽家を自負し、実際に美しい音楽を奏でる人間ではあるが、どうして毎回自分の為だと言い聞かせるように前置きをするのだろうか。
そんなもの求めた記憶はない、と言ってみても聞く耳を持たない。
仕方ないので好きにやらせている。
試合中でなければ、そのおどろおどろしい姿でさえただの人間に見えるのだ。邪険にする必要性もない。
「しかし君は…一体普段何をして過ごしているのかね?」
演奏の手は止まらず、五線譜に乗った言葉が右の耳から左の耳へと滑り流れてゆく。
少し間があって、自分が話しかけられていたことに気づいた。
「僕が?」
「そうだ、人間娯楽や趣味といったものは必要不可欠だろう。彩のない人生なぞつまらん」
趣味。そんなものはない。
と返せば己自身が下に見られるのだろう、つまらない人間だと。
生憎僕の人生には色も、花も、何もないのだ。
「じゃあ聞くが、僕は何をしてそうに見える?何が…好きそうに、見えるか?」
意地の悪い返し方だと自分でも思う。
質問に質問で返してはいけないことなど、会話の基礎中の基礎である。
しかし本音を言えば面倒だった。
自分自身について考える余裕すらなかったこの人生で、僕は何を好いていればいいのだろう。
「ふむ…君は…そうだな、花の類が好きなのではないかね?」
「花?」
「そうだ、常に大事そうにつけているソレが花のモチーフであるのならば…との仮定だが」
胸につけた、アイリスの花。
確かにこれは好きだと言えるだろう、花は物を言わないし、見つめたり、蔑んだりもしない。
そしてこうして面倒な会話をすることもない。
「まあ、そう…だな。好きだと思う」
「それと…あと音楽だ。違うか?」
何かを掴んだと言わんばかりに眉を上げ、憎たらしいほど清々しい笑みを浮かべるアントニオに苛立ちを覚えながらも、否定はできなかった。
しかし、壮大な曲はあまり得意ではない。
「…小さい、ものなら」
「小さい?…音楽に大小を求める人間は初めて見たな」
「う、うるさい!」
感覚の問題である。
壮大であり、豪華な曲を例えるのに必要な語彙力は伴っておらず、かと言って静かで落ち着いた、鍵盤のみで構成されるような穏やかな曲を例えるのに〝小さい〟という言葉を使ったのだ。
しかしそれでも伝わってはいるようで、少し考えるような仕草をした後優しい音が流れ出した。
「…こういう、ことだろう?」
揺蕩うかのように響く小さな音色は自然と体に溶け込んでいくようで、心地が良い。
一本の弦から聞こえているとは思えないような音楽に、アンドルーは思わず目を閉じ、聞き入ってしまう。
「うん。…これなら、好きだと思う」
「成る程、君の好みを聞き出した甲斐があった」
そして上機嫌な音楽に流されたアンドルーは暫くその音に耳を傾け、なんとなく抱えていたモヤモヤを忘れてしまう。
そういえばどうしてこのハンターと仲良くなったのだっけ、とか、どうして自分のことを聞いてくるのか、だとか。
些細ではないはずのひっかかりが滑らかになり、静かに消えていく。
小さな音色が流れるこの狭い部屋の中で、彼らは二人同じ時間を過ごすのだ。
「…君が好きなものを知りたいんだ」
「僕の?…好きなものなんて言ったって、別に…」
「人と仲良くなるためには、その人間をよく知る必要がある。…違うかね?」
それは彼がアンドルーと仲良くなりたい、と告白しているようなものだったが、アンドルーにはいまいちピンときていないようだ。