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    mea_sosaku

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    mea_sosaku

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    どむさぶ顕長進捗

    どむさぶ顕長 息を切らして走る。道長の通う小学校からずっと走り続けるのは、冬の時期にある持久走と同じような感覚だった。足が地に着くたび、重い刺激を体に受け走れば走るほど疲れが溜まって抜けなくて、息が苦しい。持久走ならば途中でペースを落として行くがそれも出来ない。今の道長にとって一分一秒が惜しかった。
     家に帰るはずの道をそれて左へ曲がる。商店街を横目に走り抜け、子供たちが集まる駄菓子屋の前を素通りし、少し古びたアパートにたどり着く。
     二階建てのアパートの鉄でできている階段は少しさびていて、敷地内の花壇になってる場所は雑草が生えている。そのアパートの二階の一番隅の部屋に、道長の目的の人物が住んでいた。
     とんとん、と階段を駆け上がり、通路を走り抜け、息を切らしたまま背伸びをしてチャイムのボタンを鳴らす。「はーい」と間延びした声が扉の向こうから聞こえた。鍵を開ける音が聞こえ、外へ開く扉が開くのを少し躱して道長はお目当ての人物と対面した。
    「あきみつさん!」
    「そんなに息を切らして、疲れただろう?上がっていきなさい」
     黒髪の美しい人。普段からろくに外に出ないからか、肌は白磁を思わせるほど白い。髪も切りに行くのが面倒だからと伸ばして、髪ゴムで一つにまとめている。新月の夜で染め上げたような黒い目。少しつり上がっているが、柔和な雰囲気を作り出す顕光ではその鋭さは感じられない。
     年の離れた従兄弟である顕光。その柔らかな雰囲気にあてられて、道長は少し深く息をついた。
     中へと入る顕光について行き、扉の鍵を閉める。中は簡素な1LDKの部屋だが、あらゆるところから顕光の香りが感じられた。
     道長は顕光に繋がされるまま中央のローテーブルに座った。テーブルには顕光の愛用するノートパソコンとスマートフォン。その隣には冷めた珈琲が置かれていた。
    「プリンはどうだい?今日、美味しいのを貰ってね」
    「いただきます」
     瓶に入ったプリンを冷蔵庫から出して道長に差し出す。蓋を外して、顕光が差し出した柄の長いスプーンで食べ始める。濃厚なカスタードプリン。舌の上に味が濃く残るほど甘いそれは道長を喜ばせるには十分だった。カラメルはないから味気ないかとも考えたが、カラメルがなくても、むしろカラメルがあったら味を邪魔してしまうのではと思うほどそれは美味しかった。一口、また一口とすぐ食べきらないように少しづつ食べた。
     道長が喜ぶ様子を顕光はローテーブルに座って眺めていた。道長からみて左手に座った道長は時折冷めた珈琲を飲んでは幸せそうにこちらを見ていた。
     コツン、とプリンの入っていた瓶の底をスプーンでついた。綺麗に食べきった瓶を机に置くと、顕光が横から手を伸ばしてきた。
    「ちょっとごめんね」
     柔らかいティッシュを片手に道長の口元を拭く。プリンが僅かに口周りに付着していたのが気になったのか、丁寧に拭かれていく度に少し恥ずかしいような嬉しいようなこそばゆい気持ちになった。
    「汚れは自分でとれます」
    「うん、ごめんね。ちょっと気になって」
     眉を八の字に下げて少し困ったように微笑む顕光を見て胸が早鐘を打つ。
     顕光は表情豊かな方だ。些細なことで悲しんで涙で目を潤ませ、ちょっとした事で喜んで満面の笑みを浮かべる。その中でも困ったような笑顔は顕光が良くする表情であり、道長が1番好む表情でもあった。

     カタカタと顕光がノートパソコンに文字を入力する音と、さらさらと道長がノートに漢字を書き写す音が聞こえる。
     学校から家に帰る前に顕光の家に訪れる。道長の家族はその事を知っている。道長の家は両親の帰りも遅く、兄達も部活動があるため、顕光にそれまで面倒を見てもらえるのは助かると良く両親は話していた。また顕光は兄達の家庭教師になったこともあり、親とも友好的な関係を築けていたことがことでこの夢のような日々を送れていた。
     宿題が終われば何をしてもいい。部屋のテレビを見ても、ベランダから外を眺めても、顕光から本を借りて読んでもいい。宿題に悩んでいるふりをして、顕光といる時間を伸ばしてもいい。
    「宿題は終わったかい」
     顔を上げた顕光と目が合った。
    「はい」
     長い沈黙故か、それとも目線があってしまったからか道長は少し声が上擦ったが、顕光はそれを指摘しなかった。
    「そう、頑張ったね。ジュースでも飲むかい?」
    「はい」
    「じゃあ冷蔵庫から好きなのを選んでいいよ」
     そう言って顕光は視線をまたノートパソコンへ落とした。道長に向けるような柔らかい笑顔では無い表情。じっと集中して仕事に取り組む顔。道長の一番好きな表情とは違う意味で、ずっと見ていたくなるような顔。
    「……どうかした?」
     ずっと見てたのがバレた。困ったように笑ってる顔。
    「いえ、なんでもないです」
     そういって立ち上がった。

     冷蔵庫にはサイダーが入っていた。大きなペットボトルを抱えて、道長用に用意してくれたプラスチックのコップにしゅわしゅわと気泡を作るサイダーを注ぐ。ギリギリまで注いで、9割りになるぐらいちょっと飲んでから、サイダーを冷蔵庫へ戻す。
     部屋に戻ると顕光はコーヒーを飲み干していた。苦いコーヒーは道長はあまり好きではなかった。苦いものを食べる時には甘いものが欲しくなるし、また逆もあると顕光は以前言っていた気がする。ならば、甘い飲料をあげたら喜ぶだろうか。しかし、貰っている側な手前、全部渡すというのはおかしい気もする。一口だけなら不自然じゃないだろうか。
     真剣にノートパソコンを眺めている顕光の前にコップを差し出した。
    「一口飲みますか?」
    「おや、いいのかい?」
     垂れていた髪を右手で抑え、差し出したコップの縁に口をつけて一口分含む。
    「うん、甘い」
    「そう、ですか」
     綻んだ顔の顕光を見て少し顔がにやけそうになる。それを防ぐようコップに口をつけた。

    「もう帰るのかい?」
    夕暮れ時、いつもより少し早く道長は顕光の家を発つ。
    「はい、今日から家庭教師の方が来るので」
    「そっか、気をつけてね」
     ぽん、と柔らかく頭に手が置かれる。そのまま大きな手は撫でている。子供扱いが過ぎる、とも思うが、道長にはこれが好きだった。
     無意識に頭を持ち上げるように顕光の手に擦り付けるように動いてしまう。顕光もそれを知ってか知らずか、撫でるのをいつもより長くしてくれた。
     細い指が頭から離れたのを感じた。
    「では、さようなら顕光さん」
    「うん、またね」
     ドアから出ても暫くは顕光さんも見ていてくれる。廊下を抜けて、階段を降りて、表の道に出るまでは顕光さんはドアの前の柵にもたれかかって見ていてくれる。
     振り向くと、小さく手を振ってくれた。それに手を振り返してまた家に向かって歩き始めた。

     帰っている途中でふと顕光の家でのことを思い出す。サイダーを顕光に分けたときには気が付かなかったがあれは間接キスだったのでは。
     道長はそれに気がつくと走って家まで駆け込んだ。頬が赤いのは走っていたからということにした。


     中学に上がる、小学生としては高学年になるにつれ意識することだが、道長の場合はほかの子供より意識せざるおえない事だった。
     中学受験だ。兄たちも中高一貫の学校へと通っていて、皆大学まで出て就職している。親の教育方針としてはより有利に大学まで行かせたいらしい。
     道長としてはそれは嬉しい事だった。五男ならばもしや収入的な面で大学へは行かせて貰えないかもしれないと思ったが、どうやら杞憂だったようだ。まあ行かせてもらえなければ奨学金でいくつもりだったが。
     そして今日は家庭教師が来る日だった。
     兄たちは道長と違い、顕光に教科を教えて貰えたが、顕光は道長を家に入れ面倒を見てくれるが、仕事はああ見えて忙しい。故に道長に勉強を教えるということは出来ない。
     道長は数週間前まで顕光が教えてくれるのだとばかり思っていたためかなり沈んだ気持ちでいた。
     家庭教師になるのは兄の友人。大学の同級生らしい。変わってる人だがお前とは反りが合うだろうと言われた。
    「初めまして。安倍晴明といいます」
    「藤原道長です。よろしくお願いします」
     兄の友人は白髪の男だった。白髪とは言っても、顔は若々しい青年で、身長は180ぐらいだろうか。モデルとはこういう男がなるのだろうと思わせるほどの顔とバランスのいい身体をしていた。唯一、服のセンスがそこまで良くないため、その魅力も半減している。
     顕光さんの方が顔はいいな、と道長は考えた。
    「今失礼なこと考えたでしょう?」
    「いえ、全く」
     顕光さんより美しいものが存在するとしたら多分そいつらの目か、美の評価の仕方がおかしい。
     返答の後、一瞬キョトンとした顔を晴明はしたが、まあいいかと呟いて持ってきたプリントを出した。
     コピー用紙にプリントされた問題はどうやら晴明が作ったものらしい。中学受験用の参考書を読み漁り、重要な点を抑えられるように作ったようだ。器用なものだ。
    「では、解いてください」
     道長はよく研がれた鉛筆を持ち、プリントされた問題を解き始めた。




     晴明が来るようになってから数週間。教え方は正直あまり上手くはないが、何をわかっていなくてはならないかは晴明は押さえているので、それさえ察することが出来れば問題ない。
     今日は晴明が来ない日。そのため宿題のプリントが渡されている。
     やはり顕光さんの方が良かった。そう思いながらプリントを解いていく。問題を解くのは苦ではない。だが、教えて貰えるなら顕光が良かったと道長は何度も感じていた。顕光なら一つ一つ丁寧に教えてくれるし、晴明のように問題をよこして解けなければ聞くでは無く、顕光なら道長のペースで解けるよう調節してくれるのだ。
     それに何より、顕光とは長くいても平気だが、晴明のことをまだ道長自身が信用できてないのか、数時間同じ部屋にいるというのはなかなか苦痛だった。普段ならば顕光の家でゆっくりしてる時に晴明が教えに来る。お陰様で晴明が来た日を最後に顕光の家には行けていない。
     会いたい。ただ会いたいと願ってしまう。どこかで休みがあればと思うが、晴明が来れない日は宿題がたくさん追加されるので顕光の家にいると終わらせることが難しい。
     そんなことを考えながら道長は晴明から出された宿題を終わらせた。
     明日は晴明が来る日だが、いつもより学校一限早く終わる。走っていけば顕光さんの家で少しお話出来るかもしれない。
     そんな淡い期待を抱きながら道長は目を閉じた。


    『道長は偉いね』
     そう言って顕光が頭を撫でてくれる。周囲にちらばった教科書やノート。直さなければ怒られるのに注意も向けず、顕光にただ撫でられている。ふわふわとした気分になり心地良さだけに満たされていく。顕光が呼ぶようにそばによって、『座って』と言われるがままに隣に座る。
    『いいこだね』
     柔らかな声が頭の上から届く。白く細い指が栗皮茶色の髪を梳くように撫でる。目をつぶっていれば顕光の柔らかな雰囲気だけが感じられた。
     ふと、顕光が手を離した。目を開けると先程までいたはずの顕光がいない。
    『あきみつさん?』
     声を上げても、何も反応が帰ってこない。どこへ行ったのだろう。先程まであった安心感は消えうせた。私は何をすればいい?何をすれば戻ってきてくれる?
     漠然とした不安が道長の心を埋め尽くす。顕光を探しにいくことはしない。それは命令されていない。
     何も出来ない。周りにあったはずの教材も目に入らない。
    『あきみつさん』
     ポロポロと涙が出てくる。怖い。恐い。不安でしょうがない。
    『あきみつさん』
     喉が痛い。過呼吸になり手先が痺れ始める。目の前が歪み始めて、上下も分からなくなる。
     それでも、動けないでいた。
     ただ怖かった。

     ハッとして目を覚ます。汗で濡れたパジャマが気持ち悪い。布団を剥いで起き上がろうとするが、体が重くて起き上がれない。体が熱い。
     一階から、道長を呼ぶ兄弟の声が聞こえる。だがそれに返す声も出ない。苦しい。怖い。
     まるで夢の内容を味わっているようだと思う。まあこちらは自分で動こうとしても動けないのだが。
     部屋を見に来た母親はドアを開けると驚いたような顔をしていた。

     病院では風邪だろうということで薬が配られただけだった。
     長い待ち時間、横にもなれなかったのはきつかったが、それよりも早く治さなくてはという気力だけが勝った。熱がある間は晴明は勉強を教えに来れない。早く治して勉強を進めなければ。

     しかし、薬を服用しても、熱は下がらなかった。

     数日後、治らない道長を見かねて、母親はまた病院へ連れ出した。同じ医者に行くのも気が引けたのか、別の病院へ連れていかれた。そこでは風邪ではなく別の評価が下された。
    「恐らく、Subの傾向が現れているのだと思われます」
    「Sub?まだこの子は8歳ですよ」
    「ええ、他の子より少し早いようですね。平均的には12歳の頃から見られて中学卒業ぐらいにはある程度確定します。ですが道長くんの場合には少し早かったようですね」
     抑制剤をお付けしますね、と医者は言った。
    「珍しいことではありません。信頼できる人がいると、なってしまう子もいるんですよ。無意識にSubとしての欲求を満たしているんです。そういった人と離れてしまうと体調を崩すこともあります」
     医者はそう言って道長へ顔を向けた。
    「道長くん。今1番会いたい人はいるかい?」
     道長は会いたいと願ってやまなかった人を思い浮かべた後、普段であれば答えない方が巻き込まないで済むと考えるはずなのに、熱でやられた頭は素直に思ったように名前を呟いてしまった。
    「あきみつさん、」
     母親が驚いた顔をしたのが目に入った。
     医者は母親に声をかけた。
    「薬は処方しますが、可能な限りお会いすることをおすすめします。あきみつさん?と会うことで症状も落ち着くことでしょう。これは親御さんや周りの関係ではなく、体の生理的な反応によるものです。いつかは上手く付き合わなくてはならないものが、たまたま早く現れたようなものです。私達もできる限りサポート致します。Subの症状の付き合い方、またパートナーが見つかるまでの対処についても考えていきましょう」
    「はい…よろしくお願いします」
     母親は少し落胆したかのように医者に答えた。

     抑制剤はよく効いた。次の日にはほとんど自分で動けるまでに回復した。まだふわふわと頭が落ち着かないのだけは解消されていない。
     ピンポーン、と家のチャイムがなる。母親は開けに行くと、玄関前の人物を家に入れたようだった。談話しながら道長の部屋に近づいてくる。
     徐々に聞こえてくる男の声に、道長は胸が早鐘を打つのを感じた。
    「久しぶりだね、道長くん」
     その人物から目が離せない。「おいで」と言われてそのまま近寄る。すると大きな腕で抱きしめられた。柔らかな雰囲気が、香りが道長を包んでいる。
    「辛かった?よく頑張ったね……」
     頭を撫でられる。それは紛れもなく道長自身が望んだものだった。

    「ごめんなさい、迷惑かけてしまって」
     道長の母親は申し訳なさそうな顔をした。
    「いえ、私こそ……原因となってしまったのなら申し訳ない、時姫さん」
     顕光は道長から手を離して母親へ頭を下げた。意味がわからず呆然としていると、母親は顕光に謝罪はいりませんと話している。
    「ダイナミクスは生まれつきのものですし、ちょっと早くなっただけですから。それによく顕光くんに懐いていたから……ちょっとした偶然ですよ」
     そうやって母親は笑った。

     道長の部屋に顕光がいる。先程とは違い、母親は家事をするために離れている。
     顕光の胡座の上に腰をかけて座り、頭を撫でて貰っている。
     顕光の香りがする。顕光に撫でてもらえている。ふわふわとした、どこか宙へ浮いたような気持ちで道長は久しぶりの顕光からの甘やかしを受けていた。
    「道長くんはSubとかDomとかは知っているかい?」
    「はい、学校でならいました」
    「へぇ、保健体育とか?」
    「はい」
    「そっかぁ」
     間の抜けた声。聞きたかった声。耳から脳へと染み渡るようにさえ感じてしまう。柔らかな声が脳に快楽を齎す。
    「道長くんはSubだと言うのは聞いたね?おおよそは知ってるかもしれないが、ダイナミクスという力の関係上、Domに従う状況を作らないと、君は体調を崩してしまう」
    「はい」
    「サブスペースについては知ってるかい?」
    「さぶすぺーすですか……?」
    「うん、サブスペースっていうのは、私のようなDomを信頼しきっている状態と言えばいいかな……自分の意思で動かずに体を預けてしまうようなものだと思えばいい。君は恐らくそれになりやすいんだろうね。こればかりは個人差があるからなんとも言えないけど」
     話の意図が掴めない。顕光はどう言おうか困ったような顔をしている。道長ははっきり言わない顕光にほんの少しだけ不満を持った。
    「顕光さん、何が言いたいんですか?」
    「……うん、ごめんね。回りくどかったね。端的に言うと、君が良ければ、私とパートナーにならないかい?」
     パートナー。SubとDomが構築する関係で互いに了承して互いの欲を満たすためにプレイを行う関係。恋人がパートナーにであることも多く、それほど親密な関係であるということは道長も知識として知っていた。
    「もちろん、君が嫌ならパートナーにならなくていいし、いつか私ではない人と結ばれる時はもちろん関係を止める。だけど、君は今体調を崩している。だから君がパートナーを見つけて、選ぶまで。君の仮のDomで居させて欲しい」
     優しげな目でありながら、それは射抜くような視線で。とても魅力的な誘いだった。まさかこのような形で叶うとは思ってもみなかった。
    「はい」
     一抹の不安さえ抱くことなく顕光の言葉に従うのは、望んでいたからか、それともSub故なのか。道長には考えることは出来なかった。


     あれから、道長は顕光と定期的に会うことができるようになった。毎日、という訳には行かないが、週に何日か顕光の家を訪れて、Subの基本の命令を行うことができるように、また限界の時はセーフワードも使えるように慣らすためのプレイをしている。
     道長がパートナーを作るのは少々早い段階のことでもあった。パートナーを作るのは早くて中学生。遅くとも高校生の時にはそういったプレイに触れることはある。少し他の子供たちより早く大人の階段を登ったようなこそばゆさが道長を刺激していた。
     気に入らないことがあるとすれば、あくまでこの関係は仮のパートナーということだ。
     今日は顕光の家へ訪れる日だ。教室でクラスメイトたちと別れて顕光の家に向かう。
     足取りが軽い。気分が高揚しているのが心臓を手に取っているかのようにわかる。アスファルトを軽く蹴って走る。早く早く、顕光の家へたどり着きたいという思いが先行していく。
     顕光の家が目に入った時、頬が焼けているのではと思うほど熱く感じた。
     少し背伸びをしてチャイムを鳴らす。「はーい」という間延びた道長のdomの声。鼓動が太鼓でも打ち鳴らすように胸だけでなく、指先も、鼓膜も全てが振るわされているように感じてしまう。
    「いらっしゃい」
     ガチャ、とドアを開けて迎えた顕光はニコリと笑っていた。

     部屋の中央で顕光の目の前に立っている。プレイをする時は寝室で行っている。カーテンを閉めれば完全に人の目から隠すことができ、またプレイ中に物にぶつかる危険がいちばん少ないからだそうだ。
    「kneel(座れ)」
     指示に従い、正座を崩したようにぺたんと座り込む。床の冷たさが布越しに伝わってくる。簡単な命令に従えたことに「いいこだね」と顕光は柔らかく笑いかけてくれる。
    「じゃあ、セーフワード決めてきてくれたかい?忘れたらいけないから念の為いくつかあげて欲しいって頼んだけど」
     立ったまま、顕光は道長に声をかける。以前であればずっと目線を合わせてくれていたのに、見下ろされている。その状況に、少しばかり高揚してしまうが、質問に答えられなくなる訳には行かない。一度煩悩を振り払って、顕光を見上げるように返答した。
    「はい、お菓子全般です」
    「……お菓子?」
     顕光は道長の言葉を反復した。僅かに疑問を感じ取れる発音に道長は素直に応えた。
    「どのお菓子かは分かりませんが、プリンとかケーキなど簡単なものです。何を思い出すかわかりませんがその時思い出せる菓子を言えば何となく分かってもらえるかと」
    「なるほど」
    「シュヴァルツヴァルター・キルシュトルテなんて言ったりはしないので安心してください」
    「……なんて?」
    「僕の好きなお菓子です」
    「そうか……」
     「覚えておけるかな」と小声で言った顕光に道長は無理ではないかと思ったが開きかけた口を閉じて飲み込むことに成功した。今はプレイの最中だ。
    「じゃあ、簡単な命令に従って貰おうか」
    「はい」
    「Crawl(這え)」
     命令を聞き入れた道長が四つん這いになる。二足歩行を禁じられたことに少しばかり鼓動が大きくなる。
    「Come(来い)」
     手を前に出す。赤子の這いずりにも似た動きは、子供とはいえもう二足歩行に慣れた道長には難しく感じた。
    おぼつかない動きで顕光の後ろをついてまわる。
     スタスタと歩いていってしまう顕光を四つん這いで追いかけるのはなかなかに辛いものがある。丁寧にカーペットが敷かれてあるため、手や膝が痛くなる心配は無さそうだが、それでもこの体制でひたすら歩くのは辛い。
    「いいこだね」
     先を歩いていた顕光が腰を道長の目線まで下げてくると、頭を片手で撫でられた。
     喜びで心臓が早鐘を打つ。脳ミソが快楽物質を溢れださせて目の前がチカチカと点滅する。ちょっとしたプレイの一貫のはずなのに、あまりにも道長は褒められることに本当に弱かった。
     ほんの少しで蕩けた様子に気がついたのか、「まだ始まったばかりだよ」と苦笑しているのが見えた。
    「もう少し、頑張ろうね。いっぱい褒めてあげるから」
    「……はい」
     まだ惚けた目は顕光のことだけは真っ直ぐ見つめていた。

     時間が経つのは早かった。顕光の指示に従うのは心地よく、いつの間にか空は夕暮れ時から薄暗い夜へと変わり始めている。早く帰らなくてはいけない。
    「道長くん、無理はしてないかい」
     見上げると心配そうな顔をした顕光がいた。道長からしてみればとても心身共に満たされた感覚だからなにも無理はしていない。しかし、やはり子供のSubとプレイするのは心配になるのか、顕光はプレイ後もアフターケアとしてずっと甘やかしすぎるほどに甘やかしてくる。
    「問題ありません。むしろ調子がいいくらいです」
     頭を撫でられるのを受け入れながら道長は答えた。
    「そう、ならいいのだけど。本当にダメな時にはちゃんとセーフワードを使うんだよ」
     心配そうな、複雑な顔をした顕光は小さく息を吐いた。
     道長がSubとなってからいつもこうだ。プレイをした後にはいつも不安そうな顔をする。プレイの最中は楽しそうにさえ見えるのに、終わると何かを心配しているようだ。
    「道長、もしも、いいDomを見つけたら言うんだよ。あくまで私は仮のDomなんだから」
     顕光が困ったような顔で言葉を放つ。それは新品のハサミより切れ味が鋭かった。
    「なぜ、そんなことを言うんですか」
     道長が傷ついたような顔をすると、顕光はさらに困ったような顔をした。
    「君のお父さんと、私の父は仲が良くないだろう?そして君と私は年齢が離れすぎている。いくら人に見られても大丈夫な範囲での調教しかしていないとはいえ、私と君が本当にパートナーになるのは良いことではないんだよ。だから、もし気に入った子ができたらでいい、今すぐじゃないよ、そのうち君も恋愛だとかそういうのに興味が出ると思うし、そうなったら、別れようか」
     顕光の言葉は死刑宣告に近かった。ようやく手に入ったものがあくまで仮初でしかないと眼前へ突きつけらているのだ。
    「……いやです。何でだめなんですか。年が離れてるだけじゃないですか」
    「ごめんね。君のお母さんともあくまで一時的なものとして約束してるんだ。君と私の関係はデメリットが大きい。君は性的な……うん、まあえっちなこととかの被害を受けた児童にされてしまうし、私は児童に性的な行為をしたとも見られかねない。SubとDomの関係は成人してる者同士でもトラブルが尽きない。念には念をしとかなきゃいけないから」
    「いやです、だって、顕光さんに会えなくなっちゃう……」
    「大丈夫だよ。たまになら会えるから、会いに来たら迎えてあげるよ」
    「いやです……いや、だ」
     運良く顕光と一緒になれて、ネットで様々な情報を調べた。SubとDomのパートナー制度を利用して同性での結婚も出来ると聞いて、そうなりたいと思っていた。
     顕光以外を選ぶつもりなど毛頭なかった。
     ぽろぽろと大粒の涙を零し始めた道長に顕光は焦った。
    「道長……」
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