Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    脊椎(ログ垢)

    脊椎の作品保管庫
    pixivに投稿する前の草稿&指定モノをまとめるところ。

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 10

    脊椎(ログ垢)

    ☆quiet follow

    シンサトワーパレ進捗

    硝子を飲み込んで ごうごう、とひどい雨が降りしきっている。激しい勢いで空から注がれる水滴たちはレンガ造の壁や地面を容赦なく殴打し、数時間ほど前には美しかったはずの街並みを、いっそ不気味なものにまで貶めていた。
     そんな街並みを、常日頃から鍛えていると一目で分かるほど均整のとれた体付きを持つ藤色の髪をした青年が、傘もささずにひた走っている。迷路のように入り組んだ道に舌打ちを打ちながら、目的地へとなるべくまっすぐに。水分を含んで顔にべちょりと貼り付く髪に対し、実に忌々しそうに大きく舌打ちをしてから、青年はそれを首元で短く結えた。
     そこからまた走り出すも、数分したところで先ほどと同じ場所に出てしまったことに気づき、青年は髪を苛立たしげにぐしゃりと掻きむしった。
    「……迷路だな、これは。スマホロトムもこんな天気では役に立たん」
     埒が明かん、と鋭く言い放った青年は、腰につけたホルダーからモンスターボールを一つ手に取って、それを小さく空中に投げる。出てきたのは、闇に溶け込む漆黒の翼を持った大型の鳥ポケモン——ドンカラスだ。何用だ、と言わんばかりに首を傾げたドンカラスに、青年は「俺を大聖堂まで乗せてくれ。案内はする」と端的に告げた。
     その指示に短く頷いたドンカラスは、青年に背中を向けて一声鳴く。それを見た彼はドンカラスの背中に飛び乗り、振り落とされないようにしっかりと跨る。
     ばさり、と大きな羽音を立てながら、青年を乗せたドンカラスは人を乗せているとは思えないほどの流麗さで空へ飛び上がる。
    『シンジニ報告アリ! 報告アリ! アローラチャンピオンヲ大聖堂ニテ発見! ホウエンチャンピオン、カロスチャンピオン、イッシュチャンピオン、現時点デポケモンハンターJノ残党ト交戦中!』
     スマホロトムからのけたたましい報告に、青年——シンジは「各員に俺が大聖堂に向かうと伝えろ」と告げて、ドンカラスに大聖堂への方角を指示する。激しい雨粒が身体を絶え間なく叩き続ける中で、彼はどうしてこんな状況になってしまったのかと、どこか他人事のような心地で思い返し始める。そうだ。ことのきっかけは、本当に小規模な乱獲被害だったはずだ。

     ★

     ことの発端は一週間前ほどに遡る。カントーのトキワジムジムリーダーに就任後、諸事情あり、とあるバトルを経てシンオウ地方の新たなチャンピオンに就任してから、おおよそ三年。シンジは月に一回行われる地方トップの定例会議に出席していた。
     あくまで地方のチャンピオンというのは、その地方で最も強いトレーナーに贈られる称号であり、ジムリーダーのような職業ではないとシンジは認識していたため、このような職務会議に出席するとは、就任当時はつゆほども考えていなかったのだが、そんな呑気な構え方を周囲は許してはくれなかった。
    『ポケモンリーグチャンピオンに、その地方が持つ最高戦力という側面があることを認識しておくように。不慮の災害、巨大な犯罪組織が起こす人災、伝説のポケモンの暴走の鎮圧。これらのような人にもポケモンにも、町などにも大きな被害を及ぼす事態が起こったとき、人々を一番多く守れるのは、チャンピオンのように鍛え上げられたポケモンを持つトレーナーよ。そして、その存在は人々に安心感を与え、鼓舞するものでなくてはならない。忘れないでね。貴方はもう、ジムリーダーという一つの町の代表ではなく、一つの地方のトレーナーとしての代表にまで上り詰めたことを』
     それは、シロナからチャンピオンの座を受け継いでから初めての定例会議の前日に、いつになく重い口調で告げられた言葉だった。
    『それは……ジムリーダーとして街の治安の維持などに携わることの延長線、として捉えてもいいのでしょうか?』
    『そうね、概ねその認識で問題はないわ。流石シンジくんね。かつての貴方なら、こんな会議に意味を見出せないなんて言いそうなものだけれど』
     シンジの問いにシロナは少しだけ目を瞬かせたのちに、安心したように破顔する。そこから彼女はシンジに何も言うことはないと示すように彼の背中を優しく叩いて、会議室に入ることを促した。
     そのとき、シンジはシロナから受け継いだチャンピオンの座の重さ、というものを正しく理解できたように感じた。
     このシロナとのやりとりを経てから、シンジはチャンピオン業をかなり精力的に務めるようにしている。それまで出渋っていたPWCS にも出場し、歴代最短期間でマスタークラスまで駆け上がって、その地位をほぼ不動のものとしたほか、地方で起こる組織犯罪の検挙にも出来る限り協力した。
     その功績はリーグ協会の上層部にも届いたのか、年齢面で侮られることはほぼなくなった。就任当初ではほぼお飾りの状態に過ぎなかった定例会議においても、四年目に差し掛かった今となってはかなりの発言権を得るまでになっている。
     それゆえに、今回議題に上がった乱獲被害についても、自分が警察組織に協力するという形をシンジが提案したところ、いつもと同じように反対意見もなくまとまってくれた。ただ、己と行動を共にする人員がシンオウ地方の警察組織の者ではないという点を除いては。
    「あの、シンジさん。今回の事件、ポケモンGメンと共にあたってもらうことになりそうです」
    「Gメン、ですか。となると、こちらにくるのはワタルさんか……?」
     会議後に顔馴染みのジュンサーから渡された書類をめくってみれば、確かに被害状況の情報源はポケモンGメンとなっている。
    「珍しいですね。今回の乱獲被害はシンオウ地方に限ったもので、外部の人員は来ないものかと」
    「えぇ。なんでも、規模自体は小さいのですが、同じ手口の被害が別の地方でもぽつぽつと見られているらしいです」
     ジュンサーの言葉に急かされるように、シンジはさらに資料をめくっていく。確かに、乱獲後の地形の抉れや、大型の飛行物体と思しき機体の着陸痕がどの被害地域でも共通している。そして資料の最後のページにひっそりと記入された一文を見て、シンジは思わず眉根を小さく上げた。
    『五年前にシンオウ地方にて活動していたポケモンハンターJの手口と非常に酷似している』
     ポケモンハンターJ。その名前くらいは、世俗に比較的疎いと自認しているシンジでも聞いたことがあった。ポケモンを特殊なプラスチックで固めて自由を奪うという拘束方法を用い、裏社会からの依頼により珍しいポケモンを捕獲しては売り捌いていた、悪名高き女犯罪者。しかし、そんな怪物じみた女も七年前にギンガ団が引き起こした事件の中で、ユクシーとエムリットの【みらいよち】の直撃を飛空挺に喰らって命を落としているという。
    「加えて、今回被害に遭っている地域はエスパータイプのポケモンが多く生息している地域だそうです」
    「エスパータイプ、ですか」
     被害の様相を収めた写真を見れば、確かに特殊プラスチックによって拘束されてしまったラルトスやムンナなどのエスパータイプのポケモンたちが何体か写っている。その痛ましさに表情を顰めながらも、シンジはジュンサーに「教えて下さりありがとうございます」と告げた。
    「いえ。これまでのシンジさんの助力に比べたら、これくらいなんてことはありません。あ、あと、Gメン側からの人員のことですが、どうやらワタルさんではないようです。それくらいのことしか伝えられていないので、誰かまでは詳しく分からないのですが……」
    「いえ。Gメンの人員であれば、そうそう変な人間は寄越さないはずです。念のため、いつでも出れるように準備します」
    「はい。それでは私はこれで」
     シンジに向けて敬礼してから、ジュンサーは足早に立ち去っていく。それを見送ってから、彼は資料を丹念に読み直し始めた。被害に遭っている地域は、時期順に並べ替えるとカロス、イッシュ、ホウエン、シンオウ、カントーとなっており、いずれもエスパータイプの生息地となっている。しかし、どの地方も二ヶ所以上被害に遭ってはおらず、シンジは直感的に「ターゲットと思しきポケモンを捕獲しようとして襲った地域が、たまたまエスパータイプの多く生息する場所であっただけで、乱獲被害はあくまで二次被害なのではないか」という仮説を立てた。
     ——ポケモンハンターJの犯行現場を目の当たりにした奴が見たら、俺とはまた別の意見を立てるのだろうか。
     とんとん、と会議室のテーブルを人差し指で無為に叩きながら、シンジは働きは決して悪くはないはずの頭を回す。それでも、対犯罪組織との経験の少なさや、こういった事件に関する知識の乏しさが災いしてか、先ほど立てた仮説よりも納得のいく考えは生まれなかった。
    『ソロソロ、ホウエン地方ヘ向カウ準備ヲスル時間デス』
     あまりの考えのまとまらなさにシンジが苛立ちを覚えたあたりで、スマホロトムが気持ち控えめな音量で声を上げる。その音声に、彼は己がかれこれ三十分以上は会議室に居残りしていることに思い至った。しかも、翌日はホウエンのサイユウスタジアムでマスタークラス戦の試合が組まれている。そろそろここを出ないと、ホウエン行きのフェリーに乗り遅れてしまいかねない。
     せめて明かりだけは消しておかねば、とシンジは慌ただしく立ち上がり、ドア付近の壁に埋め込まれた照明のスイッチを押して会議室が薄暗くなったのを確認してからそこを後にした。

     ★

     結果だけ言えば、シンジは無事予定の時間通りにサイユウスタジアム最寄りのホテルへ到着し、柔らかいベッドにゆっくりと腰を下ろすことに成功した。翌日のバトルのために選抜したポケモンたちの調整も既に終えているため、今日のうちにやることの残りはといえば、食事と入浴、睡眠だけだった。
     しかし、夕飯に向かうにも風呂に入るにも、午後五時というのはいささか早い時間のように思えなくもない。広めのシングルルームの天井をぼんやりと眺めるのにも飽きてしまい、何かしらの作業で時間でも潰そう、とシンジは徐に立ち上がり、バックパックから少々雑に突っ込んだせいで皺が寄ってしまった事件資料を取り出した。
     多地方に渡る組織犯罪。それぞれの犯行の規模自体はかなり小さいものに分類されるため、従来の対応をとるなら、この事件解決の主導となるのは国際警察となるはずだ。しかし、ポケモンハンターJの残党による犯行という一要素だけで、ポケモンGメンがこの捜査に乗り出している。
     それほどまでにポケモンハンターJとは悪辣な人間であったのか、とシンジの背筋にぞわりと薄ら寒さが走った。
     ネットで調べれば少しは情報が出てくるだろうか、と彼はスマホロトムを呼び出して、「ポケモンハンターJについて調べろ」と指示する。それを聞いたスマホロトムはシンジのほど近くに浮遊し始めながら、検索中、と何回か声を出したのちに、『情報規制ガカカッテイテ、ホテルノフリー回線デハ調ベラレナイデス』と無慈悲に告げた。
    「それは、ホテルのネットにお前を繋いでいるからか? いわゆる、公共のネットでは見られない類の情報ということか」
    『ハイ。リーグ協会デモ上位ノ機密ニ該当シテイルヨウデス。シンジサンハチャンピオンデスノデ、公共ノフリー回線以外カラナラ、専用ノVPNヲ用イテ閲覧デキマス』
    「すまないが、俺はそっちの知識には疎い。一旦お前をホテルのネット回線から外すから、それで調べ直してみてくれ」
    『畏マリマシタ』
     スマホロトムの液晶を軽くタップしてネット設定を弄り、契約してある携帯会社の回線を利用するように指定する。それが適用されたと同時にロトムは検索を開始して、数十秒後にはポケモンハンターJについての情報を液晶にずらりと表示させた。
    『コチラガポケモンハンターJノデータデス。協会ト国際警察ノデータベースニハ、コノ者ニヨル密猟事件ニツイテノ資料モ保存サレテアリマシタガ、PDFヲダウンロードシマスカ?』
    「頼む。後でタブレットに移して詳しく読んでみるつもりだ」
    『デハ送信致シマス』
     その音声が終わるか終わらないかのタイミングで、シンジは再度バックパックに手を突っ込んで愛用のタブレットを引っ張り出す。カチ、と電源ボタンを一つ押して、スリープモードを解除させるや否や、お目当てのPDF閲覧用のアプリを起動させて、スマホロトムから送られてきたデータを読み込ませた。
    「問題なく読める。ありがとう、スマホロトム」
    『イエ。トコロデ明日ノバトル後ニツイテデスガ、ホウエンチャンピオンカラ今回ノ事件ニツイテ情報交換ガシタイ旨ノメールガ来テイマス』
     ホウエンチャンピオンという単語を聞いたシンジは、ふむ、と軽く眉根を上げてから「分かった、とだけ伝えておけ。集合場所と時間はそっちに任せる、とも」とだけロトムに端的に告げた。
    『マスター、ソロソロタブレットノセキュリティヲ見直シテクダサイ。パスコードモカケナイノハ、イササカ防犯意識ニ欠ケルカト』
     スマホロトムからの静かな指摘に、シンジは善処するとだけ返す。タブレットを誰にも触らせていないのだから、中に入っているデータなど見られようもないだろう、というのがシンジの持論なのだが、ロトムからしてみれば危なっかしいことこの上ないらしい。
    『マスターガソウ言ッテパスコードヲ設定シタノヲ見タコトガナイノデスガ』
     ぼそりとしたスマホロトムの言葉に聞こえていないふりをかましながら、シンジはタブレットをスリープモードにしてバックパックに戻す。やっと落ち着ける、と一息吐いたあたりで、少しばかりの空腹感が湧き上がってきた。ふよふよと浮いたままのスマホロトムの画面にある時計を覗き込んでみれば、ちょうどホテルのディナービュッフェが始まる時刻が表示されている。
     まだ夕飯時としては早いと感じなくもないが、さっさと腹ごしらえをして、明日の対戦に向けて早めに睡眠をとった方がいいかもしれないと思い立ったシンジは、ルームキーとスマホロトムだけをズボンのポケットに突っ込んで、部屋のドアを開ける。手早く戸締りをして、しっかりと施錠されたかを確認してから、彼はエレベーターホールへと足を向けた。
     幸いにも、このホテルには過去に何回か泊まったことがあり、レストランへの道のりも大体頭に入っている。問題は、そこで誰かしら知り合いに出くわさないかどうかだ。ジムリーダーを二年務めたことで多少は緩和されたと信じたいが、シンジは自分自身のコミュニケーション能力にいささか難があることは重々自覚していた。それゆえに、こういったプライベートの場で知り合いに会ったときに、当たり障りのない世間話をできるような自信がないのである。
     頭の中に世間話に類するような話題をいくつか思い浮かべてみるものの、数秒経てばすぐにポケモンかバトル関連に飛びそうなものしかないことに、軽く眩暈がした。そんなんだからバトルバカって言われるんでしょー、と同郷のトップコーディネーターの呆れたような声が脳裏によぎって、シンジの苛立ちかけていた心をさらに逆撫でてくる。それが表情にも浮かび上がってきてしまったのか、たった今辿り着いたエレベーターホールにいた何人かの宿泊客から小さな悲鳴が上がった。
     ——レストランに誰も知り合いがいてくれるなよ!
     心中でそれだけを叫びながら、シンジはエレベーターへと乗り込み、素早くレストランのある階を押す。共に乗り込んだ客も目的地は同じだったようで、エレベーターはどの階にも停まることなく階を下っていく。
     そしていよいよエレベーターの扉が開いた先にいたのは、明日の対戦相手であり、つい先ほどのメールの送信先でもある、ホウエンチャンピオンのショータだった。
    「あ、シンジ」
     行儀良く切り揃えられた緑色の髪に、温和かつ理知的な面立ちをした青年を見て、シンジは思わず大きなため息を吐いてしまう。何故どうしても回避したい出来事だけに限って起こってしまうのか。苛立たしさを隠そうともしないシンジにつられてか、ショータも眉根を上げて、少しばかり棘のある口調でこう告げた。
    「人の顔見て最初の反応がため息って、いい度胸してますね、シンジ」
    「それは本当にすまない。だが、俺のコミュニケーション能力不足で知り合いに不快な思いをさせたくなくてだな」
     エレベーターから降りながらのシンジの言い訳に、ショータはふむ、と少し考えるような仕草をしてから口を開いた。
    「あぁ、それで知り合いに会いたくなかったのに、いざここにきたら僕がいて対応に困ってしまった、と」
    「そういうことだ」
     ショータの頭の回転の速さに助かったとも思いつつ、どこまで読み取られているのかに対して、僅かばかりの恐怖を抱いてしまう。
    「不躾な態度をとってすまなかったな」
    「いえ。会議やバトルの場でもない限りは気にしません。せっかくです。一緒に食べましょう?」
     明日のバトルの後に要件もここで片付けてしまいたいですし、という彼の誘いに、シンジは異論はないと首を縦に振った。

     ★

     ディナー開始からほぼ間もない時間だったおかげで、シンジとショータは人目につかない席をすんなりと確保することができた。とはいえ、二人とも一地方のチャンピオンという身分であるがゆえに、連れ立って料理を皿に盛り付ける中で多少の視線は向けられてしまったのだが。
    「シンジ、意外と表情に出ますよね」
     皿にこんもりと盛られたパスタをフォークで巻き取りながら、ショータはさらりとそう言った。
    「俺が、か?」
    「居心地が悪そうなときとか、イライラしてるんだろうなってときはすごい分かりやすいです。チャンピオンでの会議のときとか、マスターズトーナメントの控え室にいるときなんかは顕著ですね」
    「……改善できるように努めよう」
    「今挙げた状況には、シンジにとって苦手な人がいますから、気持ちは分からなくもないです。でも、いずれは彼との因縁を解決してくださいね」
     フォークにきっちりと巻き取られたパスタの量は、一口分にしてはいささか多いようにシンジには見えたが、ショータはそれを豪快に口に入れて咀嚼していく。大口にもかかわらず彼の食べる姿に不快感を抱かないのは、体捌きや何気ない仕草に品が見えるからだろうか。いずれにせよ自分には無縁のものだ、と軽く開き直ったシンジは、未だに湯気のたちのぼる味噌汁の椀を手に取って口元に運ぶ。芳醇な香りを鼻腔に取り込みながら飲む温かな味噌汁は、想像通りではあるが安心できる美味しさがあった。
     二口ほど喉に流し込んだあたりでシンジは口から椀を離し、ショータにこう告げる。
    「先ほどの言葉に返答しておこう。俺は奴が……アランが吹っ切れない限りは、今の態度を崩さないつもりでいる。サトシが何と言おうと、だ」
    「……解決に一体何年かけるつもりですか。僕からしてみれば、双方に非がありますよ。確かにアランの初手の対応は間違いなくアウトでしたが、殴りかかったシンジも悪いです。済んでのところでサトシが止めたとはいえ、暴力沙汰はよくないです」
    「ポケモンバトルで白黒つけないだけマシだろう」
    「えぇ。あなたとアラン、そしてサトシのポケモンたちは、三対三のバトルでも地形変えますからね。ボールを構えなかっただけ、まだ理性が働いていたと判断できてしまうのもどうかと思いますが」
     歯に衣着せぬショータの物言いに、シンジはどう言い返したものか少し考え込んだが、何をどうやっても封殺されかねないことを悟って閉口を選んだ。ただ、これだけは付け足しておこう、と控えめに口を開いて「お前のポケモンたちも似たようなものだと思うがな」と呟いた。
    「へぇ。てっきりシンジの眼中に僕はないとばかり思っていましたが」
    「お前、そのトレーナーとしての腕前で今の物言いはマズいぞ。早急に認識を改めろ」
     ショータから飛び出したその発言に、シンジは間髪入れずに反論する。目の前にいるこのチャンピオンは、一体どんな自己評価をしているのか。ひとまず早急にその誤った認識を正さねば気が済まない、とシンジはコップの水を二口ほど飲んで舌を潤してから口を開いた。
    「まず、一つ言わせてもらうが、俺はお前とバトルするときはかなりの対策を立てている。それこそ、一日はそれに費やすほどだ。そして、チャンピオンであるという時点で注目しないという選択肢がない」
    「は、はぁ……。なんかすみません。……あ、待ってください、僕、これ完全にシンジの地雷踏みました?」
    「モロバレルが見えているのにそのまま突っ込んで【キノコのほうし】を撒き散らさせた、とでもいえばいいか」
    「すごく良い例えをありがとうございます。でも、僕、純粋にシンジはサトシしか眼中にないと思ってたんですよ。いや、シンジだけじゃなくて、……僕を含めて代替わりしたチャンピオンたちは大概そうだと認識している、って言った方が正しいですかね?」
     ショータの言葉にシンジは少しばかり考え込んだのちに、否定はできないな、とだけ返した。つい一ヶ月前にカントーチャンピオンを獲ったヒロシや、イッシュチャンピオン補佐という新役職に選任されたシューティーもまた、サトシのライバルであることが判明し、かなりの影響を受けたと隠しもしない二人に対して、シンジは内心で呆れ返ってしまっていたほどだ。
     各地方の新チャンピオンがほぼサトシの知人で埋まってしまったことに対し、今もなおガラルチャンピオンとして君臨するダンデと、若手のお目付役としてジョウトチャンピオンに在位を決めたワタルが、若干肩身の狭そうな素振りを見せていたことも記憶に新しい。
    「ヒロシやシューティーからサトシの話を聞いて、あー、同じ穴のオタチかぁ〜、って肩の力抜けちゃいましたもん、僕。シンジについても、三年前にダイゴさんとかシロナさんからサトシと凄いバトルをしたことのあるトレーナーとして聞き及んでましたし、アイリスさんは元々サトシの旅仲間で影響をモロに受けている。アランは……まぁ、サトシにあてられてるところを目の当たりにしちゃいましたし」
    「だから、多かれ少なかれ、互いが互いを意識することはないと考えていたわけだ」
    「はい。サトシがアローラチャンピオンになったうえ世界を獲ったから、ライバルとして負けていられないって奮起した人が、今代の若手チャンピオンなわけでしょう? だから、他のチャンピオンに目を向けるような余裕なんてないと勝手に踏んでいたわけですが……。思い違いだったようです」
     そう締め括ったショータに対し、シンジは「寝首を掻く目論みが崩れたわけだな」と皮肉げに返す。
    「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。ひどいなぁ」
    「腹に一物抱えていない方がおかしいだろうが。……話を変えていいか」
    「いいですよ。でも、どのみちサトシ関連に収束するでしょうけれど」
    「なぜそう言い切れる?」
    「先ほど僕は明日の要件も片付けてしまいたい、と貴方に言ったじゃないですか。その要件というのが、現在五地方ほどに跨って発生している乱獲被害のことです」
     そのことか、とシンジは得心したように頷いてから、手元にタブレットがないことに気付き、ショータに資料を忘れた、と小さく告げた。
    「それは別に大丈夫です。大体は頭に入っていますし。それはシンジも同じでしょう?」
    「……俺にお前のような頭の働きを求めるなよ。それにこういう頭脳労働は、シゲルだかゴウ、あとはアランの役割だろう」
    「頭に入ってることを否定はしなかったので、ひとまず大まかな内容は把握している、という前提で進めますね」
    「大概お前も人の話を聞かないな……、追い付けなくなったら言うから一旦止まってくれ」
    「分かりました。話を戻しますと、今回の乱獲被害の捜査の主軸はポケモンGメンとなっていますよね。そのリーダーとして指揮をとるのは、サトシです」
     ショータから齎された情報にシンジは思わず、は? と素っ頓狂な声を上げてしまう。確かにサトシが二ヶ月ほど前からワタルを上司としてチャンピオン業の傍ら、ポケモンGメンとして活動していることは知っていたが、そんな新人に一つの捜査の首魁を任せていいものなのか、シンジには分からなかった。
    「アイツが、か?」
    「はい。サトシとワタルさんから直接聞いたので間違いはないかと」
    「……ワタルさんは何を考えている。確かにアイツは強いトレーナーだが、それをこなせるような年齢でも、Gメンでの活動歴があるわけでもない、はずだ」
    「……その発言、完全にブーメランになってますよ。ただ、今回ばかりは特例でしょう。サトシに関して、もう一つ大きな動きがリーグ協会でも生まれていることはシンジも知っていると思うのですが」
     ショータの言葉に、シンジは即座にあのことか、と思い至り静かに口を開いた。
    「ポケモンマスターへの推挙、についてだな?」
    「はい。ポケモンと人間の共存を最も理想的な形で体現する者、としてリーグ協会はポケモンマスターを定義し、その候補者にサトシをあげた。このことは僕らチャンピオンやジムリーダー、トップコーディネーター、ポケモン博士たちに大々的に告知され、意見を集めている段階ですね」
    「お前はもう意見を提出したのか?」
    「えぇ。結論だけ言えば賛成、として。シンジはどうですか?」
    「まだ提出していない。……というか、その件と今回の事件の捜査のリーダーにサトシが選ばれたことに何の関係があるんだ」
     まどろっこしい言い方は好かん、とシンジは軽くショータを睨め付けたが、彼はそれに微塵も動じた様子を見せず、いつの間にか残り僅かとなっていたパスタを綺麗にフォークに巻き取りながら「端的に言えば、世間に認められるための実績作りです」と告げた。
    「世間に向けて、か? そんなもの、掃いて捨てるほどあるだろう?」
    「それは、僕らがチャンピオンという地位にあるから、サトシが関わった事件についての情報を簡単に手に入れることができる、という前提ありきの認識です」
    「……そうだ、ったな。アイツが関わった事件の大半は伝説のポケモン絡みのものだ。公には隠蔽されるものばかりか。……確かに、一般にはバトルの実績しか開示されないな」
     ごくん、と最後の一口となったパスタを呑み込んで軽く口の周りを拭ってから、ショータはさらに続ける。
    「だからこの際、無理矢理にでも解決の主軸に推して、サトシがポケモンマスターに選ばれるだけの素養があると世間に知らしめたいんですよ、協会は。だから……、僕はこの件については全力を尽くすつもりです。ポケモンと人間の共存を体現する存在。それに相応しいのはサトシだと強く信じていますので」
     貴方はどうです? と問い掛けてくるショータに対し、シンジは少しばかり黙りこくってから、協力することに否やはない、とだけ返すに留めた。
    「随分と煮え切らない返事ですね」
    「元々協力するつもりではあった。ただ、今の話を聞いて少し混乱している。アイツを世間にポケモンマスターとして認めさせるために、こんな事件の捜査を任せた、だと……? 協会はサトシを世間にどう認識させるつもりだ」
     シンジの背中に冷や汗がじわりと滲み、体温がガクッと急速に冷えていくような心地がする。まるでサトシがこれから、都合のいい偶像として消費されてしまうような——そんな恐ろしい想像が頭の中を過ってしまった。
    「そこら辺は協会のお偉いさんにしか分からないと思います。まぁ……、嫌な予感がしなくもないですが」
     刺々しさを隠そうともしないショータのその言葉に、シンジはこの青年が己と同じような想像をしていたということを直感的に理解してしまった。
    「……すまん。この手の話は考え始めると延々と続きそうだ。ひとまず事件の方に話を戻さないか」
    「そうですね。関係する話題がいくつもあるせいか、どうにも脱線してしまいますし……。長話に付き合わせてしまって申し訳ないです」
    「そこはあまり気にしていないが。……いわゆる雑談が苦手なだけだ」
     しおらしく肩を竦めるショータを目にして、シンジは意外なものが見れた、と思考を明後日の方向に飛ばしながらコップの中の水を少し口に含む。どうもショータはシンジのことをまどろっこしい長話を疎んでいると認識していたらしい。それはあながち的外れでもないのだが、シンジはバトル関連の話や、こういった事件に関する情報交換といった場に限っての長話はむしろ好ましく考えている。そして、このことをショータに伝えるべきか少しばかり逡巡したものの、余計な感想を投げられかねないと判断して、シンジはすぐさま閉口を選んだ。
    「……ならいいんですけれど。えっと、今回の事件について僕個人と……あと、ゴウの見解を共有してもいいですか? 最初から説明するとちょっと長いので、結論から言ってしまいますと、この乱獲被害のターゲットはラティオスかラティアスのどちらかなのではないか、と」
    「ッ! どういうことだ」
     さらりと出てきた伝説のポケモンの名前に、シンジは思わず少しばかり大きめの声を上げてしまう。ラティオスとラティアス。むげんポケモンと称され、その美しい見目でハンターから常に狙われやすいポケモンだ、ということは彼もよく知っていた。
    「掻い摘んで説明しますと、僕がこの事件の資料を貰ったとき、まずは事件がいつ、どこで発生したかを最初に見たんです。そしたら、渡りの習性を持つポケモンを狙っているように思えてきて」
    「渡り……? 鳥ポケモンのようにか?」
    「はい。そこで僕はゴウに連絡を取りまして、この時期にこの流れに似たルートを渡りに用いるポケモンはいるかを訊きました。そこで候補に上がった中で、一番ハンターに狙われやすいと考えられるのが、ラティオスとラティアスだった、というわけです。そして、この渡りのルートから見るに、次の目的地はおそらくジョウト地方になるかと」
    「なぜジョウト地方だと断定できた?」
    「ラティオスとラティアスが渡りの終点に必ずといっていいほど選ぶのがジョウト地方だからです。これの根拠はいわゆる御伽話……なんですが、とある筋から過去に実際にあった話だと聞いておりまして。これは後でメールで送ります」
    「助かる」
    「あと、この渡りのルートについても、きのみを運んだりなどの目的があるルートとしては合理性に欠けているんです。ほら、ホウエンからシンオウの間にカントーとジョウトがあるじゃないですか。なのに、ホウエンからシンオウに直行、そこからUターンしてカントーに向かっている。体力配分が重要となる渡りにおいて、このルート取りはどう考えてもおかしい……、とゴウが言っていました」
    「……確かに、彼奴からの見解ならそのまま捜査に用いても問題はない、な」
     サクラギ研究所のリサーチフェローから、プロジェクト・ミュウのチェイサーを経て、飛び級でイッシュ地方のヒオウギユニバーシティを卒業して、オーキド・シゲルに次ぐ十五歳で今年博士号を取得したゴウは、研究畑にはとんと疎いシンジでも時折活躍を聞くほど有名かつ優秀な研究者である。そんな彼の専門分野はポケモンの生息地についてであり、確かにこの事件において情報を仰ぐのであれば最適な人物であるといえた。
    「とはいえ、これが全部見当外れという可能性もありますし。いずれにせよ、僕らはGメンからの情報及び指示待ちです」
    「そこまで的外れなものでもないと思うがな。根拠もしっかりしているし、当たらずとも遠からず、といったところに落ち着きそうだが」
     シンジの言葉に、ショータはその緑眼を何度か瞬かせたのち、小さくありがとうございます、と呟いた。
    「そも俺には推理など、とんとできんからな。そういった頭脳労働はさっきも言ったが、お前や研究者たちに任せる。こういう事件の捜査などでは俺はよしんば用心棒か実力行使での鎮圧くらいしか役目がない」
    「……さっきの言葉、そっくりそのままシンジにお返ししますね」
     むっ、と年相応に不満げな表情を作ったショータに、シンジは咄嗟にどの言葉だ? と首を傾げてしまう。
    「自分のことを一種の暴力装置みたいに認識するのは改めてください。僕、これでも貴方がシンオウ地方で起きた事件の解決に貢献しているのを聞いて、負けてられないって思ったんですから。そうじゃなかったらこの件だって、ここまで本腰入れて調べません」
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works