月花前日譚 六あちらの店は反物、こちらの店は服飾雑貨。華やかな軒先に目移りしながらクロエは胸を躍らせる。
「やっぱり街ごとに品揃えって全然ちがうなぁ。桜雲街のお店は上品で洗練されてるって感じ…!」
師匠でもあるラスティカと共に色んな街を巡っているクロエだが、新しい土地は毎回真っ先に服や小物屋を覗いている。今回は長旅だったこともあり、ラスティカには先に茶屋で休んでもらってひとりで店を回っていた。
「衣装も直したりはしてるけど、新しいのも欲しいな。せっかくしばらく滞在するんだし…」
ふと、雑貨屋の店先に目を惹かれて立ち止まる。鮮やかな色の石が付いた簪。髪に差したら石が揺れるように設計されている。
「わあ…!これいいなぁ。髪もだけど帯に差してもかっこいいかも!ラスティカと俺と色違いで…」
その時、クロエの背中にドンと軽く何かがぶつかった。振り返ると通りすがりらしい男が軽く手を上げて謝ってくる。
「おっとごめんよ。肩が当たっちまったか」
「あ、ううん。俺こそぼーっとしててごめんなさい」
「悪かったな。それじゃ」
男が足早に立ち去りかける。しかしすぐに何かに足を取られてクロエの目の前で派手に転んだ。男の懐から飛び出した持ち物が地面に散らばる。
「わあ!?だ、大丈夫?」
「痛ってぇ!クソ、なんだって…!」
「…ねぇ」
急にクロエの知らない声が割り込んだ。転んだ男の傍らに立っているのは、銀髪の妖狐だ。
妖狐はその場に屈んで巻物を拾い上げる。男は転がってきたそれにつまづいたらしかった。
「…足跡ついた。どうしてくれるの」
「はぁ!?こっちは怪我しかけてるんだぞ、悪いのはそっちじゃ…」
「お前が勝手に転んだだけ」
冷たく男を睨みつける、その色違いの両眼にクロエは場違いな感銘を受けた。
凄く綺麗な瞳!紅玉と琥珀の宝石みたい。
だが、睨まれた男の方はその眼に別の印象を抱いたようだった。
「お前…噂になってる狐…!?」
「噂なんて知らないけど。それより、足元も見てないくらいに急いでたの?まるで逃げるみたい。なにか悪いことでもしてた?」
「う…。クソッ!」
顔色を悪くした男は、その場から背を向けて走り去っっていった。残されたクロエがぽかんとしていると「ねえ」と例の妖狐が話しかけてきた。
「えっ?な、なに?」
「これ、お前の?」
「…あっ!?俺の財布!」
散らばっていた男の荷物から見覚えのある財布を示されて、クロエは自分の懐が軽くなっていることに気づいた。先程の男はスリだったのだ。ということは、この妖狐はスリが逃げるのを阻止してくれたのだろうか。
「あ…ありがとう!俺がスられてるのを助けてくれたんだよね」
「なんで僕がそんなことしてやらなきゃいけないの」
「え?」
「あいつが僕の物に勝手につまづいただけ。偶然を都合良く受け取って、おめでたい頭」
ツンと顔を背けると整った鼻梁が目立つ。棘のある言い方に怯むよりも、クロエは美しい狐に見蕩れていた。狐はにっこりと、しかしどこか気味の悪い、笑顔を浮かべながら、手の中の財布を弄ぶ。
「この財布どうしてやろうかな。僕が拾ったんだからどう使うのも僕の勝手だよね。ふふ…返して欲しい?」
「あのっ。俺、クロエっていいます!お兄さんの名前聞いてもいい?」
「は?」
「名前!」
「……オーエン」
「オーエン!あのね、俺、桜雲街には来たばっかりなんだ。オーエンが助けてくれてすごく嬉しい!」
「…なに。助けてなんかないけど」
「でね、迷惑じゃなければ一緒にお茶とかどう?もちろんご馳走するから!」
すごい勢いで捲し立てるクロエに押されていたオーエンだが、会話の継ぎ目に表情を取り戻すと胡乱気にクロエを睥睨する。
「…おい。僕の尻尾の数見えてる? 長命の妖狐に対して随分馴れ馴れしくない?」
「あっ!妖狐って尻尾でそういうの分かるんだね! 化け狸は長生きするほどお腹が丸くぽんぽこになるんだけど、」
「そんなこと聞いてない」
オーエンはクロエを追い払うように、豊かな毛並みの尻尾をブン!と振る。その拍子にオーエンの抱えていた巻物が腕から溢れて地面に落ちた。よく見てみればオーエンは腕いっぱいに巻物や草子を持っている。
「ああ、もう。また落ちた。最悪…」
「待って待って!屈んだらまた落ちちゃいそう。俺が拾うよ」
「はぁ?…なんのつもり。親切ぶって僕からたかろうって?」
「あと、よかったらこれ使って!」
ぽん!と気の抜ける音とともにクロエの妖術が発動する。空中から彩り鮮やかな風呂敷が現れるとひらひらと踊りながらクロエの両手へ着地した。
「この大きさなら全部包めると思うんだけど。それ絵巻物?オーエンって読書家なんだね!」
喋りながらも慣れた手さばきで書物は風呂敷に収められた。旅の大道芸人はかさばる荷物も多い。持ち運べるように荷をまとめるのはクロエにはお手の物だった。天辺できちんと結び目を作ると「はい!」とオーエンに手渡す。
「…お前、お人好しの大安売りでもしてるの?こんなの寄越してきて、僕がちゃんと返しに来ると思ってるわけ」
「え?風呂敷のこと? いいよ返さなくて。それね、俺が染めて作ったんだ。オーエンがずっと使ってくれたら嬉しいな」
オーエンは珍しい生き物に遭遇したみたいな、呆れ果てたみたいな、微妙な表情のまま黙った。クロエが返事を待っていると、不意にぼふんっと空気がはらんで、一瞬でオーエンの姿が消える。クロエの財布だけがその場にぽつんと残されていた。「えっ!オーエン?」とキョロキョロ周囲を見渡すクロエの耳に、まるですぐ隣にいるようにオーエンの声だけが届く。
「お前の誘いには乗ってあげない。また財布スられても今度は知らないから。じゃあね、お人好しクロエ」
「!」
今度こそ完全に気配は消えた。それでも自分の名を呼んでくれた声にクロエの気分は高揚していた。この気持ちを、出来事を、早く話したくて仕方がない! 逸るままにラスティカとの待ち合わせ場所へ駆け出して、人並みを通り過ぎていく。と、その視界の端に鮮烈な色が引っかかった。
「あれ。今すれ違った狐、瞳が…」
緋と金が片目ずつ。オーエンと同じだ。しかし雰囲気は彼とは大分違った、気がする。
一瞬すれ違っただけだし、気のせいだったのかもしれない。考えながら歩いていたらうっかり待ち合わせの茶屋を通り過ぎそうになった。クロエは慌てて暖簾をくぐる。
「ごめん、お待たせラスティカ…あれっ、いない!? どこ行っちゃったの~!?」