彼女と海が見たかった。
あの最後の戦いの前に見た、AI暴走の黒煙が上がる対岸を挟んだものではなく、純粋に美しい海を。彼女には、その忌々しい光景の記憶がないのだとしても。
ただ、それだけのこと。
「――ヴィヴィ。明日は初めてのお休みでしょう? 海にでも行きませんか?」
「……海?」
椅子に腰掛けるヴィヴィが小首を傾げたので、左耳につけている耳飾りが揺れた。
目覚めてからは歌姫業以外では、この部屋を出ることもあまりないし、園外にももちろん初めて出るのだから、ぴんと来ないのは当たり前だろう。
「はい。海って何のことかわかりますか、ヴィヴィ」
「マツモト。馬鹿にしないで。それぐらいのデータはあるわよ。でも何で突然、海に行こうなんて言い出したの?」
「……それは、まぁ、歌姫業のためにもいい経験になると思いますよ? 見たことのない景色を見るというのは。データで知っていても、実際に経験すると違う印象を受けるものだと、よく人間も言っていますので」
それも偽らざるマツモトの本心であった。