紅を差すのは頬だけに 己の美しさに自信を持つサーヴァントが多々いるこのカルデアでは、質の良い化粧品が豊富に揃う。わたしではさっぱりわからない何とかのブランドのファンデがどうのこうの、アイシャドウが、ルージュが。そんな会話を聞くことも珍しくない。昼食後の食堂で賑やかな話題が広がる。わたしにはあんまり縁のない、アイテム。
「マスター、ちょっと顔を貸してほしいのだけれど」
……わたしは一体どこの校舎裏に呼び出されるんだろう。
勝手にベッドの上でくつろいでいると、部屋の主がくたびれた顔で帰ってきた。こちらには目もくれず、ふらふらとベッドに倒れ込んでくる。
「皮膚が息してない……」
「皮膚呼吸など元々していないだろうが」
「あっアンデルセン…! 来てたの?」
見上げた顔は普段と違う装い。 元々長いまつ毛がさらに長くなって、瞬くたびにバサバサ音を鳴らしそうなほど。目元の青が光を反射して光る。わざとらしい桃色に染まる頬。濃い紅色の唇は彼女を妙に大人びて見せる。
「お前、その顔はどうした?」
「なんかそれ、微妙に失礼じゃない……?」
「珍しいな。実験台にでもされたか?」
カルデアの顔のうるさい女達を思い浮かべる。女達の見栄やプライドなど知る由もないが、普段ろくに顔面を弄ったりしないマスターはちょうど手頃な玩具にされそうだ。新しいキャンバスに絵の具を乗せるような新鮮味があるだろう。
「みんなあれもこれも試したいって…昼から今までずっと座ってたし疲れたよ。なんか息苦しい……」
「さっさと顔を洗えばいいだろう」
「メイク落としがないからダメなの。今日はこのままで過ごせって言われちゃったし」
しばらくこのままでいないといけない、不服そうに言っている割には満更でもなさそうだ。普段はそんなことに気を回す余裕などない生活をしているのだから、待機時間に浮かれるくらいのことを咎めるつもりはない。
しかし、こんなにも印象が変わるものだろうか。中身が変わらないのだ、外面が変わろうが大した違いもないだろうが。 「化」粧とはよく言ったもので、顔つきも随分違って見える。
「それで、どうかな。少し大人っぽく見える……?」
期待とともに蛍光灯の光が反射して、瞳の色が輝いて見える。目元の青よりも鮮明に目立っているというのに、目元を飾る必要があるものか。
「そんなに色を重ねて外面ばかり取り繕ったところで、内面が伴わないなら話にならん。大体俺は忙しくて虫除けに無駄な手間をかける時間も惜しい。」
ただでさえ虫が寄りやすいくせに、これ以上余計な虫を惹きつけてどうするんだ。
頬を手に取りながら、その唇の紅色を奪う。きっと人工的な紅が自分の唇に移って紅く染まっているだろう。大人びて見える彼女とは反対に、唇を染めた自分は悪戯した子供のようになっているに違いない。それでも色は似たり寄ったりの唇で向かい合う。
「それにどうせそんなもの、すぐにとれてしまうだろう」
生憎俺には口紅をつける趣味はない。
紅く染まった唇でそう伝えれば、目の前で紅を差す頬。人工的な桃色よりもさらに濃く色づいていく。そのそっぽを向いて押し黙る横顔を眺める。色づくのはこの頬だけで充分だ。
紅を差した頬の色が戻るまでに、唇の紅など消えてなくなるだろう。もちろん文句を言われるだろうが、どんなに外身を取り繕っても、染まるこの頬の色を知っているのは自分だけ。それならば、多少の文句は代金として受け入れるのも、悪くはない。