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    rinya0204

    @rinya0204

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    rinya0204

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    いぬみさん(@inucacao)のこちらのツイート(https://x.com/inucacao/status/1442840958144417792?s=20)から、許可を頂いてポッケの中の一松くんの小説を書かせてもらっています。〆切イベントには間に合わなかったぁぁぁ!!!!!
    途中まで公開しています。

    73gのほこり あやうく寝過ごすところだった。
     最寄駅のアナウンスで飛び起きて慌てて電車を降りたのだが、半端に覚醒をしたのでまだ眠い。改札を出て階段を降り、降りる人々が左右に散ったところで、カラ松は大きなあくびをした。
     終点の一歩手前、沿線で最も家賃の安いこの駅にカラ松の根城はある。寝過ごしたところで次が終点だから問題はないのだが、疲れた身体に一駅戻る手間はなかなかに堪える。終点である駅は主要駅のひとつでもあるのでいつだって賑わっており、その賑わいが心を躍らせも荒ませもするのが嫌なのだ。買い物をするほど給料と時間に余裕があれば話は別なのだが、今日のように二十一時を回ってしまうとどの店も開いていない。すなわち、降りたところでげんなりするだけなのである。
     はあ、とため息をついてカラ松は帰路を歩き出した。きっちりと締めたネクタイを指で解き、冷たくなってきた風で眠気を覚ました。
     信号の向こう側にあったコンビニで夕飯とビール、つまみを買った。今日は金曜日だから夜更かしができる。つまみを選ぶあたりで随分と気分が良くなった。
     コンビニを出て五分ほど歩いたところで、ふと通りかかった公園の中がやたらと騒がしいことに気づいた。どこかの犬が吠えている声が絶え間なく聞こえてくる。唸り声と鳴き声を交互にくりかえす様子に、ただ事ではないのではとカラ松は足を止めた。
     それほど広くない公園の中に入り、買ったばかりの夕飯たちをそっと花壇のブロックに置く。こちらに尻を向けている犬は、毛を逆立ててシーソーに向かって吠えている。そこに標的がいるようで、カラ松が近づいても振り向こうともしない。
    (なんだ……?)
     目を凝らして見ると、上がったシーソーの上で蠢くなにかが見えた。ねずみでもいるのかと思いながらさらに距離を詰める。
     最初は人形に見えた。だがまるでボールのように丸まった身体を震わせているのは、人形でもなんでもなかった。
    (え⁉︎)
     それは、弟の一松だった。紫のパーカーにジャージのズボンを穿いた姿はカラ松のよく知る一松の姿だ。違うのは、そのサイズがてのひら程度だったということだ。
    「い、一松⁉︎」
     頭の整理ができないまま叫び、慌てて犬の前に躍り出た。小さな身体を手の中に掬い上げ、頭上に持ち上げて庇う。犬の標的はたちまちカラ松に移り、矛先がこちらに向いた。
    「ひいっ!」
     獲物を奪われた獣の純粋な怒りを一身に受けて、カラ松は身をすくませた。それでも両手に包んだ一松だけは守り抜かねばと震える足を必死に大地に押しつける。
    「こ、コラ!」
     その時、息を切らせた飼い主らしき男性が公園の中に飛び込んできた。スライディングしながら犬のリードをつかんで引っ張る。キャイン、と犬がひと鳴きしたが、座れという命令を受け、牙を引っ込めて尻を地面につける。
    「す、す、すみませんでした!」
     服を砂利で真っ黒にしながら、男性が頭を下げる。カラ松が首を横に振ると、逃げるように足早に公園を去っていく。散歩中に逃げてしまったのだろうか、とカラ松は安堵して肩を落とした。
     頭上に持っていった手をそっと下ろす。包んだ両手をそっと開くと、小さな一松は目を伏せて横たわっていた。一瞬だけ焦ったのだが、少しだけ身体を動かす様子にほっとする。
    「い、一松……?」
    「う〜ん……」
     一松は顔をしかめて背中を丸めた。心配で見守っていると、やがて青い顔でぽつりとつぶやく。
    「酔った……」
     どうやら拾って上に持ち上げた上下運動で気分を悪くしてしまったらしい。ふと笑いがこみあげて、カラ松は息を吐いて一松をまた両手で包み込んだ。
     連れて帰ろう。このまま放ってはおけない。


     住んでいるマンションに連れ帰ったはいいが、小さな生き物をどう扱ったら良いかわからなかった。ひととおり部屋の中を見たが、当然の如くこのサイズのベッドやクッションなど存在するわけがない。
     仕方なく、使いかけのティッシュの箱の蓋だけをカッターで切り取ってその中に一松を横たえた。一松はしばらく横になっていたが、やがて目を閉じたままこうつぶやいた。
    「おはなセレブがいい……」
    「贅沢を言うな。あれは高級品だぞ」
     軽口を叩けるようなら心配ない。カラ松はスーツを脱いでスウェットになり、ソファに座ってテーブルの上の一松を見た。
    「お前、一松なのか?」
     尋ねると、一松がぱかりと目を開けた。小さな身体をもぞもぞと動かして、ティッシュの上にあぐらをかいて座る。
    「そうみたい」
    「そうみたい?」
    「自分でもよくわかんねえ。気づいたらこうなってた」
    「なんだそれは……」
     生まれたての赤ちゃんよりも小さな手をぐっぱと開閉して自らを観察している。わけのわからない状態だが、本人がわからないと言っている以上原因を聞くこともできないのか。
    「気づいたらこの姿でいて、犬に追いかけられてあのシーソーに上がったところで体力が尽きたんだよ。そしたらお前が来た」
    「他になんにもわかんないのか?」
    「わかってたら言ってるよ」
     どうだろうな。お前は素直じゃないから。
     その言葉を飲み込んで、カラ松は重いため息を吐いた。
    「なんでそんなちっちゃく……全然わからんし信じられん」
    「おれだってそんな気分だよ。まあペットでも飼ったと思って気楽に世話してよ」
    「ここにいるつもりか?」
    「こんなおれをまた外に捨てるつもりなのかよ? お兄ちゃんは」
     そんなことをするわけがない。一松もそう確信した上で言っている。カラ松の頭を占めているのは不可解な現象に対する戸惑いひとつで、この一松をどうするかなど決まっている。
    「……この場合、飯とかどうなるんだ?」
     コンビニの袋を横目で見ながらそう言うと、一松は腹を抱えて「腹減った」と言った。
     買ってきた焼き鮭弁当を開いて、魚をほぐして細かくしたものを蓋に乗せて一松に与えた。一松はその欠片をさらに小さく千切って食べていて、妙に可愛く見えた。小動物に対する愛おしさだな、とカラ松の口から乾いた笑いが漏れた。
    「これ、借りる」
     腹がふくれたらしい一松は、そのままティッシュの簡易ベッドで眠ってしまった。テーブルの上を歩き回るだけでも小さな身体には負担がかかるのかもしれなかった。
     その寝姿を見ながら、カラ松は電気を消した。スマホの照明を頼りに浴室に行き、シャワーを浴びてベッドに潜る。一松はもう寝入っているようでかすかな寝息が聞こえた。
    「……夢かもしれない」
     眠ってしまおう。カラ松は目を閉じて夢の世界に落ちていった。
     *

     夢ではなかった。
     目を覚ました時、ティッシュ箱の中にはまだ小さな一松が眠っていた。身体を丸めてすうすうと寝息を立てている。
     起こさぬようにベッドを抜け出し、スマホを持ってベランダに出る。時刻としてはもう昼が近い。そろそろ大丈夫だろう、と受話器を耳に当てた。
     コールをすること、実に十回。ようやく相手が現れた。
    『はいはい、もしもしぃ?』
     間延びした、耳馴染みのある声。よりによってお前か、とため息をつきながらカラ松は口を開いた。
    「オレだ、おそ松」
    『オレオレ詐欺ですかぁ? うちには金なんかないので。なにせニートがいっぱいいるからねえ』
    「ふざけるのも大概にしろ」
    『そっちこそ、電話口でちゃんと名乗るくらいしろよなぁ、カラ松』
     わかっていてからかう兄の声色に腹を立てる。この兄はいつもこうだ。こいつを相手にしているとペースに巻き込まれて本題がなんだかわからなくなる。
    『てか、ひさしぶりだね。お前はどうしてんのかなってみんな心配してるよ。電話の一本も寄越さないからさあ』
     ――――あの家を出て、もう数ヶ月になる。
     不意に決まった就職だった。街で助けたひとりの老人が、たまたま今勤めている会社の社長だった。ニートであると知った彼に促されるまま就職し、流されるままにひとり暮らしをして現在に至る。辞めるきっかけも連絡を取るきっかけもなかっただけで、実家に不義理をしているつもりはなかった。
    「毎日忙しいんだ、社会人は。お前らと違って」
    『やーだこのひと急にマウント取ってきて。俺たちだって忙しいよぉ、パチンコ競馬、昼寝にさあ』
    「お前の話を聞きたくて電話したんじゃないんだぞ、少し黙れ」
    『ひどい。お前って俺に冷たいよねえ』
     くすん、と泣き真似をしたおそ松を無視して、カラ松は息を吸い込んだ。
    「みんなどうしてる? なにか、変わったことはないか?」
     一松は、と尋ねたかったのだが、起こっていることがわからない以上はやめる。代わりに婉曲に質問をするとおそ松が『あー』と気の抜けた声を出した。
    『べつになんも』
    「なにもないのか? 本当に?」
    『なんもないよ。逆にお前がなんかあったから電話してきたの?』
     尋ね返されて、カラ松は一瞬言葉に詰まった。
    「いやそういうわけじゃないんだが……」
    『まー元気だよ。いつもどおり。お前がいなくなった後はなんだかんだ、みんなさびしがってたけどさ』
    「そうか。元気なら、良かった」
     それ以上は踏み込んだことを聞けず、電話を切った。
     家族は変わらず過ごしているという。それならば余計に、ティッシュ箱の中で眠る一松はなんなのだろう。
     ベランダから部屋に戻ると、一松はティッシュの中で身体を起こしていた。両のまぶたが閉じられているのでまだ寝惚けているのだろう。
    「起きたのか?」
     カラ松が声をかけると一松がぎゅっと眉間に皺を寄せた。ゆっくりと開かれた目をこちらに向けて、か細い声で「はよ」と言う。身体が小さいせいでボリュームも小さいのだ。
    「夢じゃないんだなあ……」
     小さな一松を見下ろしながらそうつぶやくと、ティッシュ箱から降りた一松が仁王立ちになった。
    「うるせえな。まだぐちぐち言ってんのかてめえは」
    「口が悪すぎないか?」
    「おれだってよくわかんねえんだからしょうがねえだろ。それよりメシ」
    「図々しさは間違いなく一松だなあ……」
     冷凍の炒飯を解凍して分けて食べた後、ぱんぱんの腹を天井に向けて寝転がっている一松に提案をすることにした。
    「一松、ちょっと買い物に行こうかと思って」
    「えー、どこに?」
    「いや、ティッシュ箱で今日も寝るわけにいかないだろ。ちょうど休みだから、小さい家具でも買いに行かないか?」
     テーブルで大の字になっていた一松が身を起こした。
    「家具ったって……おれのサイズなんかないだろ」
    「いや、そう、だから……」
     カラ松はスマホを取り、昨夜検索した履歴を画面に出して一松に見せた。確認した一松の顔がくしゃくしゃになって曇る。
    「そ、それって……幼児のお人形じゃん……」
    「だってこのサイズしかないだろ……」
     それはいわゆる、ドールハウスと呼ばれるサイズの家具だ。服を着た二足歩行の動物の人形に合わせて作られた、小さな家具たちがいまの一松の体格にぴったり合うのではないかと考えたのだ。
    「あと最近は100均にも色々小さい家具が売ってるみたいだぞ。ちょっと見に行ってみないか?」
    「それって、おもちゃ屋に?」
    「まあ、そうなるな」
     沈黙が落ちて、形容しづらい空気が流れた。言いたいことはわかる。いい年した成人男性が幼児用おもちゃの家具を見に行くという絵面の異様さだ。だが必要なのだから仕方ない。
    「親戚のこどもに選んでいる風を装えば行けるんじゃないか?」
    「店員さんと接するのはお前だからいいけどさ……」
     一松がぶつくさと言っている間に、カラ松は出かける支度をしてコートを羽織った。そのポケットを指差す。
    「……なに?」
     一松が怪訝な顔をした。


     コートのポケットの中で、小さな生き物が動いている。
     落ち着かないのだろう。カラ松の太もものあたりでもぞもぞと気配がする。少しくすぐったいなと思いながらも、カラ松は歩みを進めた。
     一松はてっきり自分は留守番だと思っていたらしく、ポケットに入ればいいと提案したところ驚いていた。足場が不安定なポケットの中での己の定位置をずっと模索している様子を布越しに感じながら、ゆっくりとカラ松は歩いている。
     自分で提案しておいて、一松が窒息しないか少々心配だ。動きがなくなったら様子を見ようと思いながら隣駅の大きな商業施設へ入る。
     土曜の昼過ぎの商業施設は家族連れが多くて賑やかだ。当然おもちゃ売り場にもこどもを連れた家族がいる。
     だがカラ松が目指したコーナーには誰もいない。彼らの多くがテレビゲームやプラレールの展示コーナーへと足を向けたため、ドールハウスのコーナーにはカラ松以外にひとがいなかったのだ。助かるな、と内心でカラ松は安堵のため息をついた。
     一番上の段に、透明なプラスチックのケースに覆われたサンプルが展示されていた。カラ松はポケットを上からそっと叩く。
    「一松」
     誰もいないことを確認してから、一松を手の中に包んで胸ポケットに移す。こっそりと顔を出した一松に、小声で話しかけた。
    「どのベッドがいい?」
    「どれも最悪なんですけど」
    「なんでだ? 可愛いじゃないか」
    「可愛いからだよッ」
     一松が思わず怒鳴ったが、小さな声なので店内のBGMにかき消される。
     言いたいことはわかる。どれを見てもデザインが可愛い。装飾の施されたベッドフレームに赤や黄色を基調としたパッチワークのついた布団。時にはリボンだってついている。いわゆる女児向けなのだ。いくら昨今が性別に対する境界線を曖昧とする風潮を漂わせているとはいえ、カラ松も一松も感覚的にはこれを「女の子向けだなあ」と思うのだ。
     だがこのベッドと布団に包まれて眠る一松は、面白くないだろうか?
    「いやでもこういうのしかないじゃないか。とりあえず我慢して買わないか? ほら、ダブルベッドもあるぞ。広く寝られる」
    「そういう問題じゃ……」
    「お前を連れてきて正解だったな。サイズの確認がその場でできる。じゃあベッドはこれを買うとして……」
    「お前、勝手に……むぎゅ」
     文句を募らせようとする一松を再びズボンのポケットに押し込んで、カラ松は家具を物色した。ダブルベッドがひとつ、ソファセット、お風呂セットなどを次々にカゴに入れていく。いやもういっそ家も買ってしまおうか? とだんだんと楽しくなってきてしまった。
     レジに持って行った時、思ったよりも金額が高くて驚いた。そういえば値段を見ていなかった。このところコンビニ弁当しか買い物に縁がなかったため、久しぶりに出て行く金額に財布がびっくりしている。
     後ろに並んでいた女児がカゴの中身をじろじろと見てきたため、カラ松はへらりと笑って「姪が好きなんですよ」と店員に話しかけた。男性店員が「うちにもいますよ、歳の離れた妹なんですけど、我儘でね」と話に乗ってくれる。助かった。
     帰り道、袋をがさがさと言わせながら一松がいた公園の前を通った。ふと思い立ち、中に入ってベンチに向かう。
    「一松、大丈夫か?」
     さっきから動きがないなとポケットを指で開く。
     一松はどうやら楽な姿勢を見つけたらしく、ポケットの底で丸まって横になっていた。光が差し込んだことに気づき、もぞりとこちらへ身体を向ける。
    「家、着いた?」
    「いや残念ながらまだだけど」
     一松を掬い上げて外に出す。ベンチにそっとその身体を置いてカラ松も座った。
    「いい天気だから、昨日の公園に寄り道したんだ」
     休日の午後三時。休憩には良い時間だ。
     カラ松が黙ると一松も膝を抱えて黙り込んだ。少し強い風が吹けば飛んでいってしまうかもしれない。カラ松は隣の一松にそっと視線を送った。
     見慣れた姿。聞き慣れた声。ただサイズだけが違う一松が横にいる。
     一松自身にもこの現象の理由はわからないのだという。気がつけばこの公園にいたという一松は、本当に覚えていないのだろうか。
    「なあ、一松」
     あくびをしていた一松に話しかける。
    「お前、ほんとに心当たりないのか?」
    「この姿になったこと? ないよ」
    「本当に? なにか、言えないことでもあるんじゃないのか?」
    「そう疑われてもね……」
     公園内には誰もいない。砂場とベンチ、シーソーがあるだけの小さな公園だ。カラ松がここを通る時はいつも無人だ。そして普段であれば、会社からの帰り道にカラ松がこの場所を省みることなどない。
     昨夜、一松を見つけられたのは奇跡に近い。たまたま一松が犬に追いかけられいたから見つけられたようなものなのだ。もしもカラ松が拾うことができなかったらと思うとぞっとする。
    「だってお前、もしもオレが通りかからなかったらどうしてたと思うんだ? 犬に噛まれるとか、まだ肌寒いのにこんなところで遠くにも行けずどうするつもりだったんだ」
    「だからぁ、そう言われても困るって」
     おれだってなんだかわかんないんだから、と唇を尖らせる一松の横顔に嘘はない。少なくとも嘘はない、と思う。
    「じゃあ、なんだったらわかるんだ? 最後の記憶とかはどうなんだ、一松」
    「うーん……」
     一松があぐらをかいて首をひねった。少しばかり風が吹いてきたので、カラ松は一松を包んで膝の上に乗せる。
    「おれも曖昧なんだよね。お前が家を出たのは覚えてんだけど」
    「そうなのか?」
    「なんか、あれよあれよという間に出てったじゃん。最初はみんな、どうせすぐ音を上げて戻ってくるよ、おれたちってば根性ないからさあなんて言ってたんだよね。でもお前、電話もしてこなけりゃ帰っても来ないじゃん。次第にみんなこれはおかしいぞってなってさあ」
    「信用ないなオレは……」
    「逆におれたちが同じことになってもお前は絶対大丈夫って信用すんの?」
    「フッ、愛するブラザーたちの角出だぞ。信じるに決まっているだろう」
    「死ね。もしくは殺す」
    「なんでだ!」
     胸ぐらをつかめない分、言葉がいつにも増して辛辣だ。
    「まあそんなでさ、お前の引っ越し先はわかってるし電話番号も知ってるんだからこっちからかけてみる? なんてなってたわけ」
    「そうなのか? でも電話してこなかったじゃないか」
    「まあ、そうなんだよね……」
     一松の歯切れが悪くなった。膝の上で真っ直ぐ前を向いた一松の表情は、上からではわからない。ぼさぼさの頭の間にある小さなつむじを見つめながら、カラ松は次の言葉を待った。
    「電話、結局どうしたんだっけな……。トッティがかけてみる? って言って……でもかかってないなら、かけてないんだろな」
    「覚えてないのか?」
    「うん……」
     声色がぼんやりとしている。記憶を辿っているのか、それとも思考を放棄しているのかの判断がつかない。
    「わかんない。気づいたらこんな格好になってて、そんで犬に追いかけられて……ここがお前んちの近くだってことも知らなかったし」
    「そうか……」
     一松の声には戸惑いがある。これ以上どう聞いても、一松の口からカラ松が知りたいことは得られないだろう。
     逆に考えればいい、とカラ松は思い直した。一松がこうなったところでカラ松には支障がない。いや多少は生活に支障が出るかもしれないが、迷惑ではない。むしろ兄弟がひとり暮らしの家に来てくれたのだ。歓迎すべき事態だ。
     わずかな疑問は無視することにした。
     おそ松は家に変化はないと言ったのだ。ここにいる一松と、現在家にいるであろう一松が同一なのかどうか。同一だとすれば家にいる一松はいま、どうなっているのか。違うとすればここにいる一松はなんなのか。
    (家に帰れば、解決するのか?)
     だがあの居心地の良い家に戻って、また自分の部屋に帰ることができるほど強い意志を持てるだろうか。せっかく生活の基盤ができたのに、また元通りになるのは怖い。
     それくらい、カラ松は寂しかった。
     ひとりになったことなどほとんどなかったから。
    「……帰ろうか」
     そうつぶやくと、一松が「ん」と言ってカラ松を見上げた。その顔が急に懐かしくなり、カラ松は熱くなった喉に唾を流し込んで感情を堪えた。
     大事な弟を、大事に包む。ズボンのポケットに入り込んだ一松が、居場所を求めて動くことはもうなかった。

     *

     一松との生活が始まった。
     小さな身体には不便ばかりの家で留守番をさせるのが心配で、会社に一松を連れて行くことにした。もちろん内緒でだ。
     スーツのポケットに入れて、細心の注意を払って出勤する。電車はラッシュを避けて早めに出社することにした。会社近くのファーストフード店で朝食を食べ、隙を見てポケットの中の一松に分け与える。二階席で窓に向かって座り、ポケットから顔と腕だけを出しておこぼれを食べる一松が誰にも見えないようにした。
     朝食を終えて出社する。ぐちゃぐちゃのデスクを整頓し、物置のようになっていた引き出しの中の一角に一松用のスペースを作った。店で買ったベッドとソファをこちらにも置いて照明を設置し、完全な暗闇にならないようにした。なんとなく秘密の人形遊びをしているようで妙に緊張する。
     あまり長時間一松を待たせるのも忍びないという気持ちが強いせいか、これまで以上にがむしゃらに仕事をした。業務の効率化と時間の短縮に成功し、早く帰ることができるようになった。
    「やればできるじゃないか」
     残業が減ったことを喜んだ上司がにこにこと笑ってそう褒めてくれた。滅多に見ない笑顔だったため、うまい返答ができなかったが純粋に嬉しかった。
     その日は祝杯を上げた。一松はビール一滴でふらふらになって、翌日は一日寝込んでしまった。
     会社に行く時も、会社から帰る時も、ポケットの中に一松がいることをてのひらで確認する。ポケットのふくらみを軽く叩くともぞりと動く。そうすることで、そこに一松がいるなとどことなく安堵するのだ。
     通りかかる公園や道端で、猫がいるぞ、と囁くと一松が顔を出す。危険なので近づけたりはしないが、ポケットからひょこりと覗く一松が猫を見つめているのを一緒に眺めるのが好きだった。
     変わり映えしなかった日常が違う顔を見せる。一生のうちに何度行くことがあるだろうという場所にも足を向けることがあった。
     手芸屋だ。
    「なに買ったんだよ?」
     テーブルに置いた袋を見て、一松が首を傾げた。ふふん、とカラ松は口角を持ち上げる。
    「ふっふっふ」
     袋を広げて中身を次々に置いていく。そのたび一松がテーブルをちょこちょこと歩き回るのが小動物の仕草で可愛い。
    「なにこれ?」
     厚紙、紫の布、綿などを並べる。最後にスタンドでスマホをテーブルに立てて席についた。
    「いや、ちょっと手芸でもしようかと」
    「手芸ぃ?」
    「お前、毎日ベッドの掛け布団に文句言うじゃないか。だからいっそ作ってやろうかと思ってな」
     寝る前に一松が「布団が可愛すぎる」と言うのが定番となっていた。おかげでカラ松のスマホの検索履歴は「ミニチュア 布団 作り方」や「ミニサイズ 布団 手作り」などで埋まっている。
     良い時代になったもので、作り方は動画サイトにある。できるなら文字で書かれた説明をみたいのだが、それだけではわからない部分は動画が助けてくれるのだ。
     だが、裁縫技術まで助けてくれるわけではない。
    「え? 難しくないか?」
     動画で起こったことがなんなのかわからず、カラ松は何度も巻き戻す。だが見て理解できないものを何度見ようとわかるわけもなく、散らばった布と糸を前に途方に暮れてしまった。
    「形から入った男の哀れな末路だね」
     ひひ、と一松が笑った。
     一松は、カラ松が作業をしている間に漫画を読んでいた。開いた雑誌の上を歩き回りながら一コマずつ読み、最後のコマに来るとカラ松にページをめくれと要求してくる。冷たい言い様にカラ松は涙目になったが、他の動画を探してなんとか解決していった。
    「綿を入れすぎた気がするな……」
     最終的に、ぱんぱんにふくらんだ小さいサイズの布団一式ができあがった。ボールじゃん、と一松は腹を抱えてげらげら笑ったが、最終的にはボールをベッドに持ち込んでその下で寝ていた。
     カラ松の指は穴だらけになったが、できあがったものを使ってくれているのを見ると嬉しかった。
    「次は洋服だな」
     そう言いながら一松の採寸をしていると、小さな口から「お前って凝り性だよね」と呆れた声が出た。
     気づけば快適なベッドを求めてDIYまで始めてしまい、一松が恐怖すら感じる事態になっていた。
     外に出る機会も増えた。一松がどうしても猫に触りたいと言うので、猫カフェに行ってこっそりと触れ合ったりもした。猫にも一松にも細心の注意を払い、猫の背中のベッドに寝そべるという夢を叶えた一松は、感動で夜通し泣いていた。
     殺風景だった部屋が一松がいるというだけで賑やかになっていく。
     張り合いのなかった生活が、きらきらと色づいて行く。
     起こったことを話す相手がいる。感情を共有することができる。実家にいた頃には当たり前だったそれらがどれほど貴重なものだったか、ひとりになってからふたりになることで実感する。
     ふたりで過ごす日々は確かに楽しかった。
     これが異常事態だと忘れてしまうほどに。

     *

     それは、ある雨の日のことだった。
     朝から一日中どしゃ降りで、こんな中で一松を抱えて出社するのは風邪を引かせてしまうだろうと留守番を頼んだ。
     最初の頃とは違い、一松の生活環境はテーブルの上に整えてあった。青い屋根のおうちを買ってきた時には正気かと言われたが、一松は自分なりにその家を快適な空間として育てていた。
     テレビもつけてきたし、リモコンも体重をかければ操作できる。心配はいらないと思いつつも、万が一の事故が怖くて急いで仕事を片付けて帰宅した。
     雨の勢いは朝からずっと同じで、傘を差していてもスーツの裾がずぶ濡れになるほどだった。忌々しさに舌打ちをしながら帰宅したカラ松は、そこで信じられないものを見た。
    「一松、ただい――――……」
     リビングにいた一松は、もう小さくはなかった。
     テーブルの上の小さなソファではなく、カラ松が座るソファに座って膝に両手を置いてこちらを振り返った。
    「カラ松……」
     その顔には明らかな戸惑いが浮かんでいた。カラ松も絶句したまま数秒ほど動きを止め、慌てて廊下からリビングに突撃してその姿をまじまじと見た。
    「い、一松、お前……」
     見間違いではなかった。一松は、すっかり元の大きさに戻っていたのだ。
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