梅干の味〜酒の酔い本性違わず どこにでもハイエナのような輩というのは入り込んでいて、この日、天人と商工会関連の外交を主としたパーティに警備で駆り出されていた土方に、突然話しかけてきた男がひとりいた。
「あのう、土方十四郎さんとお見かけしましたが、アレですか、お仕事ですか、いやー大変ですねえ真選組も!」
挨拶も何もなく遠慮なしにそんなことを捲し立て始めた男を、ちらりと視線で撫で、土方は何事も無かったように右手に持ったグラスに口をつけた。大規模コンベンションが可能なホテルのホールの一室で、立食形式のパーティのため、土方も私服でこの場に臨んでいる。本日のドレスコードはインフォーマルで、土方は隊で用意されたブラックスーツ着用であり、一応、参加者の中に埋もれているつもりであったが、そんな場所でもめざとい奴はいるものだ。
「あ、申し遅れました、わたくしスポーツ大江戸の記者をしております、喪分田と申しまして、いやーこんなところで鬼の副長にお会いできるなんてラッキーだなぁ、いつか独占取材申し込もうと思ってたんですよ!」
いやー嬉しいなーそれで今日はお仕事で?、どんなお仕事で?、とペラペラ良く回る口に苛つきながら、土方は返事をするでもなくそのまま目立たない壁際に向かってゆっくり移動を始めた。喪分田と名乗った男も無論、金魚の糞よろしく喋りたてながらついてきている。
行き先にはこれもやはりブラックスーツを着込んだ隊士が二人待機している。下手に断り刺激するよりも、有無を言わせず拘束して別室に放り込むのが得策だと判断した。
おしゃべりな男に気取られない程度にゆっくり移動して、途中、飲み終わったグラスをホール内を巡回しているホテルマンのトレイに戻した。その時、何気なく右手から左手にグラスを持ち替えたのだが、それがある意味失敗だった。
「あらららら〜土方副長、指輪なんてしてましたっけ? しかも左手の薬指? あれれれ〜?」
男が目ざとく見つけたのは、土方の左手薬指に嵌められたシンプルな指輪。銀色に煌めくそれは細いながらも結構な存在感で、がっちりと男の興味を引いてしまったようだ。
「それは婚約指輪ですか? いやそれとも結婚指輪? ねえ教えてくださいよぅどっちにしたって目出度い話じゃないですかファンの皆さんにお知らせしましょうよ」
猫撫で声で言いながら張り付かんばかりに擦り寄ってくる男を努めてスルーし、隊士二人が控えている場所にたどり着くその寸前。
「じゃ、お相手のことだけでも。ね? 土方副長のお相手ですもんよほど美人なんでしょうね〜どんなご関係でどんな女性なんです? よりどりみどりの中からその女性を選んだのはなんでです?」
という男の言葉で土方の堪忍袋の尾がブツリとキレた。どうしても聞きたいと言うのなら教えてやろうじゃないか、その『女』について、と。
「俺が心に決めた女はたったひとりだ。てめぇなんざに教えるスジはねえ。……オイ、別室行きだ、丁重にな」
移動の足を止め男に向かって凄み、左手の指輪を見せつけながら隊士に向かって合図を送ると、スッと駆け寄ってきたブラックスーツの二人に喪分田の身柄を引き渡し、土方は息をついた。
二人がかりで目立たぬよう連行されていく喪分田の背中を見遣りながら、左手の指輪を無意識に触り、すまんな、と胸の内で謝った。
嘘では無い。心に決めた『女』は後にも先にもたったひとり。亜麻色の髪に柔らかな微笑み。幸せを願い、手を離したたったひとりの女性は永遠に失われてしまった。
故にいま、土方は二度と手を離したくないと願い、この指輪を相方に贈った。
若かりし頃の青かった自分と同じ轍を踏むまいと。
少しならず複雑な気持を抱えながら、土方は再び私服警護の任務を全うすべくパーティの人波に紛れていった。
「真選組・鬼の副長に春! 左手薬指に輝く指輪のお相手とは⁉︎ ってお前、思いっきりすっぱ抜かれてンぞコレ」
「んあ? んー」
珍しく寝ぼけた顔で朝食の卓についた土方に新聞誌面の該当記事を開いて渡し、銀時は粥をよそうべく一旦腰を上げた。
昨夜の土方は珍しく酒を過ごして帰ってきた。警護の任務で遅くなると思う、と聞いていたので心配はさらさらしていなかったが、夜半に鳴った電話に出てみるとそれは近藤からで、万事屋悪ぃトシ酔っ払っちまってこれから送るから迎えに出てくれ、という内容だった。直で車をつけられる勝手口側の道順を教えて電話を切り、支度をして外に出てみると、程なくしてタクシーが横付けされた。
正しく土方はベロベロで、タクシーからは自力で這い出てきたものの、銀時の顔を見るや両腕で抱きつき身体の力を抜く始末。頼むな、おやすみーという近藤の声を聞いた後、そのだらんとしたクソ重い成人男性の身体を家の中に持ち込むのに四苦八苦し、何とか布団に転がした頃には銀時は汗だくになっていた。
そもそも土方という男、酒の醜態を晒す事はあまりないらしい。出会った頃、花見の席で強かに酔い自販機の上と下でベロンベロンという経験からてっきり自分と同類かと銀時は思っていたのだが、付き合うようになり、後、同居してみてどうやらそうではないということが分かった。また、これは真選組の隊士から聞いた話だが、副長の酒って飲めば飲むほど静かになるんで逆に怖いっす、という話も聞いた。潰れたところは見たことがない、とも。
ならばまあ、こういう姿を見せるのは気を許している証拠か、と少しこそばゆくもあり、スーツを緩めコップに水を汲み枕元に置き、デコピンひとつで許すことにした。本人はおそらくデコピンされたことも分からずに、白河夜船の夢の中だろう。
それで、終わるはずだった。
が、今朝の早朝のこと。
玄関の戸がガンガン叩かれる音で銀時は目を覚ました。聞けば、銀さん、ちょいと銀さん大変だよ、という女性の声。何事かと寝巻の前を整えて玄関に出てみれば、そこにいたのはご近所お買い物立話仲間の三人組のうちのひとり、竹と、どうやらその連れ合いらしい風采の上がらない年配男性がひとり。竹が、ほらアンタそれ銀さんにやって、と促すと、年配男性は手にしていた新聞をおどおどと銀時に差し出してきた。はあ、と受け取るや竹が、銀さんなんだいその記事あたしゃ見損なったよオタクのあのツラばっかり良い男、ろくなもんじゃないわよ、といきりたち始めた。なんのことやら全く分からず、やや引き気味に竹の顔を見ていると、竹と銀時の間で縮こまっていた年配男性が指先で新聞のとある部分をちょいちょいと突く。え、とそこに視線を落とした銀時の目に入ってきたのが件の『真選組・鬼の副長に春!』という見出しだ。新聞の紙名はスポーツ大江戸、スポーツ記事の他は根拠もあまりないゴシップの類で構成された三流紙だが、それにしても見出しがヤケに大きかった。
銀時がその中身もろくにあるとは言えない記事の文字を目で追う間、竹はしきりと『アンタそんなこと書かれて黙ってちゃダメだよ!』『いつでもうちに来な、銀さんくらいアタシが養ってやるから』『あんな野郎とっちめてやんな』と頼もしいことこの上ない発言をさんざした後、年配男性の首根っこを掴んで帰って行った。まさしく嵐のような朝の訪問ですっかり調子が狂った銀時だったが、もう一度、記事の内容を読み、何となくだが事情を察した。
記事の構成はこうだ。極秘任務中の真選組・土方副長の左手薬指に指輪があったこと。土方の略歴と本紙取り扱いのこれまでのゴシップ記事の要約。最後に本紙インタビューに答えた土方の談話『心に決めた女がいるので』。さてその女性とは、という、中身はスカスカの記事。
それを読んだ銀時の感想はと言えば、ああそう、でしかない。むしろ、微笑ましくさえある。
アイツの心に決めた女なんて、たったひとりに決まっている。それは恐らく誰よりも銀時が知っている。土方が恐らくこの世の誰よりも幸せになってくれることを願い、身を引き、結局失った、亜麻色の髪をしたかのひと。芯のある、凛とした美しい人だった。それを、こうして口にすることができるだけ、アイツの心は回復したのだと思えば嬉しくもあった。
そんなことをペラペラ喋る男ではない。恐らくこの記事を書いた人間にしつこく食い下がられて、ムカっ腹を立てて邪険にした挙句の捨て台詞か何かに違いない。
「しょーがねーな、いつまでもガキなんだから」
呟き、貰った新聞を畳んでちゃぶ台に置くと、起きたついでに身仕舞いを済ませて銀時は朝飯の支度に取りかかった。
今日の土方は遅出の日。銀時自身も午後から依頼が入っているから、午前中はゆっくりだ。
昨夜土方は酒を飲み過ぎている。であれば朝食は少し胃に優しいものにしますかね、と冷蔵庫を覗き込み、取り出したのは卵と、茹でたほうれん草、鮭の切り身。
細かく刻んだほうれん草を溶き卵に混ぜ込んで、醤油と砂糖とマヨネーズを入れ、ふんわり焼いた玉子焼き。
炊き上がった白飯から二膳分の飯を粥にして、解した焼き鮭と梅干と塩昆布を添える。漬物は昨日、お登勢から貰ったしば漬けをみじん切りにした。
その辺りでモソモソと起きてきた土方は、銀時が新聞の見出しを読み上げたところで全く取り合わず、ただ、焼き鮭を混ぜた粥を匙で掬って、
「うめえ」
とだけ。それが何とも土方らしく、この男を選んで良かったな、とそう思いながら銀時も一緒に粥を食べ始めた。
「近所のダチのおばちゃんが心配して持ってきたんだけどさ」
「ん」
「お前、今日からしばらく大変なんじゃね? いっそ屯所にこもったら?」
「なんで」
「なんで? アレじゃねえの、記者に張りつかれたりすんじゃねーの」
「知らん」
「お前は知らんかもしれねーけど、周りが大変じゃん。それにな、」
「あ?」
「ココ、嗅ぎつけられたらどうすんのよ」
「…………」
そう、何気なく銀時が言うと初めて土方の匙を口に運ぶ手が止まった。そこを見越して銀時はほぐした鮭の身を、ポイポイと粥の器に放り込む。
すると、ずいぶんと長い間考え込んでいた土方がぽそりと。
「俺は構わねえ」
そう、言った。そうして再び粥に取り掛かる顔を思わずまじまじと見つめた銀時は、口元が綻ぶのをどうにも止めようがなく、ああそう、とだけやっと答えて自分の粥から梅干をちょいとつまみ、口の中へと放り込んだ。
「すっっっっぱ!」
頂き物の梅干はよく干せて塩気もあり絶品だったが、いささか酸味が強過ぎたが、思わず叫んだ銀時にかけられた、
「ばぁか」
という目の前の男からの言葉がやけに甘く聞こえた気が、した。