「どうしたの」
唐突に間近に現れた慶次の声に、孫市はつかの間、我に返る。しかし見上げた慶次の風体に、いっそうぎくり
とした。
「…」
声は普段と変わらずに弾むように明るい。いやむしろ、祭りの中にあっていっそう楽しげだ。面のしたに顔を隠し、その表情はわからずとも。
「いや、何でもない」
「そう? じゃ、オレ行ってくるから!」
首を振った孫市に手を挙げて、慶次は盆踊りの輪の中に消えていった。足取りは軽く、躊躇いもない。
ためらう必要などないのだ。孫市は小さく息をつき、首を振る。背中を目で追えば、笛の音が太鼓の音が、その華やかな踊り姿を飲み込んでいく。踊る阿呆に見る阿呆。慶次の残した言葉が耳に触れて消えた。
神輿を取り巻くその輪がさらに大きさを広げたような気がして、孫市はそこから少し後ずさった。そのうち戻ってくるだろうと思いながら、それぞれ顔を面で隠した人の群れを見るともなしに眺めた。
彼の岸より帰ってきたものと、それを迎えるもの。夏祭りの、盆踊り。灯篭の明かりは、死者と生者の差を縮めていく。
会いたいひとがいるのなら、行ってみるといいよ。
そう言ったのは誰だったか。慶次だったか?
「 」
喧騒の中で、再び呼ばれて顔をあげた。次の声は慶次ではない。
慶次はその名前を呼ばない。棄てた名。今では西の海に住む旧友だけが口にする名前。その旧友は今もいずこの海を渡っているはずなので、この場には居るはずもない。
では誰が。知らぬ間に戻ってきたのかもしれないという仮定は目の前の男を見ればすぐに否定できた。
そんなばかなと思う反面、ああそうなのかと思った。面の下で、その男が笑う気配がする。ひそやかで、大人らしいからかいの気配。
盆踊りの輪の中では死者と生者が混ざり合う。
泣きそうになり、同時に穏やかな心持ちにもなって、孫市は薄く笑った。
「まごいち!」
三度かかった声とともに、孫市は肩をゆすられた。目の前には心配顔の慶次がいて、我に返ったらしい孫市の様子をみて明らかに安堵している。
「前田」
応えた声は確かめるようになった。先ほどどこからか調達してきたはずの面がどこにもない。
「探しちゃったよー。もう見つけられないかと思った」
「……すまない」
ぱっと手を離して、慶次は心配顔を消して笑った。頭を振る。神輿、それを取り巻く踊る人の輪。それらは笛と太鼓の音と共に少しずつ遠ざかっている。もう行ってしまったのだろうか。
「って、まあオレがはぐれちゃったんだけど。大丈夫? ぼんやりしてたよ」
「ああ。懐かしい人に会った。」
「ふうん?」
言うと、慶次はよくわからないという風に返事を濁した。
会いたい人にあえる、夏の祭り。そう言ったのはお前ではなかったのかと、孫市は少しだけ笑う。あるいは慶次ではなかったのかもしれないが。
「前田。お前には会いたい人はいないのか?」