閉まるドアにご注意ください 夕方、ちょっと遅めの講義の帰りに電車に乗る。とてつもない人の波に呑まれながら、当然席に座れるわけもなく、押し潰されそうになりながら家へと帰る。
(帰宅ラッシュ、いつもは時間被らないのに)
家はまだ遠い。住まいは大学から少し遠いけど綺麗なマンション。一限からだとちょっと辛い時もあるけど、騒音もなくて気に入っている。
ずっと車内の片隅で吊り革にすら掴まれずに脚を突っ張っている。どうにか扉のすぐ近くに立つことができたからまだ耐えられそう。
「…………?」
まだ人混みの多い車内でふと背後に強い違和感。混んでいるからだろうか、背後に立っている人が妙に近く感じる。ずっと続けば気になるのは当然だ。……満員電車ってこういうもの?
脚がぶつかるほどに近い背後の気配に嫌な予感がする。――満員電車には痴漢が出るらしい。
さりげなく脚の位置を動かしたり、身体の向きをずらしてもわたしに添うように追ってくる。
(どうしよう、迷惑ですって言う? でも……)
触っていないと言い逃れされそうなレベルだ。それに周りの人に知られるのもできれば避けたい。
「――ぐぁっ!」
電車がカーブに差し掛かった時、突然鈍い悲鳴が上がって思わず後ろを振り返る。
「これは失礼。このあたりはつり革がないもので足元が見えない。踏んだのは事故だ」
ついさっきまでわたしの後ろにいたらしいおじさんが足を踏まれたらしい。ぶつかった方は謝っているんだからいないんだか微妙なところ。
背後からの重い気配が消える。おじさんの足を踏んだらしい青年がすっと私の後ろに陣取る。
「――――!」
割り込んできた青年と目が合う。青い目と青い髪が印象深い。青年は興味なさげに手元の文庫本に目を落とした。
(今の、もしかして庇ってくれたんじゃ……)
しかも周りに気付かれないように遠回しで。
わたしと青年の間には満員電車とは思えないほどの隙間が空いている。人が入れるほどではなく、けれど詰めようと思えばもう少し詰められそうな隙間。満員電車のストレスがかなり減った。
電車が駅を過ぎるたび、人が減っていく。都心から少しずつ離れる車内はいつのまにか余裕を持って座れるほどになっていた。
わたしに擦り寄っていたおじさんはいつの間にか電車を降りたらしい。私を助けてくれた人はというと――。
(まだいた! ……隣も空いてる)
空き始めた車内で座席に座る彼に、少し勇気を出して話しかける。
「……隣、良いですか?」
「好きにすれば良い。電車は公共の乗り物だ、どこに座るにも許可はいらない」
文庫本から目を離さずに彼は言った。
「あの、さっきの……助けてくれたんですよね? ありがとうございます」
「君が感謝するのは勝手だが、僕はうるさい男の足を踏んだだけだ」
取りつく島もないとはこういう状態だろうか。どうでもいいと言わんばかりだ。けれど彼はわたしが困っていたのに気がついてくれた。
「何かお礼を……」
「は、必要ない。それよりもこの時間、この車両には二度と乗らないことだな。次は未遂では済まない」
電車が駅に着く。
わたしの返事を待たず、彼は電車を降りていった。
(……って、見送ってないでわたしも降りなきゃ!)
謀らずも同じ駅で降りた、彼の驚きの表情まであと数秒。
彼との長い付き合いが始まるのはこれからすぐのことである。