肥前忠広は愛想が良い。肥前忠広は人当たりの良い刀である。
言い間違いではない。「いやそれはあり得んわ」という反論がそこかしこから聞こえてきそうなのだが、断じて言い間違いではないのである。
私とて理解している、肥前忠広といえば無愛想、塩対応、ぶっきらぼう、顔がコワイ、言動が荒い、笑顔なんか見たことないなど、審神者向けSNSでは「人当たりの良い」の正反対の印象ばかりヒットする。「そこがキュート」、「普段寄り付かないくせに、ごはん準備してる時だけソワソワ寄ってくるのがカワイイ」などというご意見も拝見したが、そもそも人当たりが良い刀の筆頭には上がらない刀剣男士であることは、彼を使う多くの審神者さん方と共有できると思う。
しかし、うちの個体に関しては「そう」なのである。道に迷ってる新人さんを総合案内所までお連れする、木に引っかかってた帽子を持ち主にお届けして喜ばれる、階段で転んだ方をお助けする、他所サーバーから遊びに来たグループに万屋街の美味いお店を紹介して感謝される、等等。同郷の陸奥守吉行と勘違いしてるんじゃないの?という親切エピソードの数々だが、私がこの目で見たので間違い無い。
それもそのはず、なんとうちの肥前、以前は政府の広報部に所属していた個体だったのである。一般社会に歴史修正主義者との戦いについてPR活動に出かけたり、施設の見学者を案内したりという役割だったそうで、そこで培われた対人スキルが肥前忠広にあるまじき愛想の良さを生み出していたらしい。なんでうちみたいなごくごくフツーの本丸にそんな個体が?と思ったが、配属先は完全にランダムで決定されるそうなので、ホントたまたま御縁があっただけらしい。
とはいえ、彼の人当たりの良さはあくまで部外者に対してのものだった。身内となる、主である私や本丸の仲間たちに対しての接し方は「ごく普通」、つまり、言葉は荒いし態度も横柄、大変素っ気ない。「せめてさっきの嬢ちゃんに向けた愛想の十分の一でもわしらに向けとうせー」と陸奥守にボヤかれてる程度には、よくある肥前忠広の塩対応だった。なんだ、フツーの子じゃないの。態度はアレだけど戦力としては申し分ないし、元政府出身だけあって事務処理能力は高い。特にこれといって問題は起きないまま日々は過ぎていった……はずだった。
最初の違和感は、演練に出た時に黄色い声が上がったことだった。ハテ何か珍しいことしたっけ?と思ったけど、うちの所属するサーバー、有名な審神者さんが多いからたぶんそこと間違われだんだろと思って大して気にしなかった。
次は、街中で「これ、そちらの肥前くんにお渡し願えませんか」と見知らぬお嬢さんにお菓子を渡された。人違いかと思いきや、間違いなくうちの本丸の肥前だと言う。何故? うちの肥前何かやらかしました? と宇宙猫顔してたら「先日、政府職員と揉めた時に助けてくださったんです。ありがとうございました」と丁寧に御礼を言われてしまい、とはいえ菓子折頂くほどの話でもないしと固辞したのだけど、どうしてもと仰るので受け取ってしまった。当の肥前は「ああ、あれな」と言ってすんなり食べちゃってた。
話はそこで終わらなかった。本丸に手紙が届いた。私にではない、肥前にである。それも相手を変えて何通か。便箋のセレクトや宛名の筆跡からして女の子だった。
また別の日には、演練の帰りに呼び止められた。高校生くらいの四人の女の子グループに「あのぅ、今日は肥前くんいないんですかー?」「いつ来たら会えますかー?」と口々に尋ねられた。ここまで来ると、どうやらうちの肥前はずいぶんとモテてるらしいということが、いくらニブい私でも理解できた。
ためしに彼が近侍の時に買い出しに行ってみれば、「肥前くーん!」「お仕事ですか? 頑張ってね〜」と方々から声がかかるわ、母娘連れからは「あっひぜんだ! こんちわ!」「先日はありがとうございました」とそれぞれ挨拶されるわ、JKギャルにはアイス屋さんのクーポン貰うわ、通りかかったお弁当屋さんのお姉さんから唐揚げの試食を貰うわ、行く先々で人気者ぶりを発揮している。たまげた。どこぞのアイドルか?
さらに驚いたのは、肥前はそれにひとつひとつ返事していたことだ。無視や「うぜえあっち行け」ではなく、「おーまた会ったな」「仕事中だよ。あんたもサボんじゃねえぞ」「今日はなくすなよ」「あんたも娘のためとはいえ木登りは刀に任せな」「さんきゅ……っておいこの券、期限今日じゃねーか」「いつも悪ぃな、今日のも美味えわ。ありがとよ」という具合に、ちゃんと態度や内容を変え、相手の顔を見ながら返事しているのだ。
……ところで、お解りだろうか。相手が若い女の子や妙齢の女性に偏っていることを。見かけた人助けの相手は男女半々だけど、その後も挨拶を交わしたりと顔見知りに発展するのは圧倒的に女性が多い。頭を抱えた。愛想が良い個体というより、ただの女好き個体じゃないか?これ……
そんなことを思い出しながらハンカチを取り出す。本日の近侍兼護衛は、誰あろうその肥前である。トイレに入ったこの数分でまたナンパしてんのかなーされてんのかなーどっちでも良いけど頼むから問題だけは起こすんじゃないわよハハハと乾いた笑いを浮かべつつロビーに出ていくと、綺麗なオネーサンが三、四人たむろってる一角に目が行った。
……やっぱりアンタか。
その中心で腕を組んでるのは、案の定、うちの肥前忠広。他所の個体はあまり笑わないそうなのに、ほっぺつつかれて苦笑したり、売店のパンらしきものを渡されて無邪気に喜んだりと豊かな表情を浮かべている。
「……おモテになって結構ですこと」
なんとなく暗くて重ーいものがお腹の辺りで渦巻き始める。君、私にそんな笑顔向けたことあったっけ? 無いよねえ? いや、他所に比べればかなり表情がやわらかい個体だし、話せば意外と会話続くし笑ったりもするから、笑顔自体は見たことあるけど……私といる時、そんなに楽しそうな顔したことあったっけ?
「何だ、具合悪いのか?」
「うわっっっ」
ボケっとしてて全然気づかなかった。いつの間にかオネーサン方の輪から外れて、肥前が目の前に立っている。
「べ、べつに」
「すげー苦えもん食った直後みてえなツラしてんぞ」
誰のせいだよと言いかけたが、大人げないのでやめた。
「なんでもない。待たせて悪かったね。じゃ、行」
行こう、という言葉が喉に詰まった。甘いフルーティーな香りがふわりと漂ってきたせいだ。
「香水くっさ」
はっきり言っちゃった。うわ、我ながら感じ悪。
でも、移り香にしたって一般的な距離感を保ってればここまで香ってはこない。それこそ、抱き合いでもしなければ。……ってことは、見てないところでイチャついてたんだろうか。刀剣男士だって心があるんだから恋愛しようが自由なんだけど、それにしたってここまであからさまに女物の香水香ってるのは……あんまり気分が良くないな?
けれど肥前は、私の悪態なんかに気分を害した気配も無く、むしろニタッと笑って見せた。
「ンだよ。妬いたか?」
「妬くというより呆れてますわ。チジョーノモツレで相手の子が本丸に乱入してくるとか、絶対に御免だからね」
「あ?」
「君にとっては親切のつもりでも、お相手にとっては恋になっちゃうこともあるの。女の子に愛想良くするのも大概にしなさいよってこと」
「しねえよ」
「どーだか」
「あんたの前でしか、しねえ」
「あーハイハ……何だって?」
肥前は意味深な笑みを浮かべるだけで答えない。
私の前だけでしか、女の子に愛想良くしない。そう言った、よね?
な、何だそりゃ……?
つまり、私がいなければ彼女たちには素っ気ない態度を取るってこと? 逆じゃないのそれ?
主の目の届かないところで女の子とよろしくやるならまだ理解できるけど、主の見てるところで? 女の子に愛想良く振舞う? ……それ、何のメリットがあるんだ?
怪訝な表情で固まる私を、肥前はニヤニヤと意味深な、どこか企みのある笑いを浮かべて見下ろしていた。
揶揄われてるんだろうか。まあ確かに、私の男女関係の経験は豊富とは言えない。でも、そういうことを馬鹿にしてくるタイプとは思えないけどなあ、肥前。
……あ。もしや、アレか? 飼いネコがスズメとかカエルとか狩って飼い主に持ってくるやつ? 獲れたよすごいでしょ! 褒めて〜!みたいなノリ? …………いや絶対違うわ。
あれ、どうして持ってくるんだっけ? 単なるイタズラじゃなかった気がするんだけど、思い出せない。
ふと、肥前の顔を見上げる。公表されている写真よりは少し柔和な表情の、それでいて油断ならない鋭さを持った綺麗な顔だ。イヌかネコかで言うなら、うちの個体はネコっぽい。顔見るだけじゃ何考えてるか分からないとことか、切れ長の目をすーっと細めて笑ってる顔なんかが、特に。いっそ頭上にネコの耳が生えててもあんまり違和感無いな?なんて考えてたらこっちがニヤつきそうになっちゃって、慌てて顔を引き締めようとした時だった。
「クソ鈍感」
聞こえてきたのは特大の溜息と、それ。
一瞬、理解できなかった。聞き間違いかと思って何度も反芻するけど、やっぱり「クソどんかん」と聞こえた気がする。
「ど」
「ばぁか。いつまでむくれてんだ。ほら、行くぞ」
「ハァ!? 誰がバカ……あっ、コラ待て肥前んんー!?」
スタスタと歩き出されてしまい、完全に尋ねるタイミングを逸した。
バカとは何ですか主に向かって!? あと、むくれてないし! モヤーッとはしたけど、断じて! むくれてないし! というか、溜息つきたいのはこっちなんですけど? 何なのよドンカンて!?
渦巻く怒りをヒール音に込めてガツガツ歩いていけば、振り返った肥前がなんだか嬉しそうに笑って寄越す。すれ違った見知らぬ男審神者の二人連れが「肥前忠広って、笑うんだな……」ってボソリとこぼしていた。うん、私も彼に会ってなかったら、そう言ってたと思う。
「何ニヤついてんの」
「別に?」
「ちょっと、寄るな! 香水くさいのうつる!」
含みのある笑いを浮かべながら歩調を合わせてきた近侍が、ヒョイと体をぶつけてきた。一度だけならまだしも、避けてもぶつかりにきたのでさすがに抗議したのだけど、相手の反応は予想の斜め上を行った。
「うつしてんだよ」
「ハァ!?」
「マーキングってやつ」
「な、ん、で、他所のオネーサンの香水でマーキングしてくんのよ!? 無神経かアンタは!!」
「あ? 他所の姉さんのじゃねえ。おれのだよ、この香水」
「え……いや、あの……ちょっと無理あるんじゃない? だってこれ、めっちゃ女性用のやつ」
「似合うだろ?」
にこ、と目を細める表情は、無邪気に自慢しているようにも、冗談で誤魔化しているようにも見える。
……ダメだ分からん。何ひとつ分からん。
部外者向けのはずのとろける笑顔を何故私にまで向けるのか、さっきの重苦しい胸のつかえが消えてるのはその笑顔に絆されちゃったからなのか。
「クソ鈍感」な私には、たぶん一生かかっても分からないのだ。