たからもののはなし 子供の身体は弱かった。
刀剣男士と比べても、同じ年の頃の人間と比べても、子供より幼い人間と比べても弱かった。
生まれたときから始まった戦いだ。
保育器の中で管と人々の手で命を繋がれ、親と自宅で暮らせるようになっても様々な困難があった。歩けるようになっても、外へ出ることはおろか清潔に保たれた空間以外で長時間過ごすことが難しく、屋内の決まった範囲で過ごすことが多かった。その中で最も多くの時間を過ごすのは布団の上であった。一度咳が出るとケンケンと喉が鳴り続けて、体力が尽きれば熱を出して寝込んだ。発熱して滲む汗までもが柔い肌を苛んだ。
あまりに弱くも懸命に生きようとする子供の肉体には、代謝する人間の肉体そのものが刺激となるため、肉親も気軽に触れ合うことすら儘ならなかった。
裕福な生まれで、親は何でも与えたいと思っていたが、形あるものは何が子供の肉体に合わないのか手探りで、広い自室や白いばかりの病室、子供の負担が少ない室内の娯楽が精々である。我が子の嘆きを受け止め、好奇心に応える度量を見せ、幾度も医者に世話になるが子供のやる気を否定することはせず、影で涙することも屡々あった。
それでも、他者が己に注いでくれる愛を知っており、懸命に生き、素直に育つ子供には、霊力と物の声を聴く能力が備わった。則ち審神者の素質があった。
よって齢一桁、片手の指で足る年頃から本丸の主として、外界からは隔絶した生活を送っている。時には寝込んだまま近侍に指示を出し、起き上がる元気がある時に親と通信し、体力があれば刀剣男士と室内遊戯に興じた。
本丸で育ち、体力が付き、外遊びでも他者との接触でも体調を崩すことが減っていった。
家族との関係も良好で、審神者として勤める日々の中でも欠かさず連絡を取っている。
外部との連絡は、専ら映像端末を用いた通信である。なるべく外部の物理的な接触や刺激を避けるためだ。しかし、両親からすれば我が子を直接側で育てられない、子からすれば両親へ気軽に触れることも甘えることもできない寂しさがある。
そこで、子供は考えた。
なるべくたくさんおはなししよう。
おぼえた言葉、つくった歌、かいた絵、ひろったすてきな物、とってもらった写真。
子供があれもこれも両親へ教えれば、その度に大層喜びたくさんの愛情と言葉を返した。
それらの思い出の品々は、この本丸の歴史といえる。
飾ろう、と言い始めたのは誰であったか定かではないが、この本丸のとある廊下の壁は作品展示場となっている。
長い廊下の壁を床上八〇センチメートル程から、僅かに右上がりのゆるやかな階段状に埋めている作品群は、展示する子供の肉体的な成長記録でもある。
壁は最新の技術が施されており、設定を選び作品をぽんっと押しつければ壁が作品を受けとめて展示が完了。紙や布や金属板などの薄い物から箱や剥製などの立体物まで安全に展示。映像や音声も設定可能。展示設定の変更もぴぴっとお手軽操作。などの謳い文句に違わず、子供の好奇心と発想力と行動力により生じた様々な作品を収めている。
端から端まで埋まり、成長とともに上へ上へと段を重ねていく様は、両親にとっても、この本丸の刀剣男士にとっても、愛しく尊いものである。
一月中旬
二年と半年が経過した本丸は現在、突如発表された新たな特命調査の予定が控えていた。
特命調査へ参加するのは五箇所目である。過去の四箇所すべて、特命調査にて監査官の指示に従い、政府へ実力を示し、新たな刀剣男士を迎えている。
そのため、この本丸の新刃案内係名誉隊長の山姥切長義は、次の特命調査にも主が参加を表明し、規定以上の成果を収めれば、また新しい刀がくると推定している。なにせ自分が通った道である。
つまり案内係の出番だ。ここ最近で新たに迎えた仲間の案内係は、縁のあるものと有志が務めていた。次の特命調査員の候補が一文字の刀であるため、南泉一文字とあわせて縁のある自身が数か月ぶりの役目になると予想している。
ちなみに、新刃案内係は本丸運営会の一部で、その前身は審神者と秋田藤四郎と小竜景光のほんまるたんけんたいである。そして山姥切長義が名誉隊長になったのは、本丸にきて直ぐことであった。
山姥切長義は追想する。
(さて、俺が案内をうけて興味・関心を惹かれたのは、どのようなところだったかな。)
特命調査の監査官としての務めを果たし、新たな仲間として本丸を案内をうける途中、とある壁の前で足が止まった。
来客を上げるよりも奥まった居住空間の廊下の壁端、腰辺りの高さから始まり、廊下の途中まで緩やかな階段状に飾られた作品群が目に留まった。
「細部にこそ生活感や使用感、つまり魂が宿るんだよ!」
そう熱弁してきた元同僚の助言を思い出し、つい足が止まったのだ。
元同僚はプラモデルやジオラマを自作するオタクであった。
曰く、日々の生活の積み重ねは本丸に刻まれており、リフォームでもしない限りはキズや歪みとして蓄積され続け、普段の生活を語ってくれる。よく通る場所は土なら踏み固められ草が生えにくくなり、建築材なら擦り減る。日に当たるところは焼けるし、よく触る物は摩耗する。使うものには癖が出る。などなど、熱心に語っていた。刀の柄だって握り癖がつくだろう、とのこと。
この山姥切長義はこうした機会に記憶の抽斗が開く程度の関心しか持たなかったが、元同僚のとある肥前忠広が食品サンプル作りに目覚めたほどの熱弁を揮っていた。
「主のご両親に見せたくて、本丸の思い出を形にして残しているのさ。」
やわらかな微笑みを湛えた歌仙兼定は、相手の返答を待たず、生き生きとした声音で説明を続ける。
「壁の左側から右側へ向けて、徐々に展示の高さが上がっているだろう。これは主が作品を展示しているから、成長する主と共に少しずつ、飾る位置も高くなっているのさ。」
なるほど、と一つ頷いた山姥切長義は少し屈んで作品群をよく見る。
その間も歌仙兼定は滑らかに口を動かし「主はね、就任から三月で背丈が六分伸びてね……」と説明を続けている。
緩やかな階段状に飾られている作品達は、素材も形式も多岐にわたる。
縦向き横向き、紙、布、ちぎり絵や写真をたくさん貼っている物や押し花などを張り付けているものまで、伸び伸びとした主の成長と本丸の歴史が窺える。
小窓が開いているかのように窪んだ壁があり、中へ木の枝に蝉の抜け殻がついたものが入っており、奥の面は上部に羽化した蝉の写真が並び、その下に観察記録が貼り付けられている。羽化の様子が縦横無尽に書かれており、観察時の様子が目に浮かぶ。
隅に『山さんとせみのうかみた』との記述がある。
ショーケースに少し草臥れた花冠、木の実、葉っぱで形作られた虫や道具。丸く光沢のある小石と、白っぽく雲母が輝く小石と、縞模様の小石が飾られているものもある。
端に『秋くんと竜くんとたんけんした』と慣れていないらしい筆運びの漢字が大きく書かれ、でこぼことした文字列がある。
額に市松模様のように詰め込まれているものもある。真っ黒な板に細かな傷をつけているもの、白地に薄い紙を重ね細かな模様を表現しているもの、渋茶に山吹の線を何本も重ねているもの、黒地に紫のリボンを貼り付けているもの。実に色とりどり、材料も年若い主の伸び伸びとした発想力とお眼鏡に叶った選りすぐりのものを用いているらしい。
下に『みんなの鞘』と伸びやかな筆致の作品名がある。
最も左端の低い位置にあるのは白い画用紙に紫の画材で大きく描かれた丸いものだ。
ぐるぐると腕を大きく動かし、所々画面からはみ出して、たいそう元気よく描かれている。これは人の顔だ、おそらく笑顔の。
それも描いた人物が好きという気持ちでいっぱいになる、元気付けられる、そういったなにかあたたかい心地から生み出されたものだと伝わってくる。
案内係の口から滔々と流れる賛美の言葉を川のせせらぎの様に聴きながら、これは……と声をこぼす。
意識して案内している人物へ問うたわけではない声量であったが、歌仙兼定はぱっと顔を輝かせ、それはと口を開く。
「同田貫だよ。」
どうだぬき、と口の中で転がす。
(どうだぬき……同田貫正国か! いや、なぜ紫なんだ、どうしてこんなにも笑顔、主にはこんな顔をみせるのか。)
該当人物を認識した途端に凄まじい量の思考と感情が生じた。
なにせ自身にとって、その刀剣男士は黒い。そして、戦以外は平淡な感情の振れ幅をしている印象が大きい。
紫で描かれてることも、好きでたまらないと伝わってくるような笑顔を見せたらしいことも、道筋を考えるのが難しく興味深い。
何か推理の材料になるものはないだろうかと、この本丸の歴史を健やかに溌溂と掲示している壁に目を走らせる。
きらりと光を反射する立体物が目に付いた。おそらく金の折り紙で何かを模ったものである。説明文を確認すると「博多 小ばん」と元気な字で題名があり、更に「大阪城のご褒美に主が俺に作ってくれた小判! 博多」とぺかぺかの笑顔が浮かぶ程誇らしげな文字の説明文もある。
(なるほど、この本丸の審神者は幼い子供の宝物として名高い金の折り紙、それを用いて創意工夫して生み出した作品、それを刀剣男士に授ける精神性がある。これは『持て与』だね、優だよ。)
などと関心を示し、ふむふむと頷く。
更なる情報を拾い上げるべく壁を鑑賞するほど気付く豊かな素材の組み合わせに、この本丸の主の発想力と物事への興味関心の高さが窺える。
変化に富む画廊で最も作品数が多いのは、クレヨンを用いた平面作品だ。紫、黄、緑、石竹……おそらく十二色のクレヨンを持っているのだろう。
紫が多く使われているが、描かれている物体が紫というわけではないらしい、つまりこれは、お気に入りの色というものだろうと推測する。
(紫といえば、今俺を案内している歌仙兼定の頭髪かな。あるいは、この本丸の始まりの一振りとして選ばれた蜂須賀虎徹の頭髪だろうか。初鍛刀である薬研藤四郎の瞳という可能性もあるか……となれば、それなりに使用頻度が高い黄色は、金色として用いられているところもありそうだ。)
金の折り紙とあわせて、これもきっと、この本丸の主にとって好きなものや格好良いものなのだろうと想像を巡らせる。
展示の隅に添えられている年月日、これも判断材料になると目を走らせ、絞り込むために事前に仕入れてきた情報と照らし合わせる。
はじめの一枚の日付は二二〇八年七月三十一日、この本丸に歌仙兼定が顕現したのは同年の八月二日のことである。
(もしかして、この本丸の主は紫と金の持ち主が、蜂須賀虎徹が、すごく、それはもう大層好きなんじゃないかな。)
自ら導き出したことに、照れとも誉れともつかないむずむずとした心地が湧き上がり、心臓が温かくなる。
この山姥切長義は、妙に真面目で律儀で全力を果たしてしまいがちで、言ってしまえばがんばりやさんである。
がんばりやさんなので、特命調査の監査官に任ぜられた際に、先ずは普遍的な本丸・審神者・刀剣男士などの情報を浚い、次に調査を担当する本丸の情報を読み込んだ。それから諸先輩方に注意点の確認と助言をいただき、関係各所への通達並びにご挨拶に回った。
それで知っているのだ、この本丸の蜂須賀虎徹も、規定の下限年齢から務める主を支えるべく、きりりと張り詰めているがんばりやさんであると。
何やらすれ違う気遣いや思いやりにぎくしゃくしたことがあり、少々残っている痼りとやらも調査対象かなと気にかけていたが、わずか数分の美術鑑賞で杞憂であると知れた。
だってこの数の作品だもの、人々が百年も千年も繋げてきてくれた愛が、まさに今この壁の審神者の背丈までを作品という形を成して示している。もう刀剣男士としてはそれを感じられただけで安心安全ハッピーになるので、この本丸は大丈夫な本丸だと思えた。
がんばりやさんの監査官は素直でもあるので、学んだ言葉のままに理解を示し、微笑む。
(なるほど、この本丸の主も蜂須賀虎徹もツンデレなのか。主従は似ると聞いているが、まさに実例にこうして御目文字叶うとはね。)
まだ発足して間もない頃――といってもこの本丸は聚楽第への道を開き監査官として山姥切長義が来るまでに三か月程しか経っていない――主が倒れた。
元々病気療養のために本丸へ来たような身であるが、変更前の現在よりは重い日課任務をこなすべく張り切り続けていたところに、初めての大太刀との交戦による重い負傷の手入れが重なり、倒れたらしい。
そこから過保護気味になる面々の愛情や思いやりは理解していても、幼子である主の肉体と精神は動きたがって反発したそうだ。
御両親が無理も心配も上手に隠して手を回し、我が子の望む限り挑戦させる教育方針をとってきたことも相まって、主という以外に『ご両親から頼まれた幼子』として接するため過保護筆頭となっていた蜂須賀虎徹と薬研藤四郎とは、どうにも折り合いをつけられないことがあった。
両親の愛情も、医者や政府の職員やこんのすけの気遣いも、自分の刀剣男士の気持ちもわかっている、わかっている幼い主だが今を精いっぱい生きたいのだ。
思う存分駆け回りたいのに発疹が出る肌、咳が出る喉、熱を出して寝込む自分の身体と心が離れる悲しさ。
まだ病院のベッドで寝ていた頃に聞こえた、長くは生きられないかもしれない、という話にも口惜しさと歯痒さと焦燥感を覚える。
しかし、それらを表す言葉と情緒がまだ育っていないため、心配して部屋にとどめようとしてくれる刀剣男士達の制止を振り切り、外へ駆け出してしまったのが、七月三十一日の昼前であった。
特定の生活空間以外へ足を向ける主についていくのは常日頃、薬研藤四郎と蜂須賀虎徹が率先していた。だがこの時は二口に主が反発したため、追いかけて寄りそうのには向かない。共によく遊ぶのは乱藤四郎と五虎退の虎達だったが、折悪く二口とも出払っていた。そのため、信濃藤四郎がこっそりと後をつけた。
常から審神者の遊びに付き合っている二口であれば、保護者の面々に反抗しての行動に随伴することも許されただろう。
信濃藤四郎は少々立場が異なる。
七月二十八日の朝、鍛刀された。その日は既に本丸にいた面々と、本丸の外で子供の幸を願う者達には苦い記憶となっている。
二ノ三 江戸の記憶・江戸(元禄)、そこで初めて敵の大太刀と交戦し、部隊は大きく損壊した。六口を手入れ時間の短い順に手入れ部屋へ通し、合間に日課の残り一回の鍛刀で戦力増強のため、それまでよりも多くの資源と時間を要して同田貫正国を迎えた。手入れ部屋に最後の蜂須賀虎徹を押し込み、近侍の代理として付き従う陸奥守吉行へ、先に本丸にきていた仲間達に新しく来た仲間の案内と歓迎をするように指示を出し、翌日の内番を指名した主は、そのまま倒れた。
陸奥守吉行はこの時、主が審神者としての職務を全うするまで辛抱し倒れるまで止めなかったことは悔いていない。我らが本丸の主と頂く審神者としての矜持を折るなど、道具として出来よう筈もない。唯々それまでの間に、積み重ねられた主の疲労や重責を、量り切れなかった己の不明を恥じた。
蜂須賀虎徹とて同じであった。主が倒れた時に手入れを受けており、側にいられず、主を支えられず、何が真作かと己の不甲斐なさに憤りを覚えた。
倒れたその日の夕刻に主治医と両親へ政府を通した緊急連絡を一報。跳んできた主治医と夜番が見守り、一夜明けて二十九日の朝、本丸の外で報告を待つ他ない両親へ幼子の容体が落ち着き命に別状は無い報告と謝罪が行われた。重苦しい雰囲気の中協議し、最低週休二日、休日中の仕事量は日課を上限とすることを決めた。
最短でも三十日までは休日となり、主が部屋から出ようとすれば即座に刀剣男士が用事を取り上げ布団に戻すことを繰り返し、六度目には諦めて室内遊戯に興じることにした。
信濃藤四郎はこの二日間、隙あらば主の懐を狙うためそれなりに共に過ごす機会はあった。しかし、当時の仲間内では隠蔽と偵察が高い方であることを活かして見守り隊として動く事も多く、聡い主には「いっしょにあそんでくれるひと」よりも「みはりやく」として僅かに心の距離をとられていた。
よって、この時は隣で寄りそうよりも、言葉にできない主の感情が治まるまで見守ることを選んだのだ。
駆けだした主の足が動かなくなったのは、厩の近くだった。
激しい運動を控えているため、疲れた脚を動かし続ける慣れも持久力も乏しい。呼吸を整えるのも下手で、ぜいぜいはひはひ喉が鳴るが、酸素を満足に取り込めている様子はない。
耳のうらがごうごうなり、アタマはがんがんゆれる。がくがくふるえるヒザに手をつき、たおれそうなカラダをささえる。土のにおいとかんしょくを、どこかとおくかんじた。
この時、同田貫正国は主が倒れてから内番の当番が変わっておらず、三日間馬当番を続けており、作業を終えて厩の影で鍛錬に勤しんでいた。
どちらかというと放任主義であったが、弱っちい生き物だと思っている小さな主の苦しそうな呼吸音は放っておけず、鍛錬を切り上げてのっそりと姿を見せた。
「おいどうした。」
声を掛けられた子供の喉から、ひ、ひ、と必死な呼吸と泣くのを堪えてしゃくりあげる中間の音がする。
その様子にうへぇ、と困って息を吐く同田貫正国。それには目を向けず、ひ、ひ、と懸命な呼吸の隙間から「くやしい」と声を絞り出した子供はなおも言葉を連ねる。
「つらい」「あつい」「まけるか」「くるしい」「がんばる」「いたい」「すき」「がんばらなきゃ」「あいしてる」
(ああ、こいつも戦ってんのか。)
すとんと落ちた。
同田貫正国は集合体である。幾多の同田貫が打たれ、使われ、愛され、受け継がれる中で折れも錆びも融けもしたが、それらもぎゅっとして『こちら側』を選んだのは、なんだかんだ人間が好きだからである。
少なくとも、この個体はそう認識していた。
「あんた強いなあ、いいじゃねえか。」
ぽたぽたと地面に吸い込まれる涙を睨み付けて歯を食いしばっていた子供は、熱で靄がかかっていた頭と視界がさーっと晴れた心地がして、はっと顔を上げた。
「おう、男前だな。」
ニカっと口をつりあげて、まゆがキリっとよってあいだにシワができて、大きな目はギラギラしていた。
審神者が初めて目にした同田貫正国の笑顔であった。
うん、と一つ頷き、涙もぽとりと落ちる。
いつだったか、涙を頑張っている心の汗だと、恥じることはないのだと肯定してくれたのは誰だったか。
子供はその言葉を誰からもらったのか憶えていないが、腑に落ちた。
「がん、ばってる。とうさんも、かあさんも、っせんせいも、はちすかもっやげんも、がんばってる! っ審神者として、がん、ばるっ……まけない、まけたくない!」
咳き込みながらも、力強く審神者として奮起する子供の口上を聞き届け、その意気やよしと同田貫正国も、見守っていた信濃藤四郎とこんのすけも、後方腕組み保護者面を決めた。
さて、大変なのは汗と涙でずべずべの子供の身体である。放っておけば間違いなく荒れる。
同田貫正国はしょうがねぇなと頭をかいて、裸足で飛び出してきたらしい主を抱え上げた。
厩の近くにある井戸へ連れ歩き、主を盥へ立たせて服でも脱いで待ってろと声をかけて、別の盥へ水を汲み上げる。
今ならいいかな、と姿を現した信濃藤四郎は泣いてたことなんて知りませんよ、という顔をして「わあ大将と同田貫、水浴び? いいな俺もしたい。」と声をかける。
主が頷いたのを確認したらほいほい服を脱ぎ、軽く畳んで井戸を囲う柵へ掛けて、下着姿になる。
汗ではり付いた服を脱ぐ主を手伝い、自分の服より丁寧に皺を伸ばして柵へ掛ける。
こんのすけは本丸内外への報せに走っていた。
今迎えに行かなくていいですってば、あのお二方に任せて問題ありません。はい、それより審神者様の着換えと昼食の準備が大事だと思います、ええ。
水を浴びてさっぱりした一人と二口のもとへ、乱藤四郎と五虎退と虎達がやってきて、奇遇ですねと装い「ボク今日は暑くて汗かいちゃうから涼しい服出しちゃったっ、あるじさんもお着替えする?」「あ、あの、虎くんが、水浴びいいなって、その、すみません……」と声を掛けて合流する。
「ありがとみだれ、ぐっどたいみんぐだね。ごこたいととらくんは今から水あび? おフロはいっしょ?」
「あのっ、お風呂ご一緒出来たら、嬉しいです。」
頑張る宣言の有言実行とばかりに、本丸の主らしく刀剣男士へ言葉をかける審神者を見て、信濃藤四郎は微笑み、同田貫正国はほーんという顔をしていた。
主治医と両親が選んだ業者から仕入れた昼食を味わい、主治医の診察を受けて、午後から改めて話し合う場を設けた。
まだ全てをうまく言葉にするには時間がかかる審神者だが、一つ一つ丁寧に説明を試みる。
蜂須賀虎徹も一国一城の主の言葉として、一つ一つに向き合い、真直ぐ受け止める。愛染国俊や平野藤四郎は適宜言葉や知識の補足を行い、ゆっくりとだが確実に前進する感覚があった。
頑張り過ぎて倒れたことは認め、週休二日も納得した。これからも審神者として務めを果たす気であり、少しずつでいいから過保護はやめて、がんばることを応援してほしいことも伝えた。
すでに二日休んだこと、現在は疲労感や熱がないこと、少しでいいから日課をこなしたいこと、鍛刀強化キャンペーンが始まっており、戦力強化の好機だと思うことを言い立てて、鍛刀の許可を得た。
轟々と燃える炉は三時間が二つ。三時間後に二口を顕現して余力があればもう一回鍛刀を行う。
待つ間に、今日のことを両親に話したくて絵にする。
十二色の中から手に取ったのは紫だった。
(むらさきはスキでもキライでもない。手にとったのはきっと、よく目にする色だから。かっこよくてたよりになるけど、つたえるとなにか言われそうだから、言わない。)
黙々と手を動かし、つんつんしたかたそうな髪、強そうな眉、ぎらぎらした目、つりあがった口、びしばしついてる傷、それらをぐりぐりと紙へ描いた。
両親との通話でもたくさん話をした。水浴びも、土の上を走って元気なことも、ご飯をきちんと食べたことも、これからも頑張ることも、話題は尽きない。
両親は一つ一つに頷き、驚き、言葉を返し、画面の外で強く手を握り締めた。
きっと、これから大きく羽ばたける我が子と、支えてくれる存在に胸が熱くなったと、医師にも担当職員にも話し、有り難うという言葉とこれからも宜しく頼む旨を何度も繰り返した。
そのような本丸事情を、事前知識として得ていたが故に、蟠りやすれ違いがあれば一助となろう、と心構えをしていた。
それが杞憂であったと解きほぐされたことは、幸いであり、案内をうけてよかったことだ。
山姥切長義の五感が、何者かの訪れを察知し、心地良い追想から現実へ意識を向ける。
「おお、ぎぃくんここに居ったか。今度の案内係はおんしやろ。ちっくと相談があって探しよったぜよ。」
「まだ俺と決まった訳ではないけどね、なんだい吉行君。」
えへん、と何やら表情を作りながら、抱えていた束の一番上から一冊、分厚い冊子を掲げる。
「本丸運営会より、本丸記録部部長・陸奥守吉行の要請として、新刃案内係名誉隊長の山姥切長義へ通達する。記録部と共に、同部門が保有する本丸の記録より新刃案内に適当な物を纏め、廊下の展示に加えよ。」
どうじゃ、と得意気な陸奥守吉行のぴょこっと揺れる癖毛を、後ろで大きな荷物を抱えた同田貫正国と静形薙刀が眺めている。
「また君はそう……ふふっ、新刃案内係名誉隊長・山姥切長義、その任務引き受けよう。」
大量にある記録だが、所属する刀剣男士にマメな性格のものもいるため分かりやすく分類されており、閲覧と精査は苦にならない。
記録部は今回、展示の下側、床上の余白五〇センチメートル程を本棚の様に改装することを希望している。
展示してある作品とそれらに関する記録は既に選りすぐった物であるため、それ以外の記録をあたる。
主や刀剣男士の鼻歌や即興の歌や小話のほか、会話などの音声記録、主や刀剣男士や様々な景種を被写体とした写真や動画、歌会や折々で詠んだ句、主に倣い描いた絵や折った紙、食べた物の写真や感想、畑の成長記録などなど。
例の壁とは別の場所へ展示している物品の記録は多岐にわたるため、目録のようにして一冊に纏めた物も要り用だろうか、という意見もある。
「あっ、例のお仕事ですか?」
「お、副隊員さんえいとこに来たねや! 手伝っとうせ。」
秋田藤四郎を加えて、畳へ広げる記録物を増やす。
「これは優、こちらは……一部可、他は不可かな。静君、こちらの記録から未展示の作品の中で良いと思う画像を選んで展示用フォルダ内にショートカットを作成してもらえるかな?」
山姥切長義がデジタル媒体の編集を依頼する。この本丸の静形薙刀は小さいものと直に触れることを恐れるあまり、写真や絵に捉えるセンスが磨かれているため、記録部員として頼りにされている。
「わかった、ところでこの本丸生物観察日誌は展示しても良いか?」
静形薙刀の隣に積まれて小さく見えるが、実にノート数十冊という小山がある。
「そりゃ無理だろ、何冊あると思ってんだよ。日誌じゃなくて作るっつってた図鑑はねぇのか?」
同田貫正国の待ったがかかる。なるほど、しかし、と逡巡すれば陸奥守吉行と山姥切長義の連撃が入る。
「そこら辺のがは案内するより自発的に見た方が面白そうやき、記録書庫の手前に配置しちゃろ。」
「図鑑はこれかな」と呟きながら優として分けていた物から見つけ出し「よく纏まっていて本丸の案内として申し分なし、迷わず優にしたよ。」と称賛する。
主や本丸の皆との思い出に目を輝かせながら記録を広げる秋田藤四郎は、さすがは短刀といった速さでくるくると働いている。仕事のできる面々が集まっている余裕から、ちらほらと雑談も生じる。
「そういえば正国君は係でもなし、細かい作業にも興味は薄いだろうに、どうしてここにいるのかな。」
「あぁ……ムツに声かけられたからだよ。」
「それだけ?」
「なんだよ……」
手は止めず、蝋梅色の目の奥を覗き込む。
「いや、君は手を付けた作業は何であれきちんとやるから助かるよ。」
へいへい、とぞんざいな返事で切り上げた同田貫正国は視線を手元に戻す。実をいうと、審神者が展示してほしくない記録や、望まない展示方法をとられそうになったら、それとなく引っ込ませてやろうという親切心が幾らかある。
この山姥切長義は、審神者や蜂須賀虎徹を素直になれない照れ屋などと思っているし、否定できない部分がある。寧ろそこにズバッと切り込み、堂々と褒め称えたからこそ、新刃案内係名誉隊長に任命されている。
任命した元本丸探検隊副隊長の秋田藤四郎も加わってしまったので、尚の事、主が恥ずかしく思うようなことも微笑ましい思い出として掘り出されやしないかと警戒度を上げた。
迂闊に「主は嫌がるんじゃねぇの。」などと口にすればはりきって展示されそうだと思っているため、陸奥守吉行に巻き込まれて仕方なくという体で、黙々と不可の山に滑り込ませている。
主が名や銘や号の練習をしてくれるのが嬉しいからといって、書き損じた紙束まで額に入れて展示するのはやめてやれよと思うのだ。誇らしく愛しいというのも分からないでもないが、落書きや個人的な書が残っており展示される元の持ち主がいるものや、己に彫られている字を基準にしているものもいるため、人の子が未熟な記録を恥じる感覚への共感が今一つ足りないと思うのだ。
「おいムツ、個刃の部屋に飾ってあるやつの写真まとめてねぇのか?」
「おうおう、やる気があってえいのう。ほいたらそこの箱へ月別に纏めたがが入っちゅうき、まさくにくんの好きにりぐったらえいぜよ。」
陣頭指揮を執りながら、記録の整理ついでに部屋を歩き回り、銘々の手元で寄り分けられる品々を観察しつつ、それらに使用した歴代の道具の記録でスライドショーを作成している。この本丸の陸奥守吉行は並行作業が得意な個体である。
開け放った障子の向こうからは、本丸中の音が響いてくる。
雪の落ちる音、馬の嘶き、木刀を打ち合う音、部隊の出迎えや資源を出し入れするざわめき、食事の準備の喧騒、誰かの笑い声。
静形薙刀は、そういえば山へ凍った川の下にいる魚を見に行きたいと言っていたが、その記録が増えるのはいつだろうかと思い笑む。
秋田藤四郎は、お餅の記録はもう展示している他にも大量にありますが、今日も食べ方を研究すると盛り上がっていますよと話す。
山姥切長義は、季節ものの場所を作り、衣替えの様に展示を変えるのもありじゃないかと案を出す。
今日も、これからも、本丸中の壁を埋め尽くすほどにも、たくさんの思い出が生まれ続けることを想像しながら、また一つ、記録を積み上げた。
了