本日はお忙しい中 なぎいさ「ドイツかイギリスどっちがいい?」
突然凪がそう言いながら渡してきたのは、小さな箱。ぱかりと開いたそこには、指輪が二つ。マジか、と言うのが正直な感想。でもじわじわと嬉しさが体を包み込む。
「ふ、普通に日本でもよくね?」
喜びで満ち溢れ緩む頬をそのままに、次はこちらから提案すると凪はそれもそうかと笑った。
そんな会話をしたのが、数ヶ月前。一応それぞれの両親と所属には報告を済ませ、協会にも言っておくかと軽く電話だけを入れた。結婚と言っても同性婚だし、名前が変わるわけではない。だからそんなに大ごとにするつもりは二人ともなく、身近な人や仲の良い友人達だけが知っていればいいだろも思っていた。指輪も、休日に二人で過ごす日ぐらいにしか着けていない。だから誰にも気づかれないと、そう思っていた。だが、それを許してくれない状況になってしまった。
『日本代表凪・潔、試合後に手繋ぎ路チュー』
そんな語呂がいいのか悪いのかわからない記事が出たのは、二日前。代表戦に招集され日本での拠点として二人で借りているマンションの前で、試合の余韻に浸りながら凪と手を繋いでキスをしたのは記憶がある。近づいてきた顔が試合の興奮を引きずっていて、こんなところで、と思ったが口に出さなかった自分にも非があるので、相手ばかりを責められない。
俺たちの関係を知る人からは、面白がっている連絡ばかりが来た。油断するからだ、と辛辣なコメントも頂き反省はしている。
「いっそのこと公表しよ」
凪には珍しく面倒な方向を選び、とんとん拍子で会見の準備が進められた。スケジュール的に空いていたのは、奇しくも俺の誕生日だった。
ホテルの控え室、ソファに座りながら指先を見つめる俺とは対照的に、凪は隣で俺の肩にもたれ掛かりながらスマホゲームを楽しんでいる。なんでこいつは緊張しないんだ。
「……凪」
「何?」
俺が選んだグレーのスーツに身を包んだ俺の永遠の相手は、ゲームから目を離さない。チラッと画面を見るとサッカーゲームのようだ。その中に出てくる俺の育成に励んでいる。ちょっと嬉しかったけれど、絶対今やることじゃない。
「お前、緊張とかしないの?」
「緊張? なんで?」
「なんでって」
質問に質問で返され、言い淀む。こんな状況で平然としている凪のメンタルが強すぎるのか、俺が弱いのか。たぶん世間は俺寄りの意見が多いだろう。そう思いたい。
「だって、ただの会見じゃん」
「そうだけど」
プロになってから、インタビューとか会見とかはある程度数をこなしてきた。でもそれらは全てサッカーに関することでありプライベート関係の会見は初めて。もちろん、凪も。
「七万人の前で熱烈なハグするのには、抵抗無い癖に」
「あれは試合中だからだろ!」
「耳元で『愛してる』とか言う癖に」
「なっ、それは凪がちゃんと俺のパスで決勝ゴール決めたから……」
「それなのに『俺が決めたかった』とも言うもんね。潔は本当変わってないよね」
「……悪いかよ」
「全然。潔らしくていいと思う」
俺らしいってなんだよ、余裕ぶってやっぱムカつく。こっちは昨日からぐるぐる色んなことを考えて色んなことを忘れたくて誘ったのに、終わってしばらくすると現実に戻ってまともに眠れなかったことも、全部知っているくせに。
「普通に不思議なんだけど、そんなに悩む必要ある?」
「ある」
「うわっ、即答」
ほぼ反射のように答えると、やっと凪が俺の肩から頭を上げてスマホをソファに伏せた。慰めるためなのか機嫌取りなのか、凪が俺の髪を優しく撫でる。それで誤魔化されないぞと思っているのに、結局いつも流されて甘やかされている気がする。友人達からすると、俺が凪を甘やかしているように見えるらしいが、案外凪も尽くしてくれるし甘やかしてくれる。こういう時は、特に。
「潔は何が不安なの?」
髪を撫でる手が耳に移動し、そのまま首筋を指先で撫でられる。その撫で方が好きだと、知っているから。
「何がって……」
改めて考える。不安な要素は本当に色々あって、うまく自分の中で整理できていなかった。この際だから、全部ぶちまけよう。
「……凪のこと、笑い物にされないか不安。あと、チームに迷惑かけないかとか、凪が腫れ物扱いされないか心配。お前、人気あるし本気で好きだった子も居るだろうから」
まだまだ一般的では無い同性婚。世間から面白がられてネタにされるぐらいなら、凪に被害がいかないのなら別にいいけれど万が一何かあれば。俺は俺を許せない。
「全部俺の心配じゃん」
「だって凪はファン多いじゃん」
「潔の方がガチファン多いくせに」
「そうか?」
「そうだよ」
心当たりがないので首を傾げると、はぁとため息を吐いた凪が俺の頬を撫でる。
「やっぱその色、似合ってるね」
「色?」
「スーツの」
凪が選んでプレゼントしてくれたこれは、黒に近いネイビー。贈られた時になんでこの色なのか問いかけると、俺の瞳の色に合うからと言われたが自分ではピンとこなかった。まぁ、凪に似合っていると言われたら嬉しいからそれでいい。
「別に世界中の人に祝福される必要ないよ」
「……そうだけど」
「結婚したからってサッカーできなくなるわけじゃないし、急に下手にもならないでしょ」
「うん、むしろ凪には絶対負けないってモチベ上がる」
「俺も。潔に捨てられないように頑張ろうって思う」
捨てるわけないのに。そんなこと考えていたんだ。たくさん二人で話してきたはずなのに、まだまだ知らないこともある。
「どんなに非難されても、後ろ指刺されても、潔が居てくれたら何も怖くない」
普段は眠たそうとか気怠そうとか言われている瞳が、俺を真っ直ぐ見つめる。迷いがなく、真実を語るその瞳が、たまらなく好きだ。
「だから、潔は俺だけを信じて。一緒に居て、俺をずっと好きでいて」
心がじんわりと温かくなる。この感情を人は幸せと名付けたのだろう。涙が出そうになり、慌てて上を向く。どうにか引っ込んでくれと願いながら、噛み締める。心も体も、今は温かくて心地良い。
「凪も、俺にずっと好きって言って」
「好きだよ」
間髪入れずに言われて、思わず吹き出してしまった。本当にこの男は、躊躇なく愛を囁いてくる。言葉で、指先で、全身で、俺のことが好きだと実感させられる。
「俺も、愛してる」
普段は恥ずかしくて言えない言葉も、今なら伝えられる。目を丸くし頬を緩めた凪の指先が俺の瞼に移動し、彼が顔を近づけてくる。目を閉じ構えると、鼻先にリップ音を鳴らすキスをされ凪が離れる。てっきり唇にされると思っていたので、拍子抜けした。
「そっちは後で」
「なんだそれ」
「今したら、エロい顔で会見行く羽目になるよ」
「それは……」
流石に嫌だ。恥ずかしくて死んでしまう。今日の会見もきっと高画質で録画しているあの天然両親たちに、何度も見せられるに決まっている。
「だから、後でね」
約束、と頬に口付けられたタイミングで扉がノックされる。お時間です、と顔を出したスタッフの声に二人でソファから立ち上がる。
「行くぞ」
「イエッサー」
拳を握って差し出すと、迷いなくコツンと凪の拳がぶつかる。これから向かうのは俺たちのホームじゃないかもしれないが、不思議と先ほどまでの緊張は薄れていた。
隣に立つ男が味方だと思うと、心強い。だから、怖くない。
「あっ、潔」
「ん?」
扉の前で立ち止まる凪を見上げると、髪を撫でながらこめかみにキスされた。
「誕生日、おめでとう」
一歩前に出た凪が俺に手を差し伸べる。日付が変わった瞬間にも聞いたけれど、あの時は眠さと事後特有の怠さでまともに反応出来なかった。
「おぉ、十年先も祝ってくれよ」
「もちろん」
凪の手を掴み強く握れば、優しく握り返される。また心が満たされて、不安が消えていく。
『潔が居てくれたら何も怖くない』
それは俺もだよ、と後で伝えながらキスをしようと心に決めて、二人一緒に会見の場へと向かった。
その会見は伝説となり、スポーツ界ビックカップルとして大きく取り上げられた。だけどどの記事も馬鹿にするようなものはなく、好意的な内容ばかりだったのはひとえに二人が本気で思い合い愛し合っているのだと伝わったからだろう。そう思いたい。
会見の録画を見て、恥ずかしさで爆発するのではないかと思う程全身が赤くなったのは、俺の両親と凪だけの秘密にしてもらいたい。