タケルが初めてお酒を飲む話もともと、あまり酒には興味がなかった。まわりにそこまで酒を飲む人がいなかったこともあるだろう。円城寺さんは強いとは噂に聞いたが、俺たちの前で飲むことはほとんど無かった。大人たちの飲み会の話を聞いて楽しそうだと思うことはあれど、それで酒に魅力を感じたりはしなかったし、居酒屋の少量でちまちま運ばれてくる飯より大盛ラーメンの方が腹も満たされる。だから二十歳の誕生日を迎えてもまだ、しばらく酒には手を出さずにいるつもりだった。
「おいチビ。場所空けろ」
「なんだそれ。酒か?」
いつものことながらいきなり俺の家に上がり込んできたヤツは、手にしたビニール袋の中身を次々にテーブルに並べていく。缶、缶、缶。全部飲料缶だ。それもビールやチューハイ、全部アルコール入りだった。
コイツが酒を飲むとは知らなかった。一応俺より年上だから飲んでもおかしくはないはずだが、なんというか印象が結び付かない。最後にツマミらしい豆菓子のパックをポイと雑に投げた。
「チビも飲め」
「俺?」
「ハタチになったんだから飲めんだろ。オラそこ座れ!」
ついていけていない俺に構わず勝手に座り込んだコイツは、持ち込んだ缶ビールをさっさと開けるとズイとこちらに差し出してくる。なにが楽しいのかニヤニヤと上機嫌だ。相変わらずわけがわからないが、俺も特にこだわりがあって飲まないわけではないので、しぶしぶ向かいに座って缶を受け取った。
こんな形で飲酒デビューするとは思っていなかったな…と内心呟きながら、缶を傾けて一口。…なんか、炭酸の入った苦い麦茶みたいな味だ。不味くはないけれど、だったら麦茶でいいなという感じ。もう一口飲んで一旦口を離すと、正面の男は眉をひそめて顔をしかめていた。
「なんだよ。オマエが飲めって言ったんだろ」
「…チッ。なんでもねー!」
さっきまで機嫌良さそうにしてたのに、舌打ちすると俺の手から飲みかけのビールを奪って一気に呷る。飲み終えた後小さく「うげぇ…」と呻いたのは聞き漏らさなかった。ビール苦手なのか、じゃあなんで飲んだんだよ。
「おいチビ!次いけ次!飲みやがれ!」
「なにがしたいんだオマエ。酒が苦手なら無理するなよ」
「うるせー、オレ様に苦手なモンなんか無ェ!」
今度は桃のチューハイの缶を開けてよこす。さすがに止めたが、こういうときのコイツが俺の言うことをきいたためしがない。気が済むまで付き合うしかないか、とため息をついて俺は次の缶に挑んだ。
俺は結構酒には強いらしかった。甘いチューハイよりはビールとかハイボールの方が好きだ。結構量は飲んだ気がするが、あまり体調に変化もなく意識もはっきりしている。若干暑くなってきたかな、というくらい。
対してコイツは酒に弱かった。俺に一口飲ませては缶を奪って飲みきるという奇行を繰り返していたが、最初のビールで早くも顔が赤くなっていたし、三本目くらいからは目も座ってきていた。そのあたりからこっそり水とすり替えて飲ませていたがまったく気づいていない様子で、今はテーブルに突っ伏して寝息を立てている。酔って暴れたり大声上げたりしなくて助かった…と考えて、酔っぱらってないときの方がたちが悪いことに気がついてしまった。
「おい。ここで寝るな。風邪ひいてもしらねえぞ」
声をかけてみたが返事もない。完全に寝入っている。このまま寝かせておくと顔にテーブルの跡がつきそうだ…起きてぎゃあぎゃあ文句を言われるのも煩わしいので、一応運んでやることにした。ただしベッドじゃなくてソファーだ。酔っぱらいに貸すベッドはない。
完全に脱力した成人男性は重かった。持ち上げようとしたらぐにゃぐにゃでバランスが取りづらかったから、背中側から脇を持ち上げて引きずるようにしてソファーまで運ぶ。コイツはいまだに俺をチビと呼ぶけれど、ここ数年で身長差はわずかながら縮まっている。しかし円城寺さんみたいに片腕で抱えるにはまだ筋肉と体格が足りない。それにしても、いつまでも人のことをチビチビって、コイツまさか俺の名前忘れてないだろうな。…まあ名前を呼ばないのは俺もだけれど。ソファーを占領したまま起きる気配のないコイツの、いつもより赤く火照った顔をなんとなしに見つめる。寝苦しいのか、眉間に皺が寄っていたのを指でぐりぐりと揉んでみた。「ー」とむずがるみたいな声があがった。
……後から思えば、俺もアルコールのせいで少し気が大きくなっていたのかもしれない。
今ならコイツは寝ていて聞こえていないから、と。意味のない理由で自分を納得させてから、音にのせた。
「漣」
……口に出してから急に恥ずかしくなってきた。顔に熱が集まったら一気に酒が回ってきたような気がする。ごまかすみたいに水を飲んで、コイツに毛布を被せてやって、テーブルの空き缶の山を片付けて、と最低限やるべきことを済ませたら俺もベッドへ吸い込まれるようにして眠ってしまった。
翌日、俺は男道らーめんに来ていた。アイツは二日酔いというやつらしく起きてもぐったりしていたので置いてきた。俺の方はまったく体調に問題はなく、ロードワークもいつも通りこなした後だ。
「…だから、アイツにはあまり酒は飲ませない方が…。円城寺さん、どうかしたか?」
「いやあ、ははは」
昨晩のことを話したら、カウンターの向こうの円城寺さんはなぜか嬉しそうににこにこしている。被害報告のつもりだったのだが、なぜそんな反応をされるのか不思議に思って聞いてみた。
「実は、同じことを去年自分も漣にしていたんだ」
「同じことって…買ってきた酒並べて飲ませてってことか?」
「漣と一緒に飲めるようになったのが嬉しくてなあ、後からちょっとはしゃぎすぎたなと思ったんだが」
アイツはそのときから酒の味が好きじゃなかったようで、一口だけ飲んでは残りを円城寺さんが引き受けたらしい。
「そのままタケルにもやってたんだな。漣なりに兄貴風吹かせたんじゃないか?」
「…どうだろうな」
話を聞いている内に、ずっと前に見た母猫が子猫に毛繕いのやり方を教えている動画を思い出した。そんなかわいらしいものと酒の飲み方の話を並べるようなものではないけれど。
アイツの真意はわからないが、そんなことで年上ぶったって普段があれじゃ意味がないし、あげく酒に飲まれているし。
…でも、本当に円城寺さんの言うとおりなら、なんというかちょっと気恥ずかしい。
「円城寺さん。二日酔いってなにが効くんだ?」
「うーん、シジミとかかな」
そのとき、店の引き戸が勢いよく開いた。グロッキー状態から復活したアイツが追いかけて来たようだ。
「おいこらチビ!オレ様を差し置いてなに一人だけラーメン食ってんだ!!」
「いらっしゃい漣。食欲はありそうか?特製シジミラーメン作ってやるぞ!」
「それ今思いついただろ、円城寺さん」
「ハァ?シジミってなんだよ。まぁいい、さっさと作って食わせやがれ!」
元気になったとたんに騒がしいコイツが、ガタンと椅子を鳴らして定位置に座る。俺の隣の席。肘が当たってしまうくらいのこの距離感がいつのまにか当たり前になっていた。俺も、コイツも。
「なんだよチビ。言っとくけどなァ、ちょっと酒が飲めるからって調子にのってんじゃねえぞ」
「オマエな…せっかく少し見直したのに…」
「はは!今度は三人で一緒に飲もうな!」
終