holy night 聖なる夜を前に、クリスマスにちなんだ花を生けるようになって久しい。
馴染みの花屋で見繕ってきたカスミソウとポインセチア、それから、セイヨウヒイラギを花瓶に挿す。師走の時期によく使う翡翠色のそれの、少しくすんだような落ち着いた色合いが好きで、長年愛用している。
ギザギザとした葉と小さくて丸い赤い実が特徴的なヒイラギを飾ると、一気にクリスマスムードが高まる。赤や緑、純白の白にそれぞれきちんと意味があることを知ったのは、本格的に家業を継いでからかもしれない。
キリストの生誕を祝う宗教行事、とはいえ、恋人たちが愛を育むイベントとしてもすっかり定着してしまった。
クリスマスにかこつけて、やれデートだディナーだイルミネーションだと騒ぎ立てているテレビショーには、いっそ清々しいまでの羨望すら抱いている。いざ自分がそのイベントを楽しむ立場になったところで、浮かれたり慌てふためいたりしまうのは、目に見えているが。
クリスマスイブに食事でもしようと言ったのは、十四雄だった。十二月も中旬に差し掛かった平日の昼下がりに、喫茶ニューヨークでお茶をしている時だった。
店番があるから、と遠慮気味にしつつも、案外百々史が一番乗り気のように見えた。カウンターの向こう側、コーヒーカップを拭く手元がそわそわとしている。
「みんなでパーティーしようよ」
「野郎六人でぇ? さびしいクリスマスだなぁ」
「じゃあ来ないのぉ?」
「…行ってあげないことはないけどさぁ」
クリスマスに誰かと会う約束をするなんて、正直に言って初めての経験だった。胸の奥で感動にも似た形容しがたい感情がふつふつと沸き起こってくる。
「プレゼント交換は――」
「――ツリーも飾ろう」
ふっと息をはいた拍子に、二人の会話が耳に飛び込んできた。返事をし損ねている間に、話はすでにプレゼント交換やツリーの飾り付けにまで及んでいる。この様子じゃあ十中八九、会場は緑土邸だろう。ツリーなんてハイカラなもの、我が家にあっただろうか。家の納戸のなかを思い浮かべてみるも、飾った記憶はない。では買いに行かないと。知らず知らずのうちに丁呂介も、すっかりこの二人に絆されている。
コーヒーカップを両手で包み込み、冷めかけの渦を見つめた。ぐるぐると回る渦巻にミルクを追加すると、白と黒がカップの中で混ざり合う。どこから見つけてきたのか、やけに年季の入った白いカップは、アンティークらしい。飲み口が薄く繊細で、口を付けるたびに職人の丁寧な仕事ぶりに感心したし、浅煎りのコーヒーがより美味しく感じた。
「…六人って、そんな都合よく集まりますかね?」
話の腰を折ってしまった自覚はある。つい口をついて出た言葉に、二人がきょとんとしながら目配せをした。
年末の忙しい時期だ。みんな予定が入っているかもしれない。唐次と一に関して言えば、寒波が訪れると注意喚起されている週末に、わざわざ東京から出てくることになる。無理をして呼ばなくても良いのでは、と言い掛けた矢先に、まるで見計らったように十四雄が笑った。
「それなら大丈夫。イブの日に来るって言ってたよ」
シンカンセン、取ったって。
言い慣れていないから、新幹線という単語が辿々しかった。あらそうですかと一瞬受け入れかけたが、これって事後報告じゃないか。
「………もうすでに決まってたってことですか?」
「ん~? まあ、いいじゃん。二人で来るって言ってたよ」
「私聞いてないんですけど」
「そうだっけ? あっ、チキン食べようよ。あと、ケーキも!」
「いいねぇ。ケーキならぼくが用意するよ」
美味しいとこ知ってるんだあ、と花が綻ぶように笑って、二人で楽しげにしている。まるで蚊帳の外にいる心持ちで二人を眺める。
まったく、仕方のない。
「………大蔵さんにも、お声掛けしたんですか?」
クリスマスの食事会はひとまず受け入れることにして、それとなく大蔵の名前を出してみると、十四雄があからさまに「しまった」という顔をした。
「あちゃ~、声掛けるのすっかり忘れてた」
「はは、一人だけ仲間はずれだって大騒ぎするんじゃない? まぁあの人のことだから、今から誘っても大丈夫でしょ。イブの日に先約があるようには見えないし」
それもそうだね、と相槌を打つ十四雄に何故か倣えず、うまく笑顔を作れなかった。冬風に吹かれたみたいに心臓がひゅっと冷える。
先約。確かにイブの日に会う約束をするような、特別な相手がいるとは思えないが、そういった込み入った話をするのも妙に気恥ずかしくて避けていた話題だった。大蔵に「いいひと」がいるかどうか、丁呂介は知らない。
「………そう、ですかね」
消え入るように呟いた声がドアの開閉音にかき消される。チリンと小気味よい音がして、三人同時に扉の方を見やった。呼ぶより謗れとはよく言うが、こうもタイミングが良いと、どこかで話を聞かれていたんじゃないかと訝しんでしまう。顔を見た瞬間、心臓が大きく跳ねた。
「――あれぇ? なにこれ大集合?」
ドアの隙間から冬の冷気が流れ込んでくる。逆光に照らされながら大蔵が鷹揚に笑った。
「…すっごいタイミングなんだけど」
と呆れたのは百々史で、
「あはぁ。会いに行く手間が省けたね」
と手を叩いたのは十四雄だった。
歓迎ムードに気をよくしない大蔵ではない。「え、なになに、俺の話?」と声を弾ませながら、満更でもない顔で近付いてくる。
そうですあなたの話です、と素直に言えば、つけ上がりそうな気がした。あえて無視をするも、大蔵は気にも留めない。丁呂介さんなに飲んでんの、なんて言いながら、がたがたと乱暴に椅子を引いて、隣の席に腰を掛ける。
「もしかして僕たちの話聞いてた?」
「え? ほんとに俺の話してたの?」
「あんたの話だけじゃないけど、みんなでクリスマスパーティーしよって話してたんだ」
「クリスマスゥ?」
「イブの日。どうせ暇でしょ?」
丁呂介さんちでやるよ。とまるで家主のような顔で平然と言う。本物の家主の承諾を得てから言って欲しいが、断る理由もないので黙っておいた。
予想外―というよりは、想像するのが怖かった―だったのは、大蔵の反応だった。イブかぁ、と小さく呟きながら頭をかく。難しい顔をして考えるそぶりを目の当たりにして、百々史の誘いに乗って欲しいという丁呂介の願望は打ち砕かれた。
「あ~…二十四日は、俺だめだわ、ごめん」
いつになく神妙な顔で謝り、胸ポケットから黒い手帳を取り出す。色褪せた紙をぱらぱらとめくったりページの端を人差し指の腹で撫ぜたりしている。
「…う~ん、あ~、無理かぁ…」
やっぱだめだ、と独り言のように続ける声が、さびしいほど素っ気なかった。顎に手を当てて頭を悩ませている横顔が少し大人びていて、まったく知らない人のようにも見えた。
「え? 予定あんの?」
不満というよりは驚きの声が上がる。
「予定ってか、仕事」
「仕事ぉ? 終わってから来れば良いじゃん」
「その日、夜勤なんだよね」
二十四日の夕方から二十五日の昼まで、丸一日タクシーの中。クリスマスを楽しむ人々を送り届ける役目、いわばそりやトナカイみたいなものだ。
食事会自体を二十五日に延期する、という話も出たが、夜勤明けの大蔵にわざわざ無理をさせることはない。
結局、大蔵を抜きにした五人で楽しむという話に落ち着いた。
「まあ、俺がいなくて非常にさびしいだろうけど」
「いや、これっぽっちもさびしいとは思ってないよ?」
「え?」
「五人で楽しもうねぇ」
「ねえ。美味しいケーキ食べようねえ」
なんだよそれぇ、と文句を言いつつも、大蔵は駄々をこねることもなく、あっさりと引き下がった。
「――てかほんとに仕事?」
三人並んで会計をする際、百々史が含みのある顔で大蔵に目配せをすると、大蔵がけげんそうに眉を寄せた。受け取ったお釣りを乱暴にポケットに突っ込むから、丁呂介は気が気じゃない。
「ほんとだっつの。なんでこんなことで嘘つくんだよ」
「いやだってイブだしさぁ。ほんとは誰かと約束してるんじゃないかと思って」
「一丁目と三丁目のばあさんを病院まで送り届けてかつ迎えに行く約束ならあるけど?」
「まじ? モテモテじゃん」
「うっせ」
じゃあな、と言ってドアを開けて外へと出る。その背中に続くようにして、丁呂介も店を出た。
「良いお年を~。あ、丁呂介さん、二十四日よろしくねぇ」
人懐こい笑みを浮かべてひらひらと手を振る百々史を、正直ちょっとだけ可愛いと思う。十四雄とは店先で別れた。バス停とタクシーを停めてある駐車場が同じ方角にあるため、図らずも大蔵のあとを追うかたちになる。
駐車場の出入口に差し掛かったところで、大蔵がぱっと振り返り、「乗ってく?」と聞いた。
「…ええ。では、よろしくお願いします」
「ん。あ~、長居しすぎちゃったな。仕事中なの忘れてたわ」
タクシーのドアの前で大蔵が軽く伸びをすると、肩や肩甲骨からぽきぽきと音が鳴った。てんで悪びれる様子もなく堂々と仕事をさぼるくせに、イブの日は律儀に真面目に出勤するという。それがなんだか腑に落ちない。
「…クリスマスイブに夜勤なんて、大変ですね」
後部座席に乗り込んだと同時に話し掛けると、ルームミラー越しに目が合った。胸ポケットから取り出した白い手袋をつけ、サイドブレーキを握る。ほんのわずかだが、大蔵を纏う空気が剣呑な色に変わった。
「…丁呂介さんまで疑ってんの?」
心臓が縮むような声だった。揶揄ったように聞こえたのなら、素直に申し訳ないと思う。
「…いえ、そういうつもりでは。…私はただ、お仕事大変だと思っただけで…」
「だからさ、ほんとに夜勤だって言ってんじゃん。………ああ、まあ、もう、どっちでもいいけど」
まるでシャッターが閉じられたように大蔵の心が翳っていくのを肌で感じた。そうだよそうだよかわいいねーちゃんと温泉旅行だよぉ羨ましいだろぉ、とハンドルにもたれながら投げやりに言う。
それはうそ? ほんと? 軽口を叩く隙間もない。
会話はそれきり終わってしまった。目も合わない。相槌も打たない。二人の息遣いとエンジン音だけが響く車内は居心地が悪くて、なんとか打開したいのに丁呂介はそのすべを知らない。まるで底なし沼にはまったように身動きが取れなかった。
大蔵を怒らせてしまった。
あれよあれよという間に二十四日の朝がきた。
目を覚ました瞬間に感じる、布団から出るのが億劫なほどの寒さ。襖から漂う澄んだ冷気を受け、思わず体を丸めた。雪でも降っているかのように寒く、怖いほど静かだった。
果たして、丁呂介の予想は的中していた。窓を開けるとそこは白銀の世界。庭の木々や花々が雪におおわれ、陽光に照らされ白く輝いていた。
「………唐次さんと一くん、大丈夫かな」
しんしんとやさしく降り注ぐ雪は、豪雪になるようには思えない。昼間には溶けてなくなってしまうかもしれない。とはいえ念の為、唐次の携帯に電話を掛けてみると、無事に運行しているから安心してくれと言われた。逆に気遣われてしまった。
受話器を置くと、遠くの方からどさりとなにかが落ちる音が聞こえた。屋根に積もっていた雪が溶けたのだろう。やっぱり、雪解けは近い。
昼過ぎには十四雄が来て、一緒に部屋の飾り付けをした。ツリーは結局、事前に一人で買いに行った。丁呂介の腰あたりの高さの、小ぶりなものだけど。畳の部屋にクリスマスツリーと煌びやかなオーナメントがある景色を不思議な気持ちで眺める。華やかなツリーはひと時の間、気分を高揚させてくれるが、さびしさも伴う。夕方にはみんな揃うから食事の準備を進めなくては。ローストビーフとチキンは昨夜仕込んである。あとはサラダとおつまみを用意して――。
もうすぐみんながやってくる。でも大蔵はいない。
「………てっぺんの星、丁呂介さんが飾る?」
はっと顔を上げると十四雄が金の星形のオーナメントを両手で抱え、不安げに丁呂介を見ていた。沈黙をどう受け取ったのだろう。いとけないやさしさが嬉しい。瞬きをしてから、頭を振った。
「………ふふ、飾りたいのはあなたの方でしょう」
差し出された星をそっと押し返すと、「じゃあ一緒に飾ろうよ」と押し返された。
まるで名案だとばかりに十四雄が笑う。その笑顔に胸がいっぱいになるのに、救われるのに、大蔵がいないというだけで、ずっとなにかが足りない。どこか満たされない。ツリーのてっぺんには一等金ぴかの星が煌々と光る。
飾りつけを終え、ツリーを点灯してみた。赤、白、緑、それから金色の電飾がちかちかと煌めき、障子を照らした。
二人でツリーを眺めていると、ホールケーキを抱えた百々史がやって来た。
「わ、綺麗だね」
ピンクの電飾もあれば良いのに、とくちびるを尖らすので、来年はもっとたくさん電飾を付けようと約束した。やりすぎだと笑えるほど、目がちかちかするほど、カラフルに彩っても良い。
食事の準備も一通り終わった頃には薄暮が迫っていた。シャンパンを手土産に唐次と一が到着したのもそれくらいの時刻だった。
「今日は五人なんだよ」
十四雄に話し掛けられた唐次が、藍色のマフラーを外しながら「残念だな」となぜか丁呂介に向かって言う。からかいを含んだ口ぶりではないから、余計に性質が悪い。
「………なんで私に言うんです?」
「え? 残念じゃないのか?」
「………ええ、まあ、ほんの、少しは…」
来年は六人で集まれたら良いな。快活な笑顔が眩しくて、うんと頷くことしか出来なかった。
前日から準備しておいたおかげで二十一時を過ぎても食料はたっぷりあった。酒が進むとみんな上機嫌になり、話題はここに居ない大蔵に集中する。
「ふつーイブの日に仕事入れるぅ?」
「どうしてもって頼まれたんじゃないか? 稼ぎ時だろ」
「うーん、だけどさぁ。結構あっさり引き下がったのも変な感じすんだよねぇ」
ほんとにデートだったりして。あいつに限ってそんなことないだろ。笑い声が耳をつんざく。ああ、なんだこれは。胸がじくじくと疼いている。自分の心臓が音を立てている理由が分からない。分からないから怖い。
大蔵の噂話を聞いていられなくて、何も言わずに立ち上がり、台所へと向かった。シンクに溜まった食器を洗っていると、十四雄がやってきて、食器を片付け始めた。食器が重なり合う音がする。
給湯器のスイッチを押すのも億劫で、冷たい水のまま洗い物を続ける。指先がどんどんとかじかんでいって、対して視界はクリアになる。大蔵の声や笑顔や指先の動きやタクシーの匂いを思い返す。あの日、喫茶ニューヨークで会ってから、一度も顔を合わせていない。タクシーを呼ぶのも気が引けて、ためらっているうちに時間が過ぎていった。
このまま謝ることも出来ずに新年を迎えるんだろうか。それは悲しい。とてつもなく、悲しい。視線を落としていると、声を掛けられた。
「―――丁呂介さん、お酒まだある?」
弾かれたように顔を上げると、十四雄がすぐ近くに来ていた。
「………え?」
「お酒、まだある?」
「えっと、お酒なら………」
蔵に日本酒もあるし、この日のためにワインも数本ストックしておいた。えっと確かあのあたりにしまったような。そこまで思って、はっと気付く。瞬きをすると、目の前の十四雄の唇がにんまりと弧を描いた。
「………あら、もう飲んでしまったんですか」
自分の声が震えていた。嘘をついている申し訳なさに、なぜか歓喜が混じる。
「では買い足しに行かないと…」
「え~、どうする?」
「私、行ってきますよ。バス停近くの商店ならまだお店を開けてるでしょうし」
「一人で良いの?」
十四雄の大きな瞳に向かって、はいと返事をした。一人で大丈夫です、と目を見て言って。
大蔵に会いたいと願う自分を初めて認めた。
みんなに見つからないよう十四雄に羽織りを持ってきてもらい、勝手口から外へ飛び出した。朝方は降り積もっていた雪も、今ではすっかり溶けてしまった。ホワイトクリスマスも素敵だけど、少しでも温かい方が良い。
外はひとっこひとりいない。ぽつぽつと等間隔に並んだ街灯と月明かりだけが頼りだった。
どこへ行けば大蔵に会えるか見当もつかない。とにかく人が多いところを目指し、目的地を駅に定めたところで、視界の先に停車中のタクシーを捉えた。ちょうど客を送り届けたところなのか、恰幅の良い男性が降りて、運転席に向かって礼を言う。よくよく見れば小料理屋の前だ。黄色く光る雪洞。美味しいと評判の店ではあるが、駅から離れているので穴場でもあった。
近付くとタクシーのナンバーを読み取ることが出来た。思わず立ち止まって、深呼吸をした。肺の中に澄んだ空気を取り込む。頬も指先もつま先も、冷えていくのに体の芯が燃えるように熱い。まさかこんなにも早く会えるなんて。
タクシーがゆっくりと動き出し、丁呂介の方に近付いてくる。あと数メートルですれ違う。呼び止めようか。どうすれば良いんだろう。心の準備を整える間もなく、二の足を踏んでいると、丁呂介のすぐ隣でタクシーが停車した。
助手席の窓ガラスがゆっくりと開く。視界に映る画角が広がるにつれて、運転手の姿もより見えるようになった。最初は髪の毛、それから瞳、通った鼻筋と、薄い唇。聞いたこともない音で心臓が高鳴っている。
全開になった窓ガラス、運転席の大蔵と目が合う。
「………乗ってく?」
ハンドルを握ったままやさしく聞かれ、涙腺が崩壊しかけた。
いつもと変わらない大蔵の声と表情に鼻の奥がツンとなる。口を開けば嗚咽が漏れそうだったので、無言で頷く。良かった、と大蔵が照れくさそうに笑った。胸が張り裂けてしまう。咄嗟に息を飲んだ。
てっきり後部座席を開けてくれるかと思っていたが、今夜の丁呂介の席は大蔵の隣らしい。助手席乗って、と早口で言われたので、素直に従う。
カーラジオからは世界中で愛されている甘ったるいクリスマスソングが流れていた。
ドアを閉めると大蔵が眉を寄せる。
「お客さん、酔ってるぅ?」
「………お酒、飲んだので」
「泥酔した客は乗せないよう言われてんだよねぇ」
「………泥酔はしてないですよ」
「あっ、そう」
ま、丁呂介さんなら良いけど。そう言って大蔵が舌を出しておどけた。
指示器を出してタクシーが走り出す。目的地はどこだろう。聞かれてもないし、伝えてもない。タクシーなのに。
「………あんなところで何してたの」
それよりもどこに向かってるんですか、と聞いてやりたかったが、今夜はさすがに分が悪い。お酒を買いに、と誤魔化すと、うそだ、と一蹴された。
「………ほんとです。みんな飲むペースが早くて」
「………ほんとにぃ?」
「………この近くの店なら、まだ開いてるでしょ」
村の地図は頭に刻み込まれているだろう。確かに、と大蔵が呟いて、大げさにため息をついた。
しんそこつまらないといった風に、大蔵が横目で睨む。
「へえ~、楽しくやってたんだ」
子どもが不貞腐れたような声に面食らってしまう。
「大蔵さん?」
「俺がいなくても楽しそうに。へえ~、良かったねぇ」
「だってあなた、お仕事があるって」
「そうだよ。そうだけど。俺がいないところで丁呂介さんが楽しそうにしてるのは面白くない」
寂しいなって思ってたら良いのに。つまらないって思ってたら良いのに。今だって俺に、会いに来たのかと思った。
畳み掛けるように言って、大蔵がタクシーを停めた。青い夜。静かな夜。通行人は誰もいない。ラジオからは恋人たちの歌が流れる。顔を上げたら目が合うから、怖くて、恥ずかしくて、身動きが取れない。顔を上げたら、認めてしまうことになる。互いに。
「…ねえ、俺に会いに来たんだよね?」
「………ちょっと、待って、私まだ、心の準備が」
「…俺があそこにいるって知ってたの?」
「…いえ、それは本当に偶然で」
「偶然? まじ? 逆にすごいじゃん」
大蔵が身じろぐとシートが軋んだ。丁呂介を覗き込むようにして笑う。月明かりが意地悪に光る。あっと思ったときには手を取られた。勝手にシートベルトを外される。胸を圧迫していたベルトが緩まると、余計に緊張が増した。指が絡まる。
「………手、冷たい」
「………洗いものしたあとに、そのまま出てきたので」
「そんなに俺に会いたかったの?」
世界を解かしてしまうような優しい声で頭をかき撫ぜられ、鼻先にキスをされた。あ、あ、と声にならない声を上げている間に、今度は口付けられる。
「…そんなに俺に会いたかったの?」
先ほどと同じことを、今度は至近距離で聞かれた。瞬きをすると睫毛が大蔵に当たる。おずおずと腕を伸ばし、背中に手を回した。大蔵の体は温かかった。大蔵の胸のなかで、はい、と伝える。言葉だけじゃ不安だったので、うんうんと何度も頷いた。
「………会いたかった」
あとごめんね。あなたを傷付けてしまったことを謝らせて。
ぎゅうぎゅうにしがみつく。嬉しいと、大蔵が感動したような口ぶりで言う。
抱き合いながらキスをして、名残惜しい気持ちのまま体を離した。
「………送ってくよ」
さびしいけどと続けて、アクセルを踏む。
その横顔を見ながら、ちょっとくらい遠回りしても良いですよ、と甘えると、いいねそれ、と大蔵が子どもみたいにはしゃいだ。
「どこまで行く?」
「どこが良いかな」
あなたとなら、どこでも。
メリークリスマス。ラジオから愛の歌が流れている。