飲むものによって食器を変える。なんでも同じカップで済ますのも便利で楽ではあるけれど、一息入れる時は容れ物にこだわるくらい心に余裕を持っていたい。
今日も気温は低空飛行、温かいものが飲みたくなる。さて今の気分は日本茶か、それとも紅茶にしようか。食器棚から湯呑みとティーカップどちらをとるか迷っていると、廊下に面したドアが開けられすらりとした長駆が入ってきた。
「雨彦さん。おかえりー」
「ああ。ただいま」
外から帰ってきた雨彦さんは、白い顔の鼻先だけを赤くしている。冷たい空気をまとわりつかせたコートを脱いでハンガーにかける背中に訊ねた。
「寒かったでしょー。なにか温かい飲み物でもいれようかー?」
「おや。ずいぶんサービスがいいな」
「自分が飲むついでだからねー。なにがいいー?」
「そうだな…」
雨彦さんはふと瞬きをして、少しためらったような間の後にそっと口にした。
「それなら、ココアを」
「うん? 珍しいねー?」
家でも外でも、雨彦さんがココアを飲むところは見たことがない。リクエストするからには苦手ではないんだろうけれど。不思議に感じていると、雨彦さんからぽつりぽつりと言葉が続く。
「……プロデューサーから聞いたんだ。北村にココアを入れてもらったことがある、と」
「そうだねー。事務所で作ったこと、あったなー」
「特別なココアだったらしいじゃないか。……それを思い出しただけ、なんだが」
困ったように眉根をよせて、途方に暮れたみたいな顔をして。嫉妬というにも小さすぎる羨ましいという感情を扱いあぐねている雨彦さん。そんな彼の姿を見て、ああ、愛しいなあ、なんて思う。僕は口角が緩んだまま雨彦さんへ呼びかけた。
「雨彦さんにも作ってあげる」
「いいのか? 」
「お安い御用ですよー。ほら、用意しておくから手洗いうがいしてきてー」
目を丸くした雨彦さんを洗面所へ追いやると、キッチンの戸棚からココアの袋を取り出す。お揃いのマグカップにスプーンで掬ったココアと砂糖。小鍋で温めた牛乳を少しずつ混ぜながら注ぐ。仕上げにひと振り、チリパウダー。
「おまたせー」
リビングのソファーで待つ雨彦さんにほかほかと湯気の立つココアを渡して、隣へと座る。ココアを一口飲んだ雨彦さんの横顔が綻ぶのが見える、特等席だ。
「…美味いな。身体も温まる気がする。何が入ってるんだ?」
「秘めてこそ 味わい深まることもあり。企業秘密ですー」
「なるほど。まさに隠し味ってわけだ」
頷いて、雨彦さんはまたマグカップを傾ける。あまりに幸せそうな顔をするものだから、ひょっとして僕はココア作りの名人なのかもと勘違いしてしまいそうだ。ただのココアなんだけどなー。
「北村? 俺の顔に何か付いてるかい」
「…なんでもない」
いつまでも眺めていたらココアが冷めてしまう。雨彦さんにつられるようにして僕も一口飲んでみると、ピリッとした刺激が舌に走る。だけど、以前と同じ分量で作ったはずなのに、後味はずいぶんと甘ったるいような気がした。