抑圧の裏側 アンデルセンはお酒に弱い。早々に上機嫌になったと思いきや、すぐ眠ってしまう。彼とお酒を飲んだことのある人なら、皆がそう言うだろう。
「絶対役者の才能あると思うよ」
「馬鹿め、才覚があれば俺は英霊になどなっていない」
きっかけはささいなことだ。わたしは飲み会で酔って眠ってしまった彼を部屋まで運んだことがある。
かなり酔っているようだし、起きたら水を飲んだ方がいいかもしれないと思った。だから彼をベッドに寝かせてすぐに食堂で水を調達して戻ってきてみれば……すでにベッドは抜け殻。机に向かって執筆をしている彼の姿があった。ノックの一つもせずに部屋に入ったから、アンデルセンは相当驚いていた。さっきまでのが寝たフリだったことも、そもそも酔ってすらいないということもそこではっきり分かったのだ。
人は酔った時に人格が変わるのではない。抑圧されている願望が顔を覗かせるだけだ、とアンデルセンは言った。つまり、彼にはよほど見られたくない心当たりがあるんだろうか。カルデアの皆をそこまで警戒することもないと思うのに、壁を感じる。
……正直、カルデアの中でも古参の彼がそんな風に距離を置いていると分かったのが寂しかった。何とか、彼を酔わせてみたい。抑圧された奥の願望を、少しだけ覗いてみたい。
何より少しくらい失態を見せても良いと、そんな信頼をおいてほしかった。
「アンデルセン、本当はお酒強いでしょ? 皆には内緒にしてあげるから、これを一緒に飲んでほしいの」
「……また随分高い酒を持ってきたな」
「あ、やっぱり分かるの? いいお酒だって教えてもらったんだ」
スパークリングワインを一本。とびきり高級な上に美味しい物を。炭酸が抜ける前に飲みきらなきゃ、もったいないと思えるほどの品物。専用の器具もないこのカルデアでは、翌日には炭酸は抜け切ってしまうだろう。
こんなワインは大人数のパーティーが相応しい。それを二人きりで飲もうと言って、彼が応じてくれるかどうか。
「やれやれ、仕方ない。こんな上物を酔うことができたら良いだけの連中に明け渡すのは俺も少し惜しい……多少なら付き合ってやる」
高い物を用意したおかげか、どうにか第一関門を突破できた。
彼は飲み会でジョッキに入れたビールの何杯かは余裕で飲み切ってしまう。それは飲み会での様子を見ていたから分かるのだ。それで、普段は酔ったフリをしてしまうから、実際にあとどのくらい飲めるのかは知らない。七〜八杯目からが勝負の仕掛け時だとわたしは思っている。
乾杯をして一杯目を開ける。わたしは酒豪のみんなと比べてそこまでお酒に強いわけではないけれど、そこそこイケる口だと太鼓判を押されている。一杯くらいでは酔わない。それに今日は自分が先に酔ってしまったら意味がない。
美味しいワインに油断している彼は思ったより飲むペースが早い。わたしよりも早くグラスを空にした彼に二杯目をたくさん継ぎ足す。
「……入れすぎだ。こんなに注ぐような物じゃない」
そう文句を言いながらも、ワイン自体は気に入っているらしい。彼はチーズを摘みながら、二杯目もすぐ空にする。
この部屋には水や氷の用意はない。水分の多いサラダのおつまみだってない。酔いやすさを重視したラインナップ。
でも、彼が酔うまでにはまだ時間がかかるだろうか。彼はいつもはもっと飲んでから、酔ったフリをし出すのだ。
ーーそれなのに目の前の彼の様子は何だろう。眠たげな目つきでグラスを傾けて、どことなくぼんやりしている。
「アンデルセン」
「……うん?」
反応が遅い。
「その、もしかして眠いの?」
「眠くない」
まぶたが今にも閉じそうだ。いくらなんでも、普段はこんな量余裕で飲んでしまうはずだ。もしかしてまた、酔ったフリと寝たフリで誤魔化すつもりなんだろうか。こんなに演技が上手いなら、俳優になっていてもおかしくない。
「もう、わたしは騙されないからね! 演技だってわかってるんだから、」
「立香」
「……え」
彼は普段、わたしの名前なんて呼ばない。酔ったフリにしたってこんな心臓に悪いことをする人だろうか。
「俺は、眠くないと言ってるだろう」
機嫌悪そうに言いながらわたしの肩口にぐりぐりと頭を押し付けてくる。
「ちょ、ちょっと、分かったから! ……もしかして酔ってる?」
「こんな量で酔うわけがないだろうが」
酔ってる人ほど否定したがる。奇行に走る。話を聞かない。
「うん、分かった。今水持ってきてあげるから待っててね」
思っていたよりもずっと早い彼の変貌に驚きはした。だけど、人間は家の外で飲むより家の中で飲んだ方が酔いやすいとか何とか。さすがにこれが演技だったら、人間不信になってしまう。
「おいどこに行く」
「!」
不満そうにわたしを捕まえる彼のせいで身動きが取れない。ソファから立ち上がろうとしたのにまた逆戻りする。腰まわりをがっちりホールドする両手はさすがにそのままにしておけない……!
「アンデルセン、まずは手を離そうか?」
「どこにも行くな」
「う、うん。分かったからその、手をね、」
「離したら出て行くつもりだろう」
「どこにも行かないから!」
「嫌だ」
彼は酔うとわがままになるらしい。こちらの話をちゃんと聞いているか分からない。そんな、ワイン二杯もまだ飲んでないのに酔いがまわるのが早すぎないだろうか。
「お前は柔らかいな」
「ちょっと!」
彼の手はわたしのお腹に触れている。それは、立派なセクハラになるのでは?
「甘い匂いがする」
「っ! アンデルセン、息吸うのやめて!」
「呼吸を止めて座に還れというのか」
「いや、そうじゃなくて……」
「まぁ三流サーヴァントの力を底上げしたところで結果はたかが知れている。お前は戦力バランスの分からない物好きだろうが、次の聖杯はもっと火力が出る戦闘マニアに渡せばいい」
この言い分はまるで。
「俺にいくらか聖杯を寄越したのがただのお前の気の迷いだと分かっている」
分かりやすいまでのヤキモチと、あからさまに気に入らないとばかりにツンとした態度は普段ならあり得ない。いつもなら「休暇が取れて御の字だ」とか言って機嫌良さそうにするだろう。
「やれ夢火だなんだと言っても、そんなものを渡したのは俺だけじゃないだろう」
彼の口から出る言葉はどれも『特別』を求めている。普段は三流だなんて言って、聖杯だって、夢火だって……やっとのことで受け取ってもらったのに。
いつもの彼との違いに、彼が深酒しない理由が少し分かった気がする。
「……でも、わたしの部屋で二人っきりで長話をするのはマシュかアンデルセンくらいなんだけどなぁ」
「マシュもそうなら、俺だけじゃないだろう」
「!」
まさか、マシュにまでヤキモチを焼くとは思わなかった。彼はふてくされながら、それでもわたしの腰まわりにまとわりつかせた両腕の力を強めてくる。時々思い出したようにわたしの肩口に頭を押しつけるものだから、時々首に当たる髪がくすぐったい。
これでは、『自分だけ』と思えるような何かを示さないと離してくれないだろう。
「……」
たくさんのサーヴァントの中で彼だけ、と自信を持って言えることが一つある。だけどそれを、こんな風に流されるように伝えてしまうのか。
「さすがのお前も言い淀むくらいだ。素材も、何もかも、俺だけが手にしているものは何もないだろう」
「そうじゃないんだけど、ええと……」
「無理をしてないものを捻り出そうとしなくていい」
そういいながらもどんどん腕の力が強まっていく。明らかに拗ねているのがこうも体感できてきまう。
そのヤキモチは、一体どういう感情?
子離れできない親みたいな気持ち?
人形を取り上げられた子どもみたいな気持ち?
それとも、そうじゃなくて。
わたしが聞きたいような、都合の良い気持ちを持ってくれてる?
「アンデルセン、わたしはね、アンデルセンのこと、好きだと思ってるの。マシュに対する好きとは違って、恋人にしてほしいとか、特別扱いしてほしいとか、そういう……気持ちで……」
こんな風に気持ちを伝えることになるとは思っていなかった。伝えても応えてくれないんじゃないかと思っていたからだ。だけど分かりやすいヤキモチを妬く彼を見ていると、伝えた気持ちが色良く返ってくるんじゃないかと期待してしまう。
「マスターじゃなくて藤丸立香としてもっと見てほしい。アンデルセンはわたしのこと、どう思ってるの?」
酔った彼がなんと答えるだろう。がっちりと腰に手をまわされていても、不安は拭えない。
「…………」
「あの、アンデルセン?」
「…………」
すぅ、と静かな呼吸音。器用にわたしにしがみついたまま彼はすでに夢の中だった。
(信じられない、こんな大事な時に寝るなんて!)
告白は勇気の出し損になってしまった。幸せそうな寝顔で、こちらの気持ちなんか知らずに寝息を立てている。叩き起こしてやろうか。……この寝顔を見ると、そんなこともできない。
きっとこの様子では彼は朝まで起きないだろう。しがみついて離れない彼をどうにか抱えてベッドに移動する。さすがにソファで身動きも取れないまま夜を明かすのは辛い。それにあまりにも彼がわたしに甘えるからわたしだって……少しは甘えてみても良いじゃないか。都合の良い言い訳を唱えて、身を寄せ合って眠りにつく。
起きたら、告白の返事を聞かせてくれるだろうか。……告白を聞く前に眠ってしまったかもしれないけれど。
こうやってわたしにしがみついて甘えたことを覚えているだろうか。分かりやすいヤキモチの結果を覚えていたのなら、彼に避けられてしまうかもしれない。それは困る。明日は彼よりも早起きをして、逃げられないように捕まえなくちゃいけない。そんなことを考えながらうとうとまどろみ溶けていく。
ーー翌朝、結局寝坊をしたわたしは一人で目を覚ますことになる。
彼との追いかけっこが始まったのは、それからすぐのことだった。