バンドマンしてる辻ちゃんと、そのファンの犬飼澄晴の話1
二番目の姉ちゃんが前々からマイナーなバンドを好んで聴いていたのは知っていたけれど、まさかおれのほうがはまってしまうとは思わなかった。だって、母と長女に連れられアイドルのコンサートに行っても、握手会に連行されても、車両トラブルで友人が来れなくなったからと急遽明理ちゃんに引っ張られてライブ会場に行っても、良いなと思うことはあっても積極的に見たり聴いたりしたいと思うほどの興味はわかなかったからだ。でも、今回ばかりは違った。はっきり言う。そのバンドは決して特別上手いわけではない。ボーカルは確かに特徴的ではあるけれど、既にメジャーで活躍している人達に比べればまだまだだと感じたし、曲自体も良くも悪くも流行りに乗っているだけという印象だ。じゃあ、何にはまったのか。これはもう、自分でもバカとしか思えない。おれは、ステージ下手で淡々とギターを奏でる一際顔の良いギタリストに一目惚れしてしまったのだ。
「まじかぁ、……これは、神引きでは?」
イケメンギタリストに落ちてから自然と移ってしまった姉の口癖は、今時珍しくなってきた紙チケットを見るなり漏れ出たものだった。そう。神引きした。整理番号5番。いや、でも待って。箱自体はキャパ150だから、そこまですごいわけでもないか。でも、これは確実にイケメンくんの正面取れるやつだ。黒髪のイケメンくん。名前は辻。本名で、しかも苗字かぁ素直だなって最初はうっかり笑ってしまった。でも、うん、確かに辻って感じの彼は現役大学生で、噂によれば、今爆発的な人気バンド、スリーソーズのボーカル兼ギターの太刀川さんやフェスの常連IKOMAの生駒さんとも交流があるらしい。二人に比べると迫力や豪快さは感じられないけれど、素人目にもわかる繊細な指捌きは職人技とも呼ばれていて、あまりに静かに左手がネックを滑るからすぐには気付けないけれど、実は無駄のない動きで縦横無尽に指が動いて様々な音を生み出している。リズムギターは辻が一番だよ、と太刀川さんに言わしめるその実力は音源だってライブだって変わらない。ライブの雰囲気から外れない程度にお洒落をして下手のマイクスタンド前を陣取れば、想像以上にぬるぬる動く運指に圧倒されてしまった。曲調が激しかろうがローテンポだろうが細身の長身を僅かに揺らす程度で棒立ちみたいなものなのに、全然ダサくも変にも見えないのは、間違いなく彼の生み出す音が凄すぎるからだ。曲は普通、ボーカルは凡庸。それでもこのバンドが支持されているのは、まさに縁の下の力持ちなんて諺通りにギターの彼がすべての曲をバランス良く支えているからだ。静かなのに熱い、その涼やかな見た目から生み出される音の熱に倒れてしまいそうだ。後ろからはモッシュなんだかなんなんだかで押されているっていうのに、最前列の柵にしがみついていなければ後ろにひっくり返ってしまいそうだ。彼の左手の動きを、右手のカッティングを、前髪から覗く伏し目がちの強い瞳を必死に見上げる。両隣は腕を上げて楽しそうにしているっていうのに、おれは空気も読めずに柵を掴むだけ。だって、辻から目が離せないんだ。にこりともしない、煽りもしない。それでも、ドラムに合わせた彼の音に他のメンバーの音が重なった瞬間、嬉しそうにするんだ。勘違いじゃないくらいにばちりと合った辻との視線に、嗚呼、おれ、無理だな、って思った。
「辻ちゃん!」
思わず叫んだ彼の名前に、呼ばれたほうはきょとんとしていたけれど、恥ずかしそうにふっと笑うと腰を屈めておれの半端に差し出していた手を三本の指でバシンと叩いてきた。ピックを持つ親指と人差し指以外。それなのに、嗚呼、これはすごい、めちゃくちゃ強い。もうその後はあまり覚えていない。相変わらず職人技としか言いようのない指運びは凄かったし、エフェクターを踏む脚はあまりに自然すぎて目の前で見てるっていうのに音が変わって初めてそれに気づく次第だ。変化の少ない綺麗な顔は心なしか楽しそうで、はっきり言ってそれくらいしか覚えていない。あまりに強くて大きな音を聞き続けていたから耳は遠いし、ずっと揺れっぱなしの床のせいで余計にふわふわしていたけれど、最後の最後、アンコールも終えてメンバーが捌ける時。辻は下手側のファンの手に応えて帰っていった。その中にはおれも含まれていて、勘違いでなければ、ありがとう、と笑いかけてくれた。え、やばっ、めちゃくちゃ格好良い。照明がついてからも辻が叩いてくれた掌が信じられなくてぼうっとしてしまっていた。すると、隣にいた同世代くらいの男の子が、今日の辻すごい楽しそうでしたね、と声をかけてきた。やっぱりそうなんですね、とふわふわした気持ちで答えると、彼は興奮気味にこう言った。
「辻、今まで一度もファンサしてないんですよ。今日が初めて。お兄さん、二回もハイタッチしてもらうなんてすごいですね」
え、なにそれ。どういうこと。話を合わせつつも頭の中は真っ白。このバンドは最後にメンバーがお見送りしてくれるのが恒例らしく、常連っぽい彼に続いて出口に向かえば、そこには本当に辻の姿もあった。ドラム、ベース、ギター、ボーカルの順に並んだ彼らの前を会釈しながら通り過ぎようとした時、ばち、とまた辻と目が合った。それはそうだ、だって向こうはお見送りでこっちを見てるんだもの。
「……楽しかったです。指、すごくて感動しました」
どうしよう、何か言わないと。焦る心とは裏腹に口はするりと無難なことを紡いで、普段よりはぎこちないけれど笑顔を向けることも出来た。でも。
「……ありがとうございます。……俺も、……お兄さんが見ててくれるのわかって、嬉しかったです。……あ、手、痛くなかったですか? 俺、加減うまく出来なくて」
人形みたいに動かない顔をふにゃ、とゆるめて笑った辻を見たら、何もかも上手くいかなくなっちゃった。
「……意外と強くてびっくりしちゃった」
「ふふっ、……すみません。次は気をつけます」
え? 次? そう思ったけど、スタッフに促されて真相はわからないまま。一番のメインのはずのボーカルとは差し障りのない会話を交わして、今。わけがわからないまま電車に乗って家に帰ると、辻のSNSにはその答えが書かれていた。
「今日のMIKADO JUNK BOX mini に来てくださったみなさん、ありがとうございました。今日、演奏中にとても嬉しい反応をもらえて、今もどきどきしています。嬉しすぎて思わずハイタッチしちゃいましたが、力加減できずにすみません。次のライブでも、きらきらした目で見てもらえる演奏ができるよう頑張ります」
嬉しい反応。きらきらした目。
「嘘っ、……おれ、そんな顔して見てたの。うっわ、……これは恥ずかしい」
でも、でも、嗚呼。
「次は気をつけます、だって。……やばぁ、……辻ちゃん、……マジでかっこいいし、……めちゃくちゃ可愛かった」
続々と増えていくリプライには、おそらくおれの近くで例のファンサを貰った下手側のファンのものもあった。全然痛くなかったよ! むしろソフトタッチだった! そう書かれたものばかり。え、かなり強かったけどな。そう思った瞬間、気がついた。辻のファンサは今日が初めて。二回も貰ったのはおれだけ。辻の見た目からは意外にも思えるほど強いハイタッチを知っているのは。
「……うわぁ、……おれだけとか、……辻ちゃん、……ほんと沼」
当分の間戻れなそうな沼に、おれは見事にはまってしまったようだ。
2
辻ちゃんのバンドのライブに通うようになって半年。バンド自体はインディーズの中でも駆け出しで、事務所に所属するにはまだ少し難しそうに思える。それでも、徐々に対バンや口コミをきっかけに動員数を伸ばしていき、もう少しでキャパ300の箱にも届きそうというところまできていた。有名どころの太刀川さんや生駒さんが雑誌のインタビューで名前を挙げたこともあり、辻ちゃん目当てでライブに来る観客も増えてきていた。おれが通い始めた頃は男ばかりだった箱も、最近では多いと半分くらいは女の子が埋めていたりもする。すごい進歩だ。純粋にそう思っていたのだけれど、実はそう単純な話でもないらしい。動員数が増えれば増えるほど辻ちゃんのプレイが硬くなっていくのだ。以前おれも最前列で辻ちゃんの演奏を見たことがあるけれど、そこに女の子達が陣取り、辻くん! と声援を送れば送るほど辻ちゃんは表情を硬くしてプレイに徹するのだ。もうしばらく辻ちゃんの笑った顔やファンサは見ていない。意外と緊張するタイプなのかな。それとも、女の子が苦手だったりする? 顔ファンは受け入れられないかんじ? 辻ちゃんは正統派のイケメンだし、プレイもクールで格好良いし、アイドル的に見られても仕方ない要素も持ち合わせている。実際おれだって辻ちゃんの黒髪の美人ってところに一目惚れしてしまったわけだし。でも、スタートは外見でも、実際の演奏を間近で見て聞いたら顔ファンだけでは終われなかった。辻ちゃんの生み出す音の温度に何度も手を伸ばしてしまう。辻ちゃんから目を離せない。そんなファンの存在も受け入れてもらえると嬉しいな。そう思いながら可能な限りライブに通っていた、ある日。彼らのバンドのSNSに一本の動画がアップされた。今までのオリジナル音源とは雰囲気の違うストレートなロック。バンドでもダンサブルナンバーが流行る時代に、少し懐かしい感じもする疾走感ある楽曲。でも、ところどころに聞こえる歪なサウンドは間違いなく彼らの音だった。格好良い。素直にそう思って、嗚呼、彼らの曲をストレートに良いと思ったのは初めてだ、とも思った。でもそんなの当然だ。この曲は辻が書きました、って書いてあるじゃないか。そっかぁ、だからか。だから、こんなに真っ直ぐで、熱くて、クールなんだ。なにより一番驚いたのが、辻ちゃんの演奏パートだった。普段はサブギター、リズムギターと呼ばれるいわゆる伴奏的なポジションに徹している辻ちゃんが、この曲ではリードギターを担当していたのだ。おそらくこれは初めてのことで、こんなに攻めた辻ちゃんのプレイは新鮮で、でも、嗚呼、そうか、と思った。辻ちゃんもギタリストだから。音を支えて守るだけじゃなくて、前衛で攻めるギターだって弾けるんだ。この曲は最近の音楽シーンではたまに起こる、バズった状態、になり、SNSや弾いてみた、歌ってみた、とファン以外にも大受けすることになった。それはライブでもそうで、この曲がバンドで一番の盛り上がり曲となり、アンコールで再度演奏するくらいのヒット曲になった。動画再生数、関連動画の増加に伴いバンド自体の知名度も上がり、また辻ちゃんが新進気鋭のイケメンギタリスト、なんて再注目されたりと多くの反響を生んだ。次第にチケットも取りにくくなり、下手側には女性ファンも増えていって、本当は喜ばしいことなのに辻ちゃんは相変わらず苦しそうだ。ここ最近のおれは整番が悪すぎて、前に行くよりも後ろでまったり音を楽しむほうが良いといった具合で、辻ちゃんの元々小さな顔がもっと小さく見える距離から眺めてばかりだった。バンドの内情なんてわからないし、ボーカルよりも注目され人気の出てしまったギタリストの気持ちもわからない。でも、辻ちゃんが生き生きとギターを弾いてくれればそれで良いと思っていた。
「明日はオレ達のスタート地点MIKADO JUNK BOX mini でのライブ! ギターの辻が最近は男客の元気が足りないって言ってたから、下手側の男はよろしく!」
前日のSNSでボーカルからこんな投稿があったからか、その日は久しぶりに下手側は男だらけで笑ってしまった。かくいうおれも本当に久しぶりに三列目の位置につけてめでたく、下手側の男、になることが出来た。おれは少しだけ平均よりも背が高いから、後ろの女の子達には本当に申し訳ない。振り返って、ごめんね、と一声かけた上でせめて、と壁側にずれてはみたものの、始まってしまえば場所取りとか言ってられない。ほんの半年でだいぶライブの感じも変わってしまって、後ろからの勢いがすごいすごい。前みたいに棒立ちで辻ちゃんの指捌きに見惚れてる暇なんて無かった。でも、SEと共にステージに現れた時は俯いて無表情を貫いていた辻ちゃんが、下手側の男達の野太い、辻! という熱いコールに安心したように小さく笑った時にはうっかり止まって魅入ってしまった。立て続けに演奏された三曲にあっという間に床は揺れて、なんだかまるで海みたいだ。そんな激しい波に飲まれながら、やっぱり凄いとしか言いようのない辻ちゃんの運指やカッティングを眺めていれば、照明が変わった瞬間、ばちりと辻ちゃんと目が合った。少し驚いたように大きく見開かれた瞳は紫。それが、きゅ、と嬉しそうに細められた。そこからは、誰の目から見ても楽しそうに生き生きと演奏する辻ちゃんの姿があった。無表情がデフォルトらしい辻ちゃんだからわかりやすくにこにことはしていなかったけれど、それでも辻ちゃんの職人技、超絶技巧に下手のファンが沸くと、一人一人の目を見て小さく頷いていた。おれもそのファンサを受けた一人で、それに加えて演奏が一区切りつくと差し出されたファンの手をまたあの三本指でパン、パン、と叩いていくハイタッチまで貰ってしまった。次は気をつけます、なんて言っていたのに相変わらずすごい強さで叩いてくるから、この子は相当な馬鹿力に違いないと思わず笑った。辻ちゃんの珍しすぎるファンサに下手の押しはさらに強くなって、例のあのヒット曲ではもう揉みくちゃだ。列なんて無くなって、人の間に挟まるようになっておれも気づけば柵前まで来ていた。途中で後ろにいた女の子が流れそうになっていたから柵まで引っ張って実際は二列目ってとこだけど、本当に久しぶりに間近で見上げた辻ちゃんは格好良くて、綺麗で、涼やかなのにひどく熱かった。初めて見るリードギターを刻む辻ちゃんは、こんな演奏も出来るのかと驚くほど熱くて、力強かった。繊細なフォローが上手いリズムギターの印象が強すぎて、こんな感情剥き出しの演奏、ほんと、ギャップが凄すぎでしょ。ハイフレットも、そこまで指入れるのってくらい深い位置で音を取るし、歪みの効いたピックスクラッチは全然辻ちゃんのイメージに無かった音だ。辻ちゃん、こんなに格好良い曲作って、今まで見せてこなかったプレイを惜しみなく晒して、どこまで行ってしまうんだろう。ただのファンにしかなれないおれには少しだけ怖いよ。でも、それでも、嗚呼、辻ちゃん、格好良いなぁ、好きだなぁ。
「辻ちゃん」
他のファンと同じタイミングで叫んだ彼の名前は奇跡的にも彼の耳に届いたらしい。ちらりとこちらに視線を向けると、またあの恥ずかしそうな小さな笑顔。再び差し出されるファンの手に、ちょん、ちょん、と今度はやさしく三本指で応えていくと、おれの番で、気のせいじゃない、ありがとうとはにかんで、そっとおれの掌にギザギザした物を置いていった。手ぶらになった辻ちゃんはスラップで定位置に戻り予備のピックで演奏し直していた。そう、辻ちゃんは手ぶらで帰った。なんでかって、それは。おれの掌にそっと置かれたものが、つい今まで使っていたピックだったからだ。弦に擦れてギザギザになったそれは、捌ける際に客席にばら撒くそれとは違って唯一のもの。それを演奏中におれにくれた。ありがとうって、声までかけて。ちょっと待って、これは、どういうこと? とにかく、嗚呼、無くさないようにしなきゃ。おれは少し痛いけれど、ぎゅうと掌にしっかり握り込んだ。無くさないように、落とさないようにと握りしめて胸に当てがって、なんだかこれじゃ、心臓に誓ってるみたいだ。変なの。嗚呼、変なの。辻ちゃん、おれ、なんだか指輪貰った気分だよ。
辻ちゃんはその後も今までよりも楽しそうに演奏して、アンコール前に一度袖に戻る際にも、フロア全体を見渡してどこか安心したように静かに笑って戻っていった。いつも一礼こそすれど振り向きもせずに戻っていってしまうのに。アンコールの声が上がる前には下手側はパニックに近い状態になっていたくらいだ。今日の辻、激しかった。音源と弾き方が違った。あれをあの速さで弾くとか凄すぎる。辻でもテンション上がるんだな。あんなにガシガシ弾いてんのにファンサやさしくてギャップに惚れた。ファンサといえば、途中でピック落としたんかな? 持ち直してたもんな、だとしたら可愛い。思い思いに口にし、そして、迎えたアンコールではまた彼に驚かされるんだ。
「ギターの辻です。今日はありがとうございました。さっきボーカルも言っていましたが、此処は全然お客さんが埋まらない時期からずっとお世話になっていて、後ろのほうなんて誰もいなかったんですが、……今はこんなにたくさんの方に来ていただけて、本当に嬉しく思っています。ありがとうございます。……それに、……その頃から来てくださっている方の顔も久しぶりに見られて、……本当に嬉しかったです。いつも、……ありがとうございます。……今日のアンコール、……一曲だけ、俺が歌います。……下手なんだけど、ごめんね。……ゼロ」
ゼロ。辻ちゃんの作ったヒット曲。デモでは辻ちゃんが歌っていたと情報としては知っていたけど、嘘でしょ、生歌で聞けるの? 今日一番の歓声。一気に押されて柵が骨に当たって痛いし苦しいし、でも、顔を上げると本当に辻ちゃんが歌っているんだもの。少しくらい痛くったってどうってことない。自分で歌うって宣言したくせにセンターのマイクは使わずに下手の定位置、自分のマイクを使うところが辻ちゃんらしい。それに、どちらかというと大人しくて穏やかな辻ちゃんらしく声量は控えめで、でも、意外にもダウナーで気怠げな歌い方は色っぽい。小さな頭を傾けながら目を瞑って高音を歌う姿を見て、ようやくこの曲は完成するんだと思った。疾走感あるロック、原点を意味するタイトル、そして辻ちゃん。歌詞はボーカルが担当したっていう話だけど。
「出来るか出来ないかなんて考えずに進めば良い。どんな未来でも、それでも最後に君が笑ってくれるなら本望だ」
覚悟を決めた男らしさは、あまりに辻ちゃんらしい。拘りを持って一本のギターで全曲弾き通す技術も、どれだけ他が走ろうが辻ちゃんだけはずれずに演奏を保つ力も、リズムギターは辻が一番だって太刀川さんに言われても前線で攻める熱さを忘れずに今こうやってすべてを曝け出してくれるところも、そのくせ、笑うと幼くて可愛いところも、嗚呼、ほんと、全部格好良いよ、辻ちゃん。流石に歌いながらあの速弾きは難しいのか本編とは違うアレンジで弾いていたけれど、シンプルなそれは逆に辻ちゃんらしい。表情は変わらないし、自分からは煽らないし、ギターだけでなく歌まで上手くて、まるで精巧に作られたアンドロイドみたい。それでもそんな無機質めいた彼におれ達は勝手に煽られてしまう。辻ちゃんの変わらない綺麗な顔や体の奥にある熱が伝わってくるからだ。
辻ちゃん。まだまだ無名な駆け出しバンドのギタリスト。とにかく驚くほど顔が良くて、さらりとした黒髪に黒と紫の混ざる特徴的な色をした瞳を切長の目に仕舞い込んだイケメン。表情はあまり変わらないのに、有名な先輩ギタリスト達がこぞって評価しているようにリズムギターがはまると楽しそうに小さく笑う。その顔があどけなくて、彼の中にある音楽を楽しみたいという純粋な心が透けて共鳴してしまう。歌は上手いけど声量は無くて、普段は大人しくて大きい声なんて出さないんだろうな、と感じてしまう穏やかな子。それでいて、モデルみたいな細身の体型に似合わない馬鹿力。最後に君が笑ってくれるなら本望だ、なんて恥ずかしそうに笑う辻ちゃん。人気が出てきても続けている最後のお見送り。そこでおれは久しぶりに辻ちゃんと会話を交わした。
「いつもありがとうございます。……あの、今日、どうしても聞きたくてっ、……お名前、教えていただけませんか?」
珍しく辻ちゃんから食い気味に切り出してきたと思ったら、え、何、名前?
「……犬飼、……澄晴です」
自分の名前だっていうのに思わず吃ってしまった。これは、さすがにださい。そう思ったのに。
「……犬飼、澄晴さん。……犬飼、先輩? よかった、……ずっとお名前知りたかったんです。……犬飼先輩が見ていてくれると、俺、すごく頑張れるんです。本当にいつもありがとうございます」
恥ずかしそうに、嬉しそうに笑った辻ちゃんに、ガチ恋してしまいそうだと思った。頭をよぎるのは、最後に君が笑ってくれるなら本望だと歌う辻ちゃんの原点。ぎゅうと握り直した掌のピックは、チリリと痛かった。