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    Unyanyanganyan

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    Unyanyanganyan

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    恋と呼ぶには、揺蕩う日暮れ

     透明に光る木漏れ日に浮かされた君の笑顔を見た瞬間に、僕の人生はまるで、子供の頃に夢中で集めた宝物を詰め込んだおもちゃ箱を底からひっくり返したみたいに、ぐるりと回って、回って、


    「恋というのは、突然の大きな波飛沫のようだ」

     
     僕、神代類は、その大波に攫われて、泳ぐ事も忘れてただただ、広大な海のど真ん中へと放り出されてしまった。まだ、十七年の齢というのに。あたりをぐるりと見渡しても、どうという事はない。僕が居る。あとは全てが恋だった。

     出会って間もなく、まだ何も知らない君。笑顔が眩しくて、誰よりも優しい君。どんな人生を歩み、どう思想し、何を好むのか、てんで何も分からない。なのに君が好きだと思った。僕は、天馬司に恋をした。

     朝になると君を想った。目が覚めていちばんに脳裏に浮かぶのは君の眠たそうな瞳であった。スッキリとしない脳を抱えたまま、いやに心臓は元気だ。
     朝に出されたサンドイッチは何も味がしなくて、食べたくもないけれど、それを伝える事すら億劫だった。サンドイッチにはレタスが挟まっていた。それを拒否するのだって面倒で、味もないから食べてしまった。まだ心臓は逸るばかりだ。
     こんなにも疲れているというのに、妙に血色が良い。顔を洗って髪を梳かして、いつものアイラインを引き忘れた。
     学校へ向かう足は鉛のように重い。朝から無駄な動きばかりするこの心臓に、もう疲れ切っていてとても日常生活を送れる気がしない。ああ、休みたい。もう何処へも出て行かないでいたい。ギュッと小さく丸まって、誰にも知られずに胸がチクチクと痛むのをどうにか耐えられればそれで良いのに。

    「おはよう、類」

     通学路の途中で司くんに出会った。足の先から、ぶわりと風が吹き荒れたように身体を突き抜けて、目の前がちかちかと火花を散らした。

    「おはよう、…司くん」

     にこりと笑って、当然のように隣を歩く司くん。それだけなのに、僕の世界がぐるりと回転する。司くん。司くん。
     君は何やら楽しそうに、昨日読んだ雑誌の話をしてくれた。演劇について。演出について。何度か僕に質問をしてきた。もう何を聞いて何を話したかも全然思い出せない。物覚えは良い方だと思っていたのだけどな。

     授業の時間が苦痛になった。司くんはなぜ隣のクラスなのだろう。同じクラスなら姿が見られたのに。時計の針が僕に意地悪をする。近頃とにかくゆっくりと進むから。ああ、本当にうるさい心臓だ。もういっそ眠ってしまいたかった。起きたら何もかもが終わってくれたらいいのに。

    「類。お前最近オレのランチを欲しがらないな」

     味のしない昼食をとりあえず口に詰めていると、後から君が隣に座ってそう言った。以前なら美味しそうに見えていたであろう豚の生姜焼きがダイナミックに乗ったいかにも育ち盛りの男子高校生らしいお弁当に目を向けた。君は司くんに食べてもらえるのか。羨ましいなあ。そんな事しか考えられない。たいして腹も減らないし、食べたいものもない。なんだか咀嚼も面倒で、途中で飽きてしまう。挟まっているきゅうりの事なんて全く目に入っては来なかった。

     放課後に司くんの教室に行くと、数人のクラスメイトが楽しそうに彼に話しかけていた。僕は何故か扉の向こう側へ足を踏み入れられなくて、急に心細くなってしまった。広い広い海のど真ん中に、独りぼっちですくんでいる。彼が生きる世界には僕には見えない場所があることを知った。当たり前の事だけど。でも何故か、それがとても、とても衝撃だったんだ。

    「類、声ぐらい掛けろ」

     背を向けていた司くんがくるりと僕を振り返って言う。見つけてくれた事に安堵して、同時に自分の所在なさを嘆いた。
     司くんは一言簡単にクラスメイトたちに告げて、すぐに僕の所へと来てくれた。よかったの? 楽しそうに話していたのに。そう聞けば、元々お前が来るまでと言ってある、と言った。じゅわり、と何かが喉の奥に染み込んだかのようだった。頭痛がする。

    「また明日だな、類」
    「うん、また明日ね、司くん」

     軽く手を振って道を別れる。もうダメだ。もうダメだ。
     ずっとこうだ。君はそうやって、僕を近くに置いてくれた。僕はそれを甘受していた。隣を歩くのは僕だった。君だったから。だから、とうとう僕はもうダメだと思う。

     もくもくと白く霞むバスルームは、思考も順当に曇りガラスへ変える。手の流れのままにちゃぷちゃぷと響く水の音。身体を覆うお湯の温度。掴めない液体が指の間を通り抜け、どうしたものかと唸り声を上げた。
     まだ間に合うよ。今ならまだ。引き返そう、波に抗って。そう思ってもどうしても身体が動かないのだ。恋でしかなかった。

     部屋に戻るとスマホに通知があって、名前はまさしく彼を形作っていた。人の気持ちも知らないで、君の投げかける言葉の一つひとつに、僕の心臓は一本ずつ釘を打ち込まれたようでいた。君が笑えば深く突き刺さる。抜こうにも、抜こうにも、その釘はただ甘いのだ。いやだな、司くん。誰しもに向ける笑顔で僕を見ないでよ。僕専用の顔をして。そう思うまでに時間なんて掛からなかった。心はぐちゃぐちゃだ。

    「なあ、類。最近痩せたか?」
    「いや? 変わりないけど」

     司くんがまじまじと僕を見る。上から、下へ。下から、上へ。心配してくれるのか。些細な変化に気が付いてくれるのが嬉しい。ふふ、嬉しいな。でも相変わらず食欲がない。何を食べてもつまらないし。君が食べている姿を見てるだけで、もう満たされる気がした。

     君は僕に、昔見たショーの話をしてくれた。楽しそうで、嬉しそうで、君がどれほどそれを大切にしているのかが分かる。分かるよ。君が幸せだと思うなら僕も幸せだと思う、でも胸が痛い。君の口から溢れ出すのが僕でないのが悔しかった。これが嫉妬か。どうにも醜い。

     君の一番になりたいと思ってしまう。君には大切なものがたくさんあるのに。どれをとってもかけがえのない。そんなことは分かりきっている。なのに諦められなかった。君がすごいと言った誰かの演出より、僕の方が君を輝かせてみせるのに。そう思ってしまった、いけないな。僕の演出は君のために生まれたものだ。君が一等輝く演出なのは、至極当然なのだから。

     上手く睡眠も取れなくなった。頭の中がぐるぐると回り続けている。君のために何か出来ないか、ずっと探し続けてしまう。君のために。それは決して君のためでなんて無くて、ただ僕の欲求を満たすための感情でしかない事になかなか気が付けないでいた。

     難しい。さっぱりわからない。恋というものが。
     どうすれば良いのか、教えてくれはしないじゃないか。なのにそのくせ、当たり前のように溢れているなんて。じゃあ、みんなこんなにも重く苦しく痛い胸を抱えて、平気な顔をして歩いているのか?
     溢れた大恋愛のフィクションだって霞んでしまいそうだ。巷を賑わすピュアなラブソングだって、手本にはなりはしないじゃないか。僕は何を生み出したのだろう。どう育てればいいのだろうか。

    「類。お前、何か悩みでもあるのか?」

     突然君がそう言って、居住まいを正したりする。よしてくれよ。僕は困ってしまって、いいや、何も? と言ったけれど、声が完全に上擦ってしまった。
     む、と眉を寄せ口を窄めて、ずいっと身体を近づけて来るから容赦がない。

    「オレに言えない事なのか?」
    「それはどういう事だろう」
    「オレに分かるか。言いたくないのなら無理には聞かん」

     伏せた目元が物悲しそう。そんな顔を、どうしてするの? 僕のために。
     気がつくと、僕の指は君の少し内側へと丸まった左の髪の毛へ触れていた。

    「なんだ?」

     やや、困ったな。これは困った。この指はどうしたものか。ゴミが付いてたんだ。君の髪にゴミが付いていたのだよ、司くん。そう言おう。

    「司くん…その、」
    「ん?」
    「………ごめん」

     それ以上、何も言えなかった。

     ごめん、司くん。頬に柔らかく触れた指先から君の体温。あたたかいんだ。君の体温があたたかいんだ。ああ、好きだ。好きだ、好きだ。好きだすきだすきだすきだすきだ。

     ごめんよ、ごめん。君を好きになってしまった。友達のままで、一番近くにいられたら、きっとそれが一番良い。君のために、こっそりと混ぜた僕の不毛な想いと共に、これからも演出を付けて行けたらそれが良い。でも嫌だ。それじゃダメなんだよ。そうやって、君の人生を横で眺めているなんて。

     だから、ごめんね。

    「類は、隠し事が下手だ」
    「なんだって?」

     司くんが、その蜂蜜のようにとろりとした飴色の瞳を僕に向ける。やめてくれ。それだけでもう、僕の心は蜂蜜をどろどろと煮詰めてしまったようになる。触れれば粉々になって、嫌にベタつくだけなんだ。

     いつまで隠していられるだろうか。

    「類。新しい脚本を作ったんだ。見てくれるか?」

     司くんは、良く僕の名前を呼んだ。その唇が「る」と「い」の形を作るだけで、僕は喉元へナイフを当てがわれたように立ちすくんだ。日に何度も。けれど、同時にどうにも甘ったるい余韻にも浸ってしまう。お手上げである。

     もう、こんな状態がひと月を過ぎようとしていた。相変わらず心臓が煩い。彼の一挙手一投足に、手足を繋がれたマリオネットのように思いのままに操られているようだった。ああもう、どうにも、息の根を止めてくれよ、と願うようになった。

     彼の書いた脚本は、いつもならば王子が主役であるはずなのに。

    「今度の主役は魔法使い」

     その手から生み出す様々な魔法で、次々と問題を解決してしまうのだ。
     なるほど、これは演出のしがいがあるねぇ。なんて返しながら、その魔法使いが自分に似ている事が気になった。まさか、主役が僕なんて事はないだろうけど。

     僕の演出する舞台ならば、主役はいつでも君が良い。君の動きのひとつにも、僕の息をそっと吹き掛けてしまいたい。そう出来たなら。いつまでも君が、それを受け入れてくれたならば。

     天馬司は、たった一人の演出家の元で留まるような役者ではない、そんなこと分かっているさ。けれど、夢を見てしまうよ。君の瞳が僕を抱きしめてくれるから。

     そうして、また月が変わった。いつまで経っても、この心臓は君を忘れてはくれない。薄桃色の季節が移りゆく。君のような風を感じる爽やかな季節。サラサラと葉の擦れる音がして、耳を傾けてみる。僕もこんな様に、ただ風の吹くままに葉を揺らしていられたら良いのにな。

    「類。この間は食べていたじゃないか」
    「あれはたまたま味がしなかっただけだよ、司くん。もう味がするんだ」

     たっぷりのタマゴにほんの気持ち程度挟まったきゅうりのスライスを摘みながら、司くんの口元へと運ぶ。司くんはそれを何事もなくぱくりと食べてしまった。僅かに唇へ触れた指先が火傷したようにじりりと燃えた。おくびにも出さずに、ありがとうと告げる。

    「風邪でも引いていたか?」
    「そうだねぇ、病だったのかな」
    「今は良いのか?」
    「まあ、ぼちぼち」

     ぱくり、ときゅうりの抜けたタマゴサンドに噛み付く。別に食べたかったわけではないが、きゅうりの礼にこれをやろう。と司くんが箸でウインナーを一本摘んで向けた。ごくり、と喉が鳴ってしまった。

    「そんなに美味そうか? もう一つやろうか」
    「いや、違うんだ、大丈夫」

     司くんの使っている箸には触れないように、慎重にウインナーを齧って受け取る。ぷりぷりと皮を割って、じゅわりと肉汁が滲んで口に広がる。味は全くしなかった。嚥下したウインナーの通る先がひりひりと痛む。重症だ。消化出来ないでずしりと重く沈殿する澱のようになって、僕の初恋は身動きが取れなくなっていた。

     放っておけばどうにでもなると思っていたんだ。時間がなだらかに角を削って、上手く形を変えてくれるだろう、と。そうして君の、一番近くにいられたら。あまりにも浅慮なその考えにほとほと呆れる。

     どこまで積もれば気が済むのだろう。

    「類は恋を知っているか?」

     すっかり夏のような日射しの日だった。司くんは少し汗ばんで頬を赤くしていて、まるで昨日の夕飯は何だったかと聞くようなトーンでそう聞いた。

    「さあ、さてね…。どうかな、分からない」
    「そうか」

     司くんはゴクゴクとペットボトルのお茶を呷る。ぷはぁ、と息継ぎをしてじっと空を見上げていた。

    「お前が寄越した、タマゴサンドのきゅうり。あれは、美味かったぞ」
    「そう…? 君のお弁当の方がよほど美味しそうだったけれど」

     それきり司くんは何も言わなかった。僕はそんな君を横目で盗み見て、陽が沈むまでをただいたずらに過ごした。空が火を点したように色を変えて行くけれど、あまりにも大きな夕陽でさえ、それに色付いた君の瞳より輝いてはいなかった。

    「類、」
    「なに?」

     おもむろに立ち上がって、司くんが僕を見下ろす。僕も倣って立ち上がる。

    「お前はいつも、オレに意味のある物を寄越そうとするが、」
    「…うん?」
    「オレは、意味のないものでも構わないと思っている」

     少しずつ影が濃くなっていく。君の色もわからないように。

    「また、無駄に時間を過ごしても、いいか? 類」

     君が一歩、帰り道を進み出す。

    「君が、それを良いと思うなら、僕はいつでも」

     僕も一歩踏み出す。君と並んで歩む。この道の先に、どんな未来は待っているのだろう。分からないでも、それで良いと思った。出会うたびに、それを知って行けば良い。君の隣を歩いてみたい。僕の隣を歩いて欲しい。今は、それしか分からないままで。
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    Unyanyanganyan

    MEMOなんのカップリングでもない小説でもない独り言です。
    無題 一年前の夏。景色はあまりに鮮やかだった。絵の具を零したような彩度で飾られた風景と、全てが物語の一部のような日々だった。私は、彼女が好きだった。彼女が好きで、自分自身も好きになろうとしていた。自分を受け入れようとして、自分を許せる気がしていた。

     きっと上手くいくと思っていた。ゆっくりと、ゆっくりと、新しい何かが生まれてくるような心地に生きていた。

     それを、全部、捨ててしまおうと思ったのはいつからだったか。頑張って、努力して、我慢して、我慢して、我慢して、まだ頑張れて、まだ平気で、進み続けているうちにもうダメな場所にいる事にも気が付けなかった。
     鮮やかだった夏の景色は色褪せた。風に揺れる木の葉の音色が好きだった気がする。でももうそんなものは聴こえてこなかった。鉛玉を舐めているような毎日だった。人を憎んだ。憎くて、憎くて、この世界が消え去って欲しいと願った。何もかもがつまらなかった。くだらなかった。好きではなかった。そんな腐った感情を飲み下して笑った。人と会話を交わした。全ては嘘ばかり。何一つ興味もなくて、何もかもがどうでも良くて、私はただの嘘吐きになった。嘘が嫌いだった。自分も嫌いだった。自分が憎くて憎くて、殺してしまいたかった。つまらないくせに、楽しそうに過ごす自分が憎かった。
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