そのボトルはいつの日か(Ⅰ.赤は自覚する)「事件が一段落付いたら裏通りのジャズバーに行こう。そこで、新しい酒をボトルキープしないか?」
できればもう少し、おとなしめのヤツをさ。そんな事を言って目の前の青少年――ロイドは笑う。思わぬ言葉に、ランディは一瞬面食らった。自分がうっかり滑らせてしまった口から決めた覚悟だ、そう大層なものではないという自負はあるしひかれても仕方ない話でもあると思っている。このラム酒にしたってそうだ、結局引き摺ったままずっと空にできなかった代物である。一緒に飲んで欲しいという我儘ともいえるそれを聞いてくれた上で、別の酒をボトルキープしようだなんて先の話をしてくれている。以前教団事件の時も、自分の過去を話しても引いたと正直に告白した上でお互いを知ってこその相棒だと言うのだ。自分のいた世界とは別物だろうに、真っ直ぐになんの世辞でもなくそんな言葉をぶつけるのだ。そんなロイドに、ランディが返せる言葉はただ一つだった。
「ああ――繰り出すとすっか!」
例えこの後がどうなろうと、自分たちの可愛い娘と仲間たちと共に愛しき故郷へ帰るという選択肢に変わりはない。ここでランディはようやく、腐った死人のような自分の生にも意味があったのだと理解できた瞬間でもあった。
一連の事件から事後処理が終わるまでの日数はそう消費される事はなかった。元々証拠という証拠が揃えられないような事件ではあったが、少なくともクロスベル市において二大トップである市長と議長が双方合意しなくては通らない筈の改革がほぼ軟禁といった形で封じ込められた上でクロスベル独立国の宣言がなされた訳だ。こればかりは自治州法に基づきディーター・クロイスが逮捕されるのも道理というものだった。そして、ガイ・バニングスの殺害事件。仮死状態だったイアン・グリムウッドの自首、自供により事を荒立てる事なく三年越しの事件解決となった。証拠品も線条痕から彼が護身用でもっている銃で一致した事も大きな要因である。
「それで、ランディさんは結局ロイドさんとボトルキープとやらは出来たんですか?」
支援課の端末で事務処理を行っていたティオは後ろで愛読の雑誌を読んでいるランディにそう問いかければ、ランディは困ったように咳込んだ。恐らく通りがかりに鋭い五感で聞き取ってしまったのだろう。野郎二人の会話なんぞ聞いても楽しくないだろうに、そんな事を思いながらランディは返す言葉を考える。
「一応、したっちゃしたさ。ただその、な。あいつとならもう一回あのラム酒を飲んでもいいんじゃねぇかって思っちまってな」
「ランディさん、案外ロイドさんみたいな人が好みなんですね」
揶揄うような声音とは別に淡々と打ち込まれるタイプ音に、彼は今度こそ返す言葉を無くした。いつからかどうしようもなく目が離せなくなった、自分に向けられる言葉が嬉しくなってしまう。穢いものから目を背けさせたくなる。たとえそれが本人の意に反しているとしてもせずにはいられない程に執着してしまっているのは最早否定の仕様もない事実だった。
「ランディさんにとってそのラム酒は思い出で、苦い何かなんでしょう。それをもう一度ロイドさんとならってどんな熱烈な告白なんですか?」
やれやれです、本人にしてくださいとティオは言うが、そんな自覚が全くなかったランディにとっては理解できない言葉で。それではまるで、ロイドの事を好いてると指摘されているようなものだ、頭が追いつかないにも程がある。ふと、タイプ音が止まる。何事かとランディが顔を上げればそこにはジト目で睨みつけるティオがいた。
「ランディさん、気付かなかったんですか?」
何に、とは双方口には出さない。自分自身の感情がある程度把握できてコントロールできる自信が、ランディにはあった。だがいざこの燻ぶっていたどうしようもない気持ちは言われるまで意識したこともない感情ばかりであった。ああこれが、この身を焦がすこれこそが。
「恋って奴かねぇ……」
今更ともいえるその言葉に、ティオは盛大な溜め息をついた。そして、クロスベルの長い冬の季節はすぐそこにまで迫っていた――。