そのお見合い、ちょっと待った!「他に頼るアテもない。できる限りの礼もするつもりだよ」
「本当にわたしで大丈夫? あんまり自信ないんだけど」
「特別な準備は何も必要ない。普段通りで大丈夫だ」
「うーん……」
――恋人のフリをしてほしい。わたしの好きな人からの頼み事だ。他の人なら好きな人がいるからと即答で断ったけれど、彼からの頼みでは断りにくい。でも、あくまでこれは仮の恋人だ。
最近、彼は親戚にお見合いを勧められることが増えたのだという。しかも中には何度断っても諦めないお節介な人もいて、無理矢理縁談の話を進めようとしているのだとか。あまりにもしつこいものだからつい、「恋人がいる」と嘘をついたらしい。そこから先は転がるように話が進んで……。
「まぁいわゆる品定めだ。何の物好きかどうあっても僕に見合いをさせたいらしい。それでもって僕の恋人を実際に見て、不釣り合いだから別れて見合いをしろとでも言うつもりだ」
「品定めって……なんかやだなぁ」
釣り合わない、別れるべきという前提で話をしてくる彼の親戚と恋人のフリをして会う。一体何の罰ゲームなのか。でも、わたしが断ったらお見合いを受けるしかなくなるなんて言ってくるのだ! どうやら他に恋人役を頼める女の子はいないらしい。
「……仕方ないなぁ」
「!」
一日きり、数時間だけの恋人を引き受けることにした。
「そうか。それは助かる。……ところでお前、数時間ボロを出さずに演じられる自信はあるのか?」
「そんなのないよ! でも引き受けた以上は頑張るから」
「僕としてはお前が完璧に演じてくれなければ困る。演技が見破られれば厄介だ」
「そう言われても……」
「そこで相談だ。演技力に不安があるというのなら、せめて何度か予行練習をしてからの方がいいだろう?」
「練習?」
「いきなりやれ普段はどこへ行って何をするんだだの、手料理を振る舞ったことはあるのかだの聞かれたら困るだろう」
「そんなにグイグイ聞いてくるの⁉︎」
「間違いなく聞いてくる。準備しておいた方がいい」
「わ、分かった。じゃあ練習しようか」
特別な準備は必要ないと言われたのに、いつの間にか週末の予定が予行練習で埋まっていく。――もしかしてこれって、デートなんじゃないだろうか。わたしがそれに気がついたのはその日家に帰ったら後だった。
徹夜で調べた寝不足の翌日 2021.7
「それで? どれにするんだ」
目の前には雑誌の山。ページのどれを見ても「デートスポット特集」の文字。ディナー、レジャー……雑誌に目を通すけれどなんだかしっくりこない。
「うーん……」
「何だ、気に入らないのか?」
「気に入らないとかじゃなくて、ピンと来るものがないと言うか……」
夜景の綺麗なレストラン、カップル向けのレジャーツアーセット。どれも恋人らしいラインナップだとは思うのだけど。
「なんか、人に見せるためのデートだなぁって感じ」
「……思ったよりも手厳しいな、君は」
デートの予行練習をしよう、となれば当然行き先を決めなくちゃならない。わたし達は今、予行練習の打ち合わせのために喫茶店に来ていた。あくまでこれは打ち合わせ。デートではないのだ。だけど次の休みは二人でどこに行こうか、顔を突き合わせて話す。
わたし達の今の関係は、当てはめるなら仮の恋人の研修生。
「雑誌もいいけど、アンデルセンは行きたいところないの?」
「行きたいところだと? 取材先なら山ほどあるが、予行練習には合わない」
予行演習、の言葉の響きがデートではないですよと念を押してるみたいでちょっと不満だ。
「ねぇ、雑誌のスポットよりもアンデルセンが行きたいところに行った方がずっとボロが出ないと思うよ」
わたし達が恋人だと偽るのに、雑誌のデートスポットは何だか合わない。それに、わたしは雑誌のスポットよりも彼の行きたい場所が知りたい。考え込んだ様子の彼から視線を外さず、返事を待つ。
「………それは、」
「うん?」
「いや、あくまでこの無駄に買い込んだ雑誌でも行き場が決まらない緊急事態のために用意しておいた別案で、僕の行きたい場所とはまったく、少したりとも、関係ない場所の話だが」
やたらと早口で流れていく彼のセリフを聞きこぼさないように集中する。
「他に候補がないなら、ここはどうだ?」
彼がそう言ってバッグから取り出したのは別の雑誌。また雑誌か、と思いかけて、二度見する。雑誌にオレンジ色のふせんが貼られている。
目線で促されるまま手に取り、ページを開いてみれば。
「……ここ、前にわたしが行きたいって言ったとこだね」
「馬鹿め、そんな昔のことなんていちいち覚えていて何になる。それで、どうするんだ?」
「じゃあ、ここにしようか」
恋人じゃないのに、随分前にわたしが行きたいって言ったところを覚えてるのだ。そういうところがズルい。
「そうか、それならひとまず行き先は決まった。何度か出かけるにしてもまた今度考えればいい。じゃあ今日はここまでにしよう」
「あっちょっと待って!」
「まだ何か? 帰宅ラッシュに巻き込まれる前に帰るんだろう」
「うん、ちょっとだけ!」
彼がさっさとカバンにしまい込もうとしている雑誌を手に取る。
「待て、おいもう行き先は決まっただろう!」
雑誌を取り返そうとする彼の手を振り切ってふせんのついていないページを開く。
たちまち雑誌の一面にメモ書きが表れる。
高速で一時間、下道なら二時間
開店三十分前には並ぶ必要あり
ショーは木曜の昼のみ開催
ペンでびっしり書かれたそれらはまるで、執筆の合間まで彼がデートプランを練っていたみたいで。
「いくら暇を持て余しているからと、ふせんもつけてないページを確認する必要はない! 君もあれか、作品の製作背景まで執拗に追うワナビーなのか?」
「だって、アンデルセンなら何か書き込んでるんじゃないかと思ったんだもん」
目を逸らす彼の髪の隙間から赤い耳が見え隠れする。こんな時の彼は決まって悪態をついて機嫌悪そうな顔をする。
「……なるほど? それだけ僕のことを分かっているなら本番ではさぞ素晴らしくて落ち度のない恋人のフリができるんだろうな!」
「ちょっと、」
「僕は何も心配しなくて良いようで安心した、あとは君に任せることにする」
「もう、アンデルセンってば!」
彼と一緒に過ごせば過ごすほど疑問が湧く。
恋人の一人や二人、すぐにできてしまいそうなのになぁ。
――もし、わたしが本当に恋人だったら。
彼が調べてくれたプランでデートに行ってみたいと思う。予行練習でもあんなに下調べをしてくれるのを見ると、本気でプランを考えたらどうなるんだろう?
少し気になりながら、すっかり機嫌を損ねた彼が席を立つのを追いかけて喫茶店を後にしたのだった。
ミッション:部屋の掃除、最低限でいいから明日までに 2021.7
「予定を立てておいて悪いけれどしばらく出られそうにない。いや何、もちろん原稿は進んでいる、快調、絶好調だあと三本はいける!」
受話器の向こうの彼の様子は見なくても分かる。彼は明らかに外に出られる状況じゃない! 恋人のフリの予行練習、わたしにとってはデートの前日。どんな髪型がいいかな? メイクはどんなのがいいかな? アンデルセンは、どんな服が好みなのかな? 張り切って明日の準備を整えている最中にスマホが鳴った。掠れて疲れが隠しきれない彼の声に、本題に入る前から分かる。あ、これ、明日は無理だ。
恋人じゃなくたって、それくらい分かるのだ。早めに連絡が欲しかったけど、これは多分どうにか間に合わせるつもりで徹夜したんだろうな、と予想する。ギリギリまで机にかじりついている彼の姿は簡単に想像できる。
「仕事なら仕方ないよ」
口ではそう言っても、部屋に広げたままの服やメイク道具を見てしまうとやっぱりがっかりしてしまう。伝わらなくていいのに、そんなことに限って受話器越しの彼にも伝わってしまうのだ。
「僕が悪かった。必ず埋め合わせする」
「大丈夫だよ、また今度行こうね」
「……立香」
「えっ、何?」
「僕達は仮にも恋人……のフリをしている間柄だ。腹の底に不満を押し留めて遠慮しなくても構わないよ」
「!」
別に本物の恋人じゃないのに、ホント、もう、そういうところ! こんな風に扱われるとなんだか少し、本物じゃなくたってちょっとだけわがままを言っても良いような気持ちが芽生える。恋人でいられるのは今だけなんだから。わたしが本当に恋人だったらどう答える? それを考える。
「……じゃあ、明日家に行ってもいい?」
「は? 待て、どこをどうしたらそうなる」
「だって出かけるのは難しいでしょ? 邪魔しないですぐ帰るから」
「僕の家に来ても来ても面白いことはないよ。大体ろくに構いもできない」
「でもほら、差し入れもできるよ!」
「いや、だが……」
今はわたしの方が押している。口で勝つのは難しい相手だ。この勢いに乗るしか勝機はない。
「それにわたしアンデルセンの家に入ったことないでしょ。彼女なのに家に入れたこともないのか、って言われるかもよ?」
「……それは、」
「こ、恋人なら、普通は家に遊びに行ったりするよ!」
「だからと言っていきなり男の家に乗り込むやつがあるか! はぁ、君にとっては大したことのない荒屋だろうが、もう少し状況をよく考えて」
「わたしが行けばご飯作ったりもできるのになぁ」
そもそも彼はこんな状態でまともな食事をとっているんだろうか。
「…………」
結局明日の行き先は予定変更。たくさんの差し入れを買って向かうのは、初めて入る彼の部屋。予行練習先にしては贅沢な行き先。ただ差し入れを渡しに行くだけ。けれど、少し背伸びをするなら。これはわたしにとってはじめてのおうちデートになるのだった。
その程度のことで今更下がる好感度でもないだろうが 2021.7
「はい」
「藤丸です!」
「あぁ君か。今開ける」
好きな人の家の玄関に来てチャイムを鳴らす。玄関のロックが開く音で一気に緊張して、つい背筋を伸ばしながら待ち構える。扉が開いて、顔色の悪い彼が現れる。
「ええと、おはよう……?」
「…………おはよう」
恋人の家に来た時、どうするのが正解なのかよく分からない。ドアを開けてくれた彼の、外に出る時よりもう少しラフな部屋着が目に入る。……少し得したかもしれない。
「かしこまっていないで早く入ったらどうだ」
「じゃあ、お邪魔します」
「随分大量に買い込んできたな」
「どれがいいか色々迷っちゃって」
「まったく、投資しても君に益はないだろう」
わたしの手からひょいとエコバッグを取りあげて、さっさと廊下を歩いていってしまう。あ、今のちょっとカレシっぽい。
「はじめに言っておくけどね。本当に、ろくに構いもできないよ」
「お、お構いなく……」
そう言いながら彼はテレビをつけ、冷蔵庫から麦茶を出し、戸棚からお菓子を持ってくる。なんだかんだ面倒見のいい彼らしい。
「差し入れはありがたく受け取っておくよ。じゃあ、僕は仕事に戻るから」
「うん、頑張ってね」
「構いはできないが……まぁ、なんだ。適当に寛いでくれ」
寛げと言われてもワンルームの部屋の中、机に向かう彼の背中がどうしても目に入ってしまう。時折紙をグチャグチャにして投げる音や、とんでもなく口の悪いひとりごとをBGMにして過ごす。好きな人の部屋にきてしまった……! しかも恋人のフリをするのに役立つから、なんて理由で。
今日の目的は差し入れを渡すことと、それからご飯を作ること。でも実は、料理に全く自信がない。勢いに乗って作ると言ったのを反省している。でもカノジョがカレシの家に行って何をするのか、と考えた時それしか思いつかなかったのだ。昨日からのネット検索履歴は、彼氏 家 料理。作り方は簡単で……と書いてあるレシピが全然簡単じゃない。迷った後、決めたメニューの買い忘れなし。あとはそう、料理の腕が上がれば解決、なのだけど。
「そろそろご飯作ろうか?」
「もうこんな時間か。そうだな、そろそろ……」
「じゃあキッチン借りるね。わたしが作るから、ゆっくりしてて!」
張り切ってキッチンへ向かう。
「全て君の担当では割に合わないだろう。多少は手伝う」
「えっ!」
「何だその顔は」
「だってアンデルセン、料理できるの?」
そんな話を聞いたことはない。ご飯はいつもカップ麺だとかいう話ばかり。
「大したことはできない。あまり期待はしないでくれ」
そう言って冷蔵庫から野菜を取り出す。この時点で何だか、嫌な予感はしていたのだ。
「それで、メニューは? ……なるほど君の家では肉じゃがだけで昼食を済ますのか」
「皮剥き器? 包丁でどうにかなるだろう?」
「包丁にはもう触るな、怪我をしても責任を取れない」
「いいからコンロに触るな。あとは何もしなくていい」
――気がつけば食卓テーブルにはバランスの良い食事が並んでいる。結局私ができたのはお米を研いで水を入れてスイッチを押したことだけだった。
「アンデルセンって料理できるんだね。今まで知らなかった」
「そういう君の方は、何でも食べたいものをリクエストしろと僕に言ったとは思えない有様だな」
「……ごめんね。実はあんまり得意じゃなくて。あの、やっぱり恋人役は料理上手じゃなきゃダメかな……?」
「料理なんて重要視していないよ。僕だって普段は買って済ませている」
「でも……」
「別に重視はしないが……汚名返上したいのなら練習すればいいだろう」
こんな風に言ったらまるでまた作ってくれと頼まれているみたいだ。
「じゃあ今度、もう少し上手くなったらまた作るから……」
「時間はかかりそうだがまぁ、期待はしないで待つことにするよ」
「絶対すぐ上達する!」
「ほう。及び腰で鍋に油を入れていたくせに随分自信があるみたいだな」
「だって、いつもと違うキッチンだったから慣れてなかっただけで!」
「見慣れたキッチンならもう少し腕が上がるのか? それなら今度は君の家で作ればいい」
「私の家……?」
「いや。……なんでもない」
「今度はアンデルセンがわたしの家に遊びに来るの?」
「はぁ。いいか、そう簡単に男を自分の生活区域に入れるものではないよ。大体僕の家に気軽に足を踏み入れている時点で問題がある。まぁ、これは今さらな話だが。これ以上問題を山積みにしてどうするんだ」
「そんなに怒らなくても」
「別に怒っていない。ただの危機管理上の問題だ」
「危機管理?」
「一応あくまで、仮とはいえ。君は今僕の恋人だろう。そう簡単に男の家にあがったり、まして君の家に男をあげては困ると言っているんだ!」
「!」
仮初の関係だと分かっていてもつい、ドキドキしてしまう。だってそんな、他の男と仲良くするな、みたいな聞き慣れない事を言うから。
「えっと、うん。……他の男の人の家に行く予定もわたしの家に呼ぶ予定もない、です」
そう返しながら、顔がどんどん熱くなっていくのを抑えられない。絶対自分の顔が赤くなっている。自覚したまま、彼の返事を待っている。
「……それなら、別に構わない」
このなんともいえない空気に今だけ、本当の恋人に変われたのならいいのになぁとおもう。
そんな考えに沈みながら、わたし達は静かに食事に手をつけ始めたのだった。