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    さかえ

    @sakae2sakae

    姜禅 雑伊 土井利

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    さかえ

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    めっちゃ暗い上にこれだけ長くなってしまった・・・。
    山さんと雑さん、もしくは殿と雑さん、雑父と雑さんの話。
    雑父と山さんの関係をねつぞうしていますのでご注意ください。
    次からようやく伊くんが出てきます。

    #雑伊

    いずれ雑伊になる話 その2三 陣内と私
    「山本陣内、入ります」
     諾と返すと襖がすっと開かれた。途端に目を見張る陣内を、雑渡はにやりと笑って迎える。生来、人をからかうのが好きな質の雑渡の餌食になるのは、昔からだいたいこの男だ。父の側近で、幼いころから何かと顔を合わすことが多かった陣内は、その面倒見のよさから雑渡の冗談によく付き合ってくれた。だから今もまた陣内は慣れた様子で溜息だけを一つつくと、苦虫を噛み潰したような顔で応ずる。
    「寝たままでよろしいとお達しをいただいておりますのに」
    「そうもいかないだろうよ」
     何せ、この城の殿さまがこちらへおわすのだからね。
     雑渡の言葉に陣内も思うところがあったか、それ以上追求されることはなかった。ただ、すっかりと片付き、畳が一枚用意された室内を見て小さく溜息を繰り返すばかりだ。雑渡も陣内も長い付き合いだから、お互いの考えはよく分かっている。陣内からすればもう少しこの部屋に雑渡を縛り付けておきたかったのだろう。この男はどうにも心配性で、雑渡が小さなけがを負うことすら内心嫌がっている節がある。だからこそ、そうも言ってはいられないという雑渡の考えを、きっと陣内もよく理解しているはずだ。
     雑渡が火傷を負ってから長い時が過ぎた。不幸中の幸いというべきか、光を失った左目を除けば致命的に戻らぬ機能もなく、雑渡は既にほとんどの日常的生活を自分の力だけで送ることができるようになった。それはここに至るまでにじゅうぶんな休養と治療とを得た結果であったが、だからこそ、これ以上寝て過ごせばかえって身体に毒となると分かっていた。動かさぬ手は次第に動かなくなり、歩かぬ足はやがて歩けぬようになる。・・・・・・そうなれば、いずれいくさばに立てなくなる。
    「お前にはそのほうがいいかもしれないけどね」
     思考の果てにこぼれた言葉を陣内は訝しんだようだった。意を問う視線が送られてくるが、雑渡はそれに応えず部屋の片端へと移り、居住まいを正して装束の襟を直した。すると陣内も雑渡の背後に回り、同様に身なりを整え始める。――先触れの声が遠くに聞こえていた。
     この城の主がまもなくここへとやってくる。
     これが武士なら大紋でも着て出迎えようものだが、雑渡たち忍者にはあいにく正装というものがない。敢えて言うなら忍び装束がそれである。夜闇に紛れるために染めたその衣を、陽光の下で人の目に曝すのはなんとも情けないことであろうが、身の丈に合わぬことをして馬鹿にされるのはもっと我慢がならない。だから雑渡は主と会うにあたって、久しく袖を通していなかったこの装束を用意させた。
     主は――黄昏甚兵衛は、率直に言って不可思議な男である。敵国にあっては悪名高きタソガレドキ城の主、いくさ好きの冷血漢という二つ名をとどろかせ、己が領地を拡大するためにはなんでもする、文字通り血も涙もない男として蛇蝎のごとく嫌われているのだが、一歩領内に入ればそれがくるりと反転して、彼ほど優れた城主はないという賞賛に変わる。領民の生活を重んじた政を取るよき為政者であると同時に、タソガレドキに利をもたらす種と見れば好機は決して逃さない武人でもあるというのが領民達による黄昏甚兵衛の評である。
     では、雑渡から見るとどうであるか? それはなんとも表しがたい。機を見るに敏、大局をも動かし得る才覚を持つこの黄昏甚兵衛という男は、雑渡にとってはとうてい計り知れぬ――一風変わった気質の持ち主だった。
     人の上に立つ者として生まれた者というのは、とかく自らの権威・欲望への固執という思考の罠に陥りやすい。誰もが己に頭を下げて当然であるという環境は往々にして人の心根を容易に腐らせ、身の破滅へと導くものだ。ところが、黄昏甚兵衛というのはそんな考えをまず持ち合わせていない男であった。主を見ていればすぐにわかることだが、この男は生まれながらに備わった権力を誇示するどころか、配下の進言を厭わずに受け容れ、わからぬことがあれば誰が相手だろうと平然と自分から教えを請う。そうして気に入った者であれば身分に関係なく取り立てて、その才を伸ばすことを大いに奨励するのだ。でなければ、タソガレドキ忍軍の待遇が他城に比べてこうも破格であるはずがあろうか。――その分任せられる仕事も多岐にわたるのだが。
     また、主はその場を混乱させることにかけてはほとんど名人であった。これは主と言葉を交わすたびにいつも思うことなのだが、彼はとにかく話題を絞らないのだ。まるで種苗でも播くかのように、思いついたことを次から次へと近くの人間に投げかけてはその反応を見る癖がある。当然話を切り替えるということもしないので、主の周囲ではたいてい複数の話題が平行的に展開されることになる。聞く側からすれば、あちこちから飛んでくる石を一つ一つ受け止めた上で適切に返さなければならないため、大変な気力と労力を消耗することを強いられるのだが・・・・・・これは見方を変えれば、主が会話の相手を煙に巻き、余計な言質をとらせない術に長けていること、常に抜け目なく家臣の反応を試していること、その思考の回転が極端に速いことを示してもいるのではないだろうか。
     ――と、雑渡が主を量りかねる理由はこんなものである。仕えるべき主を相手にこんなことを言うのもなんだが、油断のならない相手であることには間違いないだろう。
     けれども、一個人としての雑渡は決してこの黄昏甚兵衛という男が嫌いではなかった。
     外には非情の大悪党とそしられ、内には敬愛すべき主として慕われる。しかし一歩踏み込んでみるとまた別の顔を持っている。この不可思議な三面性を危うげなく保ってみせるその様は、まさしくその名――黄昏時にふさわしい。そう思えば、この希有なる主を単純な善と悪の二元論で言い表そうとすることがそもそも無理な話であるように思えた。
     だいたい、伏せっていたとはいえたかだか一忍者のもとを、わざわざ一国の城主が訪うという点からして常識外れなのだ。
     たとえそれがタソガレドキ城内の一室だとしても。
    「甚兵衛さまの御成りである」
     先触れの声がいよいよ近くまで聞こえてきていた。身辺を護る者たちの大きな足音に紛れて、常人には感じ取られぬ気配がする・・・・・・これは黄昏時忍軍のものであろう。
     雑渡は静かに床へ手をつき、上体を伏せる。後ろのほうで、陣内もまた礼を取る気配がした。



     足音が完全に消えるのを待って、雑渡は静かに上体を起こした。そうしてそろそろと足を崩してようやく一息をつく。さして長い時間ではなかったが、やはり萎えた足に正座は堪えた。しかし、足の痛みと引き換えに知りたいことを全て知れた、有意義な時間であった。
     背後を見ると、陣内はまだ身を伏せたまま、微動だにしない。それは偉大な主の威光にひれ伏す家臣の姿にも、叱責をおそれる子どものようにも見える。
     それを見て、雑渡はふっと忍び笑いをもらした。誰が叱りつけるものか、このあわれな男を。
     先ほど、雑渡は主にこう尋ねた――「なぜ、忍びごときにこうまで手厚く接してくださったのですか」、と。矢継ぎ早に投げかけられる主の話の合間を縫ってのことだった。

     部屋に入ってすぐ、まだ雑渡が床についているとばかり思っていた主は少しばかり驚いた様子を見せた。しかし、すぐにいつもの調子に戻ってあれこれと――すなわち雑渡の火傷の具合に、現在のタソガレドキ領内の状況に、忍軍の論功行賞にと、とりとめもなく話を展開した後、雑渡の問いかけに短く瞬きした。
     主にぶつけたのは、雑渡がこの部屋で過ごすようになってからだいぶ早い段階で抱いていた疑問であった。
     ここが忍び村の長屋ではないと気がついたのは、二度目に目覚めた時だ。長屋には花鳥の描かれた襖なぞどこを探してもなく、たとえ病人を寝かせる時であろうと畳などは敷かない。けが人の治療にはその心得のある忍びが携わり、決して医者が部屋へ呼ばれることなどないのだ。そもそも医術を修めたものがその辺りにふらふらと歩いているはずがなく、日に何度もひとりのけが人の様子を見に来られるわけがないと理解した時、雑渡にはここがどこであるのかうっすらと分かった気がした。
     ――黄昏甚兵衛治める、タソガレドキ城である。
     自分がどこにいるのかは理解できても、わからなかったのはその心だ。たかだか一忍者を相手に、城のはずれとは言え一間を貸し与え、城付きの医者を派遣する。治療に必要な薬や器具の用意はもちろん、ものも食えぬとわかれば高級品である蜜を手配して――などと、通常ならばあり得る話ではない。
     それが現実に起こっているのであれば、主には何かしらの目的があったことになる。雑渡は主を善悪では量らないが、見返りもないのに人に手を貸すほど心の清らかな人間ではないこともよくよく知っていた。ならば主にはあったのだ、雑渡昆奈門を助ければ利益を得られるという、確かな算段が。
    「ここまでしていただいておきながら、私には何一つお返しするものがありません」
    「ものを貸したわけでもないのに、返してもらうも何もないのではないか?」
    「ならば何をお目当てにされていらっしゃるのですか」
    「さように疑うものではない。むしろこちらが返しただけだ、なあ」
     主が気さくに話しかけたのは、雑渡の背後に向けてであった。顔だけそちらに向けると、変わらず頭を下げ続ける陣内の姿がある。
    「陣内が何かしましたか」
    「なに、たいしたことではないのだ。ちと脅されてな。先代組頭――その方の父から受けた恩を返せ、と」
    「・・・・・・父が?」
    「遠い昔、命を救われたことがある。その恩を返す前にあれは逝ってしまったが――これでようやく、少しばかり気が晴れた」
     何かを思い出すように主は口元をゆるめた。父が城主を助けたなどと、聞いたこともない話だった。そんなことを教えてくれるような、優しい父子の関係ではなかった。
    「雑渡の息子よ」
    「はッ」
    「その方の復調、誠に好事である。タソガレドキ忍軍をいずれ率いるべく、いっそう励めよ」
     言うと同時に主が扇子を閉じた。ぱちりという音が鋭く響く。雑渡は深々と頭を下げて、主からの激励に応える。
    「――ありがたきお言葉」
     主は雑渡の答えを受け取ると、思い切りよく立ち上がった。それから、今日まではゆっくりと過ごせ、と命じながら部屋を出ようとして不意に雑渡を振り返った。
    「いい部下を持ったな」
     去り際に一言、それだけを言い残すと、主はもう振り返りもしなかった。

    「――陣内」
     改めて呼びかけても返事はない。深々と礼をとったままの男を見ながら、雑渡は今度は昔のことを思い出していた。

     あれは雑渡が十五になった年の春のことであった。基礎訓練を一通り終えて、雑渡にとってはいよいよ初陣となるいくさが間近に控えていた。あの時、息子が初めてともにいくさばに立つことを、父は珍しく感情を顕わにして喜んでいた。出立する前の夜に、父がわざわざ用意してくれた上等の酒を二人で舐めるようにして飲んだことは雑渡もよく覚えている。深酒をすれば明日からのいくさに響くからと言って、本当に少しだけ。そんな酒宴とも言えぬかたらいの場は当然短い時間でおひらきになってしまったが、父は代わりに「戻ってきたらまたこうして酒を飲もう」と約束してくれた。
    「昆奈門さま・・・・・・お父君が」
     硝煙たちこめる中、陣内は顔を蒼白にして雑渡の前に現われた。首尾良く雑渡が自らの任務を終え、そろそろ月輪隊の支援に回ろうかと小頭と話をしていた時のことだ。陣内は全身を血で染め、歯の根もかみ合わぬようなありさまであった。何事かと駆け寄る小頭さえも無視をして、陣内はよろよろと雑渡に近づいたかと思うと、突如糸が切れたように膝を突いた。ちょうど、許しを請うひとのような形で。
    「お父君が、私をかばって」
     途端、陣内の目から大粒の涙がこぼれた。強張っていた表情が見る間に崩れ去って、陣内はそれ以上言葉を発しなかった。後から陣内を追いかけてきたのだろう忍びが幾人か姿を表し、雑渡と陣内の様子を見て気まずそうに目をそらした。
     雑渡ももはや何も言うことができず、ただ頼れる兄のような男が身も世も無く泣くさまを眺めながら、『またともに酒を飲もう』と言っていた父を思い出していた。誰よりも厳しい男だった。父としてよりも、組頭としての印象のほうが強い男だった。
     けれども、ともに酒を飲んだ時だけは優しく笑って、不器用に肩を抱き寄せてくれた父だった。
    「――・・・・・・」
     確かな未来など、この世のどこにもないのだ。雑渡がそのことを強く実感したのはこの時であった。
     そして、陣内が目に見えて過保護になったのもこの時からであった。
     いくさから戻ってからしばらく、とても使い物にならぬと長屋に押し込められていた陣内だったが、ある時つきものが落ちたような顔をして雑渡の前に現われて、「変わらずお仕えさせてください」と頭を下げた。雑渡はもちろんそれを許可し、彼を己の側近とした。本来、陣内ほどの実力の男ならば組頭か――雑渡の父が亡くなってからは、急遽先代を呼び寄せてその席を埋めていた――その側近とするべきところだったのだが、それができなかったのはやはり陣内の姿のどこかに危うさを感じ取っていたからであろうか。
     陣内はどこへでも付いてきた。どんないくさでも雑渡の前に立ちたがり、戻ってくれば雑渡が受けたどんな小さな傷でも手厚く治療をほどこした。ほとんど病的な陣内のそれを、雑渡は黙って受け容れた。
     知っていたからだ、陣内がどれほど雑渡の父を愛していたか。その父がのこした子である雑渡を、必ずや守り抜くと彼が心に誓っていることを。
     雑渡は知っていたし、だからこそ今回のことも――主との会話で知った事実も、すんなりと胸に落ちてきた。そうして陣内の心のうちを慮った。この男はどれほど取り乱しただろうか、雑渡が大火傷を負ったと聞いて。しかもそれが、雑渡の父と同じように、仲間をかばってのことであったと聞いて。
     きっと、人を助けたまま己は二度と戻ってこなかった父のことを思い出しただろう。そうして半狂乱になって雑渡を死出の道から引きずり戻そうと考えたのだろう。
     ――主たる黄昏甚兵衛までを引っ張り出して。
     雑渡の火傷の具合を見るに、忍び長屋の設備では足りない。多少医術を知っている程度の者の腕では足りない。首尾良く命を永らえさせることができたからと言って、十分に滋養をつけさせなければ再び地に足をつけることすら叶わないだろう。自分たちだけでそれらを用意することができないのであれば、それができる者の力を利用するしかない。
     それは陣内にとっても決死の覚悟だったに違いない。主がどれほど変わった男だったとて、一介の忍びが主君を脅して、本来ただで済むわけがないのだ。よしんば望みが叶ったとて、自分の命くらい差し出すつもりでいなければ。
    「苦労をかけたね」
     労るつもりの言葉は、けれども刃のような鋭さで陣内の元で届いたらしい。平服したままの身体がびくりと震えて、「申し訳もございません」という、今にも消え入りそうな囁きが代わりに聞こえてきた。
    「どうして謝るの」
    「勝手な真似を・・・・・・いたしました。お父君のお力までお借りして・・・・・・」
     下手をすれば、代償は陣内の命だけでは済まなかったかもしれない。主の不興を買えば、事はタソガレドキ忍軍そのものの存続にさえ関わっていた可能性もある。
    「それでも、お助けしたかった・・・・・・!」
     小さいながらも血反吐を吐くような声であった。助けられ、残された者の苦しみを、陣内はまざまざと体現していた。その姿に、尊奈門の、陣内左衛門の涙を見るたびに感じていた疑問がいっそう強くなる。
     あの時、どうしてひとを助けたのだ、自分は。彼らを悲しませるためだったか。苦しめるためだったか。違う。違う。――違う!
     尊奈門の父は助かった。自分もまたかろうじてではあるが、助かった。それでいい、それだけでいいではないか。
     けれども尊奈門は泣いた。陣内左衛門も泣いた。陣内はもう十年以上も前から泣いている。
     それなのに、雑渡には彼らをどうしてやることもできない。もう――何が正しかったのかもわからない。
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