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    chomi

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    サマーバケーションがテーマ
    おとこのこがすきな五(ナンパ)とふつーにおんなのこがすき(ただし恋愛に興味なし)な悠の真夏のビーチ攻防戦
    五と夏は悪友で、二人ともそれなりにクズい

    #五悠
    GoYuu

    キャッチ アンド リリース(×)「俺達とビーチバレーしない?」

     俺でもその誘い文句はどうなん? と思いつつ、水着姿のカワイイ女子達の気を引こうと必死になっている友人二人の動向を見守る。
     俺でも知っている有名な海水浴場であるこの場所では、こんな光景が至る所で見られる。

     ――こいつらには悪いけど、帰りてぇ……
     大学でできた友人達は明るくていい奴らで、海に誘われた時も二つ返事で了解した。けれど彼らの目的は海を楽しむことではなくて、ひと晩の思い出――あわよくば可愛い彼女をゲットしようという理由だった。
     それで彼女のいない俺にも声をかけてくれたわけだけど、俺はナンパに一向に興味はない。そりゃータッパもケツもデカい綺麗なオネーサンがいたら目で追ってしまうけれど、友人達のように自分から声をかけて落としてやろうみたいな気概は持ち合わせていなかった。
     むしろせっかく海に来たんだから、オンナノコじゃなくて海を満喫したい。さっき渋る二人を連れて海でちょっーっと泳いだら遠泳かよと笑われた上、沖に出過ぎたらしく監視員にめちゃくちゃ怒られた。
    「はー……ぜんっぜんうまくいかねー」
    「ドンマイ」
     芳しくない状況に落ち込む友人をお疲れと労うと、そいつは下げた眦を吊り上げた。
    「お前全然参加しねーじゃん! もー俺ら心折れてきたてきたわ……お前も頼むよー」
    「いやぁ……俺モテねーし無理だって」
    「いや! この仕上がってる筋肉で、筋肉好き女子をオトしてくれ!」
     べチンと腕を叩かれる。元々筋肉が付きやすい上に確かに鍛えてはいるけれど、別に女子のための筋肉でもない。それに――
    「……大体ロクなのじゃねぇんだよな……」
    「は?」
    「いーや、なんでも。つーか俺腹減ったからなんか買ってくるわ」
    「おいー頼むよゆうじー」
    「そうだぞ、虎杖! こういうのはチームワークも大事なんだからな」
     藁にも縋る思いってやつか、食い下がる友人達を笑って躱す。
    「わり、すぐ戻っから。スマホ持ってるよな?」
    「もち! いつでも女の子と連絡先交換できるように持ってるに決まってるじゃん!」
     防水のケースに入ったスマホをドヤ顔で見せてくる友人に苦笑しながら、こちらもスマホを振って笑ってみせる。
    「ハハッ、じゃあ終わったら連絡するわ」
     頑張れよーと激励して、海の家が並んでる辺りに向かう。さすが人気海水浴場だけあって、かなりたくさんの数があるしお洒落なところも多い。
     ……別に屋台の焼きそばとかそんなんがあれば十分なんだけどな。適当に見繕って並ぼうとしたら、照りつける日差しがフッと遮られる。

    「オニーサンいい体してるねぇ」
     振り向く間もなく不躾に肩を組まれ、「またか」と思う。友人達には言っていないが、こういう風に声をかけられるのは割と珍しいことではない。
     出るとこ出たオネーサンに褒められるのならまだしも、俺が声をかけられるのはオネェさんっぽい人かムキムキなマッチョさんのかいかにもな方々。友人達がそういう趣味なら力になれるかもしれないけれど、女子相手にはモテた試しがない。
     もちろん人の性趣向にどうこう言うつもりはないが、俺に声をかけてくる相手は今みたいに許可も得ずに筋肉を触ってきたりと何かと不愉快な思いをしてきた。
    「悪ぃけど俺……」
     いつもの断り文句を言うために振り返ると、相手の風貌を見て呆気に取られた。
     別に背の低いわけじゃない俺を上から見下ろす背に、目立つ髪色。そしておそろしく整った顔。さらに真っ黒なサングラスで隠すのはもったいないくらいの綺麗な瞳が、隙間からこちらを覗いている。
     ――なんでこんな人が?
     いやなんか勘違いなのかもと混乱し始めた俺の胸を、外人モデルみたいに綺麗な男がさわさわと撫で出した。胸筋の柔らかさを堪能するように、わりとしっかりめに揉まれてようやく我に返った。
     ――いやいや、やっぱ明らかにソレ目的じゃん!
    「っ……やめろよ!」
     腕を払うとお互い素肌のせいかバシッといい音がした。ちょっと強く払いすぎたかもしれないけれど、向こうもまあまあな力で揉んできたからおあいこだと思う。
    「あれ? 黙ってるから良いのかと思った」
    「いいわけねーだろ。つーか離れろよ」
     胸に伸びる不埒な腕は払っても、ガッシリと肩を組まれていてお互いの肌が密着している。男同士とはいえ初対面の距離感ではない。それに黙っていれば彫刻のように静謐な美しさがある顔が台無しになるような軽薄そうな笑みが浮かんでいる。多分……じゃなくて絶対やばいやつだコイツ。
    「ねぇ、どこからきたのー?」
    「……」
     明らかにふざけている口調でこちらを覗き込む男を無視して、組まれた腕を外そうとしても中々外れない。嘘だろ、と口の中で呟く。さっきみたいに人に話題にされるくらいには鍛えてるし、それも見かけだけじゃなくて割とパワーもある方だ。そんな俺が力を込めても外れないなんて。相手はどうみたって俺がパワー負けするようには見えないのに。
    「おなまえはー? おれはさとるくーん」
    「……」
    「いくつー? おれは二十四ー」
     ぐぎぎと音がしそうなくらい力を込めてるはずなのに、相手の腕は全く微動だにしない。チラと男の体を見ると、背が高いせいか全体的なバランスで見るとこの人もかなり鍛えてる。それに腕の筋を見る限り、かなり力込めてるみたいだけど。力の込め方から見て、絶対逃がさないという意思を強い意思を感じる。
     ――そこまでするか?
    「君地元の子じゃないよね? やっぱ普通に都民?」
     力押しじゃ無理と悟って、力を抜く。それがわかったのか相手も少し力を緩めたようだった。
    「こんなまずそーなメシじゃなくて、もっと良いやつ食わしてやるよ」
    「いらん」
     店の前で失礼な奴。不快さを隠さずに冷たく言い放つ。力で逃げられないとわかったから会話して隙を窺うしかない。なのに俺が会話に応じたのが嬉しかったのか、男は嬉しそうに顔を覗き込んできた。
    「俺の泊まってるホテルに鉄板焼きの店あったから、そこ連れてってやるよ」
     お前肉好きだろ? と知り合いかのように話してくるのに腹が立つ。そりゃ俺ぐらいの年齢の男で、肉が嫌いな奴なんていないだろ。
    「行かない」
     腕が外せない腹いせに少しも日焼けしていない白い腕を抓っても、少しも表情が変わらない。
    「あんたなら俺みたいなのじゃなくてもっといいの捕まえられるだろ」
     俺自身を卑下する意図は全くないけれど、俺に拘る理由は理解できない。
    「俺、女にキョーミないし。男でもひょろいのには興味ないんだよね」
    「はぁ……」
    「その点……キミはめちゃめちゃイイ体してんじゃん?」
    「だから揉むなってっ……!」
     また胸を強く掴んで揉んでくる男に、つい大きな声が出た。また無駄だと思いつつ押し退けようとしていると、またフッと大きな影が現れた。
    「何やってるんだ、悟」
    「あー傑」
     現れた男は、俺を捕まえている男とは正反対に黒い。肌は白いけど、羽織ってるものと髪の毛の色か黒い印象だった。黒い男は俺を掴んで離さない白い男を、呆れたような溜息と共に睨む。
    「目立つことは控えるんじゃなかったのか」
    「あ、控えてんじゃん」
    「今まさに目立ってるよ」
     さっき大声を出したせいか、周りの注目を引いたようだった。
     男同士くっついてるし、明らかに奇異な目で見られていることに気付いて羞恥心でカッと顔が熱くなる。
    「離せ!!」
    「いてっ」
     火事場の馬鹿力というやつだろか、それとも黒い男が現れたせいで油断したのだろうか。あれだけ離れなかった腕が、やっと緩んだ。
     やべ、という顔をした男から距離を取って間髪入れずに走り出す。
    「おいっ!」
     
     幸運なことに足には自信がある。人の間をすり抜けて、なるべく人の多い方へと走った。色取り取りのパラソルが俺の姿を隠してくれるだろう。
     しばらく走ってから、何度も後ろを振り返ってついてきていないことを確認した。
     やっとホッとできた。やばそうなやつに捕まるところだった。また会っても嫌だし、事情を説明して今日はもう帰ろう。ナンパにも興味がないし、二人には悪いけど先に帰らせてもらおう。
     スマホで友人と連絡を取り合って合流した。大きな声で手を振ってくる友人の横に女の子はおらず、やはりナンパはうまくいっていないようだった。
    「おー、いたどりー! 遅いぞー!」
    「……ちょっと色々あって」
    「全然うまくいかなくてさぁ……今度こそお前が声かけろよな」
    「いや……悪いけど、俺帰……」
     帰ると伝えようとすると、友人二人の視線が俺の背後に向いている。なんとなくざわりと、肌に嫌な感じが走る。……まさか。
    「……悠仁、その目立つやつ知り合い?」
    「は?」
     振り返れば、そこにはさっきの男。肌は触れていないけれど、知り合いじゃないというには近すぎるくらいの距離。
     ――さっきまで後ろにはいなかったはずなのに。 
     こんなデカくて目立つのに忍者ばりに気配を消して、すぐ後ろに立っていたらしい。もしかして、今までずっと着いてきてたのか?驚きというより若干の恐怖を感じていると、男はニヤリと笑った。
    「へー、ゆうじくんって言うんだ」
     名前を連呼する友人を止めようとしてももう遅い。
    「いたどりゆうじ、くんね」

     男は俺の名前を味わうように、口の中で転がして小さく呟く。たまたま二人が名字呼びと名前呼びという運の悪さ。こんな暑さの中なのに、サッと顔が青褪めるのが自分でもわかった。
     昔、じいちゃんにあまり名前は名乗るなと言われた。俺は妙に愛想の良い子供で、自分から色んな人に声をかけているようなタイプだった。だからじいちゃんは「名前をほいほい言うもんじゃねぇ」とよく俺を叱った。だから今も、この怪しげな男に名乗る名前なんて持ち合わせていなかったはずなのに。この男に知られてしまった恐怖感が拭えない。

    「おーい、傑。すぐるくぅん?」
    「ハイハイ、いるよ」
     俺達が立ち尽くしていると、またもやどう見ても目立つのにどこにいたんだ? というくらい気配を消していた先ほどの背の高い黒髪の男が現れた。
    「さっき子うさぎちゃんを逃した借り返せよ」
    「だからあれは悟が油断したからだろ」
    「でもお前にも一端あるからな。協力しろよ」
    「……内容によるね」
    「こいつら、遊んでやって」
     突然現れたイケメン二人に呆気にとられている俺の友人二人を上から下まで品定めすると、黒髪の男は頷いた。
    「うん、いいんじゃない? 彼女達も好きそうなタイプだ。年下だし」
    「オッケー、じゃあ頼むわ」
     にっこりと胡散臭い笑みを浮かべた男に手を振って見送られる。

    「ゆうじはこっちね」
     ぼやっとしてるうちに手を引かれ、ビーチを離れ駐車場の隅の日陰に連れて行かれた。男はその間もポチポチと片手でスマホを操作する手を止めない。
     男の足が止まってやっと我に返った俺が走って逃げ出そうとすると、「ゆうじって結構薄情なんだね」と笑った。
    「……どういう意味」
    「傑があいつらのことどうするかわかんないじゃん。いうこと聞いた方がいいんじゃないの」
    「……あの何考えてるかわかんない人?」
    「だよなぁ! あいつ外面いいけど胡散臭いよなぁ! なんであいつモテるんだろう」
     「誰も同意してくんなくてさ」と嬉しそうにしている男を無視して、友人達がいた方をチラッと振り返る。
    「あの人がもしめちゃくちゃ強かったとして、人目もあるし二人もいるんだから自分達でどうにかするだろ」
     全く心配じゃないと言えば噓になるけれど、さすがに自分の方が危機的な状況にあって呑気に友人のことを心配できる程善人でもない。今言った通り、二人もいるんだしあの人の多い中なら逃げきれるだろう。自分の意志であの人についていくなら自己責任だし。
    「結構ドライだねぇ、ゆうじ」
     それも予想通りというように平然とした男は、スマホを操作している手を止めない。
    「まあ彼らのせいで僕にフルネームバレちゃったし?」
    「それは別にあいつらのせいじゃ……」
    「……どうして若い子ってそのへんのセキュリティの意識が甘いんだろうね。……へー、○○大学の一年生なんだ。誕生日来てないからまだ十九歳だね」
    「なんっ……」
     ちらっと見せられた画面には、見覚えのある風景写真のアイコンとユーザーネーム。……SNSの俺のプロフィール画面だった。
    「名前だって悠仁はフルネーム隠してるけど、お友達がコメントでガンガン名前呼んでるしね。それに住んでるとこや大学だって自分がなんの情報もあげてなくても、繋がってるお友達が大学名書いてたりコミュニティとか入ったりすれば大体検討もつくしね。こういうSNSってホントみんなガバガバで情報取り放題なんだよなーそんな悪いことする人なんていませぇん! っていう呑気な奴らばっかりで笑える」
     矢継ぎ早に畳みかけられて混乱しているところに、近くに落ちている空き缶を拾って渡される。なんで? と考える暇もなく無理矢理握らせれて、つい受け取ってしまった、
    「あっちょっとこれ持って……イイねイイね、ハイ笑顔ー」
    「は?」
     おどけて構図を決めるような仕草をしてから、カシャとシャッター音が響く。
    「これで未成年飲酒現場激写ー」
    「はぁ?!」
     確かに持たされたのは、ビールの空き缶だった。水着にビールを持った写真なんて、どう見ても浮かれて飲酒したようにしか見えない。
    「まあそれは冗談としても……俺は君の名前と大学名と顔写真までゲットしちゃったわけだけど、これだけあれば結構色んなことができるんだよなぁ」
     この写真自体は事実ではないし、大したことじゃないかもしれない。けれど男の言う通り、名前も写真も、交友関係でさえ今や男の手の中だ。強く勧められて登録しただけで、義理で身近な友人と繋がっただけのアカウントでこんなことになるなんて。
     ますます青ざめた俺に、男はニコリと笑う。
    「虎杖悠仁くん。それでどうする? 俺と一緒に来るよね?」
     脅しのような――実際脅しの言葉を吐いた男は、笑いながら手を絡めてくる。
     無理矢理人を自分の思い通りに動かすことを当然と思って、罪悪感なんて微塵も感じていなさそうな男。この薄笑いを浮かべた顔が標準装備なのだろうか。俺が自分の好きに動かせると信じて疑っていない自信満々な様子に腹が立つ。

     腹が立つ――それなのに、やっぱりこの男は『怖い』のだ。脅しのセリフよりなにより、本能的にこの男が恐ろしい。軽薄な優男のようなのに、この男に捕まると『逃げられない』という思いが頭を掠める。
     ――だめだ、落ち着け。
     男の雰囲気に呑まれそうになっていた俺は、大きく深呼吸をした。別に相手は猛獣でもなんでもない、ただの人間なんだ。

    「……いや、それで着いていくわけねぇじゃん」
     怯えるな。冷静さを失えば、もっと不利になる。震えそうになる舌を押さえ込んで、毅然とした態度を取ろうと虚勢を張る。勢い良く手を解いて男の顔を睨み付けると、男は尚更笑みを深めたように見えた。
    「着いてったらまた写真撮るなり何かで脅す気だろ、アンタ」
    「ありゃ、そこまで馬鹿じゃないか」
    「ふざけんな!」
     完全に馬鹿にされている。ムキになっていけないとそうわかっていても、ふざけた態度にさすがに平静を保ってられない。変態だとなんだと叫んでやろうと息を吸い込むと、大きな手に口を覆われた。
    「別に叫ばれても暴れられても面白いからいいんだけどさぁ。あんまり面倒起こすなって言われてるんだよね」
     息をするために意図せず男の匂いを嗅いでしまった。手首につけた香水か、妙にいい匂いがするのが腹立たしい。
    「俺は優しいから選択肢やるよ」
     突然提案を始めた男にポカンとしていると、口を押さえた手が離れて息が楽になる。男は俺の口を押さえていた手で、指折り数え始めた。
    「そのいち、腕折って連れてく。そのに、殴って気絶させて連れてく。そのさん、ここで無理矢理海パン奪って連れてくか、逃げて公然わいせつ罪で警察に捕まるか。ちなみに警察に捕まった場合は身許引受人は俺になりまーす! いやー警察には知り合いがいるんだよね」
     便利なことに色々お願いを聞いてくれる、ね。と不敵に笑う。男の馬鹿みたいな提案に怒るより先に呆れた。
    「ホントにあんたなんなの?」
    「だから悟くんだって」
    「そういうことじゃねぇって。……どれ選択したって全部あんたに連れてかれんじゃん」
    「ま、そうなるだろうね。俺の思い通りにならなかっとこと、ないし」
    「ハ? アンタ何様なん?」
    「……悟様?」
     聞いた俺が馬鹿だった。これはやっぱり死ぬ気で戦って隙を見て逃げ出すしかない。というかこいつの顔面に一発くらい入れないと気が済まない。
    「このっ……変態野郎が!」
     勘付かれないようになるべく予備動作を抑えた俺の拳は、フルスイングするより威力は落ちるけれどあの薄笑いの顔に一発お見舞いできるはずだった。
    「ざんねんでしたー」
    「うっ……そだろ」
     至近距離からの拳。割と喧嘩慣れしてるから、威力にもスピードにもそれなりに自信があった。
     なのに、俺の拳は男の顔面に届かず掌に吸い込まれていた。
    「はい、じゃあ僕からもお返しね」
     にっこりと笑った男の足払いを食らって、背中を強かに打つ。さすがに頭まで打つような無様は晒さなかった。
    「好きなだけ暴れていいよって言いたいところだけど、素肌だから傷が付いちゃうなぁ。これからエッチするのに傷まみれなのはやだなぁ。……だから大人しくしてくんない?」
     抵抗しようにもそもそも急所である喉を押えられ、体にも乗り上げられていて身動きは取れない。
    「敵わないってもうわかったでしょ?」
     ――わかった。わかりすぎるくらい分かった。
     だからって折れるのが悔しくないはずがない。睨みつけると、男は嬉しそうに笑う。
    「そんな嫌がらないでよ。万が一気に入らなかったらリリースしてあげるから」
    「魚かよ」
    「もうキャッチされちゃったんだから諦めなよー」
     自分の気持ちを整理するために、大きく深呼吸をする。一度閉じた目を開いて、間近にある男の瞳をしっかりと見返す。どうせ連れていかれるなら、殴って連れて行かれるより覚悟を決めてついていく方がまだ自分が惨めじゃない。
    「あんたについていけばいいんだろ」
    「あんたじゃなくて悟さんね」
     ――誰が呼ぶか。
     悪態は声に出さず飲み込んで、手を貸そうとする男の手を避けて自分の足で立ち上がる。
    「悠仁はかわいいね」
    「かわいくないの間違いじゃないの」
     いや間違ってないよと笑う男に連れられて、車に乗り込む。男は車にあった上着を羽織って、俺にもパーカーを渡してきた。なんで用意してあったかは聞かない。運転席には気弱そうなスーツの男が乗っていた。目は合わなかった。この人は俺の隣の男が何をしようとしているのかわかってるんだろうか、いやきっとわかってるんだろうな。慣れてる感じといい、きっと初めてのことじゃないんだろう。それにこの人も気が弱そうでいい人そうに見えるけれど、本当はどうかわからない。どっちにしろこの人に助けを求めたって叶うことはないだろうから、どっちだろうと一緒だ。

     ――あ、荷物そのままだな……
     現実逃避のようにふとロッカーに預けたままの荷物を思い出した。財布とスマホは持っているし、金がもったいないと三人まとめてひとつのロッカーに入れたから服も友人が持って行ってくれるだろう。
     考え事をしている最中もいちいち話しかけてくる男が煩わしくて、車窓を見つめる。本来は美しいはずの景色をぼんやり眺めていると、信号で車が緩やかに止まった時にドアを開けたら出られるのではと思い付く。
     じっとドアを見つめていたせいか、男は意図に気付いたようだった。
    「ロックなら外せるよ」
    「……俺が逃げたらどうすんの」
    「悠仁逃げないもん」
    「何でそう言い切れんだよ」
     現に今、俺はドアを見つめていた。それに気付いたなら、普通逃げようとしていると思うだろう。
    「悠仁は逃げないよ。逃げても無駄だってわかったんでしょ? 腹括った顔してる。そういうの好きだな」
     また俺のことをわかってるような口をきく男は、目を細めて俺の手を握った。



     ◆



     男の泊っているホテルの部屋に連れ込まれてからの展開はお察しの通り。
     ベッドで目覚めた俺は、尻に違和感とあらぬところの筋肉痛のような痛みをじんわりと感じる。股関節がこんなに酷使されたのは初めてだ。しかも男が容赦なく腰をぶつけてくるものだから、痣ができてる気がする。

     中学の時派手に喧嘩して――確かあれは不良同士のナワバリ争いみたいなくだらない喧嘩にダチが巻き込まれたことにキレて、全員ぶっ倒した時のことだ。
     その時だって校庭何百周もさせられた上、帰ってから爺ちゃんにしこたまぶっ叩かれたって翌朝にはケロッとしてた俺が、今は情けなく腰を押さえている。
     ――ホント容赦なかった。
     今までの喧嘩なんて目じゃないくらい恐ろしかった。やったのは喧嘩じゃなくてセックスで、暴力らしい暴力は連れて来られる時だけだったのに。それでもあれは恐怖だった。自分より強い人間に押さえ付けられ、意思を奪われ体を暴かれる。思い出してまたぞわりと体が震えた。
     首を振って怖気を振り払って、デジタルで表示されている時間を確認する。もう夜中で、足も金もない俺は始発の動く時間までは大人しくしているしかない。
     不本意だがこの部屋にしばらく留まるしかない。けれど男の隣で寝直すのはさすがに気分が悪かったのと、ふとあることを思い立ってそっとベッドから下りた。
     朧げな記憶では、ベッドの側で脱ぎ捨てていたはず。
     その後に首を掴まれてベッドに引き倒されてことまで思い出しそうになり、首を振った。余計なことは思い出さなくていい。昨日のことは一刻も早く記憶から抹消したい。どうかずっと朧げなままでいてくれ。
     足音を忍ばせて数歩もいかないうちに、目当ての物を見つけた。
     目当ては男の着ていたパーカーだ。ポケットを弄ると、スマホと二つ折り財布がでてきた。スマホはロックがかかっているから、仕方なく財布の中身を確認する。……目的は金じゃない。目当ての免許証を取り出すと、やっと暗闇に慣れてきたので読み取れた。
     ――五条悟
     やっぱり人を小馬鹿にするような薄笑いを浮かべた写真を睨み付ける。念の為住所と生年月日を記憶にインプットした。……何かが引っかかったけれど、考える前にもっと大事なことを思い出した。
     ――データ、消さないと。
     スマホはデータだけ消せればよかったけど、ロックがかかっていてできないなら仕方ない。
     スマホの持ち主であるこの男に好き勝手されたときから、遠慮とかそういうものはこっちも持ち合わせていない。
     ケースを外してグッと両側から力を込めると、薄べったい板はバキッという音を立てて無惨にも二つに折れた。半分にされて機械の中身が剥き出しになったそれを床に放ると、アハハと勘に触る笑い声が響いた。
    「嘘だろ、叩きつけるとかじゃなくて普通素手で折る? ゴリラじゃん」
     どうせ俺がゴソゴソやってた時から起きてたんだろう。今まさに起きたといった様子じゃないから、きっと俺が何をするか様子を窺っていたんだろう。人を食ったような男のことだ、泳がされたと思うとさらに苛立つ。何か一泡吹かせてやれないものか。
     電気を点けた男は、まだこんな時間かぁと手元のスマホを見た。……そんな気がしてたけど、他にもあんじゃんスマホ。
    「自分だって無防備じゃん」
     ピッと運転免許証を翳してやると、男は待ってましたというように身を乗り出した。
    「ふふふ、それもわざとなんだよねー」
    「は?」
    「それにそれがわかったところで悠仁には何もできないよ」
     馬鹿だなぁ、馬鹿で可愛いなぁとニコニコしていて、完全に馬鹿にされている。
    「だってさぁ、俺から言っても悠仁は覚えてくんなそうだから」
     これで俺のこと、覚えてくれたでしょ? と笑う男にグッと言葉に詰まる。
     確かに名前も住所も自ら覚えた。……また思い通りになってる。それとも思い通りになってるように錯覚させられてるのか? 口八丁で誤魔化されてるだけなのか、それもわからない。
     苛立ち紛れに免許証も半分にしてやろうかな。さすがに免許証は一枚しかないはず。薄笑いの顔写真を睨み付けていると、免許証を見てからなんとなく感じていた違和感に気付いて「あっ!」と声を立てる。
    「二十四とか嘘ついてたん!?」
    「あ、ちゃんと俺の話聞いてたんじゃん」
     ガン無視だから聞いてないのかと思った、とケラケラ笑いながら男は自分が二十八だと告げた。確かに書いてある自分の生まれ年から足し算していくとその年齢で間違いないようだ。
    「おっさんじゃん!」
    「おっさんじゃないよ! ぴちぴちじゃん! 悠仁は身をもって知ってると思うけど」
    「……そういう言い方がおっさん」
     伸ばされた手を避けると、不満そうにしながらもそれ以上は追ってこなかった。

    「あ……そういやあいつら……」
     連絡きてっかな、と自分のスマホを取り出してみても何も通知がなかった。
    「あ、お友達なら心配いらないからね」
    「あんな風に脅したくせに心配ないとか嘘くさいだろ」
    「まあちょーっと煽っただけじゃん。実際はさぁ傑……俺のトモダチが飼ってる女って年下好きだから、可愛がってもらってると思うよ。しゃぶってもらうか、気に入られてたら乗っかられてるかもね。君らナンパしにきてたんでしょ? 願ったり叶ったりじゃん」
    「変なドラッグとかそういうんはしてねぇだろうな」
     それだけは絶対許せないと睨みつけると、「きゃー悠仁かおこわーい!」ときゃぴきゃぴとおどけて見せる。
    「茶化すな」
    「……あは、こわー! ……うん、それは大丈夫。俺達そういうのは嫌いだから」
     真実かどうかはわからないけれど、とりあえず否定されたことには安心した。そうホッとしたところに、今度は伸びてきてた手に捕まる。
    「あんたさ……」
    「そろそろ名前で呼んでよ」
    「……呼んだじゃん」
    「ぐずぐずになってる時に呼ばせたけどさぁ……これからは普段も悟さんってちゃんと呼んでね」
    「これから、なんてねーから」
    「あるよ」
     急に鋭い視線を向けて、そっと喉仏を擽られる。

    「……逃げられるなんて、思わないよね?」
     そこまでのつもりはないとしても、俺にはいつでも縊り殺せるという宣言に思えた。
    「リリースするんじゃなかったんかよ」
     一回で飽きてくれるのを期待してたんだけど、そうはいかないらしい。
    「気に入らなかったらって言ったじゃん」
     気に入っちゃったもん、と両手であざといポーズを取る男。年齢も嘘をついて、怪しげな友人がいて、人を脅して容赦ないセックスをする男。


     ――やっぱり俺はロクでもない奴にしかモテない。
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