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    vita_di_sardina

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    vita_di_sardina

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    「おれの妹にもそうやって言うこと聞かせてんのか?」

    義兄と義弟の話年下の恋人が分かりやすく落ち込んでいたのだ。

    それは大変に珍しいことだった。恋人はいつも朗らかににこにこしていて、それは朝起きたときから始まり食事をしているときも、一手に任されている四人分の洗濯物を干すときも畳んで仕舞うときだって、水回りの掃除をしているときも楽しそうで、大きなベッドで毎晩おれのことを干涸らびてしまうのではないかと思うほどに責め立てているときすらも、ずっと手本のような笑顔を浮かべている。おれも含めてこの家に住んでいる残り三人は少しばかり見習った方が良い。特に恋人の兄について、そう思う。
    出会ったときからずっとそんなふうにしているところばかり見ていたから、あまりひとの感情の機微というものを掴もうと思ったことがなかったおれですらこいつは何を考えているのだろう、どうせこいつもおれの前…いや女の前でだけ甘ったるい笑顔を見せているだけだ、と勘繰っていたのが懐かしい。初めて会って、セックスをして、そのときおれは処女だったからあいつにとってはたいそう面倒だったろうに、また会って、またセックスをして、そうしているうちになぜだか彼はおれのことを気に入ったようで、おれも彼を気に入ったから、互いに都合の良い相手として半分一緒に生活するようになっていた、はずだったのだが、一足先に恋人を作って二人暮らしの広い部屋におれを一人残していった兄が今までおれを気にかけたことなんてなかったのに、おれたちの──少なくともおれの意志をさておいて、気付いたら兄たちとおれたちの四人暮らしになっていた。

    「お義兄さんが……」

    おれの気配を感じ取ったらしい恋人がぽつりと呟き、また口を噤む。恋人が落ち込んでいる原因は兄にあるようだった。恋人の兄ではない。おれの兄だ。なんの因果かおれには双子の兄がいて、恋人にも双子の兄がいる。それがそれぞれ上同士下同士くっついて、まあ中々グロテスクな気もするが、遺伝子レベルで惹かれていると言えばロマンチックな気がしないでもないからそういうことにしておいた。それに、おれたち兄妹は面食いなのだ。兄は好きになったやつの顔が良かっただけとかなんとかカマトトぶったことを言いやがるのだがそっちのほうが恥ずかしいことを言ってないか? 兄と喧嘩すると終わりがないから何も言わなかった。
    兄が相手か。おれは溜息を吐いた。面倒なことこの上ない。兄と恋人の喧嘩なんてこの世で最も遭遇したくないことの一つだ。一般論は知らないが、少なくとも“おれの”兄と恋人に限っては。デスクに突っ伏しているところなんか初めて見た気さえする恋人は余程兄の地雷を踏んだのかもしれない。そうしてきっと負けたのだ。だがおそらく勝ったのであろう兄もいまは大変に苛立っていることだから、兄の夫──ルッチが宥めていれば助かるのだが。

    ヒョウ太、と恋人の名前を呼ぶとのろのろと上げた顔が上目遣いでおれを見る。いつもと違うその目つきはルッチと似ていた。枕に身体を預けてヘッドボードにもたれ、両手を左右に広げてやると、いつもはおれがそんなことをするのを待たずにベッドに二人して沈み込むのに、今日はなんだか少しだけ逡巡するような様子を見せて、それでもやはり立ち上がってその長い脚でもって数歩のうちにベッドの真ん中に座るおれの身体に倒れ込んだ。
    おれより何回りも大きい身体に圧し潰される。断じて不可抗力で、恋人とまったく同じ体格の男におれの兄が圧し潰されているのを見てしまったことがあった。兄は恋人たち双子よりは小さいが、それでもそこらの男よりは背も高いし体格も良い。勿論おれよりも。それなのに兄の身体はすっぽりと隠されていて見えなくて、それが酷くいやらしかった。だからおれたちもきっと、そうなのだ。
    この重さを感じてしまうと、彼を覚え込まされた身体は勝手に熱くなる。でも今日はおそらく、そして珍しく、そういう日ではない。
    毎晩あんなセックスしていて、よく体力がもっているものだ。自分に感心しつつ、本日は兄に感謝すべきかはたまた恨むべきか、いややはり恨むべきである。おれのかわいい恋人のこんな顔を引き出したのが兄だなんて、くやしい。
    くやしくて、わしゃわしゃと胸に抱えた頭を撫でる。長い髪の毛はたいした手入れもしていないくせに指に絡まることすらなくて、むかつく。たぶん、兄の方も。毛が細くて紫外線にも弱くて、どう頑張って乾かしたって毎朝寝癖が避けられないおれたちとは違い、うつくしい黒に太い毛なのに伸びた先ではくるくると丁度良い塩梅に波打って、起きて髪を手ぐしで梳かせばそれでおしまい。くそ、いつもベッドではすぐにめちゃくちゃにされているからこんなこと思う余裕もなかったが、考えれば考えるほど嫌味な男たちだ。だがそんな男がおれのことを大好きらしいというのはやはり嬉しいから、何があったか聞いてやらなくてはならないのだ。

    「お前と兄貴、仲は悪くないと思ってたけど」
    「……そうかな」
    「先に喧嘩売ったのはどっちだ」
    「………………ぼくです」

    怪しいところだった。兄は性格が最悪で、そんな兄に比べたらヒョウ太もルッチもかわいいものだ。そして性格が最悪なだけではなく繊細なわけでもないくせに面倒な男だから、ヒョウ太に地雷を踏まれでもした兄がじわじわと会話を誘導してこれ以上ないほどていねいに、ヒョウ太の地雷をも踏みつけてやったのだろう。彼らがどんな地雷を持っているのかは知らないが、その光景自体はたやすく目に浮かぶ。おれに出来ることはルッチが巻き込まれていないことを今更祈ってやるだけだった。

    「おれのことか? ルッチのことか?」
    「……どっちも」

    こんなにベッドでゆったりとした時間が流れることは滅多にない。たいていセックスをして気絶するか、仕事が忙しすぎて気絶しているかのどちらかだからだ。おれの胸に引っ掛かっている眼鏡を取ってやると、ヒョウ太はぐりぐりと頭を押し付けてくる。両頬を両手のひらで挟み、少しだけ力を入れると抵抗せずに顔を上げた。
    言い負かされてきたのだろう。それも人生で初めて。不貞腐れたような顔はおれから見れば年相応で、ああやっぱりかわいいな、おれの恋人を傷つけたらしいクソ兄貴をぶん殴ってやりたい。しかし妹の顔面も容赦なく拳を固くして殴る兄である。より面倒な事態になるのは想像に難くない。どうしたものか。


    ヒョウ太の視線が一瞬逸れた、と同時に小さく三度、扉を叩く音がした。おれを抱くヒョウ太の腕に力が込められて、またおれの胸に顔を埋める。おれはそれを無視してヒョウ太の腕の中から簡単に抜け出し、扉を開く。正面には灰色の壁があり、かなり見上げてようやくそこに立っているのがヒョウ太の兄だということが分かった。
    ヒョウ太と同じつくりのはずなのに表情筋が働かないこいつの考えていることは今日も分からない。兄には分かるのだろうか。兄はヒョウ太のほうこそ何を考えているのか分からなくて不気味だ、とか失礼なことを言っていた。見上げなければ顔も見えない男はおれをすっかり見下ろして、訪ねてきたのはそちらだというのに口を開く気配さえみせなかった。

    「お前の──夫だか嫁だか、あのひとをなんて呼べばいいんだかわかんねェんだが、とにかくなんか言ってたから来たんだろ?」
    「ええ、あなたのお兄様が『悪かった、おとなげなかった』と」
    「はっ! 嘘が下手だな! あいつがそんなこと言うタマか?」

    言い返すことすらせずおれから視線を外した男は、おれの背後に視線を向けた。いつもはどこを見ているのか辿るのも一苦労だが今日はすぐに分かる。ルッチは先程までのむっつりとした様子と打って変わってさっさと口を開いた。

    「おい、ヒョウ太」
    「なんだよ、お前だってムカついただろ」
    「おれは納得した」
    「……お前は僕で、僕はお前なのに?」

    兄が何を言ってヒョウ太を“うまく”キレさせたのか、なんとなく分かった気がした。この双子はおれたちとは全く違う。正反対と言ってもいい。おれたちが言われて心底いやで仕方がないことの反対が、きっとこいつらにとってはいやなのだ。つまり──お前らは違う存在だ、とか。

    「〜〜、それは、……おれも兄貴につくわ」
    「…………スパンダムさんも、そんなこと言うの」
    「だって、おれが愛してんのはヒョウ太だけだし」

    扉の枠に背を預けてそう言うと、ヒョウ太だけでなくルッチまでぴくりと反応した。ルッチは納得したと言っていた。どうせ兄に同じことを言われたのだろう。分かってしまう自分がいやだ。ルッチが巻き込まれていないよう祈ってやったことを後悔した。おれの恋人をダシにイチャつきやがって。

    「兄貴だって、ヒョウ太のことを愛してるわけないだろ?」
    「……わあ、鳥肌」
    「だから、お前とルッチがぜんぶ同じだとおれたち困るんだって」

    枕に顔を埋めたまま、ヒョウ太は小さくうんとくぐもった声で返事をした。こいつも納得したのだろうか。ベッドに近寄り、枕を剥がす。

    顔が赤い。照れている? 今更? 毎晩あんなセックスをしておいて!?

    やはり、兄には感謝すべきかもしれない。かわいい恋人のこんなにかわいい表情、滅多なことでは見られない。おれは思わずキスをした。あんまりかわいくて、くちびるだけでなくその額に、鼻先に、瞼に、いつもマスクで隠されている顎にも、触れるだけのキスを何度も落としてやった。

    「別に兄貴に謝らなくていいよ。でも壁に穴開けたことは謝ろうな」
    「なんで知ってるの」
    「リビング通ったときに見た」

    ふと扉の方を見るとルッチはすでに居なかった。あいつはおれたちがイチャついていると苦虫を噛み潰したような顔をしてどこかへ行くが、お前らも大して変わらねえよということをいつか言ってやったほうが良いのだろうか。

    ヒョウ太が兄に何を言ったのかは結局分からないままだった。分かったところで理解できるような兄ではないから、つまりはどうでもいいことである。
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    vita_di_sardina

    MEMO「おれの妹にもそうやって言うこと聞かせてんのか?」
    義兄と義弟の話年下の恋人が分かりやすく落ち込んでいたのだ。

    それは大変に珍しいことだった。恋人はいつも朗らかににこにこしていて、それは朝起きたときから始まり食事をしているときも、一手に任されている四人分の洗濯物を干すときも畳んで仕舞うときだって、水回りの掃除をしているときも楽しそうで、大きなベッドで毎晩おれのことを干涸らびてしまうのではないかと思うほどに責め立てているときすらも、ずっと手本のような笑顔を浮かべている。おれも含めてこの家に住んでいる残り三人は少しばかり見習った方が良い。特に恋人の兄について、そう思う。
    出会ったときからずっとそんなふうにしているところばかり見ていたから、あまりひとの感情の機微というものを掴もうと思ったことがなかったおれですらこいつは何を考えているのだろう、どうせこいつもおれの前…いや女の前でだけ甘ったるい笑顔を見せているだけだ、と勘繰っていたのが懐かしい。初めて会って、セックスをして、そのときおれは処女だったからあいつにとってはたいそう面倒だったろうに、また会って、またセックスをして、そうしているうちになぜだか彼はおれのことを気に入ったようで、おれも彼を気に入ったから、互いに都合の良い相手として半分一緒に生活するようになっていた、はずだったのだが、一足先に恋人を作って二人暮らしの広い部屋におれを一人残していった兄が今までおれを気にかけたことなんてなかったのに、おれたちの──少なくともおれの意志をさておいて、気付いたら兄たちとおれたちの四人暮らしになっていた。
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