牛乳を買う男 時々このスーパーに、背の高いイケメンが買い物をしにやってくる。あまりに顔が良いから、パートからアルバイトまで皆がその人を認識している。
買い物に来る頻度は少ない。愛想も良いわけではない。それでなくても普通はお客さんの顔なんて覚えられない。けれど、一度見たらあの人を忘れる従業員なんていないだろう。
ーー店に入ると即座にいつも、牛乳を一本だけ掴んでレジに来る。
通称「牛乳を買う男」。彼はこのスーパーの有名人だ。
夕方になるとそこそこ客が多い。夕飯の材料やお惣菜を買う人でいっぱいになる。レジ打ちの人の波がどうにか一旦切れて、一息つきながら外を見ると雪まで降りはじめている。あぁ帰りには積もっているかもしれないなぁと憂鬱になる。
(……?)
ふとスーパーの入り口に目をやって気がつく。入り口近くで寒そうにしながら立っている、オレンジがかった茶髪の女性。
こんなところで誰かと待ち合わせする人は少ないけれど、時々スマホを見て嬉しそうに顔を綻ばせる姿は、まるで好きな人を待つ恋する乙女の顔だ。時折髪を整えたり、服装を気にしたりしていて可愛らしい。店内に入る気配のない彼女は、もしかすると誰かを待っているのだろうか。
そんな彼女が気になりつつもレジにお客さんが来たので彼女の方から目を離した。それからしばらく経った頃、スーパーに背の高い男性を伴って彼女が店内に入ってきたのだ。
それを目にした従業員は、皆衝撃を受ける。
あの『牛乳を買う男』が女の子と一緒に入ってきた、と。
失礼を承知で言うと、彼の鋭い目つきと「袋はいりません」とだけ店員に発する冷たい低い声は近寄りがたく、『すごいイケメンだけど観賞用って感じ』というのが彼に対する私達の総評だった。……本当に、本人に言わないとはいえ失礼な評価ではあるのだけれど。
それがまさか、女の子と一緒に店内に入ってくるとは。さっきまで外にいた可愛らしい女の子は一生懸命彼に話しかけているようで、彼はそれを聞いて時折相槌を打っている、という状態。店の外で彼を待っていた様子からも、女の子が彼を好いているのは明らかだった。
その後、レジに近い場所で2人が買い物をしているのが見えたものだから、どうしても気になってこっそり彼らのカゴの中に目をやる。
いつも牛乳を1本だけ買う彼が、今ひいているカートの中には肉や魚、野菜、それからいつもの牛乳などがぎっしり詰め込まれている。カートの横で彼女が商品をカゴに入れていく。
「こんなに買ってどうするんだ。食べ切れないだろう」
「余ったら冷凍するし大丈夫だよ」
野菜もちゃんと食べなきゃダメだよ、とあれこれカゴに入れる彼女を見て、彼がうんざりしているようだった。おっと、これはどう見てもしっかり者の通い妻の風貌……!
「おい、今日は米も買い足すんだぞ。そんなに詰め込むな」
「でもまたしばらく買い出ししないでしょ? シャンプーと洗剤ももう少ないし……」
「まったく、よりにもよって重いものばかりを」
「持てないなら私が明日買うからいいよ」
「………いや、今日まとめて済ませた方が楽だろう」
これはアレだ。重いのは嫌だけど恋人に非力だと思われたくない、みたいな。しかも話を聞くに、これはどうやら彼らは同棲してるんじゃないだろうか。ちょっと、そういうのは早めに教えて! 手際良くカゴに商品を入れる彼女をこっそり見ながら思う。
彼の「袋はいりません」以外の言葉を初めて聞いたけど、声色は店員に対するものとはまた違う。誰か同僚を捕まえてこの状況を話したいくらいだけれど、仕事中ではそうもいかない。
頭の中では彼らのやりとりのことを考えながら、私の手は慣れた動きで目の前の商品のバーコードを読み取り続ける。
夕方のスーパーは戦場だ。レジがまた混んできて、一旦彼らのことは忘れてレジ打ちを続ける。こんな忙しい夕方に現れることが多いから、彼は目の保養にされているのだ。
レジをひたすら打ち続けていると、カゴが二つも目の前の台に置かれるのが見えた。たくさん購入してくれる客は店にはありがたいだろうけれど、私としてはがっかりでしかない。パンパンのカゴがニつ。食料と日用品がたくさん。……大家族の買い出しだろうか。子連れの家族を予想して、客の様子を伺う。
(……!)
目の前には茶髪の彼女と水色の髪の男。まさか、自分のレジに来るとは思っていなかった。いや、レジは五箇所くらいなのだから自分のところに来る可能性も十分あったけれど。
レジを待つ間、間近で二人の会話を聞く。
「ビニール袋を買うのか? 俺の手持ちの袋には入りきらないぞ」
「私も袋持ってきたから買わなくても大丈夫だよ。分ければそんなに重くないでしょ?」
マイバッグについて確認し合う彼らの様子はもう長く一緒に暮らしているかのようだった。
「別にいい、二つとも俺が持つ。そんなことより傘を差してくれ。かなり吹雪いている」
「ホントだ、天気悪いね。今日、鍋にすれば良かったかなぁ」
「今日はシチューだと言っただろう? 何のために買い出しに付き合ったと思ってるんだ」
「もう、仕方ないなぁ。この間も作ったのに……」
そんなやりとりを聞きながら考える。ーーもしかして彼はいつも彼女にシチューを作ってもらうために牛乳を買って帰るのだろうか?
レジ打ちが全て終わると、彼女が財布を開けて「支払いはカードで」と慣れた様子で言ってくる。幼なげに見える彼女がテキパキとカードで支払いを済ませるのを見ると、何だか違和感がすごい。
彼女が支払いを済ませている間に彼はさっさとカゴを運んで行って袋に詰めているようだった。息ぴったりの連携。それから彼らは吹雪の中店を出て行った。
次の休憩時間には、ぜひ同僚たちに話したいことがある。彼と彼女の左手の薬指にあった揃いの指輪について。重たい袋を二つ持った彼と、背をピンと伸ばして傘を差す彼女が相合傘で消えて行ったことについて。
二人が仲良し夫婦の常連として店で話題になるのは、もう少し後のことだった。