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    にゃろまぐ

    赤安! @286mag

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    にゃろまぐ

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    軍パロの下書き一部です。12月の新刊にしたい!!!いけるか????長編を普段書かないから心が折れそう

    #赤安

    初恋(赤安)軍パロ 自らしんがりを務めて時間を稼ぎ、部隊は撤退させた。赤井の部隊は優秀だから、指揮官である自分がそう言えば情に捉われず従う。撤退はスムーズで、後は自分が離脱するだけだった。とはいえ、さすがにたった一人で一小隊を相手にするのは分が悪い。こんなところでくたばる気は毛頭ないが、さすがに怪我の一つも覚悟すべきか。ぐるりと自分を囲む奴らを見渡して、はてどこが一番脆そうかと突破口を見極めようとしたその時だった。
     遠くから、蹄の音。
     この状況で更に新手かと身構え闇に目を凝らすと、一頭の白馬が鬣をなびかせ猛然と走ってくる。
     ──速い。
     そのスピードに目を剥いた。
     瞬きする間もないほどあっという間に距離は縮まる。人も荷も載せない空馬、あるいは脱走馬かと思ったほどだ。だが、背中には確かに手綱を取るものがいる。ただし、いわゆる軍平の馬の走らせ方ではなく伝令のそれだ。腰を浮かせて身を低くし、前のめりの姿勢。視界は狭くなり、刀を抜くこともできない。ひたすら早くに駆けるためだけの特殊な騎乗姿勢だ。驚異的な速度で至った男はスピードを一切緩めることなくそのまま自分と敵兵の間に割り込み、ひらりと軽やかな身のこなしで音もなく地面に降り立つ。 
     風を受けて翻ったのは自分たちと同じ制服。
     ただし、裏地は白。
     同じ東軍のものではない。何より、その腰に戦場の基本装備である軍刀が見当たらなかった。増援と喜ぶにはとても心もとない。丸腰で戦場に乗り込んでくるなど死にたがりの愚行である。
     とはいえ、敵兵にとっては「新手」である。即座に一人が男に斬りかかった。
     どこの誰だか知らんが、この期に及んでお荷物の面倒まで見てやる義理はない。どういうつもりでここに来たのか、お手並み拝見と様子見を決め込むも、彼もまたまったく動じた様子もない。
     振り向いて見据える、アイスブルーの瞳。
     その面(おもて)は少女のように無垢で、とても戦場にいるもののそれではない。月明かりに誘われて、ロマンティックな寝物語でも求めて出てきたのかというそれだ。だが、彼は頭上に剣を振り下ろされ刃が目の前に迫っても──。
     不自然なほどに落ち着いていた。
     太刀筋を見切って、右の拳を突き出したように見えた。その手元で一瞬、何かが月明かりを弾く。その正体を見極めるより早く、光は敵将の喉元にまっすぐに吸い込まれる。直後、凄まじい勢いで噴き出た鮮血と苦悶の叫び声が月夜を汚した。
    「っ……!」
     兵の身体がぐらりと傾き、そのままずしゃりと地面に倒れ伏した。
     対する男は、雨のように降り注ぐ赤に頬を濡らしてそれを拭いもせずに、ゆるりと振り返る。払うような動作で右手が無造作に空を切り裂くと、その先に、再び血柱をあがった。上官の仇と背後から襲いかかった兵士はあえなく同じ道を辿る。瞬く間に骸は二つに増えた。
     その時やっと彼の手元を目で捉えることができた。
     黒の手袋に秘された指先、その中にしかと握り込まれているのは刃渡り僅か20センチにも満たないナイフ。敵味方入り乱れ騎馬もいる戦場で、命を託すにはあまりに不向きな武器。だというのに、その男は無駄のない流れるような動きで色をなして向かってくる敵の一撃をかわし、いなし、懐に入り込み、驚愕に目を見開いた兵士の首に無情に刃を突き立てる。また一人、地に伏す。鮮やかに命を刈り取りゆく様はまるで死神の舞いを見ているようだ。
     目を奪われたのは僅かの間。兎にも角にも今は奴らを殲滅するのが先と、乱入者と背を預け合うようにして、ただひたすらに目の前の相手を斬り伏せる。数の差があれど背を守り合えれば、状況は格段に有利になる。
     剣をふるい続けること数分。
     気付いたら立っているものは彼と自分だけになっていた。再び静けさを取り戻した野営の跡地に、互いの荒い息遣いだけが響く。汗が伝う首筋を冷たい夜風が冷やしていく。むせ返るような血の匂い、足の踏み場もないほどそこかしこに転がる死体。ここは地獄かという凄惨な光景のなか、彼は神経を昂ぶらせる様子も戦いの残酷さに顔をしかめるでもない。刃の血を丁寧に拭い懐にしまう仕草は場に不釣り合いなほど、落ち着き払っている。
     凝視する先、丁度雲が切れて月光が辺りを明るく照らし出した。そうして露わになった彼の容貌を目にした瞬間、思わず息を飲んだ。鮮やかなブルーサファイアの大きな瞳。光を集めたようなプラチナの髪、少年のようなまろい頰。形のいい鼻に小さな唇。作りものめいた静謐さに美しさ。まるでこの世のものではないかのよう。

    「何者だ」

     同じ制服に身を包み、一小隊壊滅の危機から救って見せたのだから敵軍ではないだろう。だが、味方と信じるには何もかもが特異だった。通常の兵士とは明らかに異なる戦い方。これだけの実力、目立つ容姿をしていながら、すれ違った覚えがなければ風の噂にも聞かないこと。何より、なぜ一人でこんな場所にいるのか。
     たまたま居合わせたとは思えない。
     彼が来た方角からして、先に撤退させた自軍のものから報せを受けたとは考えにくい。自分たちの部隊が奇襲を受けたことをどのように知ったのか。返答次第では、この場で斬らなければいけなくなる。

    「──帝国を守るものの一人です。ただし……赤井大佐、あなたとは異なるやり方で」

     肝心の答えを濁したうえに、相手が一方的にこちらを知っているという事実。面白くない、と思いつつも、向けられた眼差しを前に苛立ちはすっと引いていく。

     後ろ暗いところなどない、斬りたければ斬ればいいと言わんばかりにまっすぐに己を貫いた眼差しは、偽り謀るためのそれではない。信念と覚悟を感じる双眸。燃える瞳の青は背筋が震えるほどに美しい。その証拠に、刀の柄にかけられた己の左手が見えていないわけでもあるまいに、彼は己の刃をしまい込んだまま再び取り出そうともしない。

     だが、問わねばならない。己が軍人である限り。明快な答えを示さないことが彼の本意であろうとなかろうと。

    「答える気はない、と?」
    「知るべきではない、ということです。……これは僕の失態だ。本来、道は交わってはならない。今後もそうあるべきでしょう」
    「どういうことだ?」

     馬が啼いた。
     先程驚くべき俊足を見せつけた白いそれは、いつの間にか近くに彼の近くに控えている。彼はまた舞うような身のこなしで跨る。長居は無用と言わんばかりの態度。……ただし、視線が交わった一瞬、物言いたげな逡巡が影を落とした。それは湧き上がる何かを懸命に飲み下しているよう。迷い子のように頼りなく、誰かの助けを必要としているようにも見えた。けして見過ごしてはいけないのだと、天啓のように己の中の何かが強く訴えた。

    「待て、」

     引き留めようと手を伸ばす。先ほどまでの冷徹な兵士としての振る舞いの下に、そんな放って置けない表情を押し込めていたなんて。このまま別れても、忘れることなどできない。教えてほしい、君は何者なのか。なぜ自分を助けたのか。なぜ、そんな苦しい顔をしているのか。こんなにも激しく、何者かに心を乱されることは初めてだった。だというのに、そのまま去るというのか──?

     けれど、彼は薄情にもふいと視線を逸らし。そしてまた、瞬く間に夜の闇のなかに姿を消していった。遠ざかっていく蹄の音。残された一陣の風を前に呆然と立ち尽くし、しばらく身動きもできないまま彼が立ち去った先の闇を見つめていた。

    「君は、一体」

     ようやく絞り出した声に応えるものはいない。辺りに散らばるのは自分たちが積み上げた躯だけだ。ぎり、と強く拳を握る。爪を掌に食い込ませても、この痛みも苛立ちも到底やり過ごせそうにない。なんて厄介な相手なのだろう。耳の奥に、彼の囁くような声がこだましている。消え入りそうな小さな声で落とされた、別れ際の一言だ。目を伏せて表情はよく見えなかった。泣いているようにも、詰っているようにも聞こえた。先ほど数多の命を引き裂いたナイフのように己の心臓を貫いて、生々しい永久に消えることのない傷を残した。

     ──僕は、お前を許さない。

     突き放し煙に巻いた挙句、焦がれるように。あまりに切ない声色は、両足を地面に縫い付けるに十分だった。おかげで、追いかけることもできなかったのだ。やがてこうしていても仕方がないと踵を返す。隠していた己の馬を駆り自軍の合流地点に向かい走らせながら、脳裏ではずっとあの青い瞳を追っていた。

     同日ほぼ同時刻、東軍の補給物資管理をしている部隊の幹部が殺されていた。それを赤井が知ったのは、別の部隊と合流した数日後のことだった。
     ──街に出た帰り道、路地裏で首筋を一閃。強盗目的の通り魔に会ったんでしょう。
     そう話を続ける部下を前に、思考はあの夜の野原に逆戻りする。思い出したのは黒い皮の手袋に包まれた男の手。小さなナイフで鮮やかに死をもたらす姿。返り血に汚れたまろい頬。死を前に躊躇いも興奮も映さない理想的なまでに完成された兵士の姿と、置き去りにされた胸を焦がすような一言。
     部隊の中でそれとなく聞いてまわったが、彼自身について何一つ手掛かりを得ることはできなかった。が、簡単に諦める気はない。情報の当てと尋ねたのは直属の上官ではなく、軍の中枢部にいる司令官だ。本来なら自分が直接話をできる立場ではない相手だが、家のつながりで昔から気に掛けてもらっている。最も信頼できる相手だ。日頃煩わしいと感じるばかりの自らの生い立ちが初めて役に立った。
     その出来事、襲撃されるという情報をどこからか入手し自分を窮地から救い出した男について話すと、相手は鋭い目つきで己を見据え、やがて、重々しく口を開いた。
    「野崎は死神に捕まった。最も、君のような人間には縁のない話だろうが。」
    「……死神、ですか?」
     何かの隠語だろうか。
     奇しくも、ナイフ一つで次々と死をもたらした彼に同じことを感じたのだが。それに、自分のような人間とは何を差すのか。生家に関することか、所属か、階級か、それとも──。考えを巡らせていると、親子ほども年が離れた将は、窓の外に目をやりながら問いを投げかけてくる。
    「我が帝国軍が揺るぎない理由を、考えたことがあるかね?」
     急に変わった話題に一体この話とどんな関係があるのかと思いながら答える。
    「徹底した実力主義と、民からの支持……と認識しておりますが」
    「その通り。だが、どんな場所にも不穏分子は生まれるものだ」
    言わんとすることを察するのは容易い。
    「……それを、摘み取るものがいると?」
     彼は何も答えない。それが、事実を物語っている。
    「いついかなる時も忘れてはならない。我々の使命を、そして帝国の秩序を守るかの存在を」

     ──それが、君の本当の職務か。

     ようやく得た手がかりに、再び脳裏にその姿を描く。なぜあんな一言を残し、なぜあんな苦しげな表情をしていたのか。知るべきではないと言う彼の言葉はかえって焚きつけるものでしかならない。意地でも探し出して、もう一度話を──。新たに決意したものの、やがて再会は思いもよらぬ形で訪れることになる。

     ◇

     軍法会議ほど退屈な時間はない。
     老人たちの一向に結論の出ぬ話に欠伸をかみ殺しながら、窓から見える木にやたら大きな烏が先ほどから何度も留まり来て、巣を作ろうとしているのを眺めやる。彼の「巣」はどこへあるのだろう。嵐のように己の前に姿を現し、名を聞くこともできずに去って行った、風のような男のことだ。
     月明かりの下で、己を見据えた少女のような面。あの夜の静謐を懐かしく思う。君は今どこで何をしているのか。翻るマントの白に目を奪われた。洗練された身のこなしと、一切の迷いを感じさせぬナイフ捌き。誰も彼を捕まえられず、傷をつけることもできずに、彼は夢幻のように姿を消した。
     ──あなたを許さない。
     そう、苦し気な一言を置き去りにして。

     静かな口調には押さえきれない激情が滲んでいた。それを美しいと思った。圧倒され、胸は締め付けられ、目が離せなくなった。時間が経ってなお、その瞳を見つめ続けている。己が心はあの月下の戦場に縫い留められてしまったのだ。
     大きな瞳は何を見たら驚くのだろう。己の言葉にどんな反応を返すのだろう。その美しさは何によってもたらされているのだろう。夢に囚われたかのように彼の姿を探す。金髪の頭を見ては目で追い、彼ではないと肩を落とす。
     もっとも、分かっている。あの美しい色にはそうそう出会えるものではない。
     何かを美しい思うのが初めてだった。会ってもう一度見たい、その美しさが損なわれないうちに。その美しさが何によって形作られているかを知りたい。会ってどうするという問題でもない。ただ、美しさを味わいたいのだ。
     あの日から自分の世界は一変してしまった。寝ても覚めてもその男のことばかり。街の酒場で女に言い寄られた時でさえ、無意識に月下で見えた澄んだ顔(かんばせ)を思い出して、比べてしまう。
     口紅も頬紅も差さぬ、戦場に生きるものの険しい顔。
     手には血濡れのナイフ、制服も返り血に濡れて、今思えばなかなかに凄惨な姿だったように思う。愛想笑いもせず、己の提案を容赦なく切り捨てた怜悧な横顔。だというのに、己を魅力的に見せるために着飾り化粧を凝らした女よりも、あれのほうがいいとは。どうかしているとしか思えない。
     起きている時に限らず、眠っている時は夢に見た。
     夢の中では何度も伸ばした手が空を切る。彼を捕まえられずに肩を落とす。たまに、手が届くこともある。引き寄せられた彼は驚きに目を見開いて、まあるい瞳のなかに己の像が揺れる。掴んだ手首の熱が狂おしいほどいとおしい。まろい頬に飛び散った血を指先で拭い、抱きしめて囁く。
     ──どこへも行かないでくれ。
     君は俺を見つめ返して目を瞬く。悲し気に目を伏せて──。結局、そのあとの言葉を耳にできたことは一度たりともない。目覚めて迎える朝は、いつも虚しいばかり。彼は今頃、どこで何をしているのか。あの人の物言いからするに、自分たちのように表で動く人間ではない。裏──、つまり諜報部の人間で、気安く接触できる相手ではない。だが、諦める気など毛頭なかった。
     既に一度顔を目にしているし、その一度も向こうのほうからやってきたのだ。コンタクトさえ取れるのであれば、無暗に仕事を邪魔するつもりもない。ただ一度、話をしたいだけ。裏とつながりがありそうな人間には片っ端から探りを入れた。なかなか当人に辿り着かず、城中の厩舎を覗いてまわって白い馬を探した。
     馬は見つけた。
     あの夜、矢のような速さで主人を運んだ真っ白な馬は、前で足を止めた己をじろりと見据える。警戒心が強い。おそらく主人を選ぶ賢い馬なのだろう。目下のところ唯一の糸口である厩舎を見張ることにした。敏い彼らにはこれまでの動きも筒抜けであろう。存在を秘匿すべきものたちにとっては、周りをしつこく嗅ぎまわられるのは快いことではないはずだ。いずれ、向こうのほうからアクションをしてくる。待つのはまったく苦ではなかった。
     と、議場のドアがノックされる。
    「ミカド中将、お話中失礼いたします、急ぎの件で東方司令部より伝令が」
    「入れ」
    「失礼いたします」
     その声にはっとした。
     間違えようがない。あの時から何度も頭の中で繰り返しなぞった声。重い扉を押し開けて、音を立てずにするりと入ってきたのは、あの日から何度も夢に見た姿がそこに。
     扉の向こうから差し込む光は、後光のようだった。
     敬礼した拍子にさらりと揺れた金色の髪。きりりとした眉と甘い垂れ目。年若さを思わせる顔立ちと、意思の強そうな印象と。凛とした雰囲気は、彼の周りだけ空気の色が違うよう。相反する要素がきれいに調和して、彼という生物を他の一切のものと隔絶した存在に押し上げる。
     見惚れたのは自分だけではなかった。議場でテーブルについていたものが全員振り向いて、会議中に伝令兵が入ってくることなどなにも珍しいことではないのに、興味なさげに彼を見やってそのまま、目を奪われ、目を逸らせずにいる。
     異色の存在だった。
     自然、このような立場あるものが集う場では、体格がよく武骨な男ばかりが揃う。そのなかにおいて彼は、まったく別のルールで動く美しい世界から迷い込んできた小鳥のようにも見えた。
     一身に注がれる関心に気づかないわけではあるまい。
     だが彼はよくいる新兵のように緊張して落ち着かない様子を見せるでもなく、悠然と議場内を見渡す。夢見るようなクリアブルーの大きな瞳が、くるりと並ぶ顔ぶれをなぞった。彼の目線は確かに自分の前をも通過したが、特段のリアクションが示されたわけではなかった。彼が目を留めたのは、目的の中将だけ。このなかで最も格の高い家の当主に臆することなく歩み寄ってメモを渡す。
     それを見た瞬間、己のなかで言いようのない苛立ちが生まれた。
     あの夜「よくある」と言うにはあまりに特殊な状況で邂逅した相手を忘れるはずはないだろうに、彼にとっては何ら特段意識に残る出来事ではない、意識していたのも探していたのも自分だけであると突き付けられたようで。
     思えば当たり前のことである。だが、その当たり前が受け入れ難い。
     彼はその男の耳元で何かをささやく。
     苛立ちが募る。
     今の自分は、彼にとってその男以下である。
     軍隊において、上官である人間の優先順位が高いのは当然なのに、無性に腹立たしい。それが、いわゆる嫉妬という醜い感情だと気付いて愕然とする。そしてここ数日己を支配していた感情の正体を、ようやく正しく認識するのだった。
     ──何が、ひと目会えればいいだ。
     ──何が、ただ知りたいだけだ。
     ──己は彼に認められたい、彼を独占したい、この美しい生き物を「手に入れたい」。これはれっきとした、恋である。己に縁がないと思っていた感情を突如自覚して、心のなかは嵐のように吹き荒れた。だが、その男はそんなこと思いもしないのだろう。伝令としての任務を忠実にこなす。椅子に座った男の横に膝をついて、目線を合わせるようにして真剣に、男の言葉に耳を傾けているのだ。
     敬意のもとにまっすぐに老いた男を見つめ、声を忍ばせて耳元で何かを囁く。そこには今まであの男に使えていた新兵のような慇懃無礼さも、過度の委縮も、嫌々ながら仕事と割り切ってという風にも見えない。
     ──あんな困った頑固じじぃの世話を焼かせておくにはもったいない部下じゃないか。
     二人の様子を見ていた多くのものは同じことを思っただろう。一般的な兵士と上官でればありふれた光景であろうが、この男に関するならば非常に稀なことであったからだ。中将は傲慢を絵にかいたような男であった。家の格の高さがそうさせるのか、古臭い考えをいつまでも改めようとせず、地位が低いものは地位が高いものに媚びへつらうのが当然という態度。
     まして気分屋で、世話係が理不尽なことで手ひどい叱責を受けているのを目にしたのは一度や二度ではない。自然と世話係がややもたたないうちに根を上げて、ゆえに顔ぶれがころころ変わるという次第である。
     だから、いかにも素直で実直そうな新兵が彼の世話係を務め、特にさらに言えば、中将のほうも今までにない気に入り方をしている様子を見て、おや、と思ったのだ。だが、直後、彼らの間で交わされたやりとりを見て、あるものは呆れ、あるものは顔をしかめる。
     ──そういう意味で、気に入られているのか。
     中将は立ち上がりざまにさりげなく、彼の手に触れた。彼はその瞬間僅かにぎこちなく視線を彷徨わせ、それまでの凛とした空気はどこへやら、恥じ入るように俯く。美しく咲いていた花が、突如しぼんでしまったようにも見えた。それは今まで二人の間にどのようなやりとりがあったのか想像させるには十分なものだった。もとより、その男がもういい歳でありながら、未だに女遊びがお盛んなのは有名な話。夜が明けるまで娼館でしけこんで、一度気に入ったものは男も女も見境なく居室に呼び出つけることさえあった。
     彼の見てくれは男とはいえ、やけに甘い顔立ちをしていて線が細い。どこか純朴で、初々しさを漂わせる男が男所帯のなかである種の色目で見られることはよくある話だ。彼も同じように目をつけられ、けれど絶対的な上下関係の前で言い出すこともできずに、言いなりになっているのだろう。
     中将が何かを囁く。
     二人の距離は瑞々しい頬に、汚い老人の顔がつきそうなほどに近い。
     当人からのSOSもないのに他人の部隊の上下関係に口を出すのはトラブルのもと。だから、誰もが若干の同情を抱きつつも、彼があの男にどんな要求をされているのか想像がついても、二人が出て行くのをそのまま見守るだけで哀れな新兵に手を差し伸べたりしない。今までは己も例外ではなかった。だが。
     中将が部屋を出て行くと、彼はドアの前でくるりと振り向き、音を立てて踵をつけ、手本のような美しい敬礼をしてその背中を追う。流れるような所作。急ぐでもなく、緩慢すぎるでもなく、力むでもなく、軟弱でもなく。腕をあげるさま、ぴんと伸びた指先、ぴたりと止まる手。入ってきた時と違うのは僅か、表情が強張っていること。それを見つめ己の腹は据わっていた。助けてやらねば。方法は、いくらでもある。

     意図せずして厄介なものを視界に入れてしまったことへの疲労感からか、扉が閉まると同時に誰知らずとため息が漏れた。
    「彼は?」
     真っ先に口を開いたのは、中将と犬猿の仲と知られる男だ。眉を顰め、呆れた様子で隣のものに問う。
    「最近入隊したやつで、剣の腕はからきしだが気立ては悪くないと付き人に取り立ててやったようです」
    「どうりで。あの腕では、剣を持ち上げることもできないんじゃないのか」
    「あんな奴が我が軍に在籍しているとは。軍紀が乱れたらかなわん」
     これ見よがしに ひそひそと囁く声を聞きながら、馬鹿めと胸の内で吐き捨てる。
     あれが、剣の腕が「からきし」の奴の動きなものか。華奢な身体つきをしているが、全身に満遍なく気が張り巡らされている。歩き方一つとっても、どこにも隙がない。月下で見せたあの動き、本気になればものの五分と経たずに、この部屋にいる人間全員の命を奪うことだって可能だろう。
     とはいえ──。
     彼が今、自分に向けられる下心の手を同じように振り払えるかはまったく別問題だ。
     諜報活動の必要性によってあの男をマークしているのであれば、任務を完遂するまでは傍に居続けることが最優先事項となる。心証を損ねるような真似、たとえば触られたからと言って手をひねりあげることなどはできないだろう。
     彼の立場を考えるならば、その男に近づくために自ら仕向けた事態である可能性もないわけではないが──。こうして再び彼の姿を見つけ出すことができたのも、思わぬ幸運。あれだけ調べても痕跡を掴ませなかった男のことだから、己の探りを牽制するために、意図的に自分に顔を見せるために、わざわざこの場に姿を現したのだとしても、機を逃す手はあるまい。として、しばらくは中将と彼の動向を見張ることにしたのである。

     ◇

     懸念は的中した。
     時刻はもう深夜。多くの兵が宿舎に戻る時間だと言うのに、中将はまだ執務室兼居室に世話係の彼を引き留めている。書類の決裁をしているようだが、さほど急ぎでもないのだろう。手を動かしてはいるものの、その目的は彼とのおしゃべりにあるようで、彼らの動向を探るべく、部屋のカーテンの影に隠れて様子を窺っている己に気付くそぶりはない。
    「安室、鍛錬は続けているか?」
     安室透。それが彼の名らしいが、おそらく偽名だろう。先ほどの議場で一瞬見せた強張った表情はもうすっかりなりを潜めて、彼は、横で敬礼の姿勢のまま答える。
    「はっ、中将に教えていただいた通り毎日こなしておりますが」
    「成果はどうだ?」
    「なかなかにきつく、最後まで休まずにできたためしがありません」
     困ったように眉を下げ、己の不甲斐なさを恥じ入る様子で答えるのを見て呆れる。まったくもってしらじらしい。戦場であれほどの立ち回りをする男だ、持久力はもちろん、瞬発力だってかなりのもの。それを可能にしているのは、一見華奢に見える身体に無駄なく張り巡らされているであろう筋力。だが、「剣の腕はからきし」の男にふさわしい回答は、中将をいたく満足させるものだったようで。
    「そうか。どれ、少し見てやろう。そこのソファに寝てみろ」
    「中将のお時間を頂くわけには……」
    「わしがいいと言っているのだ」
     遠慮するも半ば強引に、彼をソファの上に寝かせた。
     ──何が、鍛錬だ。
     見え透いた手口である。どうせ訓練と称して下心のままに身体を触ろうとする魂胆だろう。彼もそれは分かっている。分かっているから躊躇う様子を見せ、けれど結局、言われるがままにソファに仰向けに寝転んだ。すかさず、男は上から見下ろすようにして、彼の腹のあたりを押さえる。
    「あの、」
    「まずは十回、やってみろ」
     鍛錬というのはどうやら腹筋を鍛える何かの体らしい。またも逡巡するも、逃げる術はないと諦めたらしい。彼は苦しそうにどうにか上半身を起こして見せる。二、三度起こすのがやっとという有り様で、四度目、身体を起こそうとして結局起こせずに、くたりとソファに頭をつけた。目をつぶって、はあ、はあ、と肩で荒い息をつく様。色づいた唇。男の視線がねっとりと、欲をまとって彼を見据える。
    「まったくだらしない。筋肉の使い方が悪いのだ」
    「申し訳ございません」
    「服を脱いでみろ」
     中将はいよいよ、上官としての姿を取り繕う努力さえ投げ出そうとしている。彼は不安そうに瞳を揺らし、きゅ、と己の胸元を握りしめる。
    「そんな、」
    「恥ずかしがることはあるまい。鍛錬に必要なことだ」
     畳みかけるように言われれば、彼に拒否する選択肢はないだろう。軍服の上着を肩から落とした。ベルトを外し、ズボンを足から引き抜き、シュルリと音を立ててネクタイが引き抜く。静かな執務室に衣擦れの音がやけに響いた。シャツのボタンを外し、恥じ入るように俯いてシャツの前を開ける。
     仕事の場である執務室で、相手はきっちり軍服を着こんだままだというのに、己だけ下着と靴下とシャツ一枚でソファに座らされているという異常な状況下で、彼はすっかり泣きそうな顔で俯く。その表情が、相手の加虐心をどれだけ煽るものか知っていてやっているのか。それともこの状況は既に、彼の計算を大きく外れて当人の望まぬ状況に陥っているのか。
     惜しげもなく晒されたすらりと長い手足、細い腰。己はそこの下種とは違う。そう思っていても、美しい身体を前に目が離せない。男はついに、欲望を剥き出しにする。とん、と胸を押されて彼は、あ、と小さく悲鳴をあげてソファに横たわった。
    「中将、お待ちを」
    「何だ?」
    「これ以上は、」
    「こんな細い身体をして」
    「ッ、ひあ、」
    「なんだ、手が冷たかったか?」
     はちきれそうな瑞々しい肌を萎びた手がいやらしく撫であげる。
    「あっ、や、あ……!」
     彼は、ひくり、ひくりと身体を戦慄かせる。口元を覆って、顔を背けて、頬に朱を走らせて、いじらしく耐えようとする姿。それを踏みにじる悦び。暴いて、手折る悦び。男が興奮していくのが手を取るように分かる。下衆は甚振るように笑みを浮かべた。
    「どうした、そのような反応をして」
    「お戯れが、過ぎます……!」
     顔を覆った手を頭上に縫い付けられ、なすすべもなく見上げた瞳は恐怖と快楽に潤んでいる。そのような眼差しで訴える制止の言葉に、どれほどの効力があるだろう。現に、男はやめるつもりはない。
    「ひっ」
     彼の顔が恐怖に歪む。男が、服の上からでも分かるほどに勃起した性器をこすりつけたのだ。理性をかなぐり捨て、獣のように息を荒げ、彼の摘みたての果実のような唇にむしゃぶりつこうとする。
    「やめ、離せ……!」
     ついに漏れた敬語をなくした悲鳴に、頭がカッとなった。今日のところは手出しせずに静観するつもりだったが、このまま黙って見ていたら、彼が無理矢理あの汚い男に手籠めにされてしまう。たとえ彼の仕事の邪魔をすることになったとしても──。
     身を潜めていた場所から飛び出そうとしたその時。
    「失礼します!」
     扉を叩いて、声を張り上げたものがあった。
     はっとしたように彼は身をこわばらせる。中将も、動きを止めた。
    「中将、西田大将が至急重要な話があるとお呼びです」
     外の伝令の声はよく通り、一瞬で、室内の異常な空気を吹き飛ばした。いくら中将とはいえ、自分よりも上の立場のものからの命とあらば、さすがに無視するわけにはいくまい。
    「……まったく、興ざめもいいところよ」
     息の詰まるような沈黙のあと、男はそう言うとあっさり身を引いた。
     ──続きは、後日だ。
     まだ身を縮こまらせて震えている哀れな生贄の耳元で不吉な囁きを落とし、彼は振り向きもせずに部屋を出て行った。
     パタン、と音を立てて扉が閉まり、痛いくらいの静寂が戻った。
     は、と思わず大きく息を吐き、脱力する。
     窮地を脱したことへの安堵。
     だが、己のなかを埋め尽くした激情はなかなか治まらない。思いを寄せた相手が目の前で無理矢理、犯されようとしていたのだ。あの男への怒り。もし、彼が任務で動いている可能性がなければ、さっさと汚い手を切り落としていたところなのに。そして、意図せず目にした、彼が快楽に耐える表情、黒いソックスに包まれた足先が、藻掻いて宙を蹴った様。艶やかな肌の戦慄く様。それに欲望を覚えたならあの男と同じだと振り払おうとも、頭のなかを離れない。
     意識して深呼吸を繰り返した。
     今は、己のことを考えている場合ではない。彼が感じた恐怖はどれほどのものであっただろう。一刻も早く彼に手を差し伸べてやらねばと、どうにか気を落ち着かせようとするも。
    「まったく、ひやひやしました。あなたが余計な行動を起こさないかと」
     先ほどの涙声からは到底想像がつかない、無感情な声が、部屋に響いたのである。


     ふう、と気怠いため息を一つ。
     彼は億劫そうな態度で、ソファの上に身体を起こす。先ほどまで恐怖に震えていた人間と同じとは思えない、淡々とした感情を窺わせぬ声音。目の前で一部始終を見て声を耳にしているのに、何が彼の真実か分からなくなる。
     見ていたことがばれているのでは、もはや身を隠す意味はない。
     カーテンの影から姿を現し、ようやく正面から対峙した自分たちの様は異様である。主不在の部屋で、今、彼の前にどのように向き合うべきか己のスタンスを決めあぐねている男と、肌を晒したまま、無感情な瞳で己を見やる彼。あれほどのことをされておきながらまったく動じぬ様子はかえって不穏で、夢見るよう、と昼間感じた瞳は、凍てついた冬の湖を思わせた。
    「すべて計算のうちだと?」
    「ええ。以前申し上げたでしょう、僕はあなたと違うやり方でこの国を守るもの。その方法は多岐にわたります」
    「好きでもない相手に抱かれるのも方法の一つだと?」
     思わず眉を顰める。
     軍隊は、国防は、きれいごとばかりでは成り立たない。道徳に反することも意にそぐわぬことも飲み下さなければならない状況というのは多分にある。だが、己の身体を差し出す、だって? たとえ必要性に迫られていたにしろ、先ほど彼自身が示していた嫌悪は、恐怖は、おそらく本物だ。
    「使えるものがあるなら、使わない手はない。そういうものでしょう?」
     彼は立ち上がり、シャツのボタンを下から止めていく。甘い色の肌が、染み一つない真っ白なシャツの下に仕舞われていく。
    「それ、取ってください」
     言われて足元に落ちていたネクタイを拾う。渡す時、一瞬手が触れ合う。差し出された掌の内側には、食い込んだ爪の痕があった。望みもしない相手に身体を触れられている間、どれほど強く拳を握って耐えていたのだろう。見れば、手は未だ小さく震えている。思わず手首を掴んだ。
     はっとして、彼が驚いたように顔を上げる。
     間近で向き合う、澄んだまあるい眼。細い手首。いい匂いのする髪。夢で見たそれよりも何倍もリアルで、美しく、穢れなき存在が胸に迫る。
    「怖かったんだろう。……よく、耐えたな」 
     思わず抱きしめようとした。だが、それより早く。
    「……離して」
     静かな声に気圧されて、そっと手を離した。
     彼はふいと目を逸らして、身支度を再開する。ネクタイを結んで、ズボンに足を通して、ベルトを締める。独特のしなやかさとみずみずしさを宿し、一度目にしたら二度と癒えない渇きを植え付けるような美しい身体は、あっという間に見慣れた軍服の下に秘された。
     どこにでもいるようななりの下に仕舞われたそれは、己が毎朝手入れを欠かさない剣と同様に彼の武器であるということなのか。だが、身体を道具のように使うのはどうなのだろう。剣は折れたら交換すればいい。だが、身体は戻らない。何より、抱かれる間、彼の心はどうなるのだろう。
    「何か、言いたいことがありそうですが」
     最後に軍帽をかぶれば、先ほど会議場に現れた時の彼の姿そのままに。
     にこりと口元を笑みが飾る。情事の色などどこにも感じさせない、お人好しで頼りなくて純朴な「新兵」の出来上がりだ。
    「僕の仕事の邪魔をするのはやめてください。あなたが余計なことをしなければ、あなたが今日、中将の執務室に無断で立ち入り何かを嗅ぎまわっていたこと、中将の世話係に『手を出そうとしたこと』は不問にします」
     コツ、と廊下から足音が響いた。
     そこで、先ほどネクタイを己に拾わせた意図を知る。主のいない部屋で、衣服の乱れたままの彼の手首を掴んだ自分。事情を知らないものが目にしたら、どのように映るだろう。 
    「さすが諜報部、見事な手腕だ」
     今日のところは完敗のようである。
    「だが、君の読みには一つ、誤りがある」
    「何です」
     そう言うと、彼は部屋を出て行こうとした足を止めて振り向く。
    「俺は、君の仕事の邪魔がしたかったわけではない。ただ、君に会いたかった。君と言葉を交わしたかった、君のことを知りたかった。君を、……抱きしめたかった」
    「何を、」
    「たとえ君が俺を憎んでいるのだとしても。俺と君の間にどのような縁があるのか今はまだ分からないが、償いが必要だと言うなら、できうる限りの償いをしたいと思う」
     ずっと抱えていた思いであった。あれほど望んだ邂逅がこのような形になったことは予想外ではあるが、彼の流儀を知ってなお、少しも揺らがない。たとえ今日はここで引き下がるしかないとしても、諦めるつもりは毛頭なかった。
     そんな、恋に溺れた男の哀れな訴えを前に、彼はぎゅうと拳を握る。そういう方法を「手段」として使うならば言い寄られることなど慣れているであろうに。一方的に寄せられた情にいちいち寄り添っていてはきりがないだろうに。望まぬ相手に身体を暴かれそうになっても何でもないそぶりをしてみせた男が、呆気なく情を発露させる。
    「お前の、そういうところが……!」
     水鏡の瞳に燃え上がった怒り。
     それは怒りなんて言葉では生易しい。悲しみと苦しみとやるせなさと、どうにもならない情を湛えて、けれどそれをぶつけることも躊躇って。結局最後まで口にせずに、きびすを返して、そのまま立ち去ってしまった。己にできるのはただ、その姿を見送ることばかりであった。彼と自身の間にあるものはよほど、根深いようである。
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    Replies from the creator

    にゃろまぐ

    MOURNING女装で任務するれいくんの話。下書きです!軍パロ本「初恋」で没にしたルートB。コナン界の人間、割とナチュラルに女装してるかられいくんもしてくれ〜〜〜。軍パロ本はこれです https://ec.toranoana.jp/joshi_r/ec/item/040031027378
    女装れい(軍パロの赤安←沖) まだ懲罰の期間は数日残っているというのに、牢から出された。
     といっても、自分の足で出たわけではない。意識を失っている間に運ばれ、目を醒ましたらまったく見覚えのない居室にいたのだ。清潔なベッドに寝かされ、身を清められ、傷には包帯が巻かれている。
     ベッドサイドの椅子には沖矢が座って、自分の顔を見つめていた。鞭を打って散々自分をいたぶった張本人とは思えない、心配そうとさえ言える表情。つまり、ここは沖矢家の邸宅なのだろう。この男は自分を貶めたいのか利用したいのか、果てまたもっと別の目的があるのか。一貫性のない行動は理解に苦しむ。
     部屋にはひっきりなしにメイドが出入りして、何かを準備していた。ドレープのたっぷり効いた青のドレス。肘の上まであるグローブ。ヒールの高いパンプスに、パールのネックレスに、ご丁寧に女性ものの下着まで。いかにも軍の男が喜びそうな深窓のご令嬢セットを用意して、一体何を企んでいるのやら。
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