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    rinya0204

    @rinya0204

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    rinya0204

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    40歳を越えて同棲しているカラ一のある夜のお話。
    「ノスタルジックは擦り切れる」という本の世界線のふたりです。

    ちっぽけな夜に 風呂が壊れた、と絶望の声音で一松が言った。
    「え……本当か?」
     今日は残業で遅くなったので、熱い湯に浸かりたいと思っていたのに。湯に浸かってから一緒にビールを飲もうと思って、コンビニで買ってきたというのに。
    「ほんとに? 本当にか? 一松、そんな悲劇があっていいのか?」
    「めんどくせえ嘘つかねえよ。おれは近くの銭湯行くけど、お前は?」
    「……行く」
     カラ松がそう言うことはわかっていたのだろう。一松の手にはすでに銭湯セットがふたり分用意されていて、そのうちのひとつを渡された。
     銭湯に行くのはひさしぶりだ。若い頃……二十年ほど前には兄弟六人で通っていた銭湯があったのだが、ふたり暮らしになってからは家のシャワーで済ませることが多かった。家風呂があるのに八人家族のうちの六人を毎日銭湯に行かせるのはどちらが経済的だったのだろうな、と時々考える。
    「うう……寒さが堪える……」
     一松が口元までマフラーに埋もれてそう言った。
    「年々、冬の寒さに耐えきれなくなってくるな」
    「代謝が悪くなるからね」
     カラ松に応える一松の目元には少し皺がある。おそらくカラ松にだってあるだろう。お互い、歳を取った。

     二十代も半ばを過ぎた頃、勢いに任せてふたりで家を出た。
     きっかけは単純ながらもドラマチックで、だけど些細な不幸からだった。人知れず付き合っていたカラ松と一松の関係が家族に露呈したのだ。慎重に慎重を重ねて付き合っていたつもりが、ふとした気の緩みから家族に知られてしまった。
     真っ青になって震え、家族と顔を揃えるのを恐れた一松の手を取って、カラ松は家を飛び出した。勢い任せの、後先などひとつも考えない行動だった。ハタ坊に土下座をして金を借り、小さなアパートを借りることからふたり暮らしは始まった。
     その間、いろいろなことがあった。落ち着いた頃合いでの家族との話し合い、一松との喧嘩とメンタルケア、就職、等々……。住む場所も何回か変わり、いまの住処に二年前に引っ越してきた頃にはもう二十年ほど時が経過していた。
     カラ松はいつかふたり暮らしがしたいとは思っていた。のっぴきならぬ事情で三ヶ月ほど一松とふたりで暮らしていた経験があり、その時にもいつか一緒に暮らせたらと話していた。
     その時一松は「突然じゃない方がいい」と言っていたのだが、結局家出に近い形になってしまい、それは後々まで一松のことを苦しめた。カラ松はどうだったかというと、起こってしまったことには対処をするしかないので、自分から後悔を振り返る真似をする一松については憐憫と苛立ちが半々だった。このことについて小競り合いが多かったのは考え方の相違が原因だ。
     だがそれも時間が解決した。
     ふたりになって二十年も過ぎてしまえば、大抵のことはどうでも良くなる。日々に追われ、離れた家族とも和解が成立して良好な関係が戻ったとあれば、後顧の憂いは断たれたといえる。
     朝起きて、働いて、ふたりの時間を味わいながら生活する。ルーティンさえ決まってしまえば、一松の精神も安定した。
    「だってどうせ、もう一生変わることはないし」
     そう言えるようになるまで二十年かかった一松は、少し皺が深くなった口元を緩ませた。

     銭湯の広い湯に浸かって、あの頃みたいにコーヒー牛乳を飲んでから外に出た。本格的に始まった冬は火照った身体をすぐに冷やそうと息を吹きかけてくる。
     マフラーをぐるぐる巻きにして、分厚い半纏を着込んだ一松が、早く帰ろう、と口にした。
    「今日、鍋にした」
    「本当か? 肉はあるか?」
    「あるよ。肉がセールでよりどり2点で1000円だったから」
    「セール……フッ、魅力的な言葉だな」
     暗い夜道を並んで歩く。夕飯時ということもあって、あちこちから家庭料理の良い匂いがした。それはカレーだったり、ごま油の匂いだったり、家によって様々だ。
    「腹減ったね」
    「そうだな」
     特に会話が弾むことはない。だけど沈黙が苦ではない。
     いつの頃からか、一松との時間には無言が増えた。若い時、お互いの存在を貪るように求め合っていたのが嘘のようだ。
     隣にいる一松の息遣いを感じるだけで充分だと思える。狭い部屋で一緒にいて、黙っていても満たされる。
    「一松」
     名前を呼んで、そっと指先を絡めた。
     一松の指が震えて、こちらを信じがたいという目つきで見てくる。
    「誰もいないから」
    「……誰か来たら離して」
    「うん」
     そのまま、指を絡めて手を握る。初めて手を繋いだ時に比べたらお互いに随分と水分の失われた手をしていた。少しかさついた一松の手の甲はまだ温かくて、違う体温にほっとする。
     街灯と、民家から漏れる明かりだけが光源だった。
     月は遠い。星は見えない。時々、知らない家から笑い声が聞こえる。もう断片しか思い出せない二十年前の六人での生活の、笑い声だけが脳裏に蘇る。
     長いこと、ふたりで腹を抱えて笑っていない。テレビを見ても雑誌を読んでも、ぽつりぽつりと話をするだけ。
     昔はそれを切ないことのように思っていたのに、いまはそんな生活が愛おしい。
     感じたことや思ったことを、聞いて受け止めてくれる一松がいる。決して口数は多くない。昔からそうだ。だけど誰よりもカラ松の言葉を真剣に耳に入れてくれる。
     もう身体を求め合うこともなくなった。
     なのに以前よりも近く一松を感じるのはなぜなのだろう。
     こうして手を繋ぐことを、ひとがいなければ許してくれる一松に触れることのほうが身体を重ねることよりずっとずっと大事なもののように思えるのはなぜなのだろう。
     暗い夜道。どこかの家の夕飯の匂い。知らない誰かの笑い声。ふたり分の靴音。夜空に消えていくふたり分の白い息。ふたつの影が、真ん中で繋がってひとつになる。
     それが、身体を繋ぐより、唇を重ねるより、いとおしく泣きたくなる光景なのは、どうしてなのだろう。
    「一松」
    「ん」
     一松の手を握る自分の手に力をこめた。カラ松がぎゅっとした分だけ、一松もぎゅっと握り返してくれる。
     二十年かかった。
     二十年、一緒にいてくれた。葛藤と後悔をくりかえしながら、それでも。
     想いを交わし合った時より、いまのほうがずっと幸福に思えるのは、さみしさの埋め合い方をお互いに知ったからだろうか。
    「鍋、楽しみだ」
     カラ松がそう言うと、一松が笑う気配がした。
     マフラーの隙間から白い息が空をのぼる。
    「うどんはいる?」
    「いる」
    「丈夫な胃袋だね」
     ざり、と一松のサンダルが道路の砂利を踏んだ。カラ松の靴とは違う音。違う人間である証。
     カラ松と手を繋いでいない右手を持ち上げて、一松が口元のマフラーを人差し指で押し下げた。
     目を細め、唇を持ち上げて一松は笑った。少しも変わらないのに、もっとやわらかくなった輪郭で。
    「おかわりしてもいいよ」
     雨粒みたいにぽつんと言う。
     唐突に湧き上がった泣き出したくなるような感情を喉元で飲み込んで、カラ松は白い息を吐いた。
     寒いのに、あたたかい。
     変わっているのに、変わらないものがひとつある。
     それを愛だなんて言ったら、一松は皺を深めて怒るのかな。
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