悪夢と呼べない悪夢押し殺したくぐもった呻き声に、シェーンコップの意識は眠りから浮上する。
真っ暗な闇がまだ夜明けの訪れていない深夜だと教えてくれた。
「……ぅっ……ふっ、ぐっ……」
暗闇にすぐさま反応出来ないぼんやりとした視界の中でも、シェーンコップに背を向けて体を丸める声の主を捉えることはできる。
「(また見ていらっしゃるのか)」
シェーンコップは小さく息を吐く。
彼……ヤンが見ているものは【夢】。
ヤン曰く、死ぬ時の夢。夢の内容を聞いたシェーンコップも話したヤンも、その夢を悪夢だと言えなかった。
その夢の発端となったものは間違いなく、ヤンが一度死にかけた時のことだ。左脚をテロリストに撃たれ、生死の狭間を何ヶ月も彷徨い、辛うじてこの世に留まることができたこと。
シェーンコップは神も奇跡も信じていないが、ヤンの目が開けた時、奇跡を信じてしまったくらいには絶望的な状況だったことを今でも覚えている。
現実はそれで良かった。
だがヤンの見る夢では、あのままヤンが死んでしまうと言うのだ。救助に向かったユリアンもシェーンコップも寸前のところで間に合わず一人寂しい廊下で血を流して死んでしまう。自分の意識がだんだん落ちていき、『私はこのまま死ぬのだな』と重くなった頭でそう思うらしい。その感覚があまりにもリアルで、見ている間は夢であるという認識がない。意識が泥のような真っ暗な中へと落ちて行き、呼吸の仕方を忘れてしまう。その苦しさで目が覚めて、そうして、数秒してからあぁ夢だったと思うのだという。
ヤンは自分への罰のようにその夢を何度も繰り返し見ている。死んでいった人々に対してのうのうと生きている自分への罪悪感からなのだろうか。ヤンは『私はそこまでお人好しじゃないよ』とへらりと笑っているが。
「貴方は不真面目のように見えて、真面目な部分がありますからね」
人を殺す夢も自分を殺す夢を何度も見るのがヤンらしいのだとシェーンコップは思うのだ。
シェーンコップは静かにヤンの方に向きを変え、小さくなった体を抱き寄せて腕の中に閉じ込める。
「貴方の見る夢を私が肩代わりすることが出来たらいいのに」
出来ないと分かっている。ヤンの夢はヤン自身が抱えている無意識の罪の意識だ。シェーンコップにはシェーンコップだけにしか見ることができない血生臭い夢があるように。
罪を他人が肩代わりすることなど出来ないのだ。
それでも、現実から逃げることをせず前を見続けたヤンが背負った重責を少しでも軽くしたいと思うのは仕方のないことではないだろうか。
「貴方には苦しんでほしくないのですよ」
戦場に立つヤンは凛々しくてその横顔をずっと眺めていられたらと思う時もあった。
だが、その反面、戦闘から離れた時に見せる子供っぽい顔が好きだった。怒られて拗ねる顔、ユリアンが入れた紅茶を美味しそうに飲む顔、探していた歴史書を見つけて興奮した顔。そのどれもが愛おしいとシェーンコップは感じていた。
そして戦争が終わった今、ヤンはそんな顔だけをしていれば良いのだとも思っている。
「これはおれの願望なんだと分かっているのだがな」
貴方には笑っていて欲しいのだと、押し付けがましい想いを抱いている自覚はあった。
その時、それまで呻くばかりだったヤンが言葉を小さく発した。
「……ワ、ルター、ごめん……ごめんね、かえれなくて」
ぎゅっと枕を抱きしめたヤンの腕が震えている。
最期の場面を見ているのだとシェーンコップは判断して眉を顰めた。
「……何度聴いても良いものではないな」
シェーンコップは震える息を吐きながらそう呟いた。ヤンの声は後悔に満ちた響きをしているから、そのまま連れて逝かれそうだと思ってしまうのだ。
存在感を示すようにシェーンコップはヤンを強く抱きしめる。
「貴方のワルターも、貴方もここにいます。どうか夢にだけは囚われないで」
夢を見るなとは言えない。自分でコントロールして見る見ないを決めれるものではない。どうしようもないことだ。
だから、シェーンコップからは『囚われないで』ということを伝えることしか出来ない。
「どうか明日も、起きて私の顔を見ておはようと言ってください」
祈るようにシェーンコップは願うことしか出来ないのだ。明日も今日までと同じ日々を過ごせるようにと。