コーヒーにはスティックシュガーを「ココくんはイヌピーくんのどこが好きなんですか」
唐突な花垣からの質問に九井は、いささか驚かされた。東京卍會なんていうチームに属していても、しょせん中学生だ。恋バナもゴシップも大好きなのは理解している。千堂らを待つ間の時間つぶしにちょうどいい話題に違いない。理解はしているが、ふつうは本人を前にして聞かないのではないか。現に花垣は相棒の松野千冬に肩を叩かれている。
「おい、相棒。なに言ってんだよ」
「千冬が気になるって言ったんだろ」
「だからって本人に直接聞くかよ」
花垣と松野のやりとりは、本人たちは小声のつもりなのかもしれないが、どんどんとヒートアップしていき、ほとんど筒抜けだ。
わざとらしく、こほん、と咳払いをすると、花垣と松野は面白いくらい背筋を伸ばして押し黙った。なんか小動物っぽい。おもしろいな、こいつら、と思ったことは秘密だ。つけあがらせるのはあまりよくないが。
「……聞きたい?」
にやりとくちびるをあげ、もったいぶるように言ってやれば、「はいっ」と威勢の良い声が返ってくる。やっぱりおもしろいな、こいつら。
「どこが好きかっていうのは、一概に決められないな。花垣だってそうだろ」
「たしかに!」
大きく頷いた花垣の隣で松野はすこし不満そうだ。このまま九井に言いくるめられるとでも思ったのだろう。それでもよかったが、ふたりのやりとりがちょっとおもしろかったので、特別に教えてやろう。
「オレがイヌピーを好きになったきっかけなら、教えてやれるけど?」
「……それってなにか請求されてます?」
「ご名答。そこの自販機のコーヒーでいいぜ」
ばちんとウィンクを決めてやれば、花垣と松野はお互いをつつき合っていたが、けっきょくふたりして自販機に駆け寄ってコーヒーを購入する。
「ココくん、どうぞ!」
「これで教えてくれるんですよね」
動きがいちいち小動物っぽいんだよな。笑いをかみ殺しながら、九井はペットボトルのコーヒーを受け取った。さぁ、話してくださいと言わんばかりの視線に苦笑しながら、コーヒーをひとくち飲む。
「ペットボトルのコーヒーって甘いよな」
唐突な九井の感想に花垣が怪訝な顔をする。べつに焦らしているわけじゃない。話をするにはきっかけが必要というだけだ。
「オレがイヌピーをすきになったのは、コーヒーを入れてくれた時だ」
「思い出のコーヒーってわけですか! なるほどそれでオレたちにコーヒーを買わせたんですね」
「おいおい、むりやり買わせたわけじゃないぜ。おまえたちが好意で買ってくれたんだろ」
「オレたちのなけなしの小遣いから出したコーヒーです。コーヒー分は話してくれるんですよね」
「しかたねぇなぁ。特別だぜ。あれはオレがもう仕事で荒稼ぎをしていたころのことだ」
そのとき九井は仕事で煮詰まっており、アジトに居てもずっとパソコンに向き合っていた。乾になにか飲むかと言われ、自覚はなかったが何らかの反応をしていたのだろう。渡されたのはミルク入りのコーヒだった。ずいぶんとミルクを入れたんだな、とは思った。アジトにはインスタントコーヒーしかないし、味は期待できないが、せっかくイヌピーが入れてくれたんだし、一口くらいは飲むかと口にした途端びっくりした。
甘い。ものすごく甘い。めちゃくちゃ甘い。どんだけ砂糖入れたんだよ。
文句のひとつでも言ってやろうと、顔をあげて、乾と目が合った。それでようやく気付いた。乾はずっと九井を心配していたのだ。ずっと九井を案じていたのだ。
「コーヒーっていうか、もう砂糖入りの牛乳だったんだけど、それで思い出したんだよ。オレ、朝飯も昼飯も食ってなかったって」
乾は九井を心配して、すこしでも栄養になるようにコーヒーに牛乳と砂糖を入れた。できるだけ甘くしようと思った結果が、この甘すぎるコーヒーだろう。
気づけばテーブルの上にはサンドイッチやおにぎりも置いてあった。そうだ。昼飯を食わないかと言われて、先に食っててって言ったんだった。時計を見ればもう十八時を過ぎている。
イヌピーは飯食った? と聞けば、気まずそうな顔をした乾に肯定されて、すこしほっとした。これで食わずに待っていたなんて言われたら、いたたまれない。そのあいだも乾はじっと九井を見ている、見つめている。
九井はコーヒーを、あますぎるコーヒーを飲み干して、「腹が減ったな」と言うと、乾はあからさまに安堵した顔をした。
それから九井はサンドイッチとおにぎりを食べて、乾をファミレスに誘った。あの日をきっかけに九井は食事を大事にするようになった。どんなにいそがしくとも、三食きっちりと食べる。おかげさまで仕事の効率が良くなって、食事の大切さに気付いたのだが、それはまた別の話だ。
「俺のことを心配してくれるんだと思ったら、好きになってた」
「そういうのにぐっとくるの、すっげぇわかります!」
「相棒、声でけぇって」
感動した花垣はこぶしを握り叫び、松野は耳を抑えている。おやおや、松野にはお気に召さなかっただろうか。にやりと笑って伺えば、松野は溜息をひとつついた。
「知ってましたけど、ココくんって意地が悪いですね」
「策士って言ってくれよ」
「イヌピーくん、さっきから反応ないですけど、だいじょうぶっすか」
松野に名を呼ばれた乾はぽかんとした顔で九井を見ていた。てのひらからペットボトルが落ちそうだったので、抜きとってやると、我に返った顔をする。
「……あの時のことか?」
「あ、イヌピーおぼえてた?」
「おまえ、すっげぇ顔をしたから、コーヒーが口に合わなかったんだと思ってた」
「ちなみにイヌピー、どんだけ砂糖を入れたの?」
乾はぱちぱちと瞬いた。
「スティックシュガーをたしか五本くらい……いや、七本だったか」
花垣がえっという顔をする。
「……ココくん、よく飲みましたね」
「そりゃあ、イヌピーの入れてくれたものだから」
これでコーヒー分になったかと聞くと花垣と松野は大きく「はい」と頷いた。その背後から千堂たちが歩いてくるのが見える。どうやらこの話はこれでおしまいだ。九井はそっと乾にささやいた。
「アジトに戻ったらもう一度あのコーヒーが飲みたいな」
乾は溜息をひとつ吐き出して、そして「コーヒーに入れる砂糖はひとつにしておくよ」と答えた。